「丁寧な暮らしではなくても」──2020年1月に刊行された雑誌『暮しの手帖』(第5世紀4号)の表紙には、こんな言葉が掲げられていた。
『暮しの手帖』といえば、むしろ「丁寧な暮らし」を推し進めるようなイメージすらあったはずだ。自らのアイデンティティを否定するかのようにも取れてしまう、この印象的な誌面を編んだのは、北川史織。1948年の創刊から70年以上の歴史を背負い、同号より9代目編集長に就任した。
それから2年あまりで、15冊の『暮しの手帖』本誌を世に送り出してきた北川は、料理や手芸のみならず、メイクアップから介護、社会問題まで、「暮らし」にまつわる幅広い記事で誌面を彩ってきている。一方で、直近ではウクライナ情勢に呼応。「もう二度と戦争を起こさないために、一人ひとりが暮らしを大切にする世の中にしたい」という創刊以来の理念に照らして、SNSで「戦争反対」を明言したことでも耳目を集めた。
海の向こうで戦争が始まりました。
私たち『暮しの手帖』は、敗戦まもない1948年、「もう二度と戦争を起こさないために、一人ひとりが暮らしを大切にする世の中にしたい」そんな理念のもとに創刊した雑誌です。
暮らしをいつくしみ、誰かを愛せるのは、平和があってこそ。
私たちは戦争に反対します。 pic.twitter.com/hyHBNh8Nhj— 暮しの手帖社 (@kuratechoeigyou) February 25, 2022
『暮しの手帖』は今、読者と共にいかなる「暮らし」を追究しているのか? それは「丁寧な暮らし」とは別物なのか? その問いを解き明かすため、XD編集部は神田の暮しの手帖社へと足を運ぶ。
「すみません。昨晩急な編集作業が入ってしまい、寝不足なんです」。北川の申し訳なさそうな申し出からインタビューは始まったが、その裏には『暮しの手帖』編集部に宿る、「遅いメディア」としての矜持が隠されていた──。
編集長就任後、読者の年齢層が下がった
──北川さんの編集長就任から2年あまりが経ちました。それまでの『暮しの手帖』と比べて、何か変化を感じていますか?
北川:「読者の年齢層が下がったのでは」とよく言われますね。実際、私と同世代の40代くらいの読者が増えたというデータも出ています。
──なぜ年齢層が下がったのだと思いますか?
北川:例えばメイクの記事(編注:『暮しの手帖 第5世紀5号』収録の「40歳からの、自由になるメイク」など)は、それまではあまりやったことがなかったと思いますし、読者の方からも「珍しい」という反響がありました。あくまでも「暮らしの中に必要だから」という理由で取り上げているだけなのですが、より幅広いテーマを扱うようになったことは、新たな読者層の広がりにつながっているのかもしれません。
──20代後半の自分でも、とても自然に読めると感じています。
北川:読みやすさに関しては、AD(編注:アートディレクターのこと)の力が大きいと思っています。実を言うと、新たなADと誌面をリニューアルするとき、ずいぶんと文字量を減らしたんです。以前はレシピのページも読み物のページも、若干文字が詰まっている印象があって。それが魅力でもあったのですが、家で気楽にリラックスしながら読むものとしては、もっと使い勝手をよくできたらと思いました。
特に料理や手芸の記事などは、1ページあたりの品数を絞り、より「何度も繰り返しつくりたくなるもの」を載せる方針に変えたんです。読者の方からも「ずいぶん読みやすくなった」「わかりやすくなりました」といった声をたくさんいただいています。
──そうして読者層を広げていくとき、なにか想定読者の年齢や属性などは設定しているのでしょうか?
