なぜ今、「体験」が重視されているのだろう。それはきっと、ここ十数年のうちに私たちの生活が「情報」に寄りすぎたからだ。情報のインプットだけでは得られない価値が世界にはあり、「体験」はそれを補填しうる。
にもかかわらず、データという武器を手に入れた私たちは、可視化できないものをないがしろにしてはいなかっただろうか。言葉にならず数字にもできない感動が、体験の中には眠っているというのに。
「コスパ」の意識からは得られないものがある――2019年4月17日に開催された、最先端のCX(顧客体験)に向き合うカンファレンス「CX DIVE」において、そんなことが語られた。
「THE SEAMLESS WORLD」がテーマとなった本イベント。最後を飾るクロージングセッションでは、広告とコンテンツの境界や、コミュニケーションの未来について5名のゲストが意見を交わし合った。
スピーカーはクラシコムの青木耕平氏、博報堂ケトルの嶋浩一郎氏、LDH JAPANの長瀬次英氏、ヤフーの井上大輔氏。モデレーターはハフポスト日本版・エディターの南麻理江氏が務めた。
顕在欲求を満たすサービスは、便利だが愛は生まれない
「今朝、牛乳を飲んできた人?」
会場にそう問いかけるのは、井上氏。手が挙がった数十人に、さらに「その牛乳、何のブランドだったか覚えていますか?」と続ける。すると、ほとんどの人が手を下ろす。いかに私たちが日々ブランドを意識せず生活しているかが浮き彫りになった瞬間だった。
井上氏「“牛乳を飲む”という行為そのものはこの上なくタンジブルな(実体がある)体験にも関わらず、ほとんどの人がブランドを意識していない。まずブランドを意識させないことにはブランドエクスペリエンスを高められないですよね」
それに対し、青木氏は人々の行動の根底は“顕在意識”と“潜在意識”に分けられると話す。
青木氏「顕在意識で選ぶものにはすごくこだわるけど、潜在意識の方はほとんど自動化されていて、無意識にものを選んでいる状態になりますよね。私も顕在意識による行動は1日のうち30分ほどしかないかもしれません。まず、顕在意識のスイッチを入れないことには、リッチな体験を提供してもただ消化されてしまうだけになってしまいますね」
では、“顕在”のスイッチをオンにするためにはどうすればよいだろうか。一つのソリューションは、ロゴの反復。赤地に黄色のMマークを見るとマクドナルドを想起するように、コミュニケーションの中で繰り返し使うことで消費者にロゴを認知させる工夫はできる。もう一つは、違和感を意図的に作り出すことによって体験への意識を向けることだ。
青木氏「ちょうどいい違和感があると、体験したときに誰かに話さずはいられなくなります。嶋さんの『本屋 B&B』もそうですよね。本屋なのにビールが飲めるの?という違和感。潜在的な欲求を満たすと、顕在意識に切り替わるんですよね」
東京・下北沢でビールが飲める本屋を経営する嶋氏は、自身の経験から顕在意識に関する持論を展開。顕在化されたニーズに応えても、顧客からの感謝は生まれづらいという。
嶋氏「僕が思ういい本屋は、買うつもりじゃなかった本まで買っちゃう本屋。それってつまり、潜在的な欲求に働きかけているんですよね。『そうそう、それが欲しかったの!』と、自分が本当は欲しかったものを見つけてくれた存在に、人は感謝すると思うんです。一方ですでに顕在化した欲望に答えるサービスがありますよね。ネット検索なんかその最もたるもの。リアル本屋の対抗軸でいえばネット書店がそういう存在なわけです。これらのサービスは”コンビニエント”だって感じるけど、なかなか”LOVE”にはならないんですよ」
コスパの時代だった平成。令和は「脱ブランド」に向かうと予測
嶋氏のいう「そうそう、これが欲しかったの!」というセレンディピティを生むためには、何が必要なのだろうか。話題は、デジタルマーケティングが抱える課題へと移る。
