目の前に、2本の水があるとしよう。価格は10円と1000円である。さまざまな理由付けはあれど、10円の水には、どこか不安を覚えるはずだ。一方で、1000円の水には、過度な期待を抱いてしまうかもしれない。つまり、商品の本質と価格のバランスは悩ましく、値付けによって「期待する体験」も変わってしまうといえる。
「どれほど品質の良いものであっても、金額でブランド価値が決まってしまうことを知りました。また、適正な金額はブランドを確実に作るとも」
いま、世界を相手に、この「価格」と真っ向から対峙する若者がいる。「日本酒に特化したベンチャー企業」を謳うClearのCEO、生駒龍史氏だ。Clearは日本全国の優れた酒蔵と日本酒を共同開発するブランド「SAKE100(サケハンドレッド)」に注力している。
ある商品は、720ml入りの「四合瓶」で税込1万6,800円より。著名な酒蔵の商品でも多くは3,000円ほどの価格帯に収まるだけに、まさに「攻めた」価格だ。しかし、生駒氏は「まだ安い」と言う。
Clearは2014年に日本酒特化のウェブメディア「SAKETIMES(サケタイムズ)」を設立。後にグローバル版の「SAKETIMES International」もスタートさせ、世界160カ国からのアクセスを集める。これまでに全国400あまりの酒蔵を巡り、取材を重ねてきた。
日本酒市場は全体として下がり調子で、現在でも「ひと月に3社が廃業する」という状況が続く。しかし、生駒氏は取材を経て、日本酒の未来につながる光に出会った。それこそが、従来の価格から数倍になっても顧客は厭わないという、高価格帯の商品だった。
社員7名。30代前後の若いメンバーが多く、酒造関係者はいない。その環境で、彼らが伝統産業である日本酒に見出した「ラグジュアリーブランド」としての戦い方とは何か。今回は2020年にアメリカ進出を予定する勝算を、主としてブランド構築の観点から聞いた。それは図らずも、日本におけるウェブメディア活用法の試金石にもなっていた。
日本酒市場は縮小傾向、それでも「千載一遇の機会」
──日本酒特化のスタートアップは存在自体が珍しいですね。
日本酒業界は造る、卸す、売るという工程すべてに免許が必要なこともあり、基本的には家業として代々営む事業者が多いです。Clearのようなスタートアップが外部から関わるのは、稀だといえます。
ただ、僕らは日本酒の味わいや歴史に紐づくストーリーに惚れ込んでいるのはもちろん、産業的にも大きなチャンスを感じています。今は、日本酒にとって千載一遇の機会ですよ。
──農林水産省のデータによれば、国内消費量としては減少傾向にありますが。
全体の消費量はたしかに減っていても、吟醸酒や純米酒などの「特定名称酒」に関しては、出荷量はむしろ微増傾向なんです。さらに、海外需要も伸び続けており、消費行動そのものにもパラダイムシフトが起きているのが現状であると見ています。
特に海外市場に関しては、日本酒業界も未知の領域が多い。そこを切り拓くために、僕らは「SAKE100」に取り組んでいます。エルメスやドン ペリニヨンと肩を並べるような「ジャパニーズ・ラグジュアリーブランド」として成長し、将来的にはルイ・ヴィトンとのコラボレーションがあり得るくらいの価値を発揮していきたいですね。
──ラグジュアリーブランド化した日本酒には、未知の市場を切り開けるほどのバリューがある、と。
現状、日本酒は楽しみ方に幅があっても、1本あたりの価格レンジは狭い。その理由は、街場の酒屋を通じて、日常の中で飲まれることを重視した日本酒を売ってきたからです。酒屋としては、その金額感で美味しいものをリクエストするし、販売金額の天井に合わせて酒蔵も日本酒を作ります。実際、こうして作られた商品が売り上げの多くを占めてもいます。
ただ、結果として酒蔵の利益率は低下し、やがては組織の崩壊につながる……というネガティブな連鎖が生まれてしまっているのです。しかし、酒蔵はもっと美味しく、付加価値の高い日本酒を作る能力や設備を持ち合わせているんです。
