「都市を訪れるすべての人が私たちにとって『お客様』です」
東京の港区を中心に都市開発を進める森ビル。同社に特徴的なのは、「街のあるべき姿」を考え、都市を創るだけでなく、都市を育んで行くという、広い視野で街全体をプロデュースする「エリアマネジメント」という視点だ。
都市には、オフィスワーカー、住民、観光客など多様な目的を持つ人々が集まる。必要な機能や欲する体験はそれぞれ異なり、すべての人の満足度を一様に上げるのは容易ではない。
森ビルは、どのように都市の「顧客体験」を設計しているのか。タウンマネジメント事業部の横山貴史氏に、六本木エリアや虎ノ門エリアの事例をもとに、都市における顧客との向き合い方を聞いた。
都市における顧客とは、場所に訪れるすべての人
森ビルは理念に『都市を創り、都市を育む』を掲げている。建物とインフラだけでは都市になりえない。都市に暮らす人々の日々の営みを支えること、地域やコミュニティの可能性を引き出し、発展させること。時代の要請に応えながら、未来を見据えた都市づくりに取り組む。
横山氏「都市には、そこに住んでいた人たちが作り上げてきたストーリーがある。それは、私たちが都市に関わる前から存在し、何十年、何百年と続いていくもの。私たちが掲げる“都市を創り、都市を育む”とは、そういった長い時間軸で物事を考えながら、その場所ごとに愛され続ける都市のあり方を掲げ、形作っていくことです」
虎ノ門ヒルズエリアで掲げたのが、「国際新都心・グローバルビジネスセンター」というコンセプトだ。虎ノ門がある港区は、外資系企業が集積し、大使館が多いエリアで、羽田空港へのアクセスも良い。都内でも有数の国際感覚を持った人々が集まるエリアだという。一方で、六本木は、今まで東京になかったアートの発信拠点、文化の中心地を創ろうとの想いから、「文化都心」をコンセプトにした。
このようなコンセプトの元、街のあるべき姿や人々の営みを考えながら、再開発を進め、街を運営するのが森ビルの街づくりだ。
横山氏「オフィスに通う人、打ち合わせで訪れた人、テナントで働く人、観光に来た人、住んでいる人など、多様な背景を持つ人が都市を訪れます。そのすべてが、私たちにとっては『お客様』。多様なお客様に最適な体験を提供するためには、『単にオフィス街や商業施設を作ればOK』というわけにはいきません。仕事に最適なオフィス、おいしさや楽しさを提供するレストランやカフェ、ショップ、人々がつながるコミュニティ、新しいアイデアを生むインスピレーションスポット、心穏やかに暮らせる住居など、提供すべき価値はさまざまです」
こうした多様な顧客の営みの舞台となる街づくりを推進するために、森ビルには個別の顧客に対応する事業部や都市開発を行う事業部と、それらの間を調節し、街のあるべき姿を考えるタウンマネジメント事業部が存在する。
横山氏「オフィスにはオフィス事業部、店舗には商業事業部、居住者には住宅事業部など、それぞれのお客様と向き合う事業部が存在します。これらの部門が、それぞれのお客様と直接コミュニケーションをとり、どのような価値を提供すべきか、しっかりと把握しています。
しかし、個別のお客様に最適化するだけでは、都市としての体験はちぐはぐになってしまう。それぞれの間に立ち、掲げるコンセプトへ立ち返り、提供すべき体験を考えるのがタウンマネジメント事業部の役割です」
顧客と一緒に都市の体験を作っていく
訪れる人々すべてが顧客となる都市の体験を作るにあたり、森ビルは、様々なステークホルダーと一緒に作ることを大切にしている。
横山氏「都市で提供すべき価値は一様ではありません。私たちが『こんな都市にしたい』と一方的に押し付けるのでは、それぞれのお客様に愛される都市を作るのは難しい。地権者をはじめ様々なステークホルダーと一緒に『どんな都市にしたいか』を考え、都市を育む意識が欠かせないと考えています」
こうした積み重ねの結果、街ができてからも多様なコミュニティが育成されており、例として横山氏は六本木ヒルズで月一回開催しているトークセッション「ヒルズブレックファスト」を通じて育まれるコミュニティを挙げた。
ヒルズブレックファストでは参加者が設営を手伝ったり、登壇者を紹介したりするなど、運営にも主体的に関わっているという。しかし、これは森ビルが依頼したわけではなく、いずれも自主的に始まっているもの。森ビルと顧客などが、一緒に都市を育んでいるとわかる好例だ。
横山氏「ヒルズブレックファストは、当初からイベント会社などにはお願いせず、すべて自分たちで企画・運営してきました。そのかわり、『なぜきてくれるのか』『何が楽しかったか』『どうできると良いか』を毎回ご参加いただいたお客様に聞き続けてきたんです。
すると徐々に場をよくするアイデアをいただけたり、ディスカッションしたりする機会が増えてくる。その積み重ねの中で、六本木で働くオフィスワーカーを中心に、イベントを自分事化してくれる方が現れ、自主的に運営をサポートしてくれるようになっていったんです。今では活動を通じて生まれたコミュニティのメンバーとともに場を作っています」
