「商品化できるか、できないかではなく、この商品で『幸せになる顧客は誰だろう?』ということを設定しようと思ったんです」
企業がプロダクトを作る主な手法に、消費者のニーズを重視する「マーケットイン」と、開発者の論理に基づく「プロダクトアウト」がある。しかし、今夏の大ヒット文具となった『しゅくだいやる気ペン』を開発したコクヨのネットステーショナリーグループリーダー・中井信彦氏は、そのどちらでもない視点を重視した。それは顧客の「幸福」だという。
同製品は「子どもが自発的にやる気を出す」ことをテーマにしたIoT文具だ。鉛筆に取りつけるペングリップのような本体には、加速度センサーが内蔵されている。センサーは鉛筆の動きを感知し、その動作量に応じて本体の内蔵LEDが10段階の色で光る。色の変化は「やる気パワー」と呼ばれ、連動するスマートフォンアプリに転送できる。アプリでは、やる気パワーによってキャラクターが成長していく。勉強量をゲーム要素を用いて可視化する試みといえる。
その結果、子どもは率先して家庭で学習するようになり、保護者は子どもをほめるようになる。コクヨのモニター調査では、78%もの親子がこの新しい形の「文具」の効果を実感したという。
顧客とかけ離れたところで「盛り上がってしまっていた」
――「子どもが自発的にやる気を出す」というテーマはどのように設定されたのでしょうか?
正直に言いますと、最初からそのテーマが見えていたわけではありませんでした。
開発を始めた3年前はIoTが流行っており、BtoC分野でも活用できるのでは、と考えたんです。そこで、「既存のシャープペンシルをベースに、グリップ形状のセンサーを付けたら持ちやすく、何かおもしろいことができるのでは?」くらいの漠然としたアイデアから話が始まりました。
では、センサーでどのようなデータを取得し、何を実現するのか。市場性を感じたのが「子どもの見守りツール」です。共働きの家庭が増え、仕事が終わるまで子どもの様子を見られない。だからこそ、IoT文具で子どもが宿題する様子を遠隔でチェックできたら便利だと考えました。
そこから「核家族」「共働き」などの社会課題を前提に、市場調査や競合分析をして、価格とプロモーション施策を検討。コンセプトやハード面の設計を決め、プロトタイプでの実験……と、必要そうなことをあれこれとしていたら、1年くらい経ってしまっていて。今思えば、それらは社内で企画を通すための理論武装だったように思います。
――現在の『しゅくだいやる気ペン』とは異なるコンセプトですが、「見守りツール」のままでは進まなかった、ということですね。
親世代を対象にアンケートを実施してみたのですが、想像よりも商品が刺さらなかったんです。
「保護者は共働きなどの理由で子どもを見守れていないのでは」というアイデアからスタートしていましたが、当事者の意見を聞くと、実はそうでもない。「我が家はそこそこ会話をしていますよ」という声もありました。
つまり、一見はニーズがありそうでしたが、社会課題を表面からみて都合のいいように解釈していたに過ぎなかったということです。しかも、それが開発から1年も経ってわかった。プロジェクトとしては、この段階で一度ストップせざるを得ませんでした。
振り返って考えると、僕らには「誰がこの商品を手にとって、どのように幸せになるのか」といった顧客体験のイメージがなかったんですね。僕らは会社という閉じられた世界で、求められていないものを「技術的に可能だから」作り、実際の生活者とかけ離れたところで盛り上がっていた。それに気がついて、恥ずかしい思いでした。
「子どもたちのリアクション」が軌道修正のきっかけに
――そこから現在のコンセプトへ至るには、どのような転換があったのでしょうか。
まずは「商品化できるか、できないか」という問いを止めました。「その商品で、どのような顧客を幸せにできるのだろうか」を考えてみよう、と。
もともとハード開発が先にあって、「そこに載せるコンテンツは後からどうにかなる」という進め方でした。しかし、ユーザーとの一番の接点は、本来はコンテンツです。そこで、まず仮のコンテンツを作ってみることにしました。紙に「こんなことをやってみたい」と描いて、身近にいる子どもを持つ保護者数人に見せて、意見を聞いてみるんです。それだけで、手応えの有無が感じられました。
中でも評判がよかったのが、「ペンが光る」という機能。それを元に、再スタートの段階で、プロトタイプとして光るペンだけを作ってみました。それを子どもに持たせると「書いたら光った!」と、すごくポジティブな反応だったんですよね。
そこで、「光るペンで書くと、スマホのアプリにデータが渡り、画面上で穴掘りロボットが進む」といった、アプリと連携するダミーのプロダクトを次に作りました。実際にはデータが渡ったように見せて、ロボットは僕が手動で進ませていたのですが(笑)。でも、それが子どもたちにウケたんです。
利用者が幸せを感じている瞬間。それを目の当たりにできたのが、軌道修正のきっかけですね。ここから「子ども自身が積極的にやりたくなるものを作る」という考え方にスイッチしました。開発2年目の初期のことです。
――あらためて、ターゲットを保護者から子どもへと転換した、と。
自信はなくとも「子どもたちを幸せにするものができそうだ」という手応えは感じていました。
しかし、ここでもう一つ、壁にぶつかって。幸せにするべき子どもたちが、どんなときに、どのようにペンを使うのかを知らなかったんです。
例えば、宿題。学校にもデジタルガジェットが導入される現在、どのくらい「手で書く」宿題があるのかを知らずに企画を続けていたんですね。そこで、あらためて小学生の生活を調べてみることにしました。
――今の小学生の宿題、たしかに想像がつきません。
まずは、協力してくれる保護者に、子どもの勉強シーンをスマホで録画してもらいました。すると、子どもは机に向かうものの、すぐに集中力が切れてしまい、えんぴつを並べたり、キャップを吹いて遊んだりと、宿題が全く手についていないようでした。このあたりは今も昔も変わらないかもしれませんね(笑)。そのように、リアルなインサイト調査を約50ケース実施し、いくつかのご家庭ではヒアリングも実施しました。
そこで見えてきたのは、勉強を通じて、保護者もコミュニケーションをしたいと思っていることです。保護者は子どもの学習態度が悪いと、ついガミガミと言ってしまうもの。背景には、勉強を通した子どもとのコミュニケーションをなくしたくない気持ちもある。「どうにか子どもを勉強に取り組ませたいし、そこに自分も関わりたい」という思いが強いとわかりました。
「子どもが楽しく家庭学習できればいい」と考えていたのですが、これはそうじゃない。製品開発の軸にするべきは「親子の関係」だと感じました。子どもが努力した結果を、保護者がほめてあげることができて、子どもがさらに努力する。そのサイクルを回すことが本質なのだと気がつかされたのです。
「会議のテーブル」ではなく、ユーザーからの「生の声」にこだわった
――その後はどのように開発を進めていきましたか。
向き合うべき方針が