インバウンド観光客が酒蔵を見学し、「なんて美味しいSAKE!この酒蔵で最も良いお酒を買いたい」と願っても、一升瓶で3,000円程度の商品しかなく、驚いてしまうという話をよく聞きます。そういった観光客には富裕層も多く、彼らにとっては「安すぎる」ために、ギフトには選びにくいそうです。つまり、安価であることがメリットではなく、機会損失として働いているわけです。
一方、すでに世界の美食都市では、プレミア価格がつきながらも日本酒は好まれています。特にその傾向が強い香港や中国ならば、飲食店でも1杯3,000円ほどと、およそ日本の3倍から5倍の価格で取引され、四合瓶で100万円を超えることさえあります。
僕も世界各国を巡り、消費動向を観察し続けていますが、世界には1本のお酒に数十万円単位のお金を払う人がいて、求められている。ニーズが顕在化していても、多くの酒蔵が取り組めない。まさにイノベーションのチャンスです。このチャンスに応える策が、ラグジュアリーブランドとして高価格帯の日本酒を作り、届けていくことなのです。
徹底したプロダクトアウトがラグジュアリーブランドの基本
──「100年誇れる1本を。」がSAKE100のコピーです。どのようにこれらの価値を捉え、形にしていったのですか。
最初に考えたのはブランドの存在意義、いわゆる「ブランドパーパス」です。我々が存在している理由は「人々の心を満たし、人生を彩る」ためです。
たとえば、ルイ・ヴィトンで財布を買う人は、スペックの良い財布が欲しいからルイ・ヴィトンを手に取るわけではないでしょう。ルイ・ヴィトンを持つという体験を所有し、使うことに誇らしさを感じ、人生に肯定感を抱く。その図式は、あらゆるラグジュアリーブランドの共通点です。
ただ、スペックの良さが決め手ではないとはいえ、プロダクトの品質が圧倒的に高いことは絶対条件。その大切さは、エルメスのフランス本社前副社長である齋藤峰明さんのご著書からも学びました。
齋藤さんはエルメスの競合は強いてあげるならば「とらや」だと挙げています。なぜならば、どちらの企業も職人の手仕事におけるものづくりを基盤に置き、企業として目指す地点が似ているのだといいます。さらに、エルメスのものづくりはマーケティングありきではなく、また売るためのマーケティングも行ってこなかったと。
つまり、あえてまとめるならば、本質的に徹底したプロダクトアウトのものづくりカンパニーだ、ということでしょう。手仕事のものづくりであれば、日本酒も当然に近い領域です。
ラグジュアリーブランドの基本は、圧倒的な品質と金額、そして世界観で顧客を魅了すること。それは顧客にとっても、ある意味ではフレンドリーなんです。「SAKE100=ラグジュアリーSAKEブランド」であると理解さえしてもらえば、精米歩合(※)といった日本酒知識を持たずとも、納得して美味しい日本酒をお買い求めいただけるわけです。
──なるほど。お酒ならば、ドン ペリニヨンやモエ・エ・シャンドンも同様ですね。
そのように考えたのは、高価格帯の日本酒に挑戦し、苦戦している酒蔵から、「種類が多すぎてユーザーが選べていないようだ」という声を聞いたのも大きいです。
ブランドは徹底したプロダクトアウトで作られますが、ユーザーコミュニケーションは徹底的なマーケットインから始まると捉えています。コミュニケーションの難易度を下げるためにも、僕らはSAKE100というブランドとして認識されるために動かなくてはならない。リリース準備段階の2017年頃から、そのように考えてきました。
※精米歩合:「玄米を精米し、残った部分の割合」を指す。仮に「精米歩合30%」ならば、米一粒あたり外周部の70%を削り、中心部の30%のみを使っていることになる。酒造りでは、同じ量を作ろうとした場合、削った分だけ多くの白米で仕込む必要があるため、一般的には精米歩合が低いほど日本酒の単価は上がる。
ウェブメディアで培った信頼とネットワークを活かす
──スタートしたばかりのSAKE100では、日本でも有数の酒蔵と商品開発をしています。なぜ実現できたのでしょうか?
