企業と顧客が「体験」を通して生み出せる価値を考えるイベント『CX DIVE』。9月4日に開催された同イベントの最終セッションは、「BORDERLESS EXPERIENCE(ボーダレス・エクスペリエンス)」がキーワードとなった。
壇上には、モダンな車イスに乗った男性が登場した。
彼の名は、武藤将胤(むとう・まさたね)。障がい者や健常者という垣根なく、すべての人に共通の感動体験を届けたいという想いで、一般社団法人WITH ALSの代表を務めている。
本記事では、「ALSの困難から発明を。BORDERLESS EXPERIENCE を全ての人に」と題されたクロージングセッションの模様をお伝えする。
ALS当事者になって感じた「見えないバリア」
武藤「一般社団法人WITH ALSの武藤です。僕は約4年前、広告コミュニケーションの仕事をしていたとき、難病ALSの宣告を受けました」
ALSは筋萎縮性側索硬化症といい、運動神経系が少しずつ老化し使いにくくなる病気だ。個人差はあるものの、症状の進行速度は速く、平均余命は3~5年と言われている。
数年前に流行したアイス・バケツ・チャレンジも、ALSの研究を支援するためのキャンペーンだった。世界では約35万人、日本では約1万人のALS患者がいるという。2018年3月に息を引き取ったスティーブン・ホーキング博士もまた、ALS患者だった。博士の場合は21歳でALSと診断され、その後55年間に渡り研究活動に勤しんだ。
武藤「私たちはWITH ALSを通して、3つの社会課題に向き合っています。1つ目は『CURE』、未だ治療方法がないALSが治る方法の実現です。2つ目は、ハイディキャップを抱えた人を含むすべての人の『QOL』の向上。3つ目の『BORDERLESS』は、健常者とハンディキャップを持つ人との垣根や、見えないバリアをなくしていくことです」
2013年にALSを宣告された武藤氏は、だんだんと不自由になっていく身体を感じながら、自身の制約をアドバンテージに変え、テクノロジーとコミュニケーションの力でイノベーション創出に挑んでいる。武藤氏はその取り組みとして、3つのプロジェクトを紹介した。
目の動きを活用したデバイスで、表現の可能性を拡張する
武藤氏がALSになって、最初に奪われたのは「手」の自由だった。
武藤「当たり前のように行っていたPCの作業ができなくなり、頭がかゆいと思っても自分の手では掻くことができない。趣味だったカメラも自分の手ではシャッターを切れなくなり、始めたばかりのDJ活動も続けられなくなりました。日々、できないことが増えていく恐怖と戦っていました」
ここで、一本の動画が流れる。
その中で武藤氏はこのように語っている。
武藤「ALSの発症後も、多くの人が最後まで眼球の動きは正常に保つことができると言われています。夢を諦めるなんてどうしてもしたくない。もう一度自分の感情を音楽で表現したい。その想いから、目でDJ・VJをプレイするプロジェクトを始めました」
このプロジェクトは「Follow your vision」と呼ばれ、メガネ型ウェアラブルデバイス「JINS MEME」を活用し、目の動きだけでさまざまな電子機器をコントロールできるアプリケーション「JINS MEME BRIDGE」を開発した。このアプリケーションを通して、武藤氏は「EYE VDJ」を名乗り、現在も音楽フェスやイベントなどで表現活動を行っているのだ。
武藤「ハンディキャップを持つ人だけではなく、全ての人に表現の自由があるべき。僕は今、健常者時代よりも、拡張・進化した状態で再びプレイすることができています」
同様の技術により、“まばたき”を合図に、スマホカメラのシャッター、自宅の照明、エアコンやテレビの操作もできるようになったという。手足の補完という最低限の役割だけでなく、一人ひとりが持つ表現の可能性を拡張することをプロジェクトの目的としている。
誰にでも移動の自由を。体験は、届いてこそ価値がある
武藤氏が、手の次に症状が現れたのは「脚」だった。進行が進むにつれて車イスを探したが、なかなかデザイン性の高いプロダクトには出会えなかった。ギリギリまで車イスに乗らない選択をしたことで、転んでしまうこともあったという。