嶋「デジタル広告に関わる人は、上からの目線でプランを立てがちですよね。ファネルを作って、コンバージョンレートを考えて、どれだけの人を最後刈り取るとか。ここにバナーを置くとコンバージョンが上がるんですとかね。でも、人間の行動はそんな昆虫みたいなものじゃないでしょ」
青木氏「『百戦錬磨のナンパ師に口説かれたくない問題』と一緒ですよね。こういうシチュエーションでは、こんな言葉をかけると成功すると言われても、口説く行為にテクニカルさを感知してしまうと興ざめするものです」
デジタルによって情報が爆発した平成は、まさに「コスパの時代」だった。レストランを選ぶときは必ず「食べログ」をチェックし、本を購入する前にはAmazonのレビューで評価を確認する。情報があふれるようになったことで、人は損をすることに過敏になった。
嶋氏「本屋でも『泣ける本ください』とか『企画ができるようになる本ください』って本を探している人も多い。つまり、読書が何に役立つか事前に決めて本を買う人がいっぱいいる。ちょっと前、ある調査で高校生がある種の音楽を『使える音楽』って形容していることを知ったんです。えー、使えるって言葉を音楽に使うんだってびっくりした。音楽は好きか嫌いかでしょって思ってたから。とにかく消費時に損をしないことを最優先で考える人が増えた。コンテンツなんて、つまらないものがあるから面白いものが際立つというのに」
コスパの時代では、時とともに、消費者と広告の関係性も変わっていった。かつて、コンテンツの一つとして楽しまれていた広告は、今や邪魔者扱いだ。
井上氏「僕は昔、テレビCMやチラシが大好きだったんです。昭和の時代は広告も目的の一つだったし、ワクワクするものでした。それが平成に入ると、広告が嫌われものになってしまったんですよね。本来データとかテクノロジーを活用すれば広告はもっと面白くできるはずだったんですが、平成の時代はデータをターゲティングとかメジャメントにしか使わなかった。それで広告が面白くなくなってしまった。、令和の時代には広告を見に行きたくなるような面白いものにして、目的にしていかなければいけないと思っています」
青木氏「先ほど嶋さんが、潜在意識に訴えかけるものに人は感謝するとおっしゃっていましたが、『ありがとう』のリレーションってすごく価値が大きいものだと思っています。テレビCMがありがとうを生む可能性を考えたとき、みんなが好きなタレントを企業のお金で見せてあげていると捉えることもできるのでは」
井上氏「確かに、好きなタレントのテレビCMはスキップしないですよね。でも難しいのは、みんなが好きなタレントが存在しなくなっていること。かつてはお笑い界の大御所を起用すれば誰もが好感を覚えましたが、今の中高生は大御所コメディアンより人気のYouTuber。人の“好き”が多様化していることが、ベストな広告を作れない要因の一つだと考えています」
CMに対する人々の反応の変化や「好きの多様化」という言葉に対して、長瀬氏も従来のマスマーケティングが直面する課題について自身の見解を述べた。
長瀬氏「CMの話は、従来のマスマーケティング手法が抱えている課題でもありますよね。これまでのマスマーケティングでの調査方法は『34〜39歳の女性はこういうことが好きで、こういうことを考えている』とカテゴリに人を当てはめるものでした。でも、人はカテゴリにはめられたいわけじゃない。これは、青木さんの言う『百戦錬磨のナンパ師に口説かれたくない問題』と近しいものだと思います」
人の好みが多様化したのも情報社会がもたらした影響の一つだが、検索エンジンやSNSで調べれば何でも分かってしまうこの時代にCXが担うべき役割は、思いがけない出会いなのではないかと嶋氏は語る。
嶋氏「すぐに役立つものは、言ってみれば確認作業。情報プラットホームが悪いわけではないけれど、確認作業からLOVEは生まれません。CXが担うべきは、体験と体験を重ね合わせることで新たな気付きを与える役割なのだと思います」