北川:特にしていません。年齢も性別も問わず、20代から90代まで、幅広い人に読んでもらうことをずっと目指しています。どちらかと言えば、もう少し精神性の面で読者層を捉えているかもしれません。具体的には「自分で工夫をするのが好きな人たち」が、『暮しの手帖』を読んでくださっているのかなと考えています。
暮らしを人任せにせず、「工夫」することの意味
──工夫、ですか。
北川:例えば家で料理をつくるとき、つくり手の方は何かしらのアクションをする必要がありますよね。手はもちろん、頭を動かし続けることが料理なのだと、私は思います。
それは単純に「時間をかければいい料理ができる」という意味では全然なくて。包丁を使わない簡単なものでも、工夫はできる。10分でつくれる料理であれば、10分集中する。「おいしいものをつくりたい」と思って知恵を使う、手を使うというのが大事だと考えています。
──市販品を一切使ってはいけない、というわけでもなく、それぞれのライフスタイルに合わせて何かしらの「工夫」を入れ込むことが大事、ということですね。
北川:はい。私も忙しい暮らしを送っていますので、なかなか料理には時間をかけられない。それでも、毎日自分の食事を何かしらつくるんです。やはり短い時間でも手を動かしていると「料理をしている」という気持ちになりますし、それは暮らしていくうえで大事だなと思っています。
にもかかわらず世の中では、「おいしいものが食べたいな」と思ったときに、自分の手と知恵を使わずしてパッと出てくることが評価されがちではないでしょうか。でも、それって「甘言」ですよね。まっとうなことじゃない、半ば嘘だと私は思っています。
北川:暮らしていくためには当然、苦労もある。でも、それがあるから楽しみもある。時間を使うとか、手を使うとか、そういう苦労なくして得られる楽しみは、実は少ないのではないでしょうか。暮らしの喜びは簡単に降ってくるものではないし、お金を出して買えるものでもない。自分でつくるものだと思っています。
──読者の方も、そうした価値観を持っている?
北川:おそらく。読者の方からいただく手紙やメールを読んでいると、やはり「暮らしを人任せにしたくない、自分でどうにかしたい」と思っている人たちが多いとひしひしと感じますね。
もちろん、その中でお金で買ったものを組み合わせることはあります。過去に「商品テスト」(編注:商品を試験して、どれが優れてどれが劣っているのかを読者に示していた企画。豊富な種類の商品が出回りはじめ、粗悪品も多く混在した高度経済成長期、『暮しの手帖』の目玉企画だった)があったのも、自分の暮らしをつくるために「何を選び出すか」を大事だと考えていたからです。
ただ、何かを買ったり、誰かに任せたりするだけで暮らしが整うかと言われると、それはちょっと違うんじゃないかと思います。
──「暮しの“手帖”」というタイトルにも、その考え方はよく表れていますよね。手帖って買って読むだけじゃなくて、自分で書き込んだりして使っていかないと、意味がないですから。
北川:まさに。毎号、表紙をめくったところに「これは あなたの手帖です」という創刊以来のメッセージを入れているのは、そういう意図からなんです。
これは あなたの手帖です
いろいろのことが ここには書きつけてある
この中の どれか 一つ二つは
すぐ今日 あなたの暮しに役立ち
せめて どれか もう一つ二つは
すぐには役に立たないように見えても
やがて こころの底ふかく沈んで
いつか あなたの暮し方を変えてしまう
そんなふうな
これは あなたの暮しの手帖です
『暮しの手帖』の表紙裏に、必ず記されている言葉
“丁寧な暮らし”への違和感。一人ひとりの丁寧があっていい
──そう考えると、北川さんが編集長になってから最初の号に書かれた、「丁寧な暮らしではなくても」というコピーの意図も伝わってきます。いわゆる“丁寧な暮らし”でなくとも、自分なりの工夫をすることこそが大切だという意図ではないでしょうか。
北川:はい。私は丁寧に生きていくこと、暮らしていくことは心から素晴らしいと思っていますし、自分も極力そういうふうに生きていきたいんです。
ただ、“丁寧な暮らし”というものが一つのラベルや「#(ハッシュタグ)」として流通している感じがあって、それはちょっと違うのではないかなと。例えば家にモノがなくすっきりしているとか、いい珈琲を淹れて飲むといったことが、“丁寧な暮らし”なのかな。消費に紐づいたキャッチコピーになっているようでもあり、本来なら、もっと幅広さがあるものなのにと疑問を感じていました。
──一般的に流通している“丁寧な暮らし”というフレーズからは、「●●じゃないとだめ」といった、ある種の権威主義的な匂いも感じます。