全国トップレベルの酒蔵が、なぜ僕らのようなスタートアップと組んでくれるのか。その大前提には、2014年から運営を続けるSAKETIMESというメディアへの信頼があるからです。
はっきり言って、SAKETIMESのメディア事業としての売り上げは、他と比べてもそれほど高いとはいえません。ただ、我が社にとってSAKETIMESは、業界との重要なネットワークや最新の業界トレンド、日本酒への知見をもたらしてくれる価値があるのです。
僕らは北海道から沖縄まで、日本中の酒蔵を訪れて取材を重ね、一つずつ記事を作ってきました。社長へ直接取材する機会も多く、僕らが日本酒に対する熱量のある人間だともわかってくださる。
これはメディアを持っている強みでもありますが、取材という形で社長や責任者に面会し、その場でSAKE100のことをご紹介させていただくチャンスもあります。その行動が躊躇なく取れるのも、自分たちが日本酒に対しての知見を持ち、非常に美味しいものが共に作れるという自負があるからこそです。
──歴史ある酒蔵からすれば、「単なるOEMの営業だろう」として嫌がられませんか。
取材を通じてわかったのは、酒蔵としてもブランドを持ち、利益率を上げるような高単価商品のニーズは感じているんです。でも、酒蔵は地元の名士であることも多く、高級路線への急な舵切りは、周囲の目には拝金主義に映りかねない。あるいは、D2Cのような直販を推し進めても、酒屋との関係に不和が生まれてしまう。
そこで月間約40万人が訪れ、国内最大の日本酒メディアであるSAKETIMESの新規事業パートナーという立場の参画は、酒蔵にとって安心できる一つの方法になり得るのです。酒蔵としても取り組みたいことにチャレンジできますし、僕らとは利害が一致するんですね。もちろん、酒蔵のみなさんが事業を応援してくれているのも大きいです。
これも取材などを通じて算出しましたが、僕らは多くのプライベートブランド製品よりも高い利益率を酒蔵に提示し、共同開発に臨んでいます。SAKE100の商品が1本売れれば、通常の数倍の利益が出ることもありますから。
──商品開発はどのように進めていますか?
まずは「上質を極めた一本」や「米の旨味の究極」といったコンセプトシートを作ります。次に、僕らも頭に叩き込んでいる米の品種や精米歩合、使用する酵母といったスペックを選定。その設計図を、最も良い形で具現化できる酒蔵に当たりをつけ、コンタクトを取ります。そこからの酒質設計は、酒蔵とも喧々諤々と進めていきますね。
ここで大切なのは、酒蔵と僕らが同じ「言語」で話せることです。「酵母のブレンドを変えれば、香りが華やかになる」とアイデアをいただいたときにも、その意味がしっかり理解できなくてはいけない。日々、勉強中でもありますね。
ファーストプロダクトの杞憂、1万6,800円は「安すぎる」
──最初に送り出した商品は、どのような販売戦略でしたか。
SAKE100にとってのファーストプロダクトである「百光」は、実は僕自らが売り込みに駆け回った“鬼のトップ営業”が効いています(笑)。
スタートアップ業界に身を置くからこそ親交のある経営者や、弊社の株主である上場企業の社長をはじめ、SAKETIMESの取材を通じて知り合ったラグジュアリーホテルや一流レストランのソムリエまで、泥臭くアプローチしていました。振り返ってみると、ブランドの立ち上がりに関しては、話題を呼ぶための泥臭い時期も必要なのだと思います。
初期でいえば、デジタルマーケティングは苦戦しました。やはり、デジタルマーケティングは購買意欲がある人や商品認知がある人に向けて、決済のひと押しとしては有効な手法です。ブランドが立ち上がっていない状況では機能しにくい。
ただ、その後に「百光」は世界最大・最高権威の酒類品評会でゴールドメダルを獲得したり、日本で開催されたG20関連カンファレンスのレセプションで乾杯酒に選出されるなど、高い評価を得ました。受賞のタイミングでFacebook広告を投下したのは、大きな効果がありました。
つまり、必要なのは「認知」と「認識」だということです。「認知」は自分たちの足で培い、「認識」はコンテスト受賞などの後押しで築いたといえますね。
──とはいえ、「百光」は1万6,800円。値付けは冒険だったのでは?
