今では当然のように近所のコンビニやスーパーで見かけるようになった『よなよなエール』や『水曜日のネコ』などのクラフトビール。可愛らしいパッケージも相まって、ビール売り場の雰囲気さえもすこし変わったように思える。特徴的なラベルに目を惹かれ、手にとったことがある方もきっと少なくないだろう。事実、SNSで製品名を検索すると、これらのビールを愛してやまないファンの姿が見て取れる。
特有のネーミングセンス、目を惹くラベルデザイン、そしてこのビールでしか得られない味わいと個性際立つビールの数々を世に送り出しているのが「ヤッホーブルーイング」だ。最近では、同社初のアルコール度数1%未満の『正気のサタン』の発売も話題を呼び、さらにファンの心を掴んでいる。
こうした個性的なビールをつくり続ける「ヤッホーブルーイング」は、どのようにして生活者のニーズを見つけ、製品を開発しているのだろうか。そしてそれはどのように届けられ、愛されるに至っているのか。その話を聞くため、同社の拠点である長野の御代田醸造所を尋ねた。
取材当日、醸造所に入ったところで、拍手の嵐とともに従業員の皆さんが立ち上がって「ようこそ」とお出迎え! 取材陣一同は想像していなかった熱烈な歓迎に思わず顔がほころんだ。『てんちょ』こと代表取締役社長の井手直行氏も笑顔で出迎えてくれた。
『正気のサタン』が提案する、新しいビールの選択肢
「ヤッホーブルーイング」の注目される取り組みに、積極的なファンとの交流がある。 ビール片手に音楽やフードを楽しめる“大人の文化祭”を掲げたビールファンとの『よなよなエールの超宴』やオンラインでのペアリング体験会『よなよな 月の道楽座』などのファンイベントを開催し、最大5000人を動員している。
そうした交流を大事にする姿勢が、同社の文化からも伺える。従業員同士が独自のニックネームを持ち、立場を超えてお互いをニックネームで呼び合っているという。取材当日のお出迎えにも、そうした姿勢につながる部分がありそうだ。取材は温かいムードのなかスタートした。
まずは、クラフトビールにこだわりを持つ同社がなぜ『正気のサタン』のような低アルコールビールを開発するに至ったのか、その背景から確かめてみたい。
『正気のサタン』は、昨年8月に発売された同社初の低アル飲料で、製造法や味にこだわった「醸造系クラフトドリンク」として位置づけている。発売時には同社Webサイトで25,000字にもわたる製品開発の経緯が語られるなど、プロモーションも話題を呼んだ。
井手氏「従来の低アルコール飲料は、あくまでもビールの代替品という印象が強く、味わいもビールには及ばないように感じていました。低アルコール飲料の需要は増えていましたが、ビールが好きな私はそこまで興味を持っていなかったんです。
ですが、3、4年前に生粋のビール好きのスタッフと話していた時、『最近あまりビールを飲めなくて……。次の日に残ってしまうんです。アルコール量を減らして、うちの味でつくれたらいいですよね』という発言を聞いて。その時は気にしていませんでしたが、私も年齢とともに休肝日を設けるようになり、徐々にその発言が思い出されるようになりました。
その後、製造チームへ正式に『うちの味で、ノンアルをつくってみてほしい』と相談。とはいっても、やはりアルコールを抑えた製品は味わいが犠牲になってしまうのを前提に、言ってしまえば『いきなりはうまくいかないだろうな』という思いで走り出していました。そこから1〜2年の開発期間を経て、ついにこれは美味しいと思える試作品が出来て。製造担当は『世界中のノンアルのなかで、これが一番美味しいと思っています!』と語るほどでした。その後、市場調査を進め、実際のリリースへ準備を進めていきました」
マーケットリサーチからではなく、従業員や井手氏の実感から先行して製品を開発する、といった流れは同社の取り組みのなかでも異例だったと続ける井手氏。『正気のサタン』の特徴は、主なターゲット層が「食事にこだわるワーキング家事プレイヤー」と銘打たれていることにもある。独自のフレーズはどのようにして決まっていったのだろうか。
井手氏「そもそもうちの製品は、大手と違い、マスをターゲットにしていません。メインはいわば、氷山の一角。熱狂的なファンを目掛けて届けているようなイメージです。なので、マーケティングも数百人にアンケートを取って……というかたちではなく、少人数へのユーザーインタビューが主。約1〜2時間ほど話を聞くなかで、何が大事にされ、また何が語られていないかを深堀りします。意識しているのは、そこに生活者自身も気づいていないようなニーズがないか。水面下に眠っている潜在的な欲求や思いを探るためには、個別に長時間聞く必要があります。