井上氏は令和は「アンチブランドの時代になる」と予測。企業も個人もブランドが重要と言われる一方で、ブランドが持つ効能が、行き過ぎたコスパ意識を助長しているのではと指摘する。
井上氏「ブランドの役割は選択コストを下げること。ブランド論全盛とも言える現代ですが、これだけブランド化されたものが選ばれる背景は、消費者が単に選択コストを低くしようとしているだけなのかもしれません。すると、それは結局のところ、先程から議論されている合理化の文脈の話になる。その反動で脱合理化が進むと、それは同時にアンチブランド時代の到来を意味するのかもしれない」
コミュニケーションは、メディアからカタリストへ
マーケティングが壁にぶつかり、脱ブランドの流れも予想されるなかで、企業はどのように顧客とコミュニケーションをとっていけばいいのだろうか。
メディアの役割は、企業などの社会と消費者の媒介になること。しかし最近は、消費者とメディアとの接触時間が減っていると井上氏は言う。対して、増えているのはLINEなどの消費者間のコミュニケーション。企業がかつてメディアに任せていた消費者へのメッセージの投げかけを、消費者と消費者の間に入ってコミュニケーションの媒介になる「カタリスト」にスイッチすることで代替していく必要があるという。
井上氏は、企業がカタリストとなった事例として、コカ・コーラのアメリカでのキャンペーンを挙げた。
井上氏「大学の入学式でコーラの冷蔵庫が用意され、そのなかにあるコーラのキャップを開けるには、誰かと組み合わせないと開かない特殊な仕様になっていました。すると、自然と新入生たちは近くの人に声を掛けるようになります。これが消費者と消費者の間に入ってコミュニケーションを生むカタリスト。身近な例でいうと、LINEスタンプもカタリストですよね」
カタリストは令和に起こりうると予想した「アンチブランド」にもつながる。例えば、国内にはいまだに数多くのスナックが存在している。むしろ、ここに来てスナック人気は高まっている。全国チェーンのスナックというものは無いが、カタリストとして機能するには、ブランドとして型化されていないこと、軟体動物のような柔軟さが必要なのかもしれない。当たり外れがあるので選択コストはかさむが、そんな非合理をおしてでも脱ブランド化されたものを選ぶのも必然だろう。
カタリストに共通する要素は、「共時性」。同じ時間を共有することで、互いのつながりを強固にしていく作用を持つ。これまでブランドと呼ばれていた対象の中にも、おそらくカタリスト的機能を有するものもあっただろう。
長瀬氏「スナックもラジオも共時性があるカタリストですが、偶発的とも言えるその体験を、どうCXにつなげていくかは考えないといけませんね。企業側がコントロールしきれない部分もあるはずなので」
青木氏「バズマーケティングも共時性の一つで、みんなの共通の話題になっているから面白いという側面はあると思うんです。でも、バズに加担するかを選ぶこともできて、リツイートはしないが、ひっそりと受け取ることもできる。そういう人たちの思いは可視化されないんですよね。
広告業界にいると、数字としての結果がほしいあまりに、広告換算額を優先するなど本質的でないことをしてしまうことがあります。でもそれを優先することで、声は上げないが静かに心を動かしていた層を取りこぼすことになりかねません。そろそろ、数字ではない感覚を信じていい時期に来ているのではないでしょうか」
インターネットが普及した平成前期と、SNSが発達した平成後期。数字によるマーケティングが可能になったことで、実態のある人をマスとして捉えてしまってはいなかったか。登壇者と参加者それぞれが、マーケティングのあり方を捉え直すきっかけになるセッションだった。
数字より、生身の思い。性別や年齢より、思想やライフスタイル。ブランドより、カタリスト。次の時代への一歩となるようなヒントが数多く示され、活況を呈したカンファレンスは幕を閉じた。
編集/モリジュンヤ 取材・文/ニシブマリエ 撮影/須古恵