ニコル、メンズビギ、アーストンボラージュ、PASHU、パパス――。
この並びに50代後半以上なら、どこかむずがゆくなるような懐かしさを感じる方は多いはずだ。1980年代に若者たちを熱狂させた「DCブランド」たち。それらの古着だけを扱い、一部のファッショニスタからカルト的な人気を誇っているのが『スノッブ(SNOB)』だ。
驚くことにオーナーは23歳の大学生。しかも店は、長野県上田市の商店街にある。当時を知らない若者が、なぜバブル期の日本製ブランドを提案するのか。なぜじわじわとその存在感を増しているのか。その先に見据えた“ある狙い”とは?
信州大学繊維学部4年生でもあるオーナーの市村修蔵氏を、掘ってみた。
DCブランドの再発信が、アウトバウンドになる日
とある土曜日の午後。渋谷にある企業オフィスで行われた『スノッブ(SNOB)』のポップアップストアには、服好きたちがひっきりなしに出入りしていた。
「フランドルなんだ、このオープンシャツ」
「作りが丁寧ですよね。100%レーヨンだし、タグのデザインも50年代のサンプリングだと思います」
「このジャケット今の服とあわせてもイケそうですね、ふつうに」
「メンズビギの今西祐次期のものです。シルエットは’80sっぽさがありますけど、意外と何にでも合いますよ」
全身モノトーンで落ち着いた所作のシニア夫婦も、今風のAラインのファッションに身を包んだ20代とおぼしき男性も。それぞれが『スノッブ』オーナーの市村氏の蘊蓄に耳を傾けながら、買い物を楽しむ。
話題の中心は販売している「DCブランド」だ。DC(デザイナーズ&キャラクター)ブランドとは、70年代後半から80年代にかけて大小のアパレルメーカーから誕生した国産ファッションブランドのことだ。

東京での「スノッブ」ポップアップの様子
それまで既製服といえば、百貨店や洋装店で売られる遊びのないものばかり。そんな中、ラフォーレやパルコ、マルイといったファッションビルを中心にテナントを出し、斬新なデザインを提案したDCブランドに、当時の若者たちが飛びついた。
もっとも80年代終盤には、円高ドル安の影響もあって欧米のインポートブランドが安く手に入るようになって、ブームは早々に終息。渋カジや裏原ファッションに主役の座を奪われた、コム・デ・ギャルソンなど一部を除いて、ほとんどのブランドが消滅するか、形を変えていった。
そんな“バブルのあだ花”ともいえるDCブランドが、しかし『スノッブ』では強く推され、また老若男女に刺さっているわけだ。
「まあ、刺さっているのは本当に一部の方々ですけどね(笑)。ただ埋もれさせておくのはもったいないと本気で思っているからDCブランドを推しています。僕ら20代や30代の若い世代にとってはとても新鮮でおもしろく、品質も高いですしね。何より……」と市村氏は言葉を続けた。
市村氏「いまDCブランドの価値をあらためて再提案していくことは、日本のアパレル業界があらためてプレゼンスを発揮する機会になる。外需獲得の大きなチャンスになる。僕はそう考えているんですよ」

スノッブ店主 市村修蔵氏
日本の産業を押し上げていた歴史
ファッションに興味を持ったきっかけは、母親だった。
市村氏は、2002年に兵庫県芦屋に生まれた23歳。母親は1970年代生まれで中高生の頃にマガジンハウスの伝説的なファッション誌「Olive(オリーブ)」(1982年創刊)を購読する元Olive少女だったという。
市村氏「自宅に何冊か『Olive』があり、眺めるととてもおもしろかった。フランスにはいないであろう想像の中のリセエンヌ(フランスの女子高生)ファッションを提案したり(笑)。80年代の独特の力強さが魅力的でしたね。また地元が兵庫で大手アパレルのワールドがあり、叔父が働いていたんです。『タケオキクチ』とか『モール・ラック』とか、DCブランドの名前が昔話のなかで自然に耳に入ってきてはいたんですよね」
もっとも、本人が最初にハマったのはインポートブランドだった。高校生の頃はランバンやバルマン、ディオールといったハイブランドに魅かれ、神戸の古着店に通っては古着をあさった。ただ購入するお金はないから、実際は古着をひととおり物色したのち帰宅。PCをひらいてWikipediaで調べ、ファッションプレスでコレクションの写真を眺めて知識を増やす……。そんな独特のスタイルでファッション愛を育んでいたという。
市村氏「研究肌というか理系的なところが強いタイプでもある。トレンドを追うよりも、ブランドの歴史や、デザイナーの変遷や関係性などを掘っていくのが好きでした。マルジェラにしろ、クリス・ヴァン・アッシュにしろ、デザイナーやデザインの裏側にある思想や物語を知ると、プロダクトの輝きも変わって見えた」

