子どもの頃にみんなで夢中になった遊んだあのゲーム。考えてみれば、説明書を見なくても自然とルールを理解して、遊んでいた記憶がある。
最近のゲームでも、説明書を読まなくても理解できるゲームと、読んでもなお理解できないゲームがあるが、その違いは一体どこにあるのだろう。人が自然に遊べるゲームにはどんな共通点があるのか。
そんな疑問への答えをくれる書籍が『「ついやってしまう」体験のつくりかた──人を動かす「直感・驚き・物語」のしくみ』。スーパーマリオやドラゴンクエストなど、身近なゲームの例を挙げながら、どうすれば人の心を動かす体験を作り出せるかを分析した本だ。
著者は、全世界で1億台売り上げたゲーム機「Wii」の企画を担当した玉樹真一郎氏。「Wiiのエバンジェリスト」「Wiiのプレゼンを最も多くした男」とも呼ばれた玉樹氏は2010年に任天堂を退社し、地元の青森県八戸市にUターン。「わかる事務所」を立ち上げ、企画の専門家として全国の企業や団体のコンサルティングを行っている。
玉樹氏が著書で一貫して伝えるのは、「体験をデザインするうえで最も重要なのは、商品やサービスとの関わり方がユーザーに直感的にわかること」だ。ユーザーが“ついやってしまう”ような経験を作り出すためは、どうすればいいのか。そして、ユーザーと向き合う上で欠かせない視点とは何か。玉樹氏のこれまでの経験からひも解いていく。
「ゲームへ恩返しがしたかった」から、出版を決意
――玉樹さんは、わかる事務所を立ち上げるまで、任天堂で勤務していました。最初のキャリアとして、なぜ任天堂を選択したのでしょうか?
昔からゲームが好きで、漠然と「面白いゲームを作りたい!」と思っていたからです。特に任天堂のゲームは、説明書を読まなくても世界中の人が楽しめる魅力があったんです。「きっと面白さの魔法があるに違いない」と、希望を抱いていました。就職活動を頑張っていざ入社してみたら、その希望は良い意味で打ち砕かれましたね。
――良い意味で打ち砕かれた、というのは?
手っ取り早く使えてしまうような「面白さの魔法」なんて、存在しなかったんです。先輩たちはみんな、懸命に汗を流し、脳みそをふりしぼり「どうすれば面白いゲームを作れるのか」をひたすら考えていました。
でも、ある時、気づいたんです。デザイナーたちの会話を聞いていると、最終的には面白いゲームを作ろうとしているにも関わらず、ゲームの面白さ、ストーリー、演出に関する話だけをしているわけではないということに。
――どのような話だったのでしょうか。
「どうすればユーザーに、ゲームとの関わり方をわかってもらえるか」ということでした。ユーザーはゲームとの関わり方がわかると、自然とプレイしてしまう。プレイするほど、ユーザーは自分自身でゲームの面白さを見つけていきます。面白さとはユーザーが体験した結果であり、 デザイナーが作っているのは、ユーザーが面白さに気づく“途中経過”ということです。
途中経過の中でも、とりわけ大切なのが「入口」。ユーザーがゲームとどのように関わることができるかさえ示すことさえできれば、ユーザーは自ずとゲームの面白さに気づいてくれるということを学びました。
――まさに著書に書かれている内容ですね。その後、玉樹さんはWiiの企画を手がけられています。お茶の間に置き、家族で楽しめるゲーム機という、新たな価値観を浸透させました。Wiiを通して、どのような体験を届けたいと考えていたのでしょうか?
