六本木にあった青山ブックセンターの跡地に生まれた文喫が、5月から新しいオンラインサービス「拡張文喫」を開始した。
1500円で何時間でも滞在できる入場料のある本屋として、開店当初から本屋の価値を再定義してきた文喫。その機能と場所の拡張を目的に据えたのが、拡張文喫だ。
ギフトチケットやWeb連動企画展などのサービスの中でも人気なのが「選書宅配サービス」。ヒアリングした内容をもとに、上限金額に応じて複数の本が手書きのしおり付きで送られてくる。北海道から沖縄、果ては離島まで、全国各地から申し込みが続き、お礼の手紙がお店に送られてくるほどだ。
筆者も体験したが、想像していなかった本が届いただけでなく、自分の抱える悩みに寄り添ったものだったり、自分が好きな作家の本が含まれていたりと、その彗眼に驚いた。
オフラインでできることの制限が生まれ、多くの本屋は岐路に立たされているだろう。拡張文喫に込めた思想を通して考えるこれからの本屋の価値を、店長の伊藤晃氏に聞いた。
場所の制限が、”文喫らしさ”を問い直した
拡張文喫が生まれた背景には、「本と出会うための本屋」というコンセプトの問い直しがある。
伊藤氏「私たちがやりたかったのは『入場料のある本屋』ではなく、未知の本との出会いを演出すること。もともとリアルの場以外でのお客様との接点を模索していましたが、なかなか余裕がなくてできていませんでした。ところが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、場所に頼れなくなってしまったとき、自分たちが店舗という場に捉われていたと気付かされたんです。未知の本との出会いを演出するため、新しい施策もどんどんやっていく姿勢が文喫らしさだったはずだと思い返し、拡張文喫の開始に至りました」
文喫の主なターゲットは普段本を読まない人たち。これまでも文喫をワークスペースやデートスポットとして利用していた人が、本を好きになっていくことがあった。
今回も、巣ごもり生活によって時間に余裕が生まれ、自分の人生や内側を見つめなおす機会が増えた結果、本にその答えを求める人も増えると考えていたという。実際に「本を読んでこなかったことを後悔している」「本を送ってほしい」という依頼が多く届き、もともとオフライン限定だった選書サービスを、オンラインでも実施することに踏み切ったそうだ。
文喫の選書は、驚きと納得感と感動が一挙に訪れる
文喫の選書サービスは、事前ヒアリングシートへの記入と10分間の電話ヒアリングによって行われる。
ヒアリングシートには「選書のテーマ」と「テーマを選んだ理由」の二つの必須項目に加え、「何のための本か」「どんなときに読むのか」「普段読むジャンルや作家」「対象テーマの理解度」などの自由項目がある。一見、質問項目の量は多く感じるが、必須項目には回答例も書かれており、答えるハードルはそれほど高くないと感じた。
電話ヒアリングでは必須項目を中心に、どうしてそのテーマを選んだのかについて対話をしていく。自分が書いたテーマは「他者との関係性」と「社会への閉塞感」という初対面で話すには少し重たい内容だったが、顔を合わせないためか、あまり知人には話さない悩みも話しやすかった。電話の時間はカウンセリングを受けている感覚に近いように思う。
一週間ほどで、本は家に届く。選ばれた本は、どれも自分が出会わなかった本ばかりで驚きと嬉しさがあり、一冊ごとに挟まれたしおりのコメントが「早く読んでみたい」という気持ちを後押しした。また、一冊ごとのしおりだけでなく、選書全体の意図について触れたしおりもあり、各本が選ばれた理由にも納得感があった。
期待に応えるため、ヒアリングシートは鵜呑みにしない
選書サービスは期待値の調整が難しいサービスだ。予想の斜め上過ぎる本が選ばれれば、驚きは大きい反面、最後まで本を読まないかもしれない。逆に欲しい本を忖度しすぎると期待を超えず、つまらない。
文喫の選書サービスは、事前ヒアリングシートへの記入と10分の電話のみという少ない時間で行われる。どのようにして読者の期待に沿った選書を可能にしているのか。
伊藤氏「良い選書の鍵は、ヒアリングシートに書かれた内容を鵜呑みにしないこと。お客様は選書によって解決したい課題や悩みの根本的な原因を言語化しきれていないんです。
例えば、私がお話ししたお客様の中に「行きつけのお店の店員さんを好きになってしまったが、3年間ずっと声をかけられないでいる。このモヤモヤした状況を解消したい」という悩みを抱えている方がいました。
よくよく話を聞いてみると、その方の悩みはモヤモヤした状況ではなく、思いを伝える勇気が出せないこと、だとわかったんですね。そこで、話し方の方法や関係の作り方の本を選んだところ、無事思いを伝えられたそうなんです。だから、『本当のところはどうなんですか』と、課題や悩みを深掘りするよう選書メンバーは心がけています」
