天然素材やリサイクル素材を積極的に活用し、残糸やはぎれを用いて新たな製品としてアップサイクルする──ハイブランドもこぞってサステナビリティを前提とした価値提案を行う昨今。
他方で、まだ「サステナビリティ」という言葉が浸透していなかった時代から、「つづく」ことを重んじた服づくりをつづけてきたブランドがある。
「minä perhonen(ミナ ペルホネン)」。独自のテキスタイルに定評のあるこのブランド。1995年に前身の「minä(ミナ)」が設立されたとき、創業者でデザイナーの皆川明氏は、「せめて100年つづくブランドに」と記したという。その言葉通り、ミナ ペルホネンは「つづく」ことを念頭に置き、「特別な日常服」をコンセプトに真摯なものづくりを行ってきた。
1996年に誕生した「mini bag」は、服づくりで余った布を無駄にしないようにとつくられたもの。以降、色や素材を変えながらも同じテキスタイルデザインをつくりつづけている。多くのブランドが当たり前に行うセールは、開催しない。直営店の一部ではシーズンが過ぎても、アーカイブとして過去の商品が販売されつづけている。
「100年後」を思うその姿勢は2021年7月、創業者の皆川氏から、長年テキスタイルデザインや各プロジェクトを担ってきた田中景子氏へ経営のバトンが受け継がれたことからも窺える。直営第1号店のあった白金台のプレスルームで、「せめて100年つづくブランド」という挑戦を引き継いだ田中氏に、ミナ ペルホネンのものづくりとその価値観、これからの展望を聞く。
愛着と記憶が「つづく」をもたらす
不揃いの粒が丸く連なった「tambourine(2000-01 A/W)」、大海原を自身と戦いながら泳ぐ姿が描かれた「triathlon(2003 S/S)」……1995年のブランド設立以来、毎シーズン発表されるオリジナルのテキスタイルには特徴的な名前がつけられ、それぞれにまつわるストーリーがある。
ブランド名の「minä」は「私」、「perhonen」は「ちょうちょ」を意味するフィンランド語で、2003年のブランド改名時に「蝶の美しい羽のような図案を軽やかにつくっていきたい」という願いが込められた。
デザイナーでCEOの田中景子氏は、ミナ ペルホネンの「特別な日常服」というコンセプトについて、「装う」ことの意味を踏まえてこう語る。
田中氏「街行く人とすれ違ったり、誰かと会話したりする中で、服が感情とリンクした表現として伝わることがあります。『今日はちょっと華やかに』と選んだ服から、なんとなく春めいた気分を感じ取ってもらえたり。
“ハレ”ではない“ケ”のときも、服を着ない人はいませんよね。たとえ服が主役でなくても、何かしらの高揚感というか、自分の記憶や思いを込められる服であってほしいと願っています」
その言葉通り、2019年冬から2020年にかけて東京都現代美術館で開催され、その後国内外を巡回した『つづく』展では、ミナ ペルホネンの顧客の記憶や思い出が反映されたコーナーが話題に。顧客が実際に着用していた服を借り、その服にまつわる思い出とともにディスプレイされ、中には十数年着用されているものもあった。
長年着用された服には“愛着”が生まれ、思い出とともに記憶に残る──その延長線上に「100年つづく」が見えてくると田中氏は語る。
田中氏「記憶には、よろこびや悲しみ……さまざまな感情が伴いますが、私たちのつくったものを通じて、それに触れた方の感情を呼び起こすことができれば、その方の中でまた新たなストーリーが紡がれていきます。ものをつくって終わりではなく、それを持って帰ってもらい、記憶となって誰かにまた手渡されていく──そうやって記憶がスパイラルのように循環していくことによって、“せめて100年”つづくことができるのではないかと考えています。
私たちはお店でよくアンティークを取り扱っているのですが、そこには“命”が宿っている……つくり手、使い手の思いが込められていると感じます。その思いがバトンのようにつながっていけば、きっと愛着が湧く。小さい頃から大切にしてきたぬいぐるみを捨てられないように、服も1年だけ着て『さようなら』とはならないはず。私たち自身も自分たちの記憶を思い出しながら、誰かに愛着を持っていただけるものをつくっているつもりです」
「正確な言葉」に支えられた、綿密な協働
