昭和、平成と時代が移りゆくなかで、私たちの生活は豊かになった。スマホやインターネットの発達により、一度デジタル機器を開けば映画や音楽を楽しめ、数多ある情報に触れることができる。ただ、“顧客体験”の視点から振り返ったときに、果たして良いことばかりと言えるのだろうか。
2019年4月17日に虎ノ門ヒルズで開催された「CX DIVE」では、先端のCXについて独自の思想を持つ実力者が集い、業界の垣根を越えたディスカッションが繰り広げられた。
「アナログとデジタルの垣根を超えるボーダレス体験のつくり方」には、フォトグラファーの桐島ローランド氏、東京大学 先端科学技術研究センター教授の中邑賢龍氏が登壇。モデレーターは、電通の小田健児氏が務めた。
同セッションでは、フォトグラファーと研究者、双方の立場による意見が語られた。異なるバックグラウンドや原体験のなか、議論は後半にかけてアナログとデジタル双方の良さを見つめ直す方向へと導かれていく。
ルールベースな社会は、“デジタル化”を意味する
小田氏から、まずは「アナログとデジタルにはどのような壁があるか?」と質問が投げかけられた。
この質問に対して、「アナログとデジタルの壁は、何も物理的なものだけではない」と中邑氏は語る。“無駄を許容できる心”や“何を無駄とするか”など、心理的な要因にも左右されるのではないかというのだ。
中邑氏「社会全体がデジタル化してると思うんですよ。ルールベースになっていく社会というのはまさに“デジタル”、逆にルールがない緩やかな社会は“アナログ”だと僕は捉えています。
教育で言えば、時間割など決めず、自分の好きなものに触れて、自由に研究していくことに本来の学びがありました。ですが、みんなが効率的に学べるように時間割や教科書が生まれていった。ここに教育のアナログとデジタルの壁があると思います」
デジタル化で社会は豊かになったものの、ルールや技術に縛られる弊害もあると語る中邑氏。当然、デジタル化する社会を全否定するわけではない。だが、アナログに内包される“無駄”の大切さに目を向けるべきではないかと疑問を呈す。
中邑氏「これからは、デジタル化する過程のなかで消えていった“無駄”こそ重要になってくると思います。効率的な教育を受けた子供たちは、無駄の良さや楽しさを自覚できません。アナログとデジタルの壁は、“体験や心にある壁”なのかもしれません」
こうした中邑氏の考えを受けて、桐島氏が言葉を続ける。
桐島氏「僕も同様のことを感じていました。ものづくりにおいても、現代は過去のデータに基づいて最適化された作品が多すぎると思います。たとえば、ここ数年における報道写真はアートのように綺麗なものばかりが並びます。だけど、記憶や心には残らないんです。なぜなら、アングルが完璧に最適化されて、荒削り感や味がないのです」
二人の話から「アナログとデジタルに壁はあるか?」の問いに答えを出すとするならば、壁は確かに存在するということだろう。壁が存在するのは、物や技術など目に見えるものというよりも、人の心や従うべき規範など目にはっきりとは見えないところにあるのではと、小田氏はまとめる。
小田氏「デジタルのように効率化することは、進化や発展のためには必要。ですが、ルールや制約は、プラスにもマイナスにも働くのですね。現代社会はルールや制約が多いですが、ルールから解放されて考えることが、壁の乗り越え方や溶かし方につながっていくのかもしれません」
感動や余韻は、アナログとデジタルの壁を超えたところに生まれる
続いて、小田氏から2つ目の問いとして「アナログとデジタルの間にある壁の乗り越え方、溶かし方」が投げかけられた。三者三様の視点で議論が飛び交うなか、中邑氏から、教育研究者ならではの発言があった。
中邑氏「教育の観点では、やり方よりも、“乗り越えたり溶かしたりする能力”を持てるようになる視点が必要です。
便利な社会に慣れすぎると、子供たちの感性は磨かれません。“考えさせるためのデザイン”をすることが必要だと思いますね。たとえば、インターネットは、年齢を問わず快適な速度で利用できますが、子供が扱う際にはあえて遅くしてもいいはず。大人と同じ快適さを子供に与え続けると、“考える力”は養えないと思います」
