「高円寺のぬくもりを感じられる『家』のような場所」
このコンセプトにもとづいて「小杉湯となり」は立ち上がった。
食堂でありながら食堂ではなく、コワーキングスペースでありながらコワーキングスペースに特化していない、不思議な場所。現在、60名ほどの会員が利用している。
小杉湯となりのユニークさは、ここを運営する「銭湯ぐらし」という組織からもうかがえる。この組織に集まる人々は、もともと小杉湯のファンだった人々。ファンが集まって、銭湯のとなりで施設を運営しているのだ。
2020年3月16日、新型コロナウイルスの状況を見ながらプレオープンした小杉湯となりは、人が集まる場をどう運営していくべきか、試行錯誤を重ねている。
銭湯ぐらしが目指すのは「銭湯のある暮らしを届け」「日々の暮らしに、余白をつくる」こと。その真意について、株式会社銭湯ぐらしの加藤優一氏、宮早希枝氏、堀優紀氏、菅谷真央氏に話を聞いた。
余白が暮らしをより豊かにする
「小杉湯となり」は名前のとおり、小杉湯の隣に位置する。
その佇まいは、昔から高円寺の街に存在していたかのような安心感を与えてくれる。通りに面した大きな窓から中を覗き込めば、そこに落ち着いた時間が流れていることがわかるだろう。
食堂、コワーキングスペースなどで構成されるこの施設は、特定の機能だけではくくれない「場所」だ。
小杉湯が街の中にある「浴室」であるならば、小杉湯となりは「キッチン」や「書斎」、「リビング」のような存在と言える。食事をしたり、本を読んだり、ぼーっとしたりといった、さまざまな営みがそこにはある。
小杉湯となりの建つ場所には、もともと小杉湯が所有する風呂なしアパートがあった。しかし、老朽化に伴ってこのアパートの取り壊しが決定。そこで、2017年から取り壊し予定日までの1年間で、ミュージシャンやデザイナーなど、さまざまな人々がアパートに居住しながら「銭湯のある暮らし」を考えるプロジェクト「銭湯ぐらし」が展開された。銭湯を使った音楽フェスやブランドデザイン、企業とのコラボレーションなど、さまざまな企画を実施。2018年2月にこのアパートが役割を終えて取り壊された後、住人を中心に銭湯ぐらしを設立し、「小杉湯となり」を企画・運営することになった。
株式会社銭湯ぐらしの取締役であり、旅行業を中心にプロモーションの仕事に携わる宮早希枝氏は、小杉湯となりの価値観を、こう説明する。
宮氏「私たちが目指しているのは、銭湯のある暮らしが生み出す余白を広めていくこと。私自身、『銭湯ぐらし』プロジェクトでアパートに住み、小杉湯に通い続けました。すると、自分のペースにあった自分のためだけの時間を得られた感覚があったんです。私はそんな時間を余白と呼んでいます。目的に縛られない時間を持つことによって、心に余裕が生まれ、生活だけでなく仕事にもいい影響が生まれていきました」
余白は個人の暮らしに直結する「街」をつくる視点においても重要だ、と宮氏は続ける。
宮氏「今は街にある建物のほぼすべてが、なにかの利用目的を持ってつくられ、その目的を実現できるように管理・運営されていますよね。
小杉湯となりは何もしなくてもいいし、何を強いられることもない場所。ひとつの目的に縛られることない時間が人間にとっての余白となるように、目的に縛られない自由な場所が、街の中にも余白を生み出してくれるはず。そんな場所が在ることによって街への愛着も高まっていくと思っています」
余白を生み出すスタッフは銭湯ぐらしのプロジェクトに関わっていた人々のほか、小杉湯となりプロジェクトを進めるときに合流したメンバーたち。運営メンバーは20代〜80代とかなり多様だ。
建築家として施設のプロジェクトマネジメントを担う加藤優一氏は、幅広い年齢層でスタッフを構成する理由を次のように語る。
加藤氏「僕らは小杉湯となりを、小杉湯のように何十年という単位で続く場にしたい。そのためには、多様な人々によって構成されることが必要だと考えています。ジャンルの違う人が集まることによって、さまざまな価値観が入り交じる。それによって、新しい発想が生まれて場が活性化しやすくなり、持続可能な組織になれると思うんです。だからこそ、若い世代に限らず、高年齢層のスタッフにも参加してもらいました」
小杉湯となりの利用者は「会員」ではなく「常連さん」
今年の3月から「小杉湯となり」の運営が開始された。しかし、オープン直後、新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言が発令された。
