もしかすると、日本で最も“掘っている”人かもしれない。藤井一至さんは、土と人類の壮大な歴史を記したベストセラー『大地の五億年』 (山と渓谷社、2015年)の著者で、土の研究者だ。業者からデータを買って研究する人も少なくない世界で、藤井さんは必ず現地に向かう。掘って掘って、掘りまくる。彼が言う「掘らないと見えないことがある。貴重なノイズに出合えないから」とは、どういうことなのか? 聞いて聞いて、聞きまくった。
(この記事は2024年12月に発行された『XD MAGAZINE VOL.08』より転載しています)

藤井一至(ふじい・かずみち)
1981年、富山県生まれ。土壌学者。京都大学(農学研究家博士課程修了)卒。今は国立研究開発法人 「森林研究・整備機構森林総合研究所」の主任研究員としてスコップ片手に世界を飛び回り、日々、土と向き合っている。
温暖化も食糧問題も、土に答えがある
「ここ、三色アイスみたいでしょ? 黒、黄、赤と、土の断面が、上からきれいに分かれていて……」
栃木県日光市の某所。ニラ畑からの香りがほのかに漂う雑木林の中、藤井一至さんはスコップ片手に大粒の汗を流しながら、言った。
藤井さん「一番上が『黒ぼく土』。色が黒く、柔らかくホクホクするとか、歩くと“ボクボク”音がすることに由来しています。北海道から九州まで日本ではほとんどの地域でみられるありふれた土。でも世界的には珍しい土です。ちなみに、その下の黄色や赤色の土は1万5,000年ほど前の男体山(なんたいさん)の噴火によって堆積した軽石層です。その上に1.5万年かけて1.5mほどの土が積もったわけです。あと黄色の土はね……」
土の話、いや。土への愛が溢れ出して、止まらない。それもそのはず。藤井さんは日本に30人ほどしかいない土の研究者だからだ。国内はもちろんカナダの永久凍土からインドネシアの熱帯雨林下にある土まで、いつでもスコップを片手に足元を掘る。そして成分や適切な利用方法、新たな価値などを日々、探っている。
例えば、きっとあなたの足元にもある「黒ぼく土」の可能性について考えるとしよう。その黒さは腐植によるものだという。腐植とは落ち葉や枯れ葉、動物や微生物の糞や遺体によって、細かく分解されて変質した物質のことで、この腐植の半分には「炭素」がふくまれる。植物は空気中の二酸化炭素を吸って、酸素を出す。植物は枯れて土になるのだから、見方を変えれば、黒ぼく土は「大気中の二酸化炭素を閉じ込めたもの」ともいえる。
藤井さん「つまり、黒ぼく土ができるメカニズムが解明され、再現可能な技術になれば地球温暖化を緩和できるかもしれない。土が温暖化を克服するヒントになり得るんです」
また、食糧危機も、土で解決できるかもしれない。世界の人口は増え続けて、いまや約80億人。21世紀中には100億人を超えるとまでいわれている。ところが、人口増加と比例して畑の面積が増えるわけではない。今も地球人口1人当たりの畑は、45×45mしかなく、人口が増えれば、さらに小さくなり、30×30mを下回ると食糧危機になるとされる。
藤井さん「作物がとれやすい土を持つ場所を“肥沃な土地”などと言いますが、注意しないといけないのは、土の全てが肥沃なわけじゃないということです。大きく分けても、地球上の土は12種類あり、特性が大きく違います」
その12種類の土を分析し、良い土に近付けられれば、肥沃な土地を新たにつくりやすくなるかもしれない。100億人の食糧危機を回避する解決策を、土から生み出せる希望があるわけだ。
藤井さん「なかなか簡単なことではないけれど、難しいからこそやりがいがあります」
掘ってみると、まず「常識」と違う
分からないのが、面白い――。藤井さんが、そもそも土に惹かれた理由は、そこだった。
藤井さん「最初は岩でした。子供の頃、形がさまざまで、光るものを含んでいたりする岩石が好きだったんです。その延長に、土があった。岩石が細かくなったものが土かというと、違うんですね。岩石が分解したものは確かに含まれる。しかし、そこに先に述べたような、死んだ動植物や微生物が関わって、土になるんです」