北川:「これを買わないと幸せにならないよ」「こう生きないとダメだよ」と言うのは、余計なお世話だと思っています。1時間かけてつくった料理も10分かけてつくった料理も、それぞれに良さがあって、簡単に比較できません。“丁寧な暮らし”は、一人ひとりが思い描けばいい、目指せばいい、つくっていけばいいはずなんです。
時々「『暮しの手帖』って経済や時間にゆとりのある人が読んでいる雑誌ですよね?」と言われることがありますが、そういうときも「これは暮らしを楽しむ人の雑誌ですよ」と返すようにしています。実際、年齢も性別も関係なく、私のようなシングルの人からそうでない方まで、暮らしがある人全てが読める雑誌だと思っています。
──それぞれの丁寧さという意味では、第5世紀4号の編集後記の中で、北川さんご自身「忙しくて丁寧な暮らしを送れていないかも」と明かされていたことも印象的でした。
北川:そうですね(笑)。もちろん、開き直ったわけでも、読者の方に私のような雑な暮らしを送ってくださいと言ったつもりも全然なくて。読者の方々は、私よりも工夫した暮らしを送っているのではないかと思っています。
ただ実際、時間がなかったりする中で、「それでも工夫しなさい」と言うのは簡単ですけれど、大変じゃないですか。だからこそ、どんな人がつくっているのかをまず知っていただいて、その人が等身大で一生懸命、誌面をつくっていることをお伝えしたくて書きました。
──画一化された“丁寧な暮らし”を押し付けるのではなく、それぞれが自分なりに丁寧に暮らしていくことを大切にしながら、工夫のあり方を提案していると。
北川:一方で、とても幅広い人に向けて書いているため、例えば「この手芸の材料、本当に入手できるのかな?」といった点は毎回議論しています。
もちろん、身近で手軽に手に入る材料だけで、みんなを満足させるものが必ずしもつくれないケースもあるので、一部は取り寄せが必要なこともあります。ただ、私たち編集部員のほとんどがずっと東京で暮らしていて、良くも悪くもここの暮らしに慣れてしまっていることは、常に気をつけないといけません。
「暮らし」と地続きなものとして、社会的なトピックも取り扱う
──「丁寧な暮らしではなくても」だけでなく、「人間らしい暮らしって?」(5世紀14号)や「迷惑かけたっていいじゃない」(5世紀10号)など、書店で見かけたら思わず立ち止まってしまうようなコピーも多いですよね。
北川:読者を大切にすることは当たり前ですが、それ以外の人たちはどうでもいい、関係ないということではなく、より社会性のあるものをつくりたいと考え、少し強いコピーをつけました。おこがましい言い方かもしれませんが、雑誌って、読者という輪の外にいる人たちに対しても、多少なりとも影響力があるんじゃないかと思うんです。
ある一部の思想を抱いた人だけが手に取り、その人たちだけに満足してもらうのでも、それで経営が成り立てば、商業誌として問題はありません。でも、『暮しの手帖』を読んだことがない人だって、コピーを見るだけで何かちょっとでも変わることがあるかもしれない。表紙しか見ていない人でも、「何だこれは?」「丁寧な暮らしってなんだろう?」と考えるかもしれません。
──『暮しの手帖』の読者だけが満足する暮らしを送れたらそれでいい、というわけではないと。生活保護や子ども食堂など、いわゆる社会的なテーマを取り上げているのも、そうした意図からなのでしょうか?
北川:だって、気になりますよね。今豊かな暮らしを送っていても、自分や自分の大切な人がいつ困難な状況に陥るかもしれないという不安は多かれ少なかれ抱えているはずで、関係ないはずはない。それをなぜか、家庭の外側に社会がある……というふうに分離して考えがちだと思うんです。
でも、自分のアクションが何か社会を変えることもあれば、社会が変わることで自分にいろいろな影響が出ることだってありますでしょう? 『暮しの手帖』の中に「社会」というジャンルの記事があることは、「あなたの暮らしと社会は地続きである」というメッセージになると思っています。
──いわゆる社会的なテーマも含めての「暮らし」なのですね。
北川:暮らしって、いろいろなものを入れられる“器”だと思っているんです。人によって大きくも、小さくもできる器のような。だから、自分と家族さえ幸せであればそれでいいとすることもできるし、隣の人を加えていって豊かに広くすることもできる。その中に、「自分の暮らしだけでなく、困っている人の暮らしも入る」と思うこともできる。
例えば私には子どもがいませんが、別に子育てが関係ないとは思っていませんし、何かしらできることや助けられることがあればいいなと考えています。そういうことを、あまり堅苦しいメッセージを掲げたり拳をあげたりすることなく、やわらかい読み物として伝えられるといいなと思ってつくっているんです。
──繊細なテーマが多いですが、編集部で企画を考えるとき、気をつけていることはありますか?
