有楽町から数寄屋橋の交差点を渡る。歩道から段差がなく、シームレスにグレーの建物にいざなわれる。ゆるやかな螺旋状の大階段を上る途中、ふと消える街の喧騒。花のアートの展覧会を催すフロアに紛れ込んだ頃には、自分が銀座の中心にいることを完全に忘れていた――。
2025年1月26日、銀座の中心にグランドオープンしたのが『Ginza Sony Park(以下・ソニーパーク)』だ。地上5階、地下3階のビルではあるが、名前どおり、ここは「公園(Park)」だという。正確には、ソニーが世に問うた「公園の再定義」だ。
かつてあったソニービルを解体。地上は木々を植え、地下に広がるフラットな公園にし、3年間そのままの状態でまずは維持。その後、さらに3年の工期を経て生まれたのが、このビルディング型の公園だ。
「一旦、更地にし公園とした3年間がなければ、今のこの形は生まれなかった」と、ソニーパークを総合プロデュースする、ソニー企業の代表取締役社長 兼 チーフブランディングオフィサーの永野大輔氏は言う。
どういうことなのか? なぜビルは公園になり、そして公園のようなビルになったのか?永野氏に、6年ぶりに会いに行った。

あの公園は、大胆不敵な実験場だった。
それは贅沢な実験だった。
1966年、西銀座の数寄屋橋交差点に誕生した「ソニービル」。当時、電気メーカーとして飛躍を目指していた自社を象徴する場として、ソニー創業者のひとりである盛田昭夫氏が建てた8階建てのショールームビルだった。しかし、半世紀を経て設備が古くなったと同時に、ソニーのビジネス領域も変化。電気製品のみならず、音楽やゲームなどに拡張したことで、ビルの“あり方”に乖離が出たこともあり、ソニーは、2013年に「建て替え」プロジェクトをスタートさせる。
極めてユニークだったのは、建て替え前にこの世界有数の高い地価を誇る場所を、いったん「更地」にする案が採用されたことだ。
人のやらないことをやる“ソニーらしさ”を、建て替えのプロセスでも見せる。そんな思いから地下にはアクティビティスペースやカフェ、雑貨店などを設けたが、地上には建物を置かずフラットなままに。2018年8月から2021年9月の約3年間は、地上のウッドデッキにベンチを設置した、一見、ただの公園に仕立てたのだ。

写真提供|Ginza Sony Park
窮屈になりがちな都市の中で、あえてつくった“余白”。「バージョンフラット」と名付けられた、この第一形態は、まさにかつてのソニーらしさを彷彿とさせる、まちづくりや建築のセオリーへの大胆不敵な挑戦にも見えた。
挑戦は、実験でもあった。解体途中に銀座の真ん中に公園をつくる。「銀座の中心にできた公園に、どれくらいの人々が訪れ、どのように過ごすのか」。定量的かつ定性的に、3年間のバージョンフラットの使われ方を定点観測。新たに建てるビルの設計に反映させる算段だったからだ。
そしてさらに3年の施工期間を経て、2025年1月に生まれた最終形態が、今あるビル「ソニーパーク」というわけだ。
永野氏「だからこのソニーパークを以前のソニービルより4フロア分も低くしたのも、地上階に一切テナントを入れていないのも、用途を限定しない空間をそのまま残しているのも。すべてバージョンフラットで起こったことを反映させて形にしたものなんですよ」

ソニー企業株式会社 代表取締役社長 永野大輔氏
「バージョンフラット」で見つけたもの。
50年間愛されたショールームビルを壊して、3年間だけ銀座の中心に生まれた700平米の公園「バージョンフラット」での実証実験。
実験結果でまず驚くのは、以前より多くの来訪者がいたことだ。
地上8階建て・地下4階建てだったソニービルに比べて、バージョンフラットは、地下は4階建てながら地上は0階建て。圧倒的に面積が減ったにもかかわらず、ソニービル時代は平均来場者数が9,000人ほどだったが、フラットにしたあとは1日の平均来訪者が1万人を超えたという。
永野氏「フロア数と来訪者数は比例しないことがまず証明されました。では、なぜフロア数を減らした『バージョンフラット』が支持されたのか、といえば、街に開かれていたこと、そしてやはり“余白”と“アクティビティ”の両輪をつくったことだと思うのです」

