都心から地方まで、各地で見られるようになった「子ども食堂」。この10年のあいだに広がってきた市民活動で、今やその数は7,300を超えるとされる。子どもを取り巻く環境の深刻さの表れとも言えるが、家や学校でない“第3の居場所”の一つとして、子どもたちの身近なセーフティネットとなっている現実がある。
一方で、子ども食堂の意義は知っていても、生活の中で意識する機会のない人も、実際は多いだろう。自分の暮らすまちのどこにあって、どんな活動をしているのか。自身に子どもがいても、どこか他人事のように感じている人もいるのではないだろうか。
奈良県生駒市にある「まほうのだがしやチロル堂」は、そんな“無関心”の壁を軽やかに飛び越えようとしている。2022年度グッドデザイン賞において、5,715件の審査対象の中から大賞に輝き、一躍注目の的となった。一見、普通の駄菓子屋と変わらないその場所には、とある“魔法”がかけられている。
その魔法とは、いったい何なのか。共同代表である石田慶子氏を訪ね、まほうのだがしやチロル堂が生まれた経緯とそのしくみをたどりながら、子どもも大人も引きつける魅力と、地域に起こった変化、進もうとしている未来を探った。
100円以上の価値を生む、「チロル」という魔法
「この春休み、すごかったんですよ。大人も子どもも、毎日200〜300人は来ましたね。入口にはずっと駄菓子を買いたい子が待ち構えていて、カウンターも収まらないから2列になって座ってもらって……」と、店内を見渡して話し始める石田氏。昨秋グッドデザイン大賞を受賞してから、来客が一段と増え、今回の長期休みはかつて経験のない賑わいだったと語る。
生駒駅のほど近くにある、ここ「まほうのだがしやチロル堂(以下、チロル堂)」は駄菓子屋であり、食堂であり、水〜土曜の夜は酒場にもなる。注目を集めるその秘密は、18歳以下の子どもだけが回すことのできる、入口近くのガチャガチャにあった。100円を入れると、「チロル」という木札の店内通貨が入っている。1枚、2枚……運が良ければ3枚手にすることもできる。
チロル札はそのまま店内でお金として使える。100円分の駄菓子はもちろん、通常300円のジュース、500円の特製カレー……どれもすべて、子どもなら「1チロル」で買えるようになっている。
なぜこんなことが可能なのか。それは大人たちがチロル札に“魔法”をかけているからだ。チロル堂を訪れる大人には、子どもとは違うメニューがある。例えば900円の「ツキノワ・OTONA CURRY」を頼むと「2チロル」、300円プラスしてコーヒーをつけると「3チロル」の寄付になる。
ほかにも、夜のチロル堂酒場でドリンクやおつまみを頼む方法や、毎月5チロル(500円)からオンラインで寄付できる「サブスクチロ」のしくみもある。お菓子やお米、備品など店で使うものを持参したり、現金で直接寄付をしたりする人もいるという。ちなみにチロル堂では、寄付することを「チロる」と呼んでいる。
石田「ここの酒場では、飲めば飲むほど褒められます(笑)。ドリンク1杯、おつまみ1つにつき1チロルの寄付になりますから。空のコップにチロル札をどんどん入れて、皆さん楽しんでくださる。『寄付する』という行動に『楽しい』がついてくるんです」
日中は子どもたちの遊び場で、夜は大人たちの社交場。大人たちの寄付によってチロル札に価値が生まれ、「困っている」子もそうでない子も、分けへだてなくそれを享受できる。そのためか、チロル堂は「支援する/される」といった構図が見えにくくなっている。
子どもの誰もがチロル札を使うから、恥ずかしく思う必要も躊躇する必要もない。支援する大人に申し訳なく思うこともなければ、直接「ありがとう」を伝えなくたっていい。石田氏は「だって、“魔法使い”には隠れていてほしいじゃないですか」と笑う。
子どもの問題は、大人の問題である
チロル堂が生まれたのは、2021年8月。発起人の一人、子ども食堂「たわわ食堂」を主宰する溝口雅代氏が、コロナ禍の影響で公民館を借りられず、子どもたちに食事を提供できなくなったのがきっかけだった。
石田「もともと私が、溝口さんのたわわ食堂に憧れていたんです。初めて見たときから、『こんな場所を作りたい』と思ってて。