北川:立案した人の「切実さ」でしょうか。「社会のここが知りたい」「読者にここを伝えたほうがいいのではないか」……自分が現場に行って話を聞いて、一本の記事に編んで読者に手渡したいという熱意が伝わる企画が来たときは、たとえそれが難しい企画だったとしても採用しています。
『暮しの手帖』の編集部員は、今のところ恵まれた立場にいる人たちかもしれません。それでも会社がなくなったらどうなるかわからないですし、それぞれに「こうなったらすぐにも困る」という恐れを抱きながら生きています。その「他人事じゃない」視点が、読者にも伝わると思うので。
だから、世の中を高みから俯瞰してマッピングするのではなく、自分と同じ地平で生きる人々を見るような感覚で企画を立て、記事にしてもらっていますね。あと、自分の言葉で語るのは大切だと思っていて、編集部員が書いたものはあえて署名原稿にしています。
──たしかに、一人称で書かれている記事が多いですよね。
北川:ささやかな工夫ですが、やっぱり「私語り」がいいと思っているんです。「ああ、こういう暮らしを送っている、この人が書いているんだ」「子どもがいるんだ」「猫がいるんだ」。そんな側面まで見えたほうが、読者の人も自分に引き寄せて考えてくれるんじゃないかと思いますから。
広告は一切なし。「読者のために」小さな違和感も逃さない
──お話を聞いていて、創刊者の花森安治のことを想起しました。というのも彼の文章を読んでいると、当時から『暮しの手帖』という雑誌にあった強いカウンター精神を感じるんです。暮らしを守ることで、世の中に流されず主体的に生きていくのだ、というような。今伺った企画のスタンスには、そうした精神性も通底している印象を受けます。
北川:たぶん、花森は常に「疑っていた人」だと思います。大きな権力を常に疑って、怒りを抱いていた。何か押し付けてくるものに対して「押し付けられたくない」、こうすべきと言ってくるものに対して「余計なお世話だ」と言っていた人じゃないかなと。
北川:もちろん彼がそれを言えたのは、言っても許されるだけの人生経験や人間性、才能が花森にあったから。私はそこまで強くは言えません。ただ、私の中にも、編集者というより一人の人間として生きている中で「おかしいな」と感じることはある。そうした違和感を大切にしながら、雑誌をつくっているところはありますね。
──昨今のウクライナ情勢に呼応してSNSで「戦争反対」を明言していたのも、違和感を大切にするスタンスが表れていると感じます。
北川:そうかもしれません。『暮しの手帖』は創刊から、「もう二度と戦争を起こさないために、一人ひとりが暮らしを大切にする世の中にしたい」という理念を掲げてきましたから。SNSでの発信は小石を投げたくらいのことに過ぎませんが、目にした方が何らかの思いを抱いたり、考えたりしてくれたらと願いました。
そうした姿勢は世の中に対してもそうだし、掲載前の原稿に対しても同じなんです。掲載する原稿については、校閲係を含めて何人かで校正します。「この表現を用いると、自分を否定されたように傷つく人がいるのではないか」という意見があれば、たとえ差別表現などではなくても、いろんな立場から眺めて検討したいと思っています。
同時に、書き手の方の思いも尊重したい。実は昨晩もそうした対応に追われていて、おかげで今日は寝不足です(笑)。でも、それが私たちの雑誌に流れる価値観であって、信用のもとなのだと思っています。
過去何十年も読んでいらした方が、一個の言葉でお別れとなってしまったら残念じゃないですか。大事なことは細部に宿ることもありますから、すごく小さなことでも、おろそかにしないようにしています。
──小さな違和感も放っておかない真摯な編集スタンスが、読者からの厚い信頼の礎となっていると。そうしたスタンスを反映した、明確な編集方針のようなものはあるのでしょうか?
