「今日は何を作ろうか」──料理は、食材選びからはじまる。毎日口にするものなら、できるだけ良い食材を選びたいと考えるのは当然だ。けれども「良い食材」を手頃な価格で手に入れるのは、案外難しい。近所のスーパーで買おうとすればそれなりの値段になるし、産地から取り寄せようものなら、キロ単位で買わなければならないこともしばしば。もちろん、相応の時間も費用もかかる。
レシピサービスを運営するクックパッド株式会社は今、こうした食にまつわる課題を解決し、「レシピ」の会社から「料理」の会社へと変貌しようとしている。その姿勢が表れているサービスの一つが、『クックパッドマート』だ。
クックパッドマートは、精肉店や鮮魚店などの専門店や地域の生産者が販売する「こだわり食材」を、1品から送料無料で注文できるサービスだ。商品は近くの駅やコンビニなどに設置されている「マートステーション」に届けられ、いつでもピックアップできる。2018年のサービス開始からの約3年間で、マートステーションの設置数は首都圏の駅やコンビニ、マンションを中心に500を超えた。
生鮮食品のECサービスとして誕生したクックパッドマートは、食のつくり手と消費者をつなぐ「食のプラットフォーム」を目指しているという。既存のサービスとの違いや、その購買体験によってどんな価値がもたらされるのか、事業立ち上げに携わり、現在国内事業の総責任者であるクックパッド株式会社 Japan CEOの福崎康平氏に伺った。
「レシピ」の会社から「料理」の会社に
1998年3月にレシピの投稿・検索サービスとして誕生した『クックパッド』。日本では投稿レシピが350万品を超え、月間約5,800万人が利用。2014年から本格的に海外事業を推進し、今では76の国と地域、34言語でレシピサービスが展開されている。
運営元であるクックパッドが掲げるのは、「毎日の料理を楽しみにする」というミッションだ。
「料理にまつわる課題を解決するには、レシピだけでは不十分です。料理には、買い物や後片付け、キッチン環境なども含まれます。料理に関するあらゆる領域において仕組みづくりを行うことで、『毎日の料理を楽しみにする』ことが可能となるのだと思います」と語る福崎氏。
その言葉通り、クックパッドでは料理道具や器などが買えるオンラインマルシェ『Komerco(コメルコ)』や、充実したキッチン環境に着目した不動産情報サイト『たのしいキッチン不動産』など新たなサービスを展開している。
そんなクックパッドが、2018年9月に「買い物」領域の課題を解決するべく立ち上げたのがクックパッドマートだ。現代における日常的な買い物体験は、未だ「専業主婦世帯」中心のものとなっていると福崎氏は指摘する。
福崎氏「2000年代頃から共働き世帯の数のほうが専業主婦世帯の数を上回り、40年前と比較するとその割合は反転しました。単身世帯やフルタイムで共働きする世帯が増えてきたわけです。
でも買い物の基本的な仕組みは、今でも専業主婦世帯であることが前提で成り立っています。僕らが普段、買い物をしようとすると、商店街や専門店の営業時間に間に合わなかったり、スーパーの閉店間際に限られた食材の中から選んだりしなければならない。週末にまとめ買いしても鮮度が落ちてしまうし、ネットスーパーだと指定時間のあいだ家に居なければなりません。不便なことがいろいろあるんです。食卓を取り巻く環境が変化する中で、『レシピ』という課題解決の手段だけでなく、『買い物』の課題解決手段も提示しようと考えました」
そこで着想したのが、スーパーやECといった既存サービスの不便や不自由さを解消し、さらに「楽しさ」を追求する生鮮食品ECだった。駅やコンビニ、マンションの共有部など生活圏内にマートステーションと呼ばれる生鮮宅配ボックスを設置。1品だけでも送料無料で、都合の良い時間に受け取ることができる。
アプリには「タイムセール」「いちおし食材」といった特集が並び、旬の食材やお得な食材が紹介されている。なかには「猪肉ソーセージ」や「マグロテール(尾)」といった見慣れない商品、地方の直売所で売られているような「ふぞろい野菜」「割れせんべい」などもある。