だから、大学は長野県上田市にキャンパスがある信州大学の繊維学部を選ぶ。「ディオールにおけるラフ・シモンズ期の違和感」を論じた学術論文に触れたことが決め手になった。
そして“タテ糸”のように大学ではテキスタイル(繊維素材)とアパレル産業を研究。ただし“ヨコ糸”として、個人的にファッションカルチャーの研究も続けていた。
最初は自分が好きだったヨーロッパのファッションを学ぶため、デザイン系の洋書などを読みあさった。その後、ラフ・シモンズやマルジェラのアーカイブブームだったこともあり、過去のファッション誌も掘るように。研究者が論文を遡るように、『i-D』や『THE FACE』などのバックナンバーをネットで買っては読み解いた。

ポップアップ会場にも昔のファッション雑誌を並べて展示していた
延長線上に日本のファッション誌があった。そもそも母親の影響で興味を持ち始めていた『Olive』を古本で購入。そこに出ているブランドは大学2年の頃にはすべて覚えていた。さらに『POPEYE』『メンズクラブ』『MR.ハイファッション』など80年代頃のファッション誌を集めていくと、ビギやニコル、フランドルといったDCブランドを使ったコーディネートがされていた。
市村氏「掘ってみると、あらためてパワフルな意匠やコーディネートがたまらないなと。日本のファッション業界は戦後60~70年代に欧米ブランドに触れて得た知見を、80年代に入る頃から独自にこねくりまわしたガラパゴスのような進化を遂げていく。ヨーロッパのハイブランドが持つ洗練されたセンスの良さとは違う、若々しい力強さがまたおもしろかった」
そのため、ギャルソンやヨウジヤマモト、イッセイミヤケといったミニマルで普遍性の高いブランドよりもニコルやアーストンボラージュといった、やややりすぎた感のあるDCブランドらしいブランドに心を奪われた。古着市場でほとんど値がつかないほど安く手に入ったことも魅力だった。
加えて市村氏を惹きつけたのは、DCブランドがアパレル全体や繊維といった産業そのものに大きな影響を与えていたことに尽きる。
市村氏「古着店や卸などでDCブランドを見かけたら買うようにしていくと、デザインの面白さ以外の『作り込みの凄み』にふれることが多かったんです。今ならロックミシンで仕上げたところをさらに折り伏せて、ふた手間ほどかけて2回ミシンで縫っていたり。そのブランド専用の混毛素材をわざわざ絹糸を織り込んでつくっていたり。ニットを浅草の職人さんたちが手で編み上げていたり……」

DCブランド隆盛だった80年代はまだ日本には多くの縫製工場や織物工場が残っていた。メイド・イン・ジャパンの丁寧な仕事が複雑なDCブランドの服づくりを下支え。同時に、アパレル産業、繊維産業を活性化させる原動力にもなっていたわけだ。
しかし90年代を境に円高で工賃があがった日本から中国などに「世界の工場」の座が移っていったのは、周知のとおり。重なってブームとなった裏原系などのストリートブランドが縫製や素材よりも、プリントやディテールを売りにするようになったのは偶然ではない。
こうした産業史を市村氏は大学の図書館で座学として学び、日々、買い集めるDCブランドの服で追体験していった。“タテ糸”と“ヨコ糸”が織り重なった。
市村氏「逆にいえば、DCブランドはメイド・イン・ジャパンの凝った国産ブランドがつくられた貴重な資産ともいえるんじゃないか、と気づいたんです。ネットにもあまりまとまった情報がない。結果、古着市場では値がつかず、ウェス(工場などで使う拭き取り用の布)として使い捨てされるような状況があった。あまりにもったいないと知れば知るほど思い始めました」
勝算もあった。古着店といえばアメカジやミリタリー系、ハイブランドのアーカイブなどが主流だったが、最近になって見逃されがちだった80年代のフランスやイタリアのカジュアルブランド、CPカンパニーやストーンアイランドなどの古着を扱う店が少しずつ増え始めていた。同じ文脈で、日本のDCブランドも「“来る”はずだ」と確信したという。
市村氏「しかも、ちょうどDCブランドをもっとも買っていた世代の方々が60代になりはじめている。終活を意識して、クローゼットに眠った昔の服を手放すタイミングで、仕入れやすくなるとも考えました」
そしてコツコツ仕入れたDCブランドを、あらためて提案する古着店『スノッブ』が生まれる。