溝口さんは不思議な魅力があるというか、周りの人がつい助けたくなるんですよ。『お箸ちょうだい!』って言っても、『あ、これもおいしいよ!』って小鉢が出てきたりするから、子どもから高齢者までみんながキッチンに立って世話を焼き始める(笑)。でもそんな、誰が支援する側でされる側なのかわからなくなる関係の中に、本当の意味での“多様性”があるんじゃないかと思えたんです」
石田氏がそう感じたことには、自身が代表理事を務める「一般社団法人無限」で、10年来「福祉」に携わってきた背景がある。子どもたちに発達支援を行う「放課後等デイサービス」や、障害のある方に就労や生産活動などの機会をつくる「就労継続支援B型事業所」などで多くの人に寄り添ってきたが、制度の中で行う活動に限界を感じることもあった。
石田「福祉事業は助成金の対象となる以上、誰にどんな支援をするのか、あらかじめ決めておいた枠組みの中で活動しなければなりません。貧困状態にあるか、ひとり親家庭か、どの程度の障害があるか……そういった規定があって、管轄も異なることもあります。縦割りの構造に閉塞感を覚えていたからこそ、たわわ食堂みたいな“仕切りのない場所”が、輝いて見えたんです。
でも、コロナ禍で食堂を開けなくなって、なんとかこれを継続できる場所をつくろうと考えたとき、私たちだけでは結局、既存の支援が届く人しか支えられないと思ったんです。もっと多くの人に届けられないかなって。また、いわゆる福祉領域に携わる人だけでなく、地域の人を広く巻き込む場にするにはどうすればいいだろうとも考えて、友人の吉田田タカシさんと坂本大祐さんに相談することにしました」
大阪と生駒でアートスクール「アトリエe.f.t.」を主宰し、障害のある子ども向けに放課後等デイサービスも運営する吉田田氏と、奈良県東吉野村を拠点とする「合同会社オフィスキャンプ」の代表として、地域の社会課題などに取り組んできたデザイナーの坂本氏。そして石田氏と溝口氏の4人が発起人となり、デザインと福祉、それぞれ異なる領域から新たな子ども食堂のあり方を議論するなかで、現在のチロル堂を構成するいくつものアイデアが形になった。
駄菓子屋、子どもだけが回せるガチャガチャ、特製カレー、お金やモノの寄付……さまざまな要素が詰め込まれたチロル堂の中でも、石田氏は「チロル札」がひときわ重要な役割を担っていると考える。店内通貨を介在させ、さまざまな人が行き交う場所にすることで、チロル堂は「支援の必要な子ども」だけではなく、「生駒で暮らすあらゆる子ども」を地域ぐるみで支える、ゆるやかなコミュニティを育んできた。
石田「子どもの支援をしていると、結局そのほとんどが大人の問題であり、社会の問題だと感じるんです。貧困や孤独には家族の問題が関わることが多いし、いじめがあれば、それはやはり教育の問題。発達障害のある子が生きづらさを感じるのも、障害に対する無理解が社会のほうにあるからです。
でも、福祉の枠組みの中で私たちができるのは、“課題解決型”の支援なんです。お腹の空いている子にはご飯をあげて、学習に困っているならその子の特性に合わせたプログラムを考えて、友だちとの関係に悩んでいたらソーシャル・スキル・トレーニングをして……。それももちろん大切ですが、制度内で解決が難しかった課題に根底から向き合うなら、同時に包括的にアプローチしなければなりません。
福祉事業に携わる人だけではなく、近所に暮らす人、働きに来る人、関心を寄せてくれる人……いろんな人たちが地域の問題に面白がりながら関わって、新たな出会いや発見の瞬間を増やす。『チロル札』を通じたつながりには、そんな“偶発型”の支援の可能性があるんじゃないかと思うんです」
子どもも大人も引き寄せる、チロル堂の不思議な魅力
さまざまな人が集うようになったチロル堂には、ルールらしいルールがない。明文化されているわけではないが、子どもたちが守るのは、「ゴミを散らかさない」「道路にはみ出して自転車を停めない」「学校から直接来ない」の3つ。
だから宿題をしている子もいれば、その横でゲームをしたりキーボードをやかましく鳴らしたりしている子もいる。カレーを食べながらスマホで動画を観ている子もいる。家や学校でなら怒られそうなことも、チロル堂では怒られない。となると諍いや揉めごとが起こりそうだが、チロル堂ではそうならないのだと石田氏は言う。