福崎氏「スーパーには陳列スペースという物理的な制約もありますし、過去のデータに基づいた『売れるもの』中心に商品が置かれています。でもそれって楽しくないじゃないですか。僕が作りたいのは、思いがけずいろんな食材と出会うことのできる体験なんです」
生産者と消費者をゆるやかに結ぶ、新たな流通モデル
もともと料理好きで、旬の食材を求め休日に遠方の「道の駅」や直売所などへ足を運んでいたという福崎氏。食材選びの楽しさを実感しながらも、多くの人がその楽しさを享受できていないことに、課題意識があったという。「いつでも気軽に美味しいものを食べたい」──。それを阻んでいるのは、“非合理的”な流通のしくみだと福崎氏は指摘する。
たとえば、日々の買い物に利用するスーパーマーケット。多彩な生鮮食品や食料品、日用品が揃い、複数の店舗をあちこち行き来する必要もない。一見効率的だが、そこには“矛盾”があるという。
福崎氏「良い食材を手に入れることが、時間に余裕のある人しかできない行為になってきているんです。友人を専門店や直売所に連れていくと『こんなところにあるなんて知らなかった』と良く言われます。美味しいものがどこで売られているのか、情報が適切に届いていないんです。
また、地方や郊外にあるお店でも、すぐ近くの農家でおいしい野菜が作られているのに、わざわざ青果市場で遠くの産地から届いた野菜を仕入れて、倍の値段になって店頭に並ぶこともあります。そもそも売る側が『売れない』と判断した商品は棚に並ぶこともありません。
こうした流通の矛盾を受け入れざるをえないのが、今の状況です。消費者には美味しいものや安いものに気軽にアクセスできる手段がなく、生産者や専門店にとっても自分たちの商品をアピールできる十分な場がない。両者が“出会えない”構造になっているんです」
こうした不幸なすれ違いを解消するのが「クックパッドマート」だという。
クックパッドマートでは、既存の流通モデルをゼロベースで捉え直し、利用者と販売者・生産者のあいだを取り持つ新たな仕組みを構築した。商品の品揃えを担保しながらコストを抑え、日々の買い物をより便利に楽しくするために選んだのは、売り手と買い手が少しずつ歩み寄る方法だ。
販売者・生産者から共同集荷場までの「ファースト・ワンマイル」と、マートステーションから自宅までの「ラスト・ワンマイル」。この二つのワンマイルをそれぞれが負担しあうことで、可能な限り安く、早く商品を手元に届ける仕組みを確立した。
たとえば、前日18時に商品を注文すると、翌日正午には最寄りのマートステーションに湘南の海で獲れたばかりの「生しらす」が届く──。そんな驚きの購買体験も実現させている。
クックパッドが運営するYouTubeチャンネル「マートのちゃぶ台」。クックパッドマートに出店する生産者・販売者によるレシピや「食材選びの極意」などを紹介している
福崎氏「スーパーマーケットは、売れ筋の商品を中心に取り揃えてあり、いつでも同じ商品が手に入るようになっています。店内を見て回ると、調味料やストック用の食品など『あれも欲しかったんだ』とついで買いもできます。
それに対してクックパッドマートが取っている戦略は、『食の多様性』。十分な在庫が用意できないなどの理由でスーパーには並ばないけれど、とても美味しいものや面白い食材って本当にたくさんある。ただそれを知る機会がなかなかないだけなんです。多種多様な食材が気軽に手に入るようになれば、食はもっと豊かになるはず。そんな食材に出会う手段として、クックパッドマートがあるんです」
消費者の意識にも変革を。料理に対する“意思決定”を一人ひとりに広げていく
リアルのスーパーでもネットスーパーでも「お取り寄せEC」でもない、まったく新しい「生鮮食品EC」ができることで、消費者側の意識にも変化が起きていくはずだと福崎氏は続ける。
福崎氏「極端な言い方ですが、料理の手間を省いて利便性、合理性を求めるなら食事は素材をそのまま丸かじりするか、火を通すだけで食べればいい。それに、すべての家にキッチンがついている必要もありません。外食をするのが一番手っ取り早いですし、各家庭から出る廃棄食材によるフードロスも減らせます。マンションの各家庭にある冷蔵庫にどれだけジャガイモやタマネギが眠っていて、どれだけ捨てられているかって話じゃないですか。