お客さまが、その思いを杞憂に終わらせてくれました。「これでは安すぎる」というフィードバックさえありましたから。
前提として、SAKE100のメインユーザーは、熱烈な日本酒ファンではありません。高価格帯の日本酒に興味を示すのは、ファッションやワインといったものに親しみ、一定の裕福さがあり、舌も肥えて品質を理解できる人々です。次に売り出した7,300円の「天彩」でも、「ギフトでは送れない価格だ」という声があったくらいです。
どれほど品質の良いものであっても、金額でブランド価値が決まってしまうことを知りました。また、適正な金額はブランドを確実に作るとも。一流ソムリエからも「価格が中途半端だ」とご意見をいただき、あらゆる場所で認められる度に、ラグジュアリーマーケットのユーザーを自分たちは理解できていなかったんだと、より気付かされましたね。
そこからはとにかく、学びです。ラグジュアリーブランドに関する本を社内で輪読したり、勉強会をしたり、徹底して調べたり、銀座へ出向いて実体験をしたり……とにかくインプットがないと、アウトプットはできませんね。
注文後には、日本酒より先に「ブランドブック」を届ける
──それらの学びから、SAKE100ではどんなことを実践していますか。
特色ある施策としては、SAKE100でご注文いただいた方には、日本酒よりも先に僕らの世界観を伝える『SAKE100 THE BOOK』という冊子をお届けすることです。「飲み物としての日本酒だけではなく、SAKE100というブランド体験をお楽しみください」「これからの関係性を育みましょう」というメッセージを込めています。
世界観を伝えるビジュアルや、著名人を始めとするSAKE100のユーザーインタビューなどを掲載し、最後の方のページに商品の説明がある。あくまでパンフレットではなく、ブランドブックという位置づけです。
高価格商品を手に取る人は、心のどこかで「肯定されたい」と感じているはずです。僕らのようにまだ無名に近いブランドで買ったもので失敗すれば、それだけ落胆や自己否定感も強まる。逆に言えば、世界観に理解を示し、実際に飲んだ日本酒が美味しければ、それだけ肯定感も高まるんです。そして、今回のご注文は「生涯に渡るほどの顧客体験になる」と伝えること。点の体験ではなく、線の体験で見せることが大切なのだと考えています。
今はまだSAKE100も構築中ながら、僕らが手掛ける商品が「伝統産業としての日本酒」であることは、ブランド戦略にとってプラス要素であったと思います。歴史を受け継ぐ者としてのブランドを志向し、日本酒の歴史にフルコミットする姿勢を表せるからこそ、僕らのようなスタートアップでも参入できたという側面はあると思います。
──とはいえ、Clearは2013年創業の若い企業です。その環境でラグジュアリーを志向することの難しさもありますか。
たしかに、スタートアップとラグジュアリーは、本来的には相性が悪いです。評判と伝統を重んじていかねばならず、高速PDCAで伸ばせる領域でもなく、社員間のブランド理解に格差が出てもいけませんから。たとえば、社長である僕がどれだけSAKE100を想っていても、顧客対応のメールを打つ人が言葉遣いを誤れば、顧客の体験を損ねてしまう。
ブランドという概念を言い換えるならば、肝心なプロダクトだけではなく、電話やメールの対応、会社の経営方針まで、どこを切り取っても「SAKE100っぽい」と感じていただけることです。その純度を保ち続けること、ブランド理解の高さを保ち続けることが、社内向けKPIといえるかもしれません。
それが維持できないとすれば、社員の人数が多すぎるか、社内教育が不足しているかのいずれかでしょう。現在、Clearのメンバーは7名、アルバイトを含めると15名ほどですが、四半期に一度は「社員テスト」を行っています。SAKE100のプロダクト知識や製造本数、対外的な表現の仕方や伝え方など、設問は僕ともう一人の社員で作っていますね。
──自作のテストまでするとは驚きです。
やはり、自分たちを徹底的に理解することが大事だからです。ラグジュアリーブランドはプロダクトアウトで作られるのであれば、お客さまへの理解だけではなく、とにかく自分たちを理解することがプロダクトへのファーストステップになるんです。
1兆円の世界市場へ挑む
──実際的な売上の推移はいかがですか。
ECの実績でいえば、リピーターの年間平均購入額は8万5千円、百光の例で言えば平均購入数は6本です。一度の注文で40万円が動いたこともあります。
──将来的に、SAKE100はどれほどの市場可能性を秘めていると考えていますか。
可能性を見るならば、ワインの市場を置換していくのが最もわかりやすいでしょう。
日本における日本酒の小売市場規模は、僕の試算では約6千億円です。アメリカのアルコール市場は全体で25兆5千億円あり、そのうちの5兆円をワインが占めています。この5兆円に対し、2割が高価格帯の商品だと捉えると、僕らは1兆円規模のマーケットに挑戦することになります。
そして、日本酒で海外にも通じる高価格帯ブランドは、現在でも「十四代」と「獺祭」くらいしか存在していません。つまり、SAKE100は日本においてもイノベーションのチャンスがありながら、海外においてもチャンスがあるんです。
SAKETIMESというメディアを通じ、大量のインプットとアウトプットをしていた僕らが、日本酒のスタートアップとして成せることは何か。「日本酒の未来をつくる」をビジョンに掲げ、「日本酒の可能性に挑戦し、未知の市場を切り拓く。」というミッションを持つ僕らがたどり着いたのが、ラグジュアリーブランドの構築でした。
日本酒の未来にあるべきものとしての立場を作り出していく。それはとても面白く、やりがいがありますね。
執筆/長谷川賢人 撮影/廣田達也