いわば、岩と生物が入り混じった、中間の存在が「土」というわけだ。もっとも、その土が、どのように岩石から土に変わっていくかは解明されていない。化学構造式すら、分かっていないのだという。
藤井さん「『チンパンジーと私たちは共通の祖先がいて、そこからヒトが進化した』と私たちは理解はしている。しているけれど、実際に変化を見たことがある人っていないじゃないですか? だからダーウィンの進化論がなかなか説得力を持たなかった。それと同じで、岩から土に変わる瞬間は誰も見たことがない。なぜそうなるのか、本当の意味では分かっていない。分かっていないものを見たい、知りたいのってワクワクすることじゃないですか。もはや、そこにはエロスすら感じます」
だから「掘る」行為も藤井さんにとってはエロチックで、興奮する行為となる。掘ってみないと分からないことが、あまりに多いからだ。とはいえ、土の研究者が皆、藤井さんと同じモチベーションを持っているわけではないようだ。土の研究者で、世界的な権威のような人でも、自ら穴を掘る人はむしろ少ない。
すでに土壌の分類は完成し、データも整備されている。だから、実際に土を掘ることで大発見をすることは少ない。忙しい研究者はGPSで格子状に区分けした地点を指定して、採掘業者へ依頼して掘ってもらう。さらに掘った土を解析業者にアウトソーシングして、結果の数値だけで分析。現地で土を掘らず、論文を書くわけだ。
確かに効率的だ。しかし、藤井さんは「全くそそられない」と話を続ける。
藤井さん「そもそも、実際に現地へ訪れて穴を掘ると、それ以前に得ていた情報とは明らかに違う事実と出合えますからね。掘ってみると『予想通りじゃなかった』ことの方が多いくらい」
例えばタイの東北部に行ったときのことだ。藤井さんは、いつも先行研究となる文献を読み込んでから向かう。『彼の地は砂質土壌と呼ばれる、サラサラの砂漠のような土がほとんど。粘土がほとんど含まれず、栄養分も少ないため、作物が極めて育ちにくい……』とタイ東北部の土壌に触れた文献には必ず記されていた。さらに『……こうした砂質土壌に苦しめられ、タイ東北部の人は、貧困にあえでいる……』と記述は続いた。
藤井さん「実際にタイ東北部に行って、穴を掘ると、粘土質が3%程度しかなく、確かに栄養分のない砂質土壌だったんです。ところが、肥料や水を十分にやるとむしろサトウキビの生育は良いくらい」
論文やレポートにあるような圧倒的な貧困の姿とは違っていた。何より、そこに住む人たちはいつもニコニコと笑い、日本にいる自分たちよりも明るかった。
藤井さん「肥料のコストがかさみ、赤字のリスクがあるだとか、水が不足すると全く育たないリスクがある、だからなかなか学校や病院に子どもをやれないっていう話まで聞いて初めて問題の構造が理解できます。外からあてがわれた不幸とは、明らかに違う表情が、土からも人からも見えたんです」
論文やデータだけでは見えてこない現実が、現場にはある。土を自ら掘りに行くことは、そんな解像度の高い情報、真実ともいうそれに出合える機会というわけだ。
藤井さん「今まで日本や海外の土を何十、何百と調べてきましたが、分類上は同じ種類の土で、12種のうちのどれかであっても、中の微生物の構成を調べると、どれひとつとっても同じではありません。全て違う。土地土地で、必ず違っていました」
インターネットが普及して、全ての情報はどこにいても誰でも手に入る気がするようになった。情報の非対称性が薄まり、情報の民主化が始まったと思っていた。
藤井さん「けれど、情報が溢れた結果、なおさら分かったような気になって、正確な情報にアクセスしづらくなった。ものごとの実感や手触りの価値は、相対的に高まっていると感じます。現場で掘って感じた手触りのある情報を、自分の言葉に変換し直す。そうすることで、初めて得られるものがある。それは机上で得られる情報量とは比べ物にならないほど豊かで生き生きとしているんですよ」
投機の対象にも、戦争の原因にもなり得る
藤井さん以外にも、新たな土の価値に気づき始めている人がいる。例えば土が二酸化炭素を吸収できるのなら、広大で肥沃な土地は、工場などから排出される二酸化炭素を埋め合わせる「カーボンオフセット」にも使える。100×100mで1トンの二酸化炭素を土に溜めこめれば、それだけで3万円ほどのカーボンオフセットによる利益が生まれる。1,000haの農地なら、約3,000万円の利益になり得るわけだ。