いうまでもなくWiiは会社全体で作ったものですが、私個人としては「ゲームが好きではない人も、つい触れちゃう。つい遊んじゃう」体験を生み出したいと思っていました。そう考えたのは、子どもの頃の経験が大きいです。
私はゲームが大好きな子どもだったのですが、祖母はゲームを毛嫌いしていました。電気代はかかるし、勉強の邪魔にもなる。だけど、僕自身は祖母のことが大好き。大好きな祖母と、自分が好きなものを分かち合えないという悲しさがあったんですよね。
もし、そんな悲しいことが世界中で起きているとしたら? と思ったんです。ゲーム好きな人と、そうでない人の間に生まれる溝、これをどうにかできないかと思いました。だからこそ、家族みんなで楽しめるようなゲーム機を作りたい。ゲームを通して家族がコミュニケーションするようなゲーム機にしたいという思いで、Wiiを企画していきました。
――確かに私も小さい頃は良く両親にゲームのしすぎで注意されていたのですが、Wiiは一緒に遊んでくれた記憶があります。企画に携わり、「Wiiのエバンジェリスト」とも呼ばれた一方で、玉樹さんは2010年に任天堂を退職し、地元の青森県八戸市で個人事務所を立ち上げました。なぜ、独立を決意したのでしょうか?
デザイナーたちと進めた仕事、元社長の岩田(聡)さんをはじめ諸先輩方の姿勢、Wiiの企画などを通して、任天堂では多くのことを学ばせていただきました。会社を辞めたのは100%プライベートな都合で、今も任天堂のファンです。人口が減り、経済もどんどん縮小している地元において、任天堂で学んだことを試したかったのもあり、八戸で個人事務所を立ち上げました。
――わかる事務所で企業のコンセプト立案や企画に関するコンサルティングを行いながら、『「ついやってしまう」体験のつくりかた──人を動かす「直感・驚き・物語」のしくみ』を出版されました。この本を出版した経緯について教えてください。
おこがましいかもしれませんが、「ゲームへ恩返しをしたかった」という思いが、今回の出版につながっています。私自身、ゲームや漫画、映画など無数のコンテンツに育ててもらいました。それらは生活必需品ではないかもしれないけれど、人生をより豊かにしてくれますし、楽しく生きるうえで大切なことを教えてくれました。それがあって、今の自分があります。
特にゲームで学んだノウハウは、商品開発や体験デザインに応用できることが多いと思っています。スペックの高さ・コスパの良さといった数字で表現可能で客観的な指標が重視されがちな昨今ですが、大事なのはそれだけではありません。もし暮らしに役に立つものしか売れないのなら、ゲームなんてとっくに絶滅しているはずです。
そういった視点でビジネスの現場を眺めたら、私のやりたいことが見えてきました。「多くの人がゲームを楽しんでいる理由を分析することで、世の中にもっと楽しいと思えるプロダクトが生まれるお手伝いができないか」。そんなことを考えています。
――著書では、体験デザインの仕組みが細かく、分かりやすく言語化されていて非常に勉強になりました。例えば、スーパーマリオの場合は、マリオの向きや背景のデザインなどから、直感的にユーザーが次にとるべき行動がわかるよう設計されている、と分析されています。こういった分析をされるきっかけは何でしょう?
もともとゲームが好きなので、ゲームを遊ぶ時は常に分析しながら遊んでしまうんです。しかし、本の内容に直接つながるような深い分析を始めたのは、独立後に地方のお年寄りとのコミュニケーションの壁にぶつかった影響が大きいです。地方のお年寄りは正直ですから、こちらがどれだけ一生懸命話しても、話が面白くなければ率直につまらなそうな表情をするんです(笑)。「どうやったら私の意図が伝わるんだろう」と思っていたときに、「ゲームのようなコミュニケーションができればいいのでは」と考えたんです。そこで、ゲームの体験デザインを言語化しようと思いました。
玉樹氏が「何てものを作ってくれたんだ」と思ったゲーム作品とは
――次に最近のゲーム業界について聞かせてください。ゲーム機のスペックが上がったことで、さまざまな制約が取り払われました。その一方で、ゲームの複雑性が増したり、演出に比重が偏ったりして、「昔のゲームの方が面白かった」という声も聞かれます。このような状況下で、ユーザーにより良い体験を提供するには、どのようなことが必要でしょうか?