余白はそもそも公園というコンセプトのもとで、あらためて公園を再定義したときに生まれたコアの着想でもあった。公園を公園たらしめている要素は、木々や噴水やベンチなど、もろもろある。しかし、永野氏は、それらも踏まえたうえで、公園とは「余白」だとまず再定義した。多様性を受け入れる、余白だ、と。
百貨店にしろ個店にしろ、モノや情報が詰め込まれた空間は、ひとつの目的を果たすことには役立つが、多様性を受け入れにくくなる。「ココはコレをする場所だ」と限定されがちで、それ以外の人や思惑を排斥せざるを得なくなるからだ。
永野氏「しかし、余白は違います。どんな人や思いも受け入れるし、受け流すこともできます。それは公園が持つ機能のコアだと思うのです。都市の中にある余白だから、誰が訪れてもいい。ぼーっとしていても、休憩していても、ランチをしてもいい」
東京都心、銀座の辺りは、ビルと情報にあふれていることも大きい。買い物や映画鑑賞や食事に出かけたとしても、その後、フラッと立ち寄って休める空間がほとんどない。余白が少ないこの街では、ことさら誰しもをオープンに受け入れる公園=余白の存在価値が際立つわけだ。
現に来場者の方々は、バージョンフラットで思い思いの時間を過ごしたという。待ち合わせ、ランチ、自習、おしゃべり……。
情報の洪水やモノの氾濫におぼれかけた多くの人々に、バージョンフラットの憩いの空間と時間が刺さったともいえそうだ。

とはいえ、1万人もの人をそれだけで集めたわけではない。もうひとつの“アクティビティ”を、余白の隣に添えたことは、大きな化学反応を生んだ。やはり目的を持つ人が集う装置として、何かしらの情報を発信する必要はある。そこで、バージョンフラットの地下では、さまざまなテーマに基づいたアートや音楽などの15のプログラムを開催。また、「Park Live」と銘打ってDJやライブ・イベントを毎週実施した。
もっとも、大事にしたのはやはり余白×アクティビティの共存だった。どちらかに偏らせず、両方がそこにあることだ。
永野氏「情報やアクティビティだけ埋めてしまうと、他の商業施設や文化施設と変わらない。公園たり得る“余白”をしっかりそこに置くことで、目的がある人とない人がミックスする場所が生まれるのです。そこにこそ価値がある」
たとえば、「Park Live」であるミュージシャンのライブがあるとしたら、そのミュージシャンのファンやすでに興味のある人、いわば明確な目的を持った人がバージョンフラットに集まる。しかし、ふと地上に出るとベンチで読書をしている人がいる。楽しげに談笑しているカップルがいる。結果、「何だか良い雰囲気だ。今度、待ち合わせに使ってみよう」などと新たな動機づけにつながるわけだ。
反対側からも同様だ。読書にふけっていたビジネスパーソンが、地下からあがってきたライブの客に触れ、「こんな人たちが集まるライブをやっているのか。ちょっと聴いてみたいな」と喚起される。あるいは、談笑していたカップルが「次はライブも見てみたいね」と言い合うといった具合だ。
永野氏「面白いのは、公園的な余白があることで、目的がない人を呼び込む誘引が生み出せることです。既存のマーケティング手法ではなかなかリーチしづらい人の心を、余白とアクティビティを併設させた公園ならば、動かせるということです。3年間の実験で、こうした発見が多々ありました」

そして、より公園らしい建物に。
約3年の間、バージョンフラットでの実験結果は、今の第二形態の「ソニーパーク」に誠実に実装された。まずは地上5階、高さ33.863mと、以前のソニービルよりも2/3ほど低くしたのは、「余白」を生み出すためだ。
銀座のビルには地区計画に基づいて56mという高さ制限がある。だから周辺のビルもすべてそれくらいの高さに揃っている。しかし、数寄屋橋交差点に立つとひと目でわかるが、ソニーパークは周囲よりもぐっと低く身構えている。
永野氏「ギチギチに建物で敷地を埋めるのは公園的ではありませんからね。開放感が出ない。しかも、建物を低く構えたことで、屋上などから銀座の凝った意匠の他のビル、数寄屋橋を歩くひとびと、遠くに見える日比谷公園の緑まで“借景”できるようになりました」
ヒントになったのは、バージョンフラットに訪れた何人かの「(隣にある)エルメスのビルがキレイに見えるね!」という嬉しげな声を聞いたことも決意した理由のひとつだった。
永野氏「もちろん高さが低くなれば、延床面積は狭くなります。しかし、バージョンフラットで床面積と来訪者数が比例しないことは証明されていましたから、問題ありませんでした」
むしろ、延床面積が減った分、建築費が削減できた。経済合理性から見ても、メリットが大きい。
建物内部は、“余白”と“アクティビティ”をバランスよく配した。具体的には実験から導き出された「4対6」の比率にした。地下3階から屋上までのスペースのうち、6割はイベントスペースやショップ、レストランなどのアクティビティの場としたが、残り4割は余白。自由に来訪者が使えるスペースにしたのだ。
永野氏「4対6というのは、バージョンフラットのときにシミュレーションから出した数値です。これも公園らしさという体験と経済的な物差しから出した判断です」
だから、ソニーパークを訪れると、歩道を歩いていたつもりが、いつのまにかパーク内部に誘われ、ごくごく自然に3階の展覧会を巡らされたりする。思わず触れたアートに興奮したまま、屋上にあがり、銀座の借景を浴びて、また違う刺激を浴びる、なんてことが起こる。