藤井さん「そこで投機対象のように肥沃な土地を買い漁る、ゴールドラッシュならぬ“ランドラッシュ”のような現象もすでに起きています」
一方で、土は戦争のトリガーにもなる。12種ある土のうち、最も肥沃といわれるのは、チェルノーゼムという土だ。チェルノは「黒い」、ゼムは「土」の意味で、教科書で「黒土」と習った人も多いだろう。日本を含めて、多くの国にチェルノーゼムは無い。
黒ぼく土に似ているようで最も違うのは、中性であることだ。黒ぼく土は酸性であるため、稲などは育っても、小麦やトウモロコシには適さない。食料確保に極めて適した土であるチェルノーゼムが多くあるのは、カナダ、アメリカの北米プレーリー、アルゼンチンなどの南米パンパ、そしてロシア南部からウクライナなどだという。
藤井さん「特にウクライナは国土の大半がチェルノーゼムです。永久凍土と酸性土壌が多くを占めるロシアにとって魅力的な土地でした。ちなみに、かつて日本は中国の満州に植民しました。満州の辺りはウクライナ同様、豊富なチェルノーゼムがある肥沃な土地だったことも一因だと考えられます。このように、土は地政学的な意味も持つのです」
食料を産むベースとして、命を支える要として、さらに世界を写す鏡として、土は、驚くほど豊かな情報を含む。
しかし、藤井さんは「そうした多彩な価値があるからというだけで、土を堀り、研究しているわけではない」と言い切る。
藤井さん「やっぱり掘らないと分からないものがある、ということに尽きる。分からないところから意識をひっくり返す、新しい価値を生み出す方がすごいと思う」
データからは見えない雑音のために、好きを突き詰める
藤井さんは「ノイズ(雑音)」にも掘る意義を見出している。掛け算のような、シンプルな方程式が生まれるからだというが、どういうことだろうか。
藤井さん「世界中の土の中にいる微生物の種類や遺伝子情報はすでにデータバンクに揃っています。今さら新しく土を掘って微生物を調べるよりも、そのデータベースの情報で解析した方が普遍性はあるはずです。しかし、特殊な土壌には特殊な微生物がいたりします。
掘らずにデータだけ追うような研究者からは、特異なデータはノイズとして排除されがちです。マニアックな粘土鉱物の種類なんかもノイズになります。そこに弱小研究者のチャンスがあります」
よくいわれることだが、世の中を変えるようなイノベーションは、全く新しい何かを0→1で生み出すのではなく、既存の何かの掛け合わせから生まれることが多い。
ある領域から見たらノイズでしかない些細な情報を、自分だけは大切に掘り起こしておく。そのノイズを、既存のデータと掛け合わせて、他の誰かにはない角度から世界を見つめ直せば、そこに稀有な価値が浮かび上がるわけだ。
藤井さんの研究に引き戻せば、既存の土のデータに、必ず自ら掘った土における粘土の比率や含まれた微細な鉱物、さらに特殊な微生物の新しい情報をかけ合わせて分析する。だからこそ「この動植物の腐敗が土を肥沃にしているのではないか」「あの物質を加えたらもっと肥沃な土地がつくれるのではないか」と自身にしか見いだせない仮説を立てられることがある。その個性こそが藤井さんの強みなのだ。
これらは何も土の研究に限らない話に聞こえた。他の学問でもビジネスでも、あらゆる分野にあてはまりそうな「掘る」ことの意義を照らし直す。
藤井さん「そうなんです。スコップは要らない。ただただ好きだから、知りたいから、掘り続けられる。その結果としてノイズも集まってくると、オリジナリティも育つ。自分の好きなものを起点にした方が持続的というか、絶対に続きますよね。当たり前だけど」
あなたは、何を掘りたいだろうか? すでに掘っていること、溜まっているノイズは無いだろうか? まずは自分の足元から掘ってみるのも良さそうだ。
取材・文/箱田高樹 写真/タケシタトモヒロ
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