しりとり、駄洒落、アナグラム——。言葉の音やリズムで戯れる“言葉遊び”は、日常会話や広告コピーでも見受けられる身近なカルチャーだ。「サイファー」もそのひとつかもしれない。数人が輪になり、ヒップホップのリズムに乗せて、順番に即興でラップをし合う言葉遊び。中でもその特徴的な立ち位置で注目を集めているのが、東京港区の「新橋サイファー」だ。毎週水曜の夜、新橋の公園に会社員から女子高生、ラッパー風の若者、60代のシニアまでが集い、8小節ごとのフリースタイルラップに興じる。彼らは何に魅かれ、何を求めて輪をつくるのか。
(この記事は2023年7月20日(木)に発売された『XD MAGAZINE VOL.07』より転載しています)
飲み屋街の公園で、学生と中年がハイタッチする
サイファーとは、アラビア語で0(ゼロ)のことだという。文字通り「0」のように輪になって人が集まり、流したリズムに乗って即興でラップ(フリースタイルラップ)し合う。それがヒップホップにおける「サイファー」だ。
ルールはシンプルだ。地域によって異なるが、東京辺りではひとりの持ち時間は8小節(ヴァース)がスタンダード。その間、ひとりがマイクを持ち、自分の思いや考えをラップにして吐き出す。終わったら次の人にマイクを渡す。韻を踏めば盛り上がり、うまいリリック(歌詞)は称賛される。そしてぐるぐると円を描きながら、互いにスキルを磨き、ラップを通したコミュニケーションを深めるわけだ。時にバトルを行い、さらに高みを目指すこともある。
東京、新橋、午後8時——。
飲み屋街の裏にある桜田公園には、足早に駅へ向かう帰宅途中のビジネスマンに交ざって、方々から集まる人々がいた。「お~」「久しぶり!」。ハンドクラップが響く。いつしか5,6人の輪が4つほどできる。スピーカーからリズムが流れる。ヒップホップ特有のバックビート。それぞれの輪でひとりずつ、ラップを口ずさみ始めた。
「新橋サイファー」は、東京でも有数の規模と知名度を誇るサイファーだ。毎週水曜日、新橋駅近くの桜田公園かSL広場で実施。多いときは40人ほどが集まる。
特徴は“参加者のカラフルさ”に尽きる。他の駅前広場などでも、サイファーをする輪は少なからずある。しかし輪になってバースを交わしているのは、大抵がいかにもヒップホップ好きの若者たちだ。
しかし新橋は違う。さっきから輪の中に集うのはスーツ姿のビジネスパーソンや制服姿の高校生、さらには40歳は超えているであろう中年男性など、世代もファッションも気持ちいいほどバラバラなのだ。
「たぶん、日本で一番入りやすくオープンなサイファー。だから、結果としていろんな人たちに来てもらえている」と新橋サイファーの主催者のひとりで、創設者のerror(エラー)さんは言う。
error「そういう“遊び場”をつくりたかったんですよ」
「人生と腰の重さが違う」
「卒業式を終えて来た」
現在32歳のerrorさんが新橋サイファーを起ち上げたのは2016年11月。26歳の頃だった。
error「20歳くらいからラップが好きでずっと聴いていました。2015年になるとラップバトルをするTV番組『フリースタイルダンジョン』の影響もあってフリースタイルに挑戦したくなったんです。そこで地元の大田区・大森のサイファーに参加してみたら、ぼくだけ社会人でみんな高校生や大学生。オープンに受け入れてくれたのですが、『同世代の社会人が輪に入りやすいサイファーがあったらいいな』って」
一方でフリースタイルラップをする社会人も多く現れ始めていた。「社会人ラップ選手権」などのイベントが開催されるようになっていたからだ。errorさんはこうしたイベントで参加を声がけ。1年後に「新橋サイファー」をスタートさせた。新橋の街を選んだ理由は、通勤電車の乗り換え地点で都合が良く、しかも「サラリーマンの聖地」だったからだ。