石田「子どもたちは大人をよく見ているんですね。ルールを決めたり子どもをジャッジしたりする大人を目にすると、問題を解決してくれる存在として捉えてしまう。大人への告げ口も増え、『ルールを守るのが良い子』『守らないのが悪い子』という分断が起こってしまうんです。
ちょっとした火種がないわけではありません。モノやお金がなくなったり、ケンカしたり。でも大人は介入せず、ただ見守ります。すると子どもは、自分たちでなんとかしようとするんです。『みんなで探そう!』ってそこらじゅう探し回ったり、場を収めようと対話が始まったり……。子どもたちもケンカがしたいわけじゃないから、ルールがないならないで、勝手に秩序をつくりはじめるんです。
この前は『チロル堂のゴミが公園に落ちてたから、拾ってきた』と駄菓子の袋を持ってきた子がいました。チロル堂にとって“マズい”ことになる、と思ったんでしょうね(笑)。でもそういう行動ができるって、ここが『自分たちの場所』になっていることの証明じゃないですか」
なぜここまで多くの子どもが、チロル堂に集まるのか。訪れる子どもたちは、ゴロンと横になってボーッとしたり、自分のペースでカレーを食べたり、肩の力を抜いたまま思い思いに時間を過ごしている。さまざまな学年、学校の子が集まりながら、上下関係も生まれない。
自らの子育ても含め、過去多くの子どもの集団を見てきた石田氏自身も、これにはとても驚いたと話す。
石田「こんなにいろんな子どもがいるのに、どういうことだろう?って考えたとき、一見何もしてくれない大人がつくる、安心感こそが重要なのかもと思いました。
いつ来てもちゃんと見守ってくれる大人がいて、『おかえり』とカレーを出してもらえる。学校の先生でも親でもない、なんの肩書きもない大人がいて、気軽に話しかけられる。みんなスタッフのことを、ニックネームで呼ぶんですよ。『りこ』とか『まゆげ』とか。偉そうに『しーちゃん、カレー』なんて頼んで(笑)。
スタッフはスタッフで、子どもを子ども扱いせず、一人の人間として接している。『この子は大変な子』『支援が必要な子』とジャッジしない。もし助けを求められたら助けるけど、基本的には受け身なんです。でも、それが心地良いんでしょうね」
チロル堂が居心地の良い場所になっているのは、子どもに限らない。駅前という場所柄、酒場の時間になれば多くの大人が集う。地元の人だけでなく、「生駒に来たなら、チロル堂に行かなきゃ!」と勧められた遠方からの人も来る。もちろん、チロル堂のしくみに興味を持って、わざわざ生駒へ来た人も。
またチロル堂酒場では、地域の人が「1日店主」を務めることもある。売上を「はい、これチロっとく!」と全額寄付する人もいるという。「初めてチロル堂に来た」という人には常連さんがチロル堂のしくみをレクチャーして、困りごとを抱えた人には偶然居合わせた市の職員が相談に乗り、改めて窓口への相談を促す。「もう1杯、同じの」とお酒を注文した人には、居合わせた人たちが「ナイスチロ!」と1チロル寄付したことを褒めたたえる──。
石田「寄付って『施す』みたいなイメージがあるけど、もっとハードルが下がって、楽しいものになればと。単に募金箱にお金を入れてもらうのではなく、食事やドリンクを頼んだら寄付したことになったり、『チロる』って言葉を使ったりするのも、『つい寄付したくなる』にはどうすればいいだろう、って考えた結果なんですよ。人って楽しいことじゃないと、なかなか続かない。そうやって寄付の文化が根付いていけばいいなと思うんです」
チロル堂の役割は、「魔法をかける」大人を増やすこと
チロル堂は2022年7月に石川県金沢市、12月に大阪府四條畷市にも開店し、この夏には生駒2号店もオープンが予定されている。特にグッドデザイン大賞を機に認知が広がり、全国から「うちの地域でも」と引き合いが急増した。だが、そもそも「他の地域に活動を広げよう」と意識していたわけではなかったため、実は戸惑いが膨らんでいた面もあると話す。
石田「『やってみたい』とおっしゃる方々が現れる以上、きちんとしたものを渡さなければと、視察される方に説明したり、運営に必要なことをまとめたり、しくみとして成り立つように併走したりしてきました。けれど、自分たちの店もままならず、時間とお金ばかりかかって……だんだん何のためにやっているのかわからなくなって。