北川:強いて言うなら、先程も触れた「これは あなたの手帖です」と始まる言葉ですね。一人ひとりが自分なりに考えを巡らす余白があって、厳密なルールではありませんが、あの言葉に沿った雑誌にできるよう毎号考えています。
「あなたの」と書いているように、『暮しの手帖』は読者のものなんですよ。きれい事じゃなくて、本当にそうなんです。なぜなら創刊以来、企業広告を一切入れていなくて、スポンサーが読者しかいないから。「読者を大切に」というのは雑誌にとって当たり前ですが、私たちは切実にそうしなければいけないんですよ。
──広告を一切入れていない、というのはすごいですよね。
北川:同業者からはうらやましいと言われる反面、「大変でしょう」とも言われます。「大変だよ」と返しますけど(笑)。でも、これには理由があるんです。一つは、花森が言っていたと伝えられているのですが「紐付きになりたくない」。例えば、市販の合わせ調味料のメーカーさんがスポンサーになったら、「基本の調味料だけでつくれますよ」とは言いづらくなる。広告がないからこそ何でも言える、忌憚なく書けるというのは大きなメリットだと思います。
それからもう一つ、花森が言っていたと言われているのが「誌面を隅々まで自分の好きなように美しくつくりたい」。広告が「汚い」という意味ではないです。とはいえ、広告が入ると、全てを意のままにすることも難しくなる。そういうものなしで、全部イチから、表紙から最後まで読者のためだけにつくれるのは、いい環境だと思いますね。
──「読者のため」を徹底しているスタンスは、誌面からもよく伝わってきます。例えば、読者からの「耳の痛い意見」を載せて、それに真摯に応答していることも多いですよね。
北川:もちろん言い訳したり、同情を引いたりしようとするつもりは全然なくて。自分たちにとって「できないけど、いつか成し遂げたいと思っている課題」を書いていると捉えています。毎日夢中でつくっている中で、短期的な優先事項ばかりに目が行ってしまわないよう、読者のみなさんと分かち合おうと思って載せているんです。
正直言うと、あまり格好よくないですよね(笑)。でも、それでいいのかなと思うんですよ。ある長年の読者の方が、私が編集長になった後、とても印象的なお手紙をくださって。
「次はどんな編集長かなと思ったら、今までの中でも一番普通の人だと思った。でも、自分からそのことを明かし、普通の人がつくる『暮しの手帖』なんだというので、別の意味で『じゃ読もうかな』と思った」。
この方には少なくとも分かっていただけたんだなと感じて、とても嬉しかったんです。それを時々思い出して、あまり格好つけないようにしようと思っています。
「遅いメディア」だからこそ出せる価値を求めて
──『暮しの手帖』の記事が、時事的な内容でもスッと入ってくるような読み口なのは、肩肘張らずに読者に寄り添うスタンスの賜物なのかもしれません。
北川:うちの読者の方はよく読んでいらっしゃるので、「これはすごく表面的だな」「考えてつくっているのかしら」「こんなことなら新聞でとっくに読んでいる」などと辛辣に言ってくる。そこをごまかさないで、私たちにしかできない記事をつくる必要があると思うんですね。
──2カ月に1号という、週刊誌や月刊誌に比べても遅めな発行のペースが、記事づくりに影響を与えているような気がします。
北川:そもそも紙の雑誌というメディアの性質上、時事的なことを取り上げるのは、すごく弱いんです。締め切りも早いですし、読まれるときには書いたときから時間が経ってしまう。印刷して物流に載せ、全国に届けるためには、最低でも発売の2週間前には校了している必要がある。新聞やウェブとは、スピード感がぜんぜん違う、すごく遅いメディアなんですよ。
スピードのみならず情報量だって、例えばレシピは膨大な数のものがインターネットで無料で見られますよね。対してうちは、これだけのページを費やして20〜30品しか載っていない。それらをデメリットとして捉えると、やはり私たちは他のメディアに負けてしまいます。
──しかし、遅くて、誌面も限られているからこそ、出せる価値もあると。
北川:はい。例えばレシピは、編集部に併設されているキッチンで、全て検証しています。実際につくって、みんなで細かくチェックして、「この焼色はちょっとどうなんだろう?」「あと数分、焼く時間を変えたほうがいいかも?」とチューニングしていく作業を常にしているんです。
質はかなり担保されていると思います。数をたくさん載せられないからこそ、そうしたところで勝負しなきゃいけないし、遅いんだったら、じっくり効いてくる遅効性の記事をつくらなければいけない。
──時事的なトピックも、その視点を持って扱われているんですね。
北川:「新聞でも近いトピックは読んでいたけれど、とっつきやすくていいな」「じっくり入ってくる語りかけになっていて読みやすいな」……そう思ってもらえるような記事をつくることを心がけています。
社会性や世の中の「今」を入れたいとは思いますが、スピードでは劣るので、そうではない価値を出せるようにひと工夫する。例えば、「自分と同じ目線の人が書いていて、読み物としてとてもおもしろいな」と感じてもらえるような。編集者である私たちができる、ささやかな工夫だと思っていますね。
取材・執筆/小池真幸 撮影/須古恵 編集/佐々木将史