このような自律的なコミュニティ育成のために、森ビルは「継続性」に重きを置く。小さい規模からスタートした活動も時間を経て少しずつ大きくなる。2010年から始めたヒルズブレックファストは、すでに100回以上開催され毎回100人以上が集まる。他にも、六本木ヒルズ自治会を中心に運営する六本木クリーンアップは毎月120名ほど、盆踊りは6万人ほどが集まる活動になっている。
横山氏「お客様から反響が得られないなら継続しない。これは企業として当たり前の判断だと思います。しかし、都市を育むには時間がかかります。経済合理性だけで判断せず、愚直にやり続けると、しだいに人が集まってくる。そこへ集う人たちがきっかけとなり、さらに人が集まる。こうやって良いスパイラルが起きるまでやり続けるしかないんです。活動やイベントが楽しいと何度も足を運んでくれれば、そのたびに少しずつ好きになり、主体的に関わってくださる方も増えていきます」
ただし、森ビルはただ継続しているわけではない。その品質が重要な要素だという。
横山氏「今では、他の場所でもヒルズブレックファストのようなイベントが開催されるようになりました。しかし、いずれもすぐに盛り上がりを作るのは簡単ではないはずです。今のヒルズブレックファストがあるのは、ハイクオリティなイベントを、時間をかけてお客様とともに場を作ってきたから。その“質”も定量的には測れませんから、社員自らが運営し、集まる人の反響を自分たちの眼で見てその価値を判断してきました。
質の高いものを提供し続けていれば、高い視座をもった方々が集まってきてくれます。すると、『面白い人たちがあそこに行ってるから、私もあそこに行けば何か得られるかも』とさらに人が集まる。一朝一夕で形になるものではないと、私たち自身が一番良く理解しています」
都市を育むには時間がかかる
都市は、何十年、何百年と続いていくもの。その間に人々の価値観や社会が変われば、都市に通う人々のニーズや求める体験も変わる。森ビルが提供する体験も、それに合わせて柔軟に形を変えていく。
横山氏「建物というハードはそこを利用する人以上に長く残り続けるもの。簡単に変えられません。しかし、お客様や時代に合わせ、都市に求められる機能や役割は確実に変化していく。それに対応し長く愛される都市を育むためには、ハードの機能更新だけでなく、運営や活動などソフトの部分を柔軟に変えていく意識は欠かせません。それは、数十年というスパンももちろんですが、数年という単位の中でも、小さく変化してしかるべきと考えています」
今、森ビルが注力する虎ノ門ヒルズエリアには「国際新都心・グローバルビジネスセンター」を形づくる様々な施設が続々とオープンしている。6月11日にオープンした「虎ノ門ヒルズ ビジネスタワー」の4Fには、「ARCH 虎ノ門ヒルズ インキュベーションセンター」を開設。大企業の新規事業創出にフォーカスを当てたイノベーションセンターとして、米国シリコンバレーを本拠地とするベンチャーキャピタル・WiLが参画を得て、日本ならではのイノベーションエコシステムの構築を目指す。
新虎通り沿いにすでにオープンしている「新虎通りCORE」では、イギリスのロイヤル・カレッジ・オブ・アートと東京大学生産技術研究所が共同で運営する「RCA-IIS Tokyo Design Lab」と連携したデザインを切り口にした社会人向けラーニングプログラム「RCA-IIS Tokyo Design Lab DESIGN ACADEMY」も開設。グローバルなビジネスパーソンが集まるビジネス交流会も多数開催されている。ビジネスだけでなく、花や本のマーケットイベントや、ヨガのイベントも実施。カルチャーにフォーカスした企画もある。
そして、2021年には「虎ノ門ヒルズ レジデンシャルタワー」、2023年には「(仮称)虎ノ門ヒルズ ステーションタワー」が竣工し、虎ノ門ヒルズの全貌が明らかになる。
横山氏「『なぜ、ビジネス街でこんなイベントを?』とよく言われるのですが、我々はオフィスワーカーの方だけでなく、居住者や近隣の方々含め、豊かなライフスタイルを実現できる場を作りたいと考えています。そのためにはカルチャーをはじめ、日々の生活を充実させるモノやコトが欠かせません。
虎ノ門ヒルズエリアは今、例えて言うなら花が咲き始めている段階で、すべてのタワーが開業し満開になるのは少し先です。その先も、社会が変わり、都市の役割も少しずつ変わっていくと思います。これからも常に都市をアップデートしながら、都市を創り育てていきます」
多様な顧客が多様な目的で利用する都市を育むには時間がかかる。それと同様、都市の体験を優れたものにするのも時間が必要だ。壮大で華やかなイメージが先行する『都市創り』には、中長期で妥協なく質の高い体験を届け続ける愚直さが必要なのだろう。
執筆/葛原信太郎 編集/小山和之 撮影/植村忠透