一度は『もう広げるのをやめよう』とも考えたのですが、それはそれでいろんなものを失ってしまうんですよね。せっかく来てくださった方がいるのに、スタッフが『アドバイスはできないんです』と断わることで、お互いのモチベーションを下げてしまう。そこで、チロル堂として何を伝えるべきか、何をお渡しすべきか、改めて考えることにしたんです」
吉田田氏らを交え、チロル堂にとっていちばん大切な要素は何か、どんな要素を満たしていればチロル堂と呼べるのかを突き詰めていった。結果見えてきたのは、「子どもたちの100円に、それ以上の価値が生まれる“魔法”」と、「その“魔法”をかける大人が増える場」があることだったと、石田氏は語る。
石田「そもそも、私たちがここでやっているのは、いちばん難しい方法なんですよ。普通にスタッフを雇って飲食店を経営するのも大変なのに、そこから子どもたちを支援する資金を捻出して、継続的に運営していかなければならない。これをそのまま手渡せば、やるほうも疲弊してしまうと思ったんです。
カレーを出さなくても、飲食店じゃなくてもいい。『形は変わってもいいから、子どもたちに魔法をかけてくれる大人たちを増やしていけたら、それはチロル堂だね』って、覚悟が決まったんです」
チロル堂の目標は、居場所をつくることではなく、魔法使いを増やすこと。最近やっとそう言葉にできるようになった、と石田さんが話す背景にはもう一つ、まだまだ地元・生駒に、その魔法使いが足りないという課題があった。
さまざまな形で「チロる」方が増えてきたとはいえ、利用する子どもの増加を思うと、関わる大人の数はまだ圧倒的に少ない。増えているサブスクチロも、実は3/4は県外の人によるものだという。
石田「たぶん、地元の方は『行政から助成金か何かをもらっている』と思われているんでしょうし、こんなにたくさん人が集まっているんだから、上手く寄付も回っていると考えておられると思います。でも実際には全く足りていません。子どもたちが1食カレーを食べると150円のマイナスが生まれますからね。そろそろ『魔法使いが足りません』と、ちゃんとお伝えしていかなければならないと思っています」
欧米と比べてまだまだ「寄付する」文化がないとされる日本だが、それでも少しずつ変化の兆しは見られる。2020年の個人による寄付額は、10年前の約2.5倍、1兆2,000億円を超えたという推計もあり、寄付者に税制上の優遇がある「認定NPO法人」の数は全国で1,260以上になった。石田氏は、“共感”による寄付の輪が広がっていると語る。
石田「例えば、子どもや若者の支援をしている認定NPO法人の『カタリバ』や『D×P(ディーピー)』は、個人による寄付が活動資金のかなりの割合を占めています。自身も厳しい環境で育った人が、子ども時代の自分を助けるような気持ちで寄付されていることもあると聞きました。あるいは東日本大震災のとき、阪神淡路大震災などほかの地震による被災者が、多額の寄付や、『温かいものを食べられるありがたみを知っているから』と食料支援をされた話もあります。
自身の体験から来る、心が通い合う感覚の延長線上で行動する人が増えつつあるのは、新しい価値の循環が始まっているということですよね。誰かの活動に共感してお金を出して、それによって誰かが救われ、救われた人がまた次の寄付を生む。資本主義社会とは違うベクトルで、そうしたお金の循環も広がっていけば、社会はもっと豊かになると思うんです」
実際、チロル堂はそうした循環を生み出す、地域のハブの一つとなっている。寄付の広がりはこれからと話すが、生駒のまちにチロル堂という“魔法のかかった”店ができ、子どもも大人も分けへだてなく集まる居心地の良い場所になった。いつ訪れても「おかえり」と子どもを見守る大人がいて、「チロる」楽しさを感じる大人も増えている。
石田「この場所で過ごす記憶はもちろん、自分たちの居場所をつくってくれる人との出会いが増え、いつか『自分もああなりたい』『こんな場所をつくりたい』とみんなが思うようになれば、地域の豊かさも循環していくんじゃないかと思うんです」
