福岡で行われた「Industry Co-Creation(ICC)サミット FUKUOKA 2019」(主催:ICCパートナーズ)。「ともに学び、ともに産業を創る」がコンセプトのこのカンファレンスで開催された「CX Leader Discussion – いま求められているCX(顧客体験)を議論する」というプログラムには、多くのビジネスパーソンが会場に集まり、CXについての知見を深めた。
前編では、株式会社クラシコムの青木耕平氏から「消費者を豊かにするCXの事例」や、ヤフー株式会社の井上大輔氏から「人をコンテンツ化する可能性」、そして株式会社 LDH JAPANの長瀬次英氏から飛び出した「カスタマージャーニーはいらない」といった話を紹介した。
参加者のCXに対するイメージを覆した前編に続き、後編では、変わりつつある企業と消費者の関係性についてレポートしていく。いったい、CXの最前線では何が起こっているのだろうか?
ユーザーを信じて発見してくれることに託す
前編では、LDH JAPANの長瀬氏から「カスタマージャーニー不要論」が語られた。
一般的に、消費者の購買行動を仔細に検討し、そこで接触する体験を設計することは、CXを高めるうえで欠かせない視点ともいえる。しかし、長瀬氏による「カスタマージャーニー不要論」は、企業側が主導する体験ではなく、消費者が『現場』で得る体験こそが消費の本質であるという視点だ。そんな長瀬氏の声を受け、井上氏はかつて行ったある調査の経験を語った。
井上氏「朝から晩まですべてのブランド体験を書き出してもらったこの調査では、広告や記事を読むだけでなく、ナイキの靴を履くこと、街中でメルセデスが走っているのを見ること、そして、家に帰って牛乳を飲むことまでも『ブランド体験』として綴ってもらいました。その結果、明らかになったのは、商品の広告やデザインなど、企業側からコントロールできるブランド体験は全体の5%程度。残りの95%は企業側でコントロールできない偶然の産物なんです。
そんな『95%』に飛び込んだ事例としてユニークなのが、横浜DeNAベイスターズの施策。横浜DeNAベイスターズでは、地元の小学生に対して無料で帽子を配っています。子どもたちが帽子をかぶることによって、街の中にベイスターズの存在が可視化されます。
また、小学生が野球観戦をするために、親子連れで球場へ足を運ぶ機会も増えるでしょう。この成果かどうかはわかりませんが、私の地元である横浜スタジアムで開催されるベイスターズ戦はいつも満員なんです。このような施策は、広告のように成功するか否かの予想がしづらく、ROIも説明できない。
キャリア理論の中に、「計画的偶発性理論(プランド・ハップンスタンス)」というものがあります。調査によると成功者のキャリアの大半は偶発的なことで決定されるため、その偶然を計画的に設計して自分のキャリアを良いものにしようという考え方です。これと同じように、今企業は95%の偶発性を引き出すために、ボールを投げ続けることが求められるのではないでしょうか。
青木氏「投資前にROIが分からないとダメという考え方ではなく、普通に考えたら良くなるということを突き詰められるかですよね。お店で『ありがとうございます』と言うと、コストがかかるからやらないとか絶対ありえない。接客を笑顔で元気にしようとか、夏の暑い時期は店内をクーラーで冷やしたほうが良いとか、CXはその延長線上にしかない気がしていて。
デジタルが発達したことによって、顧客を過剰にコントロールできると思っていたり、無駄なことは1円もしないぞ、みたいな考え方が広まっている印象があります」
テクノロジーの発達によって、企業は顧客の行動を把握しやすくなった。だからこそ、企業側はますます顧客の行動をデータとして読み取り、思い通りの行動を取らせようとする。
登壇者の「カスタマージャーニー」に対する疑問の声は、そんな企業側の「コントロール幻想」に対する異議の申し立てだ。博報堂ケトルの嶋氏も、自身が経営する書店『B&B』で培った経験から、企業はカスタマージャーニーを作るよりも顧客を信頼すべきであると語る。
嶋氏「『いい本屋』とは、買うつもりがない本を買ってしまう本屋だと考えています。B&Bでは、本同士がつながる文脈を意識しながら棚をつくり、来店客が魅力的な本を偶然に発見するための工夫をしています。この時に大事にしているのが、『発見させる』のではなく、『発見してもらう』ことなんです。ユーザーの行動を企業が定義するのではなく、ユーザーを信じて発見してくれることを託したほうが、より良い関係を構築できるのではないでしょうか」