ミナ ペルホネンのものづくりの根幹にあるのは、オリジナルのテキスタイルをはじめとする、インハウスデザイナーの手作業による図案づくりだ。創業者の皆川氏はもちろん、田中氏自身もテキスタイルデザイナーとして、さまざまなデザインや企画に携わってきた。
京都精華大学芸術学部でテキスタイルデザインを学んでいた田中氏には、テキスタイルを生み出しつづけることへの強い動機があった。
田中氏「関西にいた高校生の頃に阪神淡路大震災が起こって、人の一生はある日突然、終わることがあるのだと実感をもって知りました。そのとき、何かを終わらせることが怖い、と感じたんです。
しかし、テキスタイルデザインならひとつの図案を描けば、それを永遠に繰り返して積み重ねていくことができる。“終わりのない状態”を目指すことが、私にとって安心につながりました。
そして、テキスタイルは“布地をつくって終わり”ではありません。それを利用して服や椅子……新たなクリエイションにつながる。自分の発想が次へとつながる架け橋になることに、大きな可能性を感じるんです」
オリジナルのテキスタイルデザインを生地として具現化しながら、協業する全国各地の企業や職人たちと共に、カーテンや椅子、ラグやタオルといったインテリアやライフスタイル領域などで使われる生地の開発に取り組んできた。そのたゆまない試行錯誤の中、ファッションブランドとしてスタートしたミナ ペルホネンが、1999年の「giraffe chair(ジラフチェア)」に始まり、2003年発表の「puu」(日進木工)、「エッグチェア」「スワンチェア」(フリッツ・ハンセン)、2004年発表の「perhonen chair」(天童木工)、2014年発表の「HIROSHIMA アームチェア」(マルニ木工)など、さまざまなメーカーとコラボしながらインテリアやライフスタイル領域へとデザインの幅を広げていったのは、必然の流れだった。
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ミナ ペルホネンのものづくりには、さまざまなパートナー企業やコラボレーション企業が関わっている。その発想から完成までの流れは、どのピースが欠けても成り立たないほど綿密なやり取りで構成されている。
例えば、「flower rain」(2006 S/S)、「day trip」(2007 S/S)などで用いられた「ほぐし織」と呼ばれる技法。絣(かすり)織の一種であるこのほぐし織は、縦糸にプリントした後、織機にかけて横糸を織り込んでいくことで生み出される。一見、「少し手間のかかる工程」くらいに思えるかもしれないが、実態はそれ以上だ。
一般的なほぐし織では、絣織と同様、縦糸にゆるく横糸を織った状態でプリントしたものを、機織機にかけてきっちりとした布地に織り込む。けれどもミナ ペルホネンでは、染色工場で縦糸のみの状態でプリントしたものを、そのまま色柄が崩れないように別の織物工場へ運び、職人がつきっきりで見守りながらズレないように横糸を織り込むという、途方もない技法に取り組んだ。
田中氏「ほぐし織は染色工場と織物工場の協力のもとでつくられました。染色工場さんが縦糸だけにプリントできるように特別な道具を開発して、それをまた糸状に巻き上げて織物工場へ運び、織物工場さんは軽く止められた横糸を手作業で一本一本取りながら織り上げていく……という特殊な方法を考えてくださったんです。残念ながら、もうこの技法をお願いできるところはなくなってしまったのですが。
私たちの『やってみたい』という発想を、全国各地の、私たちよりはるかに技術も経験値もある方々がアイデアを出し合ってくださって、形にしてくれる。単に『色違いで』ではなく、『こんなものはつくれないですか?』という相談に、喜んで、ワクワクしながら研究開発してくれるような方々と一緒にものづくりのために試行錯誤できるのは、とても楽しいことです。
そうやってできあがったものが、さまざまなところで取り上げられ、それをまた共有すると、『次はこんなふうにできるよ』『こんな方法も試せそう』と、つくり手の方々の意欲や自信にもつながる。そういった連携が生まれていくと、技術もまたつながっていくと思うんです」
こうした協働によってものづくりを行っているからこそ、社内外問わず「正確な言葉を使うこと」を重んじているという。