それでも日本の家からキッチンがなくならないのは、やはりそこに“楽しみ”や“豊かさ”を見いだしたいという思いがあるからではないでしょうか。あるいは、アレルギーや好き嫌いといったイレギュラーに対応するために、自炊することもあるでしょう。料理に対する価値観は非常に多様で、個人個人がとてもニッチなニーズを持っているんです」
スーパーで大量に並ぶ食材だけでは満たすことのできない「個人のニーズ」。たとえばそれは、その人の育った地元の味かもしれない。慣れ親しんだものを日常的に食べられるようになれば、それだけで食卓は豊かになる。
今日、どこで何を食べるか。それをどこで調達するか。自分で作るか、作ってもらうか、食べに行くか──。その選択に自覚的になることが、効率化された社会の中で、人間らしくいられる方法なのではないかと福崎氏は語る。
福崎氏「たとえるなら、ファッションもそう。一人ひとりが意思決定して実践するから、年々新しいスタイルが生まれるし、レベルも高くなる。食事もかつては、その家で家事を担う人に意思決定権が委ねられていましたが、今や一人ひとりが意思決定するものになりつつあります。
自分の食事に自分で責任を持って選択する人が増えることが、食卓から豊かさを失わないために大切なこと。『何でもいい』という気持ちは、すぐに味気のない食卓へとつながります。それって面白くないでしょう? ファッションの着こなしのように、食材ももっと“着こなせる”ようになれば、本当に幸せな食卓になるんじゃないかと思うんです」
“食の多様性”を信じるクックパッドマートのこれから
東京都町田市や神奈川県横浜市など自治体、JAや農業法人との連携を進め、食材を提供する販売者・生産者を拡充。マートステーションも、東京メトロや西武鉄道、ファミリーマートやココカラファイン、ツルハドラッグなどと提携し、生活動線内での設置場所を増やしている。約3万戸のマンションの共有部にも設置され、「自宅の冷蔵庫代わり」にマートステーションを活用する暮らしも夢ではない。今後のサービス展開について、福崎氏は続ける。
福崎氏「クックパッドマートが『美味しいものと出会えるサービス』という認知を高めることが第1のミッションです。単に『珍しい食材がある』というだけでは、日常的に使ってもらえるサービスにはなりません。僕らが目指したいのは、『料理がもっと楽しくなる』世界。実はシンプルな料理でも、良い食材を使えば十分に美味しい。外食や凝った料理を作るよりも簡単に、食の楽しさへアクセスできる。そんな世界を、クックパッドマートとして提供したい。
それから、料理本来の楽しみや豊かさというのは、はじめは“狭い世界”の中で生まれるものだと僕は感じているんです。たとえば町に1軒美味しいパン屋さんができたら、その町じゅうの人がパンを好きになる……なんてことが起こりうる。
小さな作り手の人たちも食の楽しみを発信し、その地域の食を豊かなものにしていくことができるんですよね。小さなチャレンジが生まれ、そのチャレンジを受け入れることができる心理的安全性の高いプラットフォームとしてクックパッドマートが存在していられたら、と考えています」
スーパーマーケットやコンビニ、チェーン店など、食をめぐるビジネスは効率化されていった。その陰で、商店街や専門店、個人経営の店など、淘汰されてしまったものは数多くある。
けれども人々の暮らしや価値観が多様化した今こそ、そういった販売者や生産者に再び光を当て、食の多様性を取り戻すべきときなのかもしれない。クックパッドマートはその新たな選択肢となりうるサービスだ。
販売者や生産者にとっては、新たに食材を知ってもらう場として。消費者にとっては、食材選びの選択肢を増やし、毎日の食卓に彩りを加える一手段として。そうやって売り手・買い手双方にとって、自分が本当に望む食をもっと気軽に楽しめるサービスとしてクックパッドマートが普及していけば、多様な食文化を支えていく一助となるのではないだろうか。それこそがクックパッドの目指す「毎日の料理を楽しみにする」世界なのだろう。
執筆/藤堂真衣 編集/大矢幸世 撮影/須古恵