加藤氏「小杉湯となりは、飲食とコワーキングスペースを中心に誰にでも開かれた場所にしていく予定でした。『開いていく』という意志は変わりませんが、新型コロナウイルス感染拡大によってその手法が大きく変わっています」
最も大きな変更が、不特定多数の人々が利用できる施設から「銭湯つきセカンドハウス」として会員専用施設へと衣替えしたこと。月2万円の会費で、小杉湯となりが使い放題になり、入浴券やドリンクなどと交換できる「となりチケット」が付帯する。
街に開かれた家のような場所を目指していた小杉湯となりにとって、会員制への変更は大きな決断だ。経営コンサルタントとしても働く堀優紀氏は決断の背景を次のように話す。
堀氏「小杉湯となりを会員制に切り替えるにあたって、大切にしたいことをもう一度見直したんです。私たちが提供したいのは『銭湯のある暮らし』『日々の暮らしに余白をつくること』。
飲食やコワーキングスペースといった形式にとらわれず、あくまで『家のような場所』として、ここを拠点にして高円寺の他の店へ足を運んでもらえればいいと考えたんです。
また、リモートワークが増えているからこそ、何気なく人と触れ合える場を求めている人が増えていると感じていました。だからこそ、人々が安心して集まり、くつろげる場所を目指そうと決心したんです」
こうして会員制度を導入し、5月末に募集を開始。応募が殺到し、当初40名前後を想定していた会員数は、現在60人前後まで拡大されている。
また、会員制度の導入によって、想像していなかった影響が生まれていると加藤氏は話す。
加藤氏「飲食店の場合、どうしてもサービスを提供する/提供されるという線が引かれやすい。しかし、会員制を導入したことによって、スタッフと会員の境界線は薄くなりました。銭湯のように、その場にいる人同士が気を配り合いながら居心地のいい環境をつくる空気が生まれやすくなったんです」
銭湯ぐらしの人々は、会員を銭湯で言う「常連」のように捉えている。常連が銭湯の秩序や雰囲気をつくっているように、小杉湯となりを一番使ってくれる会員と一緒に運営の基盤をつくっていきたいという思いからだ。 実際、会員の人々から「地域と連携したイベントがしたい」「子どもも連れてこれる日が欲しい」といった声があがり、実際に実施されている。地域交流を考える「地域連携部」や、場づくりを考える「となり実行委員会」なども立ち上がり、住人たちも有志で運営に携わっているのだ。
加藤氏「それぞれが持つ価値観を小杉湯となり持ち込んでほしいと思っています。なぜならば、小杉湯となりはライフステージが変わっても関われる場所でもありたいからです。子どもが生まれて時間がなくなったり、どうしても仕事が忙しくなってしまったり、一定期間通うのが難しくなったりしても、数年後にまた戻ることができる。多様な価値観が当たり前のようにあることで、そんな場所が実現できると思うんです」
小杉湯となりもECサイトも余白を体験してもらうための手段でしかない
会員制度とともに、もうひとつ動き出したのがECサイト『銭湯のあるくらし便』だ。デザイナーとして活躍する菅谷真央氏は、販売する商品を選ぶ上で大切にしたことを次のように述べる。
菅谷氏「あくまで私たちが欲しいと思うものを具現化していきました。銭湯のある暮らしに魅力を感じた私たちそれぞれが描く豊かな暮らし。それを実現するために必要なものをセレクトすることで、同じような嗜好を持つ人が欲しいものを届けられると考えたんです」
6月からECサイトで販売されている商品は、IKEUCHI ORGANICのバスタオルや木村石鹸の洗剤、入浴剤などを詰め合わせた「おうちで小杉湯セット」、季節をイメージした入浴剤が毎月送付されるサブスクサービス「お風呂のもと定期便」など。販売を開始すると、北海道から沖縄まで日本全国、さらには海外からの注文も舞い込んだ。
宮氏「ここで扱っているのは、ホッと一息つけるものや、日々の季節を感じるもの。時代を越えて残ってきたものや、信念のあるものです。これらの商品は、ケの日のハレを体感できる銭湯のように、日々の暮らしを少し贅沢にする体験を生み出してくれます。
小杉湯となりも銭湯のあるくらし便も、それらはあくまでも手段でしかありません。やはり私たちが提供したいのは『銭湯のある暮らし』『日々の暮らしに余白をつくること』なんです」
小杉湯のファンから生まれた銭湯ぐらし。価値を享受する立場ではなく、価値を提供する側に回って活動している彼らは、小杉湯からさらに新しい価値を生み出した。
次回は、小杉湯、銭湯ぐらしの面々が働く上で大切にしている姿勢や、その姿勢を持つことによって事業や顧客にどのような影響を与えているのかを探っていきたい。
執筆/萩原雄太 取材/大矢幸世 編集/木村和博 撮影/須古恵