実際に、筆者もヒアリングを受けているとき、「どうしてそう思うのでしょうか」や「具体的にはこういうことですか」と、悩みの輪郭を浮き彫りにするような質問を受けた。
こうして悩みの本質を捉えた後、ヒアリングシートを参考にしながら、読み手の立場によって本の難易度を調整する。
伊藤氏「対面の選書と違って、一度送ったらやり直しが効きません。選書したジャンルの理解度や期待する読みやすさの確認は、ヒアリングの最後に必ず確認するようにしています」
文喫らしさは、非効率なアナログさと価格設定で作られる
文喫ならではの体験を作っているのが、手書きコメント付きの「しおり」の存在だろう。選ばれた本一冊一冊に、選書理由が書かれたしおりが挟まっている。
ヒアリングと電話で選ばれた本が、読者の課題解決に貢献する機能的価値だとしたら、しおりはその本を特別な存在にする情緒的価値を付与するものだ。自分に向かって書かれた言葉を待つのは、相手が一度も会ったことのない方でも嬉しく、ワクワク感を助長させる。
手書きのしおりは受け手にとって嬉しい分、労力もかかる。限られたスペースの中で読者に対して思いを込めるのは、長文よりも難しい。なぜ手書きのしおりという、アナログな手法にこだわるのか。
伊藤氏「ずっと本屋を営んできたので、アナログじゃないと伝わらないものがあると信じているんです。ただ本が届くだけでは、無機質じゃないですか。また、手書きというところに自分に真剣に向き合ってくれているんだ、という特別な体験がにじみ出ると思うんです」
たしかにパソコンで書かれた文字と異なり、手書きには複製の難しさと、間違えたらやり直しがきかない不可逆性があり、そうした手間をかけてでも書いてくれたのだと感じる点に「1:1」で向き合ってもらっている様な趣を感じる。
例えば、筆者がいただいたしおりの一つには「論理的に他者との間で関係性を築くことは、私にはかなりの努力が必要に思いました。難しい…。」というコメントが書かれていた。ただ本を紹介するだけでなく、悩みに対する書店員の主観が込められているのが嬉しかった。
もう一つ、文喫の選書を特別な体験にしているのが、価格設定だ。一番安い価格でも2万円から。強気な価格設定に思えるが、意外な効果をもたらしているという。
伊藤氏「正直、自分たちも高いと思っていました。ただ、選書一回について4時間もの時間をかけるほど、それぞれの課題や悩みと向き合っています。私たちは、ただ本を選んでいるのではなく、お客様の人生に寄り添いたいと考えています。
価格が高いのもあり、簡単には答えの見つからない相談もくるんです。例えば、『人はなぜ死ぬのか』や『大事な人を亡くしたあとの人生の向き合い方』『一人で生きていく力をつけたい』など。そういう相談にも真摯に向き合うからこそ、お客様がお礼の手紙をくださるくらい満足のいく体験を提供できているのだと思います」
書店員にしか出せない価値が、これからの本屋の体験価値に
今後は、オンラインで文喫の棚を見ながら一緒に本を選ぶサービスや、企業や公共施設向けに定期的に選書や棚作りをするサービスを展開する予定だ。文喫が掲げる「未知の本との出会いを演出すること」に向かい、さらなる場所と機能の拡張を目指す。
「KARTE CX VOX」の放送で、文喫ではあえて目的の本になかなかたどり着けない状況を作っていると伊藤氏は述べていた。そこに偶然の出会いがあるのだと。拡張文喫は、オフラインの本屋でしか体験できなかった偶然の出会いをオンラインでも可能にしたといえる。
オンラインでは偶然の出会いは作りにくい。多くのECサイトに搭載されているレコメンド機能は自分の顕在欲求に関連した商品を勧めるのは得意だが、そうでない商品では弱い。一方、自分でも言語化できていない欲求に合う商品と出会おうにも、選択肢が多すぎる。
伊藤氏「世の中に情報が溢れているせいで、本当に自分が欲しいものは何かを見失っていたり、何を選べば良いのかわからない人が多いと思うんです。なので、対話を通じて自分の潜在欲求に気づき、本を選んでくれる書店員というアナログな存在が大切になるんです」
これまでの書店員とお客さんが交わしていた会話は、本の場所やレジのやりとりなど、機能的な価値を満たすところでとどまることが多かった。しかし、本屋がオフラインの場所として存在する意義が見直されていく中で、カウンセラーのようにお客さんと対話し、その書店員でなければできない選書こそが価値になるのだろう。
今回、筆者は8冊の本を選んでいただいた。その中で自作の丸太小屋に住む1920年生まれの弁造さんと、写真家の奥山さんの友情を描いた『庭とエスキース』は、ハイテクノロジーに囲まれた生活に違和感を感じつつも、それを見て見ぬふりをして過ごす自分の隠れた悩みに突き刺さるような一冊だった。きっと、拡張文喫がなければ出会っていなかっただろう。
これからの本屋のあり方とは、こうした書店員がどれだけ期待を超えた偶然の出会いを作れるかに、かかっているのかもしれない。
執筆/イノウマサヒロ 編集/庄司智昭