スペックが上がってゲームが豪華になること自体はまったく悪くないと思います。ただ、豪華になったとしても、スーパーマリオと同様に「関わり方がシンプル」であることが大切です。
例えば、著書でも紹介した「The Last of Us(ラスト・オブ・アス)」。人間に取りついてゾンビ化させてしまう謎の菌によって、存亡の危機に陥ったアメリカが舞台のアクションゲームです。主人公ジョエルは、感染拡大のパニックの中で、男手ひとつで育ててきた娘を失ってしまうんですが、彼はある日、菌への耐性を持つ1人の少女エリーと出会い、終末を迎えつつある世界を旅することになります。
グラフィックも非常に素晴らしく、プレイヤーの演技も挙動もリアルに近いゲームなのですが、プレイ自体は複雑ではありません。状況を説明するナレーターもいませんが、映像とセリフからなんとなくプレイヤーが何をすればいいかがわかる。ストーリー自体も、いろんな登場人物は出てきますが、一言で「主人公のおじさんと少女の旅の話」と言えてしまうほどです。
――たしかに私もラスト・オブ・アスをプレイしたことがありますが、ストーリーを進めていく中で、ゲームとの関わり方を自然と理解していく感覚がありました。
まったくです! プレイヤーがストーリーの流れや本質に自分で気づくことが、ゲームを面白いと感じてもらうことにつながります。先ほども述べたように、面白さとは作り手があれこれ指示を出すのではなく、プレイヤーの心から湧いてくるもの。プレイヤーの心はいつだって面白くなりたがっていて、それを助けるのがコンテンツ、あくまでそういう役割なんです。ユーザを扇動するのではなく、「面白がろうとするユーザーの本能」を信じなければいけません。
――著書の中で書かれていた「プレイヤーを成長させる体験デザイン」につながる話ですね。その観点で、玉樹さんが他に「これは良かった」というゲームはありますか?
立場的にすごく言いにくいのですが、Nintendo Switchで大ヒットしたゲーム「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」ですね。「ゼルダの伝説」シリーズの中で、初めてオープンワールドを採用した作品です。ユーザーを放置するオープンワールドとゼルダの伝説は相性がどうだろうと思ったのですが、ピタッとハマってましたね。
――これまでのシリーズと違い、どのような違いがありましたか?
これまでのゼルダの伝説シリーズは、ゲームを進めるごとに、必要なアイテムを獲得できる仕組みでした。しかし、ブレス オブ ザ ワイルドは最初のステージで全てのアイテムをユーザーに与えて、あとは放置したのです。
プレイヤーは途中でどうしてもクリアできない壁にぶつかるのですが、そこで新たなアイテムがもらえるわけではありません。どう切り抜けるかは、手持ちのアイテムを駆使して考えなくてはなりません。でも完全に放置するのではなく、たとえばちょっとした違和感のようなかたちで、ヒントがちゃんと散りばめられています。
ヒントは与えつつも、最後はユーザーに気づいてもらう。説明書を読まなくても、プレイヤーが自発的に学びながら成長していくというすばらしい体験デザインになっています。古巣ながら「任天堂はなんてものを作ってくれたんだ!」と思ってしまいました(笑)。
――ラスト・オブ・アスやゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルドは長編のゲームですが、昨今だとオンライン対戦やソーシャルゲームなど、手軽に遊べるタイプのゲームも登場しています。これらについて、玉樹さんはどう思われていますか?
私は良いことだと思いますよ。簡単なゲームもあれば、難しいゲームもある。この“幅”があるほうが面白いですよね。かつては単純にITの技術が発達していなかったので、画面は平面、キャラクター数も定められていて、限られた幅でしか表現ができなかった。
しかし、今は複数人で同時に接続して遊べるオンラインゲームや、スマートフォンで手軽に楽しめるソーシャルゲームなど、技術の発展によってゲームの可能性が広がっています。昔は大きな会社しか作れなかったゲームが、今ではどの国の人でも年齢に関係なく開発し、商売まで可能となりました。プレイヤーはその中から自分に合うものを選んで遊ぶことができる。ゲームという文化は、これからもっと豊かになります。
――一方で、課金のしすぎが問題視される、ということも発生していますよね。
言葉選びが難しいですが、スーパーカーが大好きで、スーパーカーを買いすぎて破産した人は、スーパーカーではなく、「本人が悪い」と言われますよね。おなじことが、ソーシャルゲームなどに課金しすぎた人についても言えるでしょうか?