たった2枚のコピー用紙が変えた景色
家でも学校でもない“居場所”は、ますます求められている。子ども食堂の数が7,000をゆうに超えるのも、「うちの近くにチロル堂を」と声がかかるのも、それだけ地域の中に、生きづらさや孤独を抱えた子どもたちがいることの裏返しだ。
けれど、それを特定の誰かがやるだけでは、問題の解決にはならない。価値の循環を生むためにも、「まずは『自分に何ができるだろう』と考えられる人を増やしたい」と石田氏は語る。
石田「近くにチロル堂ができて、『あそこに行ったらいいよ』と声をかけてくれる大人が増えるのが、果たして良いことなんだろうか、って。やっぱり私たちがやりたいのは、お腹の空かせた子がいたらおごってあげて、泣いている子がいたら『どうしたの?』と声をかける大人を、子どもたちの周りに増やすことなんです」
虐待が疑われるような子を見かけたら、児童相談所に通報する。貧困状態にある子がいたら、行政の福祉窓口につなぐ。それら社会のセーフティネットがあることで、救われる子も確かにいる。だが一方で、そうしたしくみによって“無関心”を生み出してしまっている可能性も石田氏は指摘する。
石田「福祉の事業がやってきたことは、結局どこかで『私には関係ない』と考える大人を生み続けてきた側面があるのだと思います。でも同時に私は、多くの人が本当にそれでいいなんて、実は思ってないんじゃないかとも感じるんです。
きっとみんな、自分がどう参加したらいいかわからないだけじゃないかと。『見知らぬ大人からの挨拶は無視しなさい』なんて言われるような現実にみんな戸惑っていて、それでも子どもたちにとって、豊かな社会になってほしいと願っている人が大半のはず。だからチロル堂が、大人にとってわかりやすい“入口”の一つになることで、みんなが当たり前のように子どもを支えられる社会を取り戻せたらいいなと思うんです」
「人の意識が変われば、見える世界も変わる」──石田氏はそう語る。チロル堂が取り戻そうとしているのは、過度にシステム化された社会で、もう一度、人のぬくもりを感じられる体験なのかもしれない。そのことを示すような、チロル堂で実際に起こった、“魔法”のような話がある。
あるとき、チロル堂の隣でビルの工事が始まった。大きな窓から見えるのは、ショベルカーやダンプカーがけたたましい音を立て、みるみるうちに瓦礫を積み上げていく風景だ。不満の声も上がりはじめたなか、店を訪れた吉田田氏が、窓の上にA4の紙を1枚貼り付けたのだ。
「はたらくおじさんをみよう!」
するとその様子を見ていた子どもが、すかさずスマホのアプリで「働くおじさん見放題\(^o^)/」とテロップの流れる電光掲示板をつくり、窓の下に置いた。子どもたちは窓の近くに作業員が近づくたび歓声を上げ、店内の空気が一変する。
さらに吉田田氏は店の外側に向けて、もう1枚A4の紙を貼り付けた。「ご苦労さまです。リンゴジュース300円、コーヒー600円……」と書かれたドリンクメニューだ。しばらくすると、気づいた作業員の一人が呼びかけ、窓をノックしてドリンクを注文してくれた。それをきっかけに、子どもを窓から連れ出して、ショベルカーに乗せてくれた作業員もいたという。
このときの顛末は、吉田田氏も『チロル堂、コピー用紙2枚の魔法』という記事でアトリエe.f.t.のnoteに、「騒音と砂ぼこり」の景色が「魔法の世界」になった出来事として紹介している。そんなふうに、見方を変えることで人の意識が、そして関係性が変わる風景は、きっとこの世の中の至るところにあるのだろう。
石田「無関心であることの先に生まれているのが、人の孤独であり、社会のさまざまな問題だと思うんです。福祉に携わっていて感じるのは、『お世話されたい』と思っている人は誰ひとりいない、ということ。ただ自分の居場所があって、自分の役割を見出したいだけなんです。
チロル堂というコミュニティの真ん中には子どもがいるから、関係のない人は誰ひとりいません。子どもは地域の、日本の未来だから。チロル堂が入口になって、誰もに『子どもを支援する』という役割ができれば、大人たち自身も孤独から救われて、未来に希望が持てるようになるんじゃないかと私は思っています」
執筆/大矢幸世 取材・編集/佐々木将史 撮影/其田有輝也