田中氏「ものをつくるときに一番大事なのは、何をつくりたいかを、人に言葉で伝えるということだと思っています。一人で完結しないからこそ、『これをつくりたい』と伝えた人、その次の人、そのまた次の人……一緒にものづくりをする方々に、きちんとわかりやすいかたちで思いや意図が伝わるよう、正確な言葉を使ってものごとを進めることを大切にしているんです」
ショップスタッフもクリエイター。「創意工夫」を重んじる文化
ミナ ペルホネンは「特別な日常服」からインテリアや暮らしへとその領域を広げ、衣食住を「特別な日常」に導こうとしている。
代官山、京都、金沢、松本の直営店4店舗のほか、ホームプロダクトを中心とした「koti」、カフェやグロッサリーを併設し、自社製品だけでなくビンテージやクラフトアイテムの販売もする「call」、暮らしと生活のためのお店をコンセプトとする「elävä」など、日本各地に14店舗を展開している。
ビンテージやクラフトのセレクションもさることながら、昭和初期に建てられたビルの空間をリノベーションした京都店や、馬喰町の築50年以上の趣あるビルをリノベーションした「elävä Ⅰ」など、空間そのものも個性豊かな店ばかりだ。
店舗の空間に立ちのぼるような、人の記憶や愛着を大切にする価値観は、店で働くスタッフ構成にも表れている。ファッションブランドのショップスタッフは一般的に、若い世代が活躍しているイメージが強い。一方、ミナ ペルホネンでは、2016年の「call」オープンを機に、「先輩」と呼ばれる経験豊富なシニアも採用するようになった。今では20代から80代の男女が働いている。
そこにあるのは、一人ひとりが培ってきた経験への敬意と、「つくり手だけでなく、ショップスタッフもクリエイター」という信念だ。
田中氏「ショップで働くスタッフも、自分自身の考えや感覚、知恵や工夫を使い、デザイナーやつくり手の思いをお客様へ届けている。そういう意味ではクリエイターです。
お店でのコミュニケーションを通じて、ものだけでなくその人の経験や知恵をお客様にお持ち帰りいただけるのは、とても素敵なこと。そのときの体験がお客様ご自身の記憶になっていけば、それがまた愛着となっていく。そうやってものを大切にして、長く使っていただけるのは、クリエイターとして本望ですよね」
ショップスタッフには、そのほかのブランドでよくあるような、いわゆるセールストークもマニュアルも、ノルマもない。求められているのは、その人自身の経験や考えを積極的にシェアし、「創意工夫」することだ。
田中氏「ものづくりの背景や思いは共有していますが、それをどのようにお客様にお伝えするかは、それぞれに委ねています。先輩方は特に、『これとこれを組み合わせたら素敵ね』『こうすると長く着られるんじゃない?』と、新たなアイデアを出してくださって、そんなやり取りを楽しんでいる方が多いかもしれません」
創意工夫は、顧客とのやり取りにも見受けられる。顧客からの相談に応じて行っている修理対応もその一つだ。つくるときはもちろん、修理やリメイクの手間も惜しまない。顧客にとって何が最善かを探り、もとの状態に戻すのが難しくても、別の方法で手もとに残せるように提案することもあるという。
田中氏「『今後も着つづけたい』という意志がある時点でありがたいことですが、お直しを希望される方それぞれのお話を伺ってみると、とても愛おしいストーリーがあるんです。
一見、ボロボロになってしまったものでも『飼い猫が引っかいてしまった』とか、子どもが大きくなってもう着られなくなりそうだけど、本人が『もう少し着ていたい』と言うから、なんとかならないか、とか……お客様の思いをいただくことで、ものづくりの新たな発想につながることもあります。『いっそ猫が引っかきたくなるような素材をつくってみようか』とか(笑)。
お母様が着ていたものを自分も着られるようになったとき、その時代に合わせた着こなしや仕立てにしたいという方もいらっしゃるでしょうし、そうやって服を通じて記憶に触れることができるのは、とても美しいこと。そんなシチュエーションがこれからも、たくさん生まれていくといいなと思います」
「暮らしの工夫」を重ねた先に、「せめて100年」が見えてくる
こうした修理の取り組みに対して、昨今の「サステナビリティ」の風潮を反映したもの、といった印象を抱くかもしれない。しかし、ミナ ペルホネンが意図するのは、もっと身近で、日常的な営みだ。