今回の『食事にこだわるワーキング家事プレイヤー』は、そういったインタビューからすくいあげた情報をもとに、ミーティングを重ねて決まったフレーズでした。仕事も家事も忙しく、気ままに酔える時間はないけど、ビールが好きで食事に合ったものを選びたいといった食事にこだわりがあるような共働き、子育て世代。従来の性別や年齢といったカテゴリでは氷山の一角を掴みきれず、目標もぼんやりとしてしまう。なので、多くの人に広く支持されるものではなく、好きな人が熱狂的に好きになってくれるようなものをつくることを目指します。そのためには、こうした独自のフレーズ選定も重要なんです」
「食事にこだわるワーキング家事プレイヤー」を目掛けて発売された『正気のサタン』。では実際に想定した生活者のもとに届いているのだろうか。
井手氏「製品発売のたびに、SNSやアンケートからその様子を確かめるのですが、嬉しいことに毎回ドンピシャで届いています。『正気のサタン』でも、ファンの方から嬉しいご報告がありました。
『私はビールが大好きなのですが、夫はアルコールに弱く飲めないし、かといって従来のノンアルでは興をそがれてしまう……そんな悩みを抱えていたのですが、正気のサタンはおいしいし、夫は酔わずに味わえる。食事をより一緒に楽しめるようになりました!こんな日が来るとは思いませんでした!』と。まさに想像していた方に届いて、その反応ももらえたのでとても嬉しかったですね。味わいといったテクニカルな部分だけではなく、誰かを幸せに出来る一瞬に協力できた、という喜び。美味しいものをつくるのは大前提として、そのような体験こそが本当に届けていきたいものだと考えています」
ビールの味わいに注力するだけではなく、その先の食卓や団らんの場といった体験に重きを置く。その熱量は言葉に収まらない。
『正気のサタン』の発売時、まだ販売エリアが限定的で、販売エリア外には“飲みたくても飲めない人”がいた。こうしたニーズに気づき、Twitterで「#正気のサタンはどんな味」キャンペーンを実施。最も熱い思いを綴った販売エリア外の3名のもとに、ヤッホーブルーイングのスタッフが1ケースを抱えて実際に届けに行くというダイナミックな企画を実施した。
井手氏「あのキャンペーン、実は私は一切知らなかったんです。いつものように、Twitterでファンの方の反応を見ている時に、ヤッホーブルーイングの公式アカウントが『実際に届けに行きます!』と発信しているのを見てびっくりして(笑)。社員がプロモーションのために自発的に行った取り組みだったのですが、ヤッホーブルーイングの文化として一貫しているので、私も楽しみながら見ていました」
【 50秒でわかる #正気のサタンを届け隊 まとめ動画】
「正気のサタン」が販売されていない長野・広島・島根に1ケースをお届けした約2000㎞の旅。
1泊2日の幸せの配達をギュっと動画にまとめました🎦
初めてサタンを飲んだお客様の感想とかわいい猫ちゃんに注目🐐🐈🍻
ぜひ、見てください~🙏 pic.twitter.com/IMuKqqDbvv— よなよなエール/ヤッホーブルーイング公式 (@yohobrewing) November 8, 2022
Twitterに投稿された「#正気のサタンはどんな味」キャンペーンの様子。(公式Twitterの投稿より)
“究極の顧客志向”が築く、ファンとの関係性
イベントを実施したり、実際にファンのもとに届けに行くプロモーションを行ったりと、ヤッホーブルーイングのファンへの思いは想像を超える。なぜそこまでファンへの思いを大事にしているのだろうか。
井手氏「ヤッホーブルーイングは1997年にビールをつくり始め、当初はtoB向けに販売していました。ですが、2004年にECに力を入れはじめ、直接お客さんとやりとりをするようになると、ブログやメルマガ、また注文のメール一つからダイレクトに反応を得られるようになって。お客さんに向き合った対応をすればするほど喜んでもらえることにとても実感を得ていました。
今ヤッホーブルーイングが会社をあげてファンを大事にする文化を築いているのも、根本は同じです。私の体験から生まれた“究極の顧客志向”がDNAになり、今は企業文化になった、という感じでしょうか。
そのためには、会社に集まるメンバーもとても重要です。会社の色が濃いからこそ、採用の面でメインに見るのはカルチャーフィット 、つまりその人の資質が会社に合っているかどうか、という点ですね。ファンとの交流に喜びを感じ、『正気のサタン』のキャンペーンのように喜んでもらえる提案を自発的にできる人が集まると、よりほかの会社には真似できない独自の組織になっていく。これは組織のみならず、お客様に届ける体験を維持するためにも必要なことですね」
キャンペーンやカスタマーサポートの面のみならず、企業文化として顧客とのコミュニケーションを重視するヤッホーブルーイング。井手氏は顧客志向の話のなかで、「一人のお客様を満足させられなくて、100万人の人を満足させられるわけがない」と続ける。
井手氏「私の経験上、とことん対応していけば多くの方にファンになってくれると信じています。何か商品や配送にトラブルがあった時、そこでどのような対応をするかで、お客さんからの印象は大きく変わりますよね。そのような際でも、しっかりケアすることで、またヤッホーブルーイングの製品を選んでくれるようになると思うんです。