error「まずは自分と同じサラリーマンに参加してほしかった」
第1回目を11月23日(勤労感謝の日)にしたのは象徴的だ。実際、勤労者=社会人たち、他のサイファーより少し上の世代の大人たちが、まず新橋サイファーにジョインした。
今は主催者でもあるOSAGARI(オサガリ)さんもそのひとりだ。起ち上げから1年を待たず、社会人ラップ選手権で声をかけられ、2017年から新橋サイファーに参加した。日中は某社の人事部で採用担当をしている。
OSAGARI「大学生の頃からいくつかのサイファーに参加したけど、どこに行っても自分が年上だった。ここは自分と同じ社会人で大人も多いのでどっぷり馴染めた。以来、毎水曜日参加しています。なんなら途中で新橋サイファーのために水曜日がノー残業デーな今の会社に転職したほどです(笑)」
社会人が多くなれば、ラップの内容にも属性が染み込む。仕事の辛みや醍醐味、上司への愚痴やリスペクト、あるいは妻への嘆きや魂の叫びなど。リリックにサラリーマンの悲哀があふれると「あるある」「分かる」と共感のアドリブが入るのもお約束だ。
「新橋サイファーの魅力のひとつですよね」と同じく主催のひとりであるVIP KID(ビップキッド)さんは言う。
VIP KID「以前、ぼくは上野でサイファーを主催していました。当時19歳で某鉄道会社で駅員として働き始めていたんですね。だから、仕事の愚痴めいたものをごくごく自然にリリックに入れるんだけど、学生がほとんどだから、あんまりピンときていないようだった。けれど新橋では、ちょっとした仕事のボヤきをラップに入れると、めちゃくちゃ周囲がアガりますから(笑)」
社会人が主催しているため、運営が安定しているのも大きなメリットだ。サークルやバンドと同様に、サイファーも学生が中心だと定期テストや卒論、卒業といったタイミングで継続が難しくなり、自然消滅に至るケースが多い。しかし社会人にはそれがない。新橋サイファーは特に「毎週水曜日は必ず開催する」ことを意識しているという。
error「水曜の夜、新橋に行けばサイファーをやっている。誰かが必ずいる。すると、参加しやすいし、一度離れても戻ってきやすいじゃないですか。なぜ毎週水曜日にしたか? 週末だと盛り上がり過ぎて確実にオールになる気がして、節度を守ろうと」
結果、「毎週確実に参加できる」稀有なサイファーとして知られ始める。新橋に馴染みのあるサラリーマンだけではなく、コンスタントにサイファーを楽しみたい学生や若者にもありがたかった。こうして、新橋サイファーには、どこよりも多種多様な人が集まるようになったのだ。
ただ、異なる世代がラップをし合うと「世代が違うから共感できない」「意味が分からずハマらない」なんて事態が起きそうだ。しかし「むしろそこが楽しい」と都内の哲学科に通う大学生で、自身も大学でサイファーを主催している常連参加者、ゑ6(エシックス)さんは否定する。
ゑ6「大人ってとても遠い存在に感じていたんです。子どもに『ちゃんとしなさい』と上からものを言うイメージ。けれど新橋サイファーで大人たちのヴァースを聴いていると、みんな一所懸命働いて、辛い目にもあったり、それでもがんばって日々を生きているって分かる。しかも子どもみたいにはしゃぎながら。とても距離が近くなるし、自分の話も自然と聞いてもらいたくなる」
あえて“世代間闘争”を仕掛けて、場を盛り上げることもある。主催者のひとりで普段はホテルマンをしている夢備(ムービー)さんは「一度、最高齢の60代の参加者とバトルしたことがあります」と明かす。
夢備「『老人狩りしてやるぜ!』みたいなイケイケの感じで煽ったら、向こうは『甘い。人生と腰の重さが違う』『オレは一番天国に近い男』と。会場が『ウォー!』と盛り上がっちゃって(笑)」