「ブランドは消費者の中に生まれるもの」
「発見させる」という企業主導から、「発見してもらう」というユーザー主導のCXを設計しているB&B。そこには、CXはユーザーが自ら作り上げるものであり、企業の役割はそのサポートをするという長瀬氏に通じる視点が見て取れるだろう。ヤフーの井上氏は、企業側が「ブランドをユーザーに託す」という意味で対象的な2つの事例を紹介した。
井上氏「ブランドは、消費者の中で生まれるものではないかと思っています。ニコニコ動画を運営している人に話を聞いたのですが、なぜこのようなサービスができたのかと言えば、とにかくユーザーを観察して使いやすい形に進化させていっただけだと語ってくれました。サービスもブランドもお客さんが作る時代であり、お客様が大事にしているものを見つめる時代だと思っています。
これと反対のことが、かつてコカ・コーラで起こりました。1985年にコカ・コーラ社では既存のコカ・コーラの味を変更し、新たな味に変更しました。このリニューアルにあたり、コカ・コーラ社では何回も消費者調査をして、以前のコカ・コーラよりも美味しくなったことを確かめた。それにも関わらず、消費者からはクレームが続出し、一部では不買運動にまで展開。
その結果、コカ・コーラは元の味に戻ったんです。ここから分かるのが、『コカ・コーラ』というブランドは、お客さんの中にあったということ。それを、企業が勝手に変えようとしたら、どんなに味が向上しても反発が巻き起こってしまうんです」
青木氏「ブランドを長年運営していくと、『ブランド提供者が飽きてしまう』ということがよくあります。ビジネスが右肩上がりのフェーズを終え、停滞期に入ると、ブランド担当者はこれまでとは異なった施策を展開し、『何かを変えなければならない』という発想になりがち。しかし、実際は、顧客の大多数が満足しており、変える必要はまるでないというケースも多いんです。何かを変えてしまうことで、それまで積み重ねてきた価値観が変わってしまうことは、消費者にとってブランドから離れてしまうことにつながる可能性もあります」
ブランドは消費者の中にあり、企業は消費者を信頼し、ブランドを託さなければならない。しかし、それは「ブランドを作る」という自負を持つ企業担当者にとって、極めて難易度の高いことだろう。しかし、ブランド担当者と、消費者の視点は初めから異なっている。長瀬氏は、ブランド担当者と消費者のズレを指摘することで、そんな難しい挑戦を後押しする。
長瀬氏「ブランド側から見ると、ライバルブランドとの違いは大きいものとして感じられます。BMWとメルセデスを比較した場合、ブランド担当者的な視点から見るとイメージに大きな違いがある。しかし、一般の消費者から見れば、どちらも『高級でかっこいい』とほとんど大差がない。事実、メルセデスとBMWとの間に乗り換えは数多く発生しています。消費者は、ブランド担当者が考えるよりも、ざっくりとしたイメージで動いています。細かい差別化を推し進めることに捉われないブランドのほうが、むしろうまくいっているのではないでしょうか」
では、そんなブランドを愛してくれる「顧客」の視点を会社の中に実装するためには、どうすればいいのだろうか? クラシコムの青木氏は、経営側が歩み寄る必要があると語った。
青木氏「一番手っ取り早いのは顧客を会社に実装すること。顧客を採用することによって、社員となった顧客が、顧客に対して共感力を発揮するんです。しかし、そのためには、経営側が彼らに歩み寄らなければなりません。
クラシコムでは、2018年に短編ドラマを作りました。もともとは、『顧客にお礼を伝えるWeb上のCMを作ろう』としていた企画だったのですが、短編ドラマの制作へと発展して。当初想定していた予算を6倍もオーバーしてしまい、経営的に説明がつく取り組みではなかった。
しかし、新たな取り組みをすることによって、何よりも社内のみんながワクワクできますよね。そんなワクワクに経営側が歩み寄ることで、突き抜けたCXが生まれると思います」
CXの議論において見えてくるのは、企業の敷いたレールを従順に進む顧客ではなく、偶然に動かされながらも、自らの頭で考え、魅力的な商品を発見していく顧客の姿だった。
CXが高められることによって、消費はどのようにアップデートされていくのだろうか? 福岡の地でビジネスパーソンたちを刺激したセッションは、盛況のうちに幕を閉じた。