このような対応をスムーズに行うため、注文された方のデータは全て把握できるように、顧客管理システムを使って、いつ誰がどの商品を注文して、どのようなやりとりがあったのかを共有できるようにしています。たとえば、妊娠期間を経て2年ぶりに注文してくださったお客様に『飲めるようになったんですね、選んでくれてありがとうございます』と添えることができました。
徹底した顧客志向に通底しているのは、とにかくファンに喜んでほしいという思い。ファンに喜んでもらえると従業員も嬉しいので、文化として強く残していきたい部分ですね」
ファンになってもらうための丁寧なコミュニケーションは同社のアイデンティティであり、ファンとの交流から得られるエピソードは同社からの発信にもフィードバックされている。
その一例となるのが、2023年3月2日から開始した『隠れ節目祝い by よなよなエール』と題するキャンペーン。これは、一般的に人生の節目とされる結婚や還暦などの節目ではなく、卒乳やペットを飼い始めた時など、パーソナルなおめでたい日を “隠れた節目”と呼び、そのような節目にある人々によなよなエール謹製の「隠れ節目祝いセット」をプレゼントするというもの。顧客へのこうした細やかな気配りからも、同社の熱い思いが伺い知れる。
さらに、顧客との距離をなるべく近く保とうとする姿勢は、従業員のモチベーションにも繋がっており、そうした好循環はファンとの間だけに留まらない。取材に訪れた御代田醸造所がある地元・長野県御代田町の周辺を活気づけようとはじまった独自のプロジェクトがあるという。
井手氏「自分の地元に急に知らない醸造所が出来て、そこに数十人知らない人が出入りしていると心地よくはないですよね。なので、まずは醸造所の周りに住んでいる方々に我々を覚えてもらおうと『地元プロジェクト』を始めました。
地元のイベントに出店して我々のビールを飲んでもらったり、周囲のゴミ拾いを習慣的に行ったりしました。そうすると、徐々に地元の方々にも認知されるようにもなってきて、ビールの感想やお褒めの声を頂くことも多くなってきました。
地元の方々に私たちのことを知って頂くために、スーパーには顔写真を並べたポップを置いてもらっているのですが、ある時、私がスーパーに訪れると小さなお子さんが『てんちょだ!』と指差してくれたこともあって(笑)。こんな風に少しずつでも認識していってもらえると地元の方々からも受け入れやすいと思いますし、そうなるとスタッフももっと気持ちよく働けるようになるのかなと思います。
大事にしているのは、“ファンマーケティング”に重点を置いて取り組んでいるのではなく、あくまでも目の前にいる人にきちんと向き合うこと。ファンとの交流や一風変わったプロモーションはあくまでも手段のひとつで、目指しているのは、クラフトビールを楽しむ体験を届けることです」
クラフトビールを通じて“幸せ”を届ける
ヤッホーブルーイングは『よなよなビアワークス』という公式ビアレストランも都内に8店舗構えており、クラフトビール好きが集まるスポットとして注目されている。ビールのみならず、レストランでの提供にも幅を広げるヤッホーブルーイングの今後の展開を聞いた。
井手氏「今年3月にオープンする北海道日本ハムファイターズの新球場『エスコンフィールドHOKKAIDO』にレストラン『そらとしば by よなよなエール』をオープンします。球場内のセンターバックスクリーンにあるので、フィールドを一望しながらレストラン内のビール醸造設備でつくられたクラフトビールを飲めるので、ぜひ皆さんに来ていただきたいと思っています。
あと、すこし先にはなりますが2025年春には大阪・泉佐野市に『ヤッホーブルーイング大阪ブルワリー』の開設を予定しています。ブルワリー、つまり醸造所なのですが、醸造の設備だけでなく、試飲スペースやさらにファンの方に楽しんでもらえるようなエンターテインメント性を兼ね備えた “体験型ブルワリー”に出来たらと。
これからは海外からのお客さんも増えていくと思うので、日本全国でクラフトビールを通した地域活性も行っていければと考えています。今は社員が日本全国を飛び回りながら、色々な施設を視察して、その構想を練っているところです」
クラフトビールを使った地域活性まで見込む井手氏。最後に、あらためてクラフトビールのもつ魅力と可能性を聞いてみた。
井手氏「ビールはお酒のなかでも最も多様性のある存在だと思います。製法などのスタイルで分けても150種類を超え、味わいも様々ですよね。バラエティの豊かさがビールの可能性 なので、いわゆるビールがあまり好きではない方にも喜んでもらえるようなクラフトビールはきっとあると思っています。
『正気のサタン』で連絡をくれたご夫婦のように、クラフトビールには“幸せを与える力”があると思います。なので、これからも多くの人に、クラフトビールを通して人生に“幸せ”を届けていきます」
執筆/梶谷勇介 撮影/タケシタトモヒロ 編集/浅利ムーラン、鶴本浩平(BAKERU)