実際のスノッブ店舗風景写真提供|snob
店はコンテンツ、今は市場づくりの途中
最初は2024年、上田市の商店街にある大学の先輩がつくった古着店に間借りするスタイルでスタート。その後、今の場所を安く借りられたため引っ越すタイミングで独立。元化粧品店で、古本店でもあった場所に『スノッブ』のカンバンをあげた。
すぐに大勢の来店客が来るようなことはなかった。しかし、コツコツとInstagramには仕入れた服をアップ。
『初期zucca コットンサテンパンツ……イッセイミヤケ出身の方の不思議な感じがする、どこに属するかもわからない衣服は今着てもかっこいいと思います』
『初代デザイナーの松田さんがディレクションを行っていた頃のニコルクラブです』
そんな具合に、パンツにしろ、シャツにしろ、独特の意匠の向こう側にあるブランドの背景やデザイナーの顔が見える文言を入れた。単なる物珍しさではなく、「あの時代の空気感」や「カルチャーとしてのおもしろさ」「モノとしての質の高さ」などをていねいに伝えた。
市村氏「僕自身が古い雑誌を読み込んで気づいたような楽しさ、奥深さを知ってもらうことで付加価値を高める狙いです」
黙っていたらウェスにされる服に、時代の空気と文脈を乗せることで「面白さ」に気づく、20代~30代の服好きが『スノッブ』をフォローするようになった。市村さんがDCブランドを再発見したように、『スノッブ』を通して、彼らもおもしろさに気づき始めたわけだ。
実店舗には、古着と共にコレクションしてきた『POPEYE』や『MR.ハイファッション』などの古い雑誌も置き、自由に読めるようにした。単に服をみて、触っただけでは見えてこない文脈をさらに深められるようにしている。
市村氏「店舗を僕はメディアだと思っているんです。ただモノを売るのではなく、時代を翻訳して、感度の高い方々にキャッチしてもらえるようなメディアですね。その意味で20代の大学生の僕が80年代の洋服を雑誌とともに置くフォーマットは、メディアとして人目を引くだろうなというしたたかな狙いもあります(笑)」

こうして店=メディアから発信されたDCブランドの勢いやいびつさ、熱などを感じ取った多くが、上田まで足を運ぶようになった。
市村氏「僕とそれほど変わらない20代くらいのファッション好きの方がいらっしゃるようになったのです。たぶん、似たようなおもしろさを感じてもらえている。親世代から実際の洋服や情報を受け取っていて、なんとなくDCブランドのデザイナーの名前なんかはわかっている。つくりの質の高さも、雑誌や僕の言葉で知ってもらえるから、実物にふれてどんどん興味をもつようで」
中には、DCブランドを代表する「メンズビギ」のアイコンだった俳優ショーケン(萩原健一)のスタイルを頭からつま先までマネして店に現れ、何時間も洋服談義をしていく同年代の常連客もいるという。
市村氏「着て、話して、当時の雑誌を読んで……と5時間くらい滞在して帰っていかれます。先日は『ビギの50周年のパーティに行ってきた』っておっしゃっていましたね。もはや僕を超える熱量で(笑)。総じて多くはないけれどいらっしゃるお客さんの熱量は高い。もちろん、50代以上の方々もふらっと訪れ、熱っぽく当時を振り返られる方もいらっしゃいます」
そうした熱を持った顧客の中には、上田の出身で「POPEYE」などで活躍したスタイリストでバイヤーとしても活動、今は地元に戻ってセレクトショップ『EDITORIAL STORE』を経営している重鎮・小沢宏氏などもいた。この小沢氏とのつながりが、市村氏の人脈を広げることにもなった。
小沢氏の紹介をきっかけに、今も残るDCブランド『パパス』の丸の内店でポップアップストアを実施。さらには、冒頭で紹介したコミュニティ運営を手がける「オシロ」の渋谷オフィスで開催されたポップアップで成功を収めているわけだ。
とはいえ、である。言っても市村氏は現役大学生。今も「織物の条件となめらかさの関係」というテキスタイルと感性工学をかけあわせたテーマで絶賛研究中だ。
市村氏「大学に通いながらなので、店にかけられる手間と時間も限られるんですけどね。手はゆるめず、卒業後も店は続けてはいきたい。もっとも、ずっとDCブランドの古着をやり続けるつもりはないんですけどね」

先を見据えている。それが冒頭部分で触れた「外需獲得の大きなチャンス」につながる、という市村氏が抱くビジョンだ。
これから日本は人口が減り、若者層がずっと少なくなる。加えて多くの人がファストファッションで買い物を済ませるようになっている。アパレルでなにか成し遂げようとすると、日本国内だけを市場としたら、どう考えてもスケールしづらいわけだ。
市村氏「だから必然的に外需、海外に出る必要がある。資金力がなくともコンセプトの面白さでいったらDCブランドの文脈。メイド・イン・ジャパンの質の高い技術とユニークな意匠を持った歴史あるファッションは海外で受ける可能性が高いと思うんです。

今はそのための土壌づくりで、DCブランドの面白さを発信して将来の顧客を国内外につくっている意識もある。その先は、DCブランドのような何かしらのプロダクトを自ら手がけて、世界に打ち出していきたいんですよ」
店名の『スノッブ』には「お高くとまった気取ったヤツ」といった意味合いがある。しかし、80年代のファッション誌ではときにポジティブに「通でおしゃれ」といった意味も含ませていた面もあった。
市村氏が手がけているDCブランドの再興は、まさにそんな冷静さと情熱の両輪で走る。
上田から世界へ。イケそうだな、ふつうに。
取材・文/箱田高樹 写真/田巻海 編集/鶴本浩平(BAKERU)