ゲームは生活必需品ではありませんし、産業としても歴史的にも、まだまだ弱い立場にあると思います。一方で、新しいメディアであるがために、新しい課金の仕組みなどが即座に市場に投入され、ユーザに悲しい思いをさせてしまうこともありました。
だからこそ今、ゲームの作り手はものすごく真面目に、どうやったらプレイヤーに悲しい思いをさせないか、知恵を出し合って開発しているように、私には思えます。
その結果として、射幸心を煽るような演出も、極めて自制された状態で運用されるようになってきています。開発者とユーザが相互作用しながら、特に開発者側は商業主義的なふるまいを自制しながら、ゲームというメディアを健全な遊びとして成立させるべきだと思います。
地方のお年寄りでも理解できるデザインかどうかが大切
――これまでゲームのお話を中心に伺ってきましたが、著書で書かれている内容をゲーム以外の商品開発にも応用するうえで、どのようなことが大切になると思いますか?
これまでと同じく、いかにシンプルであるかということでしょうか。「このボタンを押せば水が出る」とか、それぐらいのシンプルさを実現したいと思っています。そうしないと、人は行動しませんから。私の中では、「地方のお年寄りでも使えるかどうか」が1つの判断基準になっていますね。
――なぜ地方のお年寄りが判断基準なのでしょうか。
言葉を選ばずにいうと、都会は「ぬるま湯」だと思うのです。満員電車に乗っていてもそうですが、気遣いのできる人の集まりなんですよね。みなさん、頭がよくてやさしい。そんなステキな都会の人に囲まれていると極めて快適なんですが、快適すぎて「ぬるま湯」的に感じることがあるんです。
その点、地方のお年寄りは正直で厳しい(笑)。業界の文脈や常識とか抜きに、自分が思うことを遠慮なくはっきりと言ってくれる。そして、そういうお年寄りが指摘してくれる内容は、実は都会の人たちがやさしい気持ちで隠してくれているけれど、偽らざる本音だったりもするんです。だからこそ、地方のお年寄りの意見を聞くことは、体験を作るうえで重要なヒントになると思います。
――前提となる情報を持っていない方にヒアリングするのは、取り組めている企業が少ないかもしれないですね。
そうなんです。ただ、地方のお年寄りに会いに行くのは大変だと思うので(笑)、もう1つオススメするとしたら、自分で“反対側の世界”をのぞく機会を持つということです。
例えば、八戸市で育った僕は、初めて東京に降り立ったときの感動を今でも忘れられません。通勤ラッシュ時の渋谷を見たとき、「今日はお祭りかな」と本気で思いましたからね。田舎にいたからこそ、都会の面白さや違いを発見できた。このように、反対側の世界を知ることで生まれる新たな発見は、商品開発に生かせることが多いかもしれません。
――地方のお年寄りの話を聞く、自分の反対側の世界を知る。それぞれ自分とは違う考えを持つユーザーの気持ちや行動を理解する、という点で同じように感じます。
はい。一方で、「ユーザーを見過ぎないこと」も重要です。ユーザーを理解するのも大切なのですが、そうした体験をしたときに自分の感情がどう動いたかを、観察する。自分自身の感情が動く瞬間を認識し、その理由を発見して、そのまま商品開発に投入する。「ついやってしまう」ような体験を作り出すための最大のヒントは、自分自身の心が「つい」を作り出すメカニズムを実感することではないかと思っています。
「ついやってしまう」体験を一度でもしたことがある人なら誰だって、体験デザインのエキスパートになれるはずだと信じています。
「ついやってしまう」体験を生み出すためには、まず自分がどのような時に「ついやってしまう」のかを知ることが大切。それは一見、無関係に思える体験だとしても、「なんで自分はいま感情が動いたのだろう」と自問自答することで、応用できる知見となって蓄積されていくはずだ。そして、「スペックの高さや売り上げを追うことばかりに目を奪われず、自分の感情を大切にしながら商品開発に向き合ってほしい」と玉樹氏が語るように、その感覚を信じることが「ついやってしまう」体験を生み出すことにつながっていくのだろう。
ライター / 藤原梨香 編集 / 庄司智昭 写真 / 廣田達也