例えば、気に入ってよく着ていた服にほころびが生じたとき。しかたなく捨ててしまうのではなく、ワッペンやリボンで装飾を施してみる。シミをつけてしまった部分に刺繍をしてみる……そうした「暮らしの工夫」にこそ、ものづくりの本質が浮かびあがってくる。
ブランドの取り組みとしても、洋服をつくった時にでるはぎれを有効活用するため、小物製品を中心にプロダクト化、小さなはぎれをきれいに並べセットにして販売するなど試行錯誤をつづけている。2010年には、はぎれや小さな布のかけらを組み合わせてつくったプロダクトを展開する「piece,」を立ち上げた。
田中氏「今では海外でも“BORO”という言葉が通用するほど、洋服をパッチワークでリメイクするような暮らしの工夫が広く知られるようになりました。ただ、それを改めて『サステナビリティ』と言われると、何か違うものにも思えてしまいます。
私たちはこれまでも、布のはぎれを大切にしてきました。たったひとつの布のかけらでさえも、そこにはつくり手の費やした労力や時間が入っていて、思いがある。それを、一過性の流行りにしてはならないと思うんです。そうした感覚が多くの人に備わっていけばいいなと思いますし、私たちのブランドがつづく限り、その思いを受け継いでいきたいと考えています」
「つづく」ことを積み重ねた先に見えてくる、「せめて100年」の重みと、切実さ。ミナ ペルホネンがこれほど「つづく」ように意志を貫くのは、なぜだろうか。
田中氏「一日一日、陽が昇り落ちていくなかで、よろこびもあれば悲しみもある。私たちは日々の営みを通して、自分の感情と向き合いつづけています。そこにジェットコースターのような驚きがあってもいいけれど、私たちのつくりたいものは、そうしたものではありません。一日一日、愛着を持っていられるものを、身につけてもらうことに意義を感じますし、そういったものをつくりつづけたいんです」
100年、200年……つづく未来を思い、ものをつくる
田中氏がCEOを務めるようになって、2年が経とうとしている。コロナ禍での船出には多くの制約があったが、田中氏は前を見据える。
田中氏「これまで、実際に触れることのできるリアルな場を大切にしてきましたが、この3年で、ウェブでならもっと世界の人たちともつながれることに改めて気づきました。言葉やビジュアルといった表現を使って、自分たちのクリエイションをもっと多くの方に手に取ってもらえるよう、しっかりと伝えていきたいですね」
海外の名だたるハイブランドには、100年を超える歴史があるところも珍しくない。けれども日本のファッションデザインが発展してきたのは主に戦後以降。次世代にバトンを託したデザイナーズブランドは数えるほどしかない。ミナ ペルホネンがバトンをつなぎ、次への一歩を踏み出したことそのものが大きな挑戦と言える。
田中氏「皆川が『せめて100年』と記したのは28年前ですが、私がバトンを受け取ったとき、これから100年、200年……とつづく未来を思って、ものづくりをしなければと考えました。バトンと言うからには、また次にバトンを渡せる走者を育てて、リレーをつなぐ使命をいただいたと思っています。
皆川という創業者がいて、私もいて、ほかにもクリエイターがいて……『皆川明のミナ ペルホネン』から、『私たちのミナ ペルホネン』と主語が変わっていくよう、私たちのクリエイションを世の中へ伝えていきたいんです」
そのときにはきっと、テキスタイル一つひとつに付けられた名前が代名詞となって、ひとり歩きしていくようになるのだろう。ルイヴィトンのモノグラムが、一見してそれとわかるように。ミナ ペルホネンの「tambourine」や「choucho」「bird」といった柄も、実際にそうなりつつある。テキスタイルは織りつづける限り、どこまでもつづいていく。
田中氏「何かを終わらせることに思考や体力を使うより、つづけるためにはどうすればいいか、つづけるには何ができるのか、と思考したい。私、一年でいちばん大晦日が好きで。このまま12月32日、33日……とつづいていけばいいのにと思ってしまうくらい、『終わる』ことを考えたくないんです(笑)。ただ真っ直ぐ、未来に向けて考えていけば、いつかそれが『100年つづく』ことにつながっていくのかなと思っています」
取材・執筆/大矢幸世 取材・編集/小池真幸 撮影/須古恵