都市に生まれたあいまいな場所、公園のような建物、刺激的な余白のあるアクティビティに心踊らされるわけだ。
そして、今の時代に、こんな一等地に、贅沢な遊びのある場所をつくったソニーの凄みを感じざるを得ない。
永野氏「そう感じてもらう方が、いてくれたらうれしい。大声では言っていませんが、このソニーパークこそが、私たちがいま伝えたいソニーブランドを体現していると思っていますからね」
伊勢神宮とソニーパークの相似性。
コレも余白の効果かもしれない。
日本で最も地代の高い、銀座の街にオープンに開かれた公園のようなビル。4対6の比率に従い、情報をつめこみすぎない空間。しかも、ソニーという企業グループが手掛けているにもかかわらず、一切ソニー製品が置かれていない――。

声高にその理由をビルの壁に掲げているわけではないので、「なぜ、ソニーは、こんなことをするのか?」と訪れた何割かは考察しはじめるだろう。そして、この記事のような文章、あるいは永野氏の言葉にたどり着き、計算された「余白」であると知るわけだ。
考える余地を与えるビルなど、そうそうない。また、これまでも変化をしてきて、これからも変化し続けるソニーを具現化したような場所ともいえる。
永野氏「かつてのようにエレクトロニクス製品だけではなく、今のソニーはゲーム、音楽、映画、エレクトロニクス、半導体、金融(ファイナンス)と全部で6事業がある。これまでのようなショールームだけでは表現しきれないのがソニーブランド。ならば、固定せず、変わり続けるあいまいさをもったソニーパークは、今のソニーそのものともいえる。
いわばプラットフォーム。前のソニービルがガラケーであるなら、いろいろなアプリがインストールできる、スマホなんですよ」
前回話をうかがったとき、ソニーパークにおいて、余白は「使い手の解釈を待つ場所」だった。しかし、今回の新ビルにおける余白は、さらに一歩進んでいる。それは、変化し続ける都市の行為や時間を、その都度インストールしていくための「許容の器」へとアップデートされているのだ。
加えて、永野氏はソニーパークに似たものとして、伊勢神宮もあげた。

2000年以上の歴史を持つ伊勢神宮は、20年に一度、社殿を建て替える「式年遷宮」でもよく知られている。社殿を新しく保つのと同時に、宮大工の技術を次世代に承継するための儀式だが、これができるのも“余白”があるからともいえるからだ。
永野氏「伊勢神宮の社殿の横には、式年遷宮のための更地が常にある。20年ごとにその“余白”に新しい社殿を建てられる。つまり、余白があるから2000年もの間、持続できてきたんです。だから我々もサステイナブルな場、企業グループで居続けるために余白をあえて作っているんですよ」
あらためて、“余白”は、何もないことを指すのではない。
より良い未来につながるために不可欠な、持続性を導くために不可欠なエンジンなのだ。
予兆は見えている。今やバージョンフラットのとき以上に、1日の来訪者数が増え続けている。この場を使ったイベント、展示会などの依頼もひっきりなしに入っているという。
もちろん、良い声ばかりではない。

銀座の一等地を公園化した「バージョンフラット」は、「噴水もないとは……。こんな場所、公園とはいえない」との批判も受けたという。現在の最終形態の「ソニーパーク」も、「なんだ。ソニー製品を置いていないなんて」とお叱りの言葉を受けることもあるらしい。
永野氏「けれど、それもふくめて“ソニーらしいな”とポジティブに感じています。ウォークマン®は『外でヘッドホンをつけて音楽を聴くとは』と、PlayStation®も『大人向けのゲーム機なんて』と、新たな再定義を世に提案して、最初に批判をいただいたのが、私たちの歴史でもある。そして気がつけば受け入れられて、イノベーションの一歩だったと後に言われてきた自負がありますから」
そういえば、都市部の再開発プロジェクトにおいて、「パーク」の言葉や「余白」といったコンセプトが耳に入るようになってきた。
実験からはじまった、ソニーパークの試みは、世界の都市を再定義して再構築していく、大いなる起点になりはじめている。
新たなイノベーションの一歩目、今のうちに触れておいたほうがいい。数寄屋橋交差点から、すぐだ。
取材・文/箱田高樹 写真/田巻海 編集/鶴本浩平(BAKERU)