若い世代は上下関係を忌み嫌い、職場の飲み会には参加したくない人が増えているとよくいわれる。けれど、彼らの話を聞いていると「本当だろうか?」と思う。条件が揃えば、皆、自分とは違う世代の話を聞きたい、語りかけたい。そう感じているのではないか。
午後9時30分を回った頃、桜田公園の輪に加わり始めた青年、mc:魅値(みち)さんと高校生と思しき制服を着た女性、さまーさんの話を聞き、なお感じた。
mc:魅値「同級生には理解してもらえないことが、大人の人には分かってもらえる。ぼくらみたいな若い奴らがTwitterの裏垢でつぶやいている言葉を、ここではリアルで音楽に昇華させながら叫べる。それは楽しいですよ。だから、今日は高校の卒業式だったんですけれど、終わって着替えて、すぐ新橋に来ました。千葉から」
さまー「普段言えないことが、サイファーでラップにすると言えてしまう。私の場合、学校や勉強の悩みをラップに乗せて伝えることが多いのですが、新橋は大人がたくさんいるから『オレはこうだったよ』『こうしてみたら』と返される。友達や家族とはまた違って、不思議と素直に意見を聞き入れられるんです」
その輪には、誰だって入れる
考えてみれば、遊びの醍醐味のひとつは、日常のしがらみから解放されて、違う自分になれることだ。小さな子ども同士で家族を演じる「ままごと」しかり、キャラになって顔の知らない者同士が戦ったり、協力し合う「オンラインゲーム」も同じ。自由を手に入れてのびのびと何かに没頭できることにこそ、私たちはワクワクするし、喜びを感じる。
error、ゑ6、夢備——。
新橋サイファーでは誰しもがMCネームだけを名乗って輪の中に入る。互いに本音をさらしたヴァースを交わすが、本名は知らない。だからこそむしろ自分をさらけ出せる。悩みやモヤモヤ、憤りや悲しみを発散できるし、フラットに聞き入れてももらえるのだろう。
VIP KID「それはある。ラッパーとしてスキルが磨けるのもここに来る理由だけれど、いろんな人たちが互いのパーソナルなことをさらけ出して交流できる。いち人間として成長できる場所だと思っています」
error「あと終わったらゴミを拾って持ち帰るとか、タバコは喫煙スペースで吸うとか、節度やマナーはしっかり守る。けれど基本、新橋サイファーは“ゆるい”んです。誰でも来てもらっていいし、ラップをしなくてもいい。持ち込んだお酒を飲んで、サイファーを眺めて、雑談して帰るだけでもいい。こういう遊び場というか、家とも職場とも違う緩やかに誰かとつながれる、サードプレイスのような居場所が求められているのかもしれないですね。自分も含めて」
日常の中では出合いづらい刺激や知識を得られることも、遊びの効用のひとつだ。普段は人事採用の仕事に就くOSAGARIさんはサイファーで多くの若者のヴァースを受け止めることで、「面接に来る若者の言葉の奥にあるそれぞれのバックボーンをちゃんとつかんであげたいと思うようになった」と言う。
あるいは40歳にして毎週、新橋サイファーに参加しているもとじいさんも、ラップを通した若者との交流による自身の変化を笑いながら説明する。
もとじい「前は相手が若者だと特に『それはさぁ……』なんて言葉を遮ってアドバイスするじじいだった。けれど、サイファーの8小節ずつ話を聞くスタイルに慣れた結果、口を挟まず人の話を聞けるようになりました」
老若男女を集める遊び場は、ヒップホップのみならず、人生や傾聴スキルまで学べる“学び舎”でもあるようだ。水曜夜の新橋は、なかなかに深い。
取材・文/箱田高樹 写真/吉松伸太郎
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