『五感を刺激する演出から学ぶ?みなさんこのタイトルの意味わかりますか?』といきなり根本的な問いを投げかけられ、ざわつく会場。しかし、ダイナミックに展開される議論は、驚きあり、笑いありの登壇者のやりとりと、シンプルで力強いメッセージに、大きな拍手が巻き起きた。
最先端のCX(顧客体験)を学び、体験できるカンファレンス「CX DIVE」の「五感を刺激する演出から学ぶ」セッションは、とにかく痛快だった。
このセッションに登壇したのは、草彅洋平氏(東京ピストル代表取締役/編集者)、永島健志氏(81 オーナーシェフ)、紀里谷和明氏、そしてモデレーターを務めた長谷川リョー氏(「SENSORS」編集長)だ。会場に驚きをもたらしたセッションの様子をレポートする。
編集者、シェフ、映画監督が語る「五感」と「体験」
編集者の草彅氏は、紙・ウェブに収まらず、広告、イベント、店舗など、あらゆる媒体を通じてメッセージを届ける。小説に登場する料理が食べられる日本近代文学館内のカフェ「BUNDAN COFFEE & BEER」、真冬のサウナ施設「CORONA WINTER SAUNA SHIMOKITAZAWA」などのリアルな場の編集が最近では特に話題だ。
永島氏は、広尾にあるレストラン「81」のシェフ。世界で最も予約が取れないことで有名な「エル・ブリ」をはじめ、国内外のレストランで腕を磨き「81」をオープンさせた。料理をアートとして表現し、五感で楽しむ劇場型レストランとして新しい店舗体験を人々に届けている。
紀里谷氏は、ご本人の意向でここでの紹介は割愛する。
モデレーターは長谷川リョー氏。編集集団モメンタム・ホースCEOを勤める編集者であり、最先端のクリエイティブ、テクノロジーを追うメディア『SENSORS』編集長だ。書籍編集者として、落合陽一氏や堀江貴文氏らとも肩を並べて仕事をしている。
編集者、シェフ、映画監督と、異種格闘技的なセッションは、紀里谷氏が発した「タイトルの意味が分からない」という強烈な問題提起で幕を開けた。
自分で判断していないなら、それは「体験」と言えるのか?
紀里谷「五感を刺激する演出から学ぶってタイトルにありますけど、そもそもみなさんフルに五感を使っていますか。ほとんどの人は、自分の『感覚』を使わず、『情報』に振り回されているんじゃないかと思うんです。まずはそこから考える必要がありますよ」
「何が始まったんだろう」と困惑する来場者を尻目に、紀里谷氏は話を続ける。自身が体験したレストランでのできごとを事例にしながら、紀里谷氏は『自分で感じる』ことの必要性を問う。
紀里谷「この間、二人で十数万払うような有名レストランに行ったんです。そしたら、とにかく不味い。しかし、隣では無理してお金を工面したであろう若いカップルが、ニコニコしながら美味しいと食べている。でも、本当に不味いんですよ(笑)。これっていまの世の中をよく表しているなって思ったんです。彼らは『感じている』のか?自分の舌で感じて、自分の頭で思考しているのか?『誰かがこれを評価しているからおいしい』なんて、思考停止なんじゃないでしょうか」
現代に生きる人々は、自らの「五感」ではなく、誰かの評価などの「情報」で感じた気になっているのではないか――紀里谷氏はそうゲストと会場に投げかけた。その疑問に対して、他のゲストも応える。
永島「その疑問はよく分かります。大事なことは、見たもの、感じたものであり、『体験したこと』なんですよ。しかし、最近の情報が溢れた世界では、『見た気』になれるし、『体験した気』になれる。いくらでも『やったつもり』になれる」
これは顧客側だけの問題ではない。ユニークなお店を手がける草彅氏は、事業者側に感じている問題意識を共有した。
草彅「何かが流行ると、どこにでも同じような店がコピー&ペーストのようにオープンしますよね。あれが嫌いなんです。ほんとはその街だからこそ生まれる店があるはず。そこだけでしか味わえない体験を生み出さないと、街に個性がなくなってしまいますよね」
「情報」が「体験」を上回っている現代
自分自身で体験し、判断できる人が減っているとしたら、その原因はなんであろうか。セッションから見えてきたのは、情報があまりにも膨大で、体験を阻害している社会の現状だ。
紀里谷「お店の体験で言えば、料理についてくる『◯◯産の◯◯で…』って説明はいらないと思う。自分で食べて、自分で判断したいんですよ」
永島「僕はいろいろ説明したいんですよね。とはいっても、産地ではなく、僕が『思っていること』を全て伝えたい。食べる時に風景を思い浮かべてもらえるようサポートしたい」
紀里谷「それはおせっかいだよ(笑)。俺は勝手に思い浮かべるし、知りたかったら聞くから」
