忙しくて時間はないけど、ご飯を安く腹いっぱい食べたい、そんなビジネスパーソンの外食を支える牛丼チェーン店「吉野家」。創業は1899年で120年の歴史を持つ。街なかで見かけるオレンジの看板は、遠くからでもよく目立ち、牛丼のいい香りを想起させる。
吉野家のコンセプトは「うまい、やすい、はやい」。コーポレートサイトには、このコンセプトは牛丼のみという単品ビジネスを長期にわたって営んできたからこそ育まれたアイデンティティだと記されている。
だが、社会の変化と共に、「うまい、やすい、はやい」にも変化が生じているようだ。
電源・Free Wi-Fi・テーブル席の「黒い」吉野家の出現
最近、吉野家は、黒をキーカラーにした「黒い」吉野家への改装を数店舗で進めている。店舗デザインにはグリーンが多用され、座席には電源があり、Free Wi-Fiも飛んでいる。オレンジ店舗のような忙しなさは抑えられ、居心地の良さにフォーカスする新業態だ。
2016年3月の恵比寿駅前店を皮切りに、数店舗で検証を続け、今年の春から本格的に拡大をしていく。2019年度は主に既存店の改装で80店舗を、来期以降は新規出店も含め約100店舗を黒い吉野家へに変更する予定。中期的には5年間で約500店舗が黒い吉野家になるという。この黒い吉野家誕生には、どのような背景があるのだろうか。
今回、話を聞いた吉野家の広報担当者によれば、吉野家では、2000年以降次第に変わっていった顧客の変化に対応して、サービスや店舗を進化させているという。この顧客の変化とは具体的にどのようなものだろうか。担当者は2つの事例をあげた。
「都市部では、ビジネスマンのランチが多様化しています。1990年代は、家族がつくってくれたお弁当を持参するか、外食するかの2つの選択肢が基本でした。食事を早く済ませたい方、安く済ませたい方にとって、弊社の『うまい、やすい、はやい』食事は、最適だったのです」
しかし、2000年代に入り、コンビニの台頭、飲食店のお弁当メニューの充実化、健康に対する考え方などにより、ランチのあり方が多様化した。
「2000年代に入ると、変わらず外食する人はいるものの、コンビニで食事を買って職場で食べる方、若い一人暮らしでもお弁当を持参する方、さらに昼食は食べない方など、ランチのあり方が多様になりました。弊社の店舗でも女性のお客様にご来店いただくことが増えました。お一人だけでなく、グループで来てくださる方も多いです」
2000年以降に起きた客層の変化は、都市部だけにとどまらない。
「7割を占める郊外店舗では、ゆっくり食事をするお客様が増えてきました。14時〜17時ぐらいのピークタイムではない時間帯に、主婦のお客様が複数名でご利用いただくニーズもあります」
固定概念を覆えすための「黒」
吉野家は、今年で創業120周年を迎える。時代とともに変化する顧客に対応し、食事空間としてのあり方を最適化させてきた。
「虎ノ門や新橋など、ピークタイムにイートインのお客様が集中する都心の店舗は、これまでどおりの馬蹄形カウンター店舗で運営します。逆に、郊外店ではお客様がゆっくり過ごせる工夫をしています。既存の郊外店には、すでに全店舗でテーブル席が用意されているのです」
同社が推進しているのは空間の変更だけでない。メニューも現在の顧客のニーズに合わせて変更している。
「今のお客様は昔に比べて『自分で(自宅で)調理するのが面倒だけど、食べたいもの』を外食に求める傾向にあります。そのため、黒い吉野家では、全面改装にあたって、揚げ物をつくれる設備をキッチンに入れて提案できるメニューを増やしています。これは黒い吉野家だけでなく、厨房に設置の余裕がある既存店舗でも進めている施策です」
吉野家といえば、オレンジの看板と、馬蹄形カウンターが印象深い。顧客視点に立ち、店舗の変革に取り組んでいるにも関わらず、定着したイメージを覆せない問題があるそうだ。
「馬蹄形カウンター店舗のイメージは根強く、お持ち帰り用のお弁当や牛丼以外のメニューがあることをご存じない方もいます。黒い吉野家が生まれた背景には、イメージカラーや店舗デザインの変更、居心地の良さ、メニューの拡充などを付加し、来店の敷居を下げ『一度来店してみよう』と思っていただきたいという狙いがあります。同店舗を通じて、より多くのお客様に、できたての商品をイートインでもテイクアウトでも食べられる店舗体験をお届けしたいのです」
テーマカラーを黒にして、テーブル席でゆっくり食事できる店内レイアウトへ変更。黒い吉野家は、顧客の変化に適応しようとする吉野家のイメージを刷新する挑戦でもある。
「吉野家はこれからも『うまい、やすい、はやい』を大切に守っていきます。多様化していく『食事の価値』に対応し、店舗を持つ強みを活かしながら、サービスを柔軟に変えていく。そのためのステップとして、黒い吉野家の拡大があるのです」
1899年、日本橋にあった魚市場に誕生した初代吉野家。魚市場で忙しく働く労働者たちに、おいしい食事を満足行くまで提供しようと、当時まだ高級だった牛肉とごはんを上等な有田焼の丼で提供。関東大震災、東京大空襲と度重なる苦難に襲われながらも、市場で働く労働者の味方でありつづけた。120年間続く顧客視点が、今もなお、吉野家を支えているようだ。
img:筆者撮影,吉野家ホールディングスより提供