車イスを探す上では、介護保険も悩みだった。40歳未満の人たちは介護保険の適用外となってしまい、車イスを自費で購入しなければいけない。モダンなデザインの電動車イスは100万円以上することもザラで、当事者にとって価格は大きなハードルとなっていた。
ALS患者は、症状が進行すると通常の電動車イスに乗るのも難しくなる。いつまで通常の電動車イスに乗り続けていられるかも分からない中で購入するには、電動車イスはあまりに高い。それが自費購入をためらう一因にもなっていた。そこで生まれたのが「WITH ALS×WHILL」だ。
デザイン性の高い次世代型車イス「WHILL」と出会った武藤氏は、「車イス=障がい者の乗り物」というイメージを超えた新しい乗り物と感じ、ワクワクしたと当時を振り返る。
「これで外出が楽しくなる」そう思った武藤氏は、ALS患者たちとWHILLをシェアしようと思いつき、クラウドファンディングで資金調達を行った。200人を超える支援を受け、4台のWHILLを購入。現在もその4台でシェアしており、稼働率はほぼ100%だという。
武藤「すべての人に体験を届ける『仕組み』がとても重要なんだとこのプロジェクトを通じて感じています。素晴らしい体験は、届いてこそ価値がある。ユーザーが求めているのはプロダクト単体ではなく、一人ひとりにとっての幸せな体験なんだと思います。求めている人たちを可視化したことで、体験が届ける仕組みを創り出すことができました」
プロダクトデザインで、すべての人にバリューある洋服を
「手」も「脚」も不自由になったことで、武藤氏が直面した課題。それは、好きな洋服を自由に着られなくなったことだ。当たり前に行っていた「ボタンをかける」「ジッパーを上げる」といった行為ができなくなったことで、着られる洋服がどんどん限られていった。
武藤氏はここでも制約をアドバンテージに変え、BORDERLESS WEARの「01(ゼロワン)」が生まれた。自らの実体験をもとに、障がいと戦う人も健常者も垣根を越えて、すべての人が快適にカッコよく着ることができる服を届けるプロジェクトだ。
武藤「僕が今着ているセットアップも『01』のものです。素材は全身スウェット、ボタン部分にはマグネットを採用しています。また、右の袖のポケットにはICカードが入るポケットがついており、改札や自販機で財布を出すことなくキャッシュレスな体験をすることができます。これは健常者の方にとってもバリューのあるポイントだと思います。
機能面の不便さやデザイン面での“障がい者用”というイメージのレッテルを、ボーダレスなソリューションで解消していく。『01』の製作を通して、プロダクトデザインですべての人がバリューを感じる新しい体験を創り出すことができるのだと学びました」
次なる挑戦は、ボーダレス・エンターテインメント
これらの3つの事例に共通しているのは、「BORDERLESS EXPERIENCE」だ。障がい者に限定された“閉ざされた”体験ではなく、属性に関係なく、人の心を動かすことを軸に体験を創出することがWITH ALSが目指す姿。
最後に、武藤氏が掲げる次なるチャレンジを描いた動画が流れた。タイトルは「ROAD TO 2020」。
この動画には、EYE VDJの武藤氏、車イスダンサーのかんばらけんた氏、全盲のドラマー酒井響希氏が出演。互いの個性を活かしあう、新しく自由なエンターテインメントを創り上げるという気概を感じさせる仕上がりだ。
WITH ALSの次なる目標は、2年後に迫ったオリンピック・パラリンピックの開会式の舞台で、日本から世界に「BORDERLESS ENTERTAINMENT」を届けること。障がいを理由に評価される“障がい者エンターテインメント”の概念を超え、誰もがあっと驚きワクワクするようなパフォーマンスを、国際的イベントの場で発信することを目指す。
武藤「2年後、もしかしたら、僕自身は寝たきりの状態になっているかもしれません。しかし、テクノロジーの力や今回コラボレーションした素晴らしいパフォーマーの仲間と助け合うことで、ボーダレスなエンターテインメントを創っていけると信じています」
ハンディキャップを持っているからこそ気付くことができた新たな価値。WITH ALSが生み出したプロダクトやサービスはどれも、その名の通りユーザーを障がい者に限定しない「ボーダレス」なものだった。彼らが創り出す体験は、イメージやレッテルを超え、一人ひとりの自分らしさを描ける社会への架け橋となっている。