二人のこだわりがぶつかりあう。しかし、これも二人が自分自身で判断しているからこそ生まれる異なる意見。マーケティング先行で判断するならば、顧客にとって必要かどうかが判断材料になるが、二人はあくまでも自分を起点に物事を考える。
草彅「昔の料理人は産地なんて言わなかったらしいですね。むしろ褒められたら、『近所の八百屋で買ってきた奴ですよ』って笑って返すくらいが粋だった。しかし、いつからか産地を詳細に伝える店ばかりで、料理人の腕の世界じゃなくなっているとも言えますよね」
紀里谷「完璧に『情報』の世界になってしまったんですよ。考えもせずに『こうあるべきだ』って方向に進んでしまって、パターン化されてしまっているのが嫌なんですよ。人が求めているものは分析できる。だから最近は、アルゴリズムでモノが作れる。観客のドーパミンを分泌させるものを分析できるから」
永島「なんかやりづらいな…(笑)。でも、数字やデータ、情報であまりにも便利になりすぎているのは、もちろんよく分かります。だからこそ、その反対に向かう力、つまりもっと個人の判断や思考を促すような体験を “僕らが” つくっていかないといけないんですよね」
草彅「僕もマーケティングに積極的に関わっちゃう人間なんで…反省します(笑)。とは言え、すごくわかります。あまりにも情報を摂取している時間が長すぎて、体験の時間が減っている。だからこそ『体験の時代』と言われるような反動が起きているのだと思います。下北沢のサウナは大きな反響を得ました。ネットでは体験できない、現実社会での体験系のイベントが求められているのを実感しますね」
マーケティングに寄り過ぎた流れへの否定、そして定量的に評価できる結果にばかり意識を奪われていることへの批判が展開された。
紀里谷「結局、多くの人が結果に囚われすぎているんですよね。映画なら興行収入、テレビなら視聴率、サイトなら閲覧数…数値化された結果が重要だと思い込んでいるんですよ。だから、数字の奴隷になってしまう。自分が感じること、判断することを止めて、数字から良し悪しを判断するようになってしまっているんです」
まずは自分で感じ、自分で判断せよ
悶々とする会場の声を代弁し、「情報が体験を上回り『数字の奴隷』になった現状を、どうやったら均衡状態に戻せるのでしょうか」と長谷川氏はゲストたちに投げかける。3人は「やりたいことをやればいい」とシンプルに言い放つ。
紀里谷「マーケティング、数字の結果、他人の評価、どうでもいいんですよ。クリエイターはAIによって奪われない仕事とよく言われるけど、今のままならクリエイターは真っ先にやられてしまうでしょうね。なぜなら、クリエイターがマーケターになっているから。さらに人々も『見ているもの・知っているものの延長』を欲しているから。人間が本当の意味で自由にならなければ、AIに駆逐されますよ」
草彅「僕もいろいろやっていますが、結局は自分のドーパミンが出るものをつくっているだけなんです。僕は時代に取り残されてアップデートされていないものが、自分たちの手によってアップデートさせた瞬間が大好き。最近取り組んでいる<サウナ>や<宗教>は、まさにそれ」
草彅氏は最近、世界各地の宗教グッズを集めたバー「GOD BAR by スナックうつぼかずら」をオープンした。草彅氏の情熱からしか生まれ得ない前代未聞のコンセプトだ。
永島「いくらアートを見たって、自分が受動的だったら、本質は伝わってこない。ひな鳥のように、口を開けて親鳥の餌を待っているだけの人が多すぎると思うんです。自分が知りたい、体験したい、判断したいと能動的な姿勢にならないと。
逆に体験をつくる僕らとしても、与えるだけじゃなく、知りたいと思ってもらえる導線づくりが大事でしょうね」
紀里谷「もっとシンプルなんです。『五感を刺激する演出から学ぶ』なんて、よく分からないけど、それっぽいタイトルをつけたら、何か得れると思うでしょ。テクノロジーやマーケティングのように、カテゴリ分けをしたら何か意味が生まれると思うじゃない?でも、そうではないんだよ。誰かが決めたルールに乗って、判断をしていちゃダメ。もっと単純に考えよう。自分がどんなものを届けたいのか、どんなものをつくりたいのか。まずはそこから。自分のやりたいことができて、他人に伝われば、それだけでもっと幸せになれるんだから」
マーケティングもデータも、どうでもいい。このセッションを聞いていると「あぁそうだよな」と頷かざるを得ない。それは、あまりにもマーケティングされすぎている社会への違和感が、自分の中にあるからだろう。
これが好きだと思っている人が「これがいいんだ!だまって聞け!」と堂々と声を上げる。
自分の情熱に従って、自由に想像を広げるゲストたちの創造物が社会に受け入れられていることこそが、このセッションのメッセージが絵空事でないことを証明している。
文/葛原信太郎 編集/モリジュンヤ 撮影/須古恵