桐島氏は、日本で生まれ育ったものの小学二年生からアメリカのスクールに通い、カルチャーショックを受けた経験を踏まえて、考えを共有する。
桐島氏「日本の学校は、毎日朝礼したりデスクも綺麗に並んでいます。しかし、アメリカでは、挨拶は必要最低限で、地べたに座る学生もいるくらい自由でした。ルールで縛るのではなく、“自ら考える”土壌が学校教育で整っている。一方、日本はルールが多いので、細かいことを思考せずに済みますが、ルールがなくなったときに困ります。ルールがはっきりしている日本とルールが少ないアメリカ、思考にも大きな違いが生まれるでしょう。ただ、どちらが良い悪いではなく、双方にアドバンテージはあるかと思います」
アナログとデジタルの間にある壁を乗り越えるためには、思考の転換や新しい思考を促す枠組みが必要になるのかもしれない。小田氏は、ITの世界で用いられる考え方、NUI(Natural User Interface)を紹介した。これを“顧客体験”にも応用できるのではないかというのだ。
小田氏「NUIを“顧客体験”に置き換えてNCX(Natural Customer Experience)。インターフェースに限らず、“自然で直感的な動き”を取り入れることで、体験後の感動や余韻が残りやすくなるかもしれない。人間の本能に従って気持ち良い体験を考えることが、“壁の乗り越え方、溶かし方”にもつながるのではないでしょうか」
続けて、自らの経験から「NCX」を説明する。
小田氏「雑談ベースですが、とある大学の関係者から、校内の道路で多発する自転車同士の衝突事故について相談されたことがあります。その方はARを使い交通整理したいと考えていました。ただ、私はその話を聞いて少し違和感を覚えたんです。デジタルありきで課題解決にいたるのではなく、アナログとデジタル両方の良さを活かすことが課題解決につながるのではないかと。私からは道路に漫画を描くことを提案しました。コマの向きや物語の進行する方向を使って、読み進めていけば自然と交通整理できるのではないか。心がけるべきなのは、固定観念をなくし目的と手段を見失わないことです」
スタンプラリーからトレジャーハントへ。目的のない出会いが“新たな体験”につながる
「既存の枠組みを超えること、アナログとデジタル両方の良さを見つめ直すこと」さらに「それを可能にする教育や思考の転換」が、“ボーダレス体験”につながるのではないかと小田氏はまとめる。これらは最後の質問である「これからのボーダレス体験」にもつながった。ゲストたちは、これからのボーダレス体験をどう捉えているのだろうか。
中邑氏「“驚くようなもの”がこれから必要になってくると思います。例えば、日常生活からルーティーンをなくしてみる。予定したスケジュール通りに出かけるだけでなく、行き先や目的がはっきりしない体験こそが、感動や余韻を生み出し“新たな体験”につながる」
桐島氏「いま世の中のあらゆるものは、決まったところに行くだけの“スタンプラリー的な体験”になっているのではないでしょうか。ガイドブックに紹介されている店に行く、人に決められた道を辿る、それだけでは驚きにつながりません。
僕は、旅行に行くときはガイドブックを持ち歩きません。自分で何かを見つけようとしなくなるので。トレジャーハンティングするように私生活を送ることで“新たな体験”につながっていくのではないでしょうか」
規定されたルールに縛られるだけでなく、ルールを自ら模索する過程のなかで、アナログとデジタルの壁は崩れ、垣根を超えたボーダレス体験を演出できるのだろう。これは“新しい顧客体験”を生むヒントにもつながるはずだ。
デジタル技術の発展に代表される効率化やコスト削減は、私たちの生活をより便利で暮らしやすいものにしていくに違いない。しかし、画一化されたレールを乗り越え、あえて無駄や余白が残された、予定調和を壊すようなできごとから生まれる“顧客体験”こそが、感動や余韻を生み出すための必須条件となっていくのかもしれない。登壇者の対話から、私たちの生活を見直すヒントを得られたのではないだろうか。
編集/葛原信太郎 取材・文/川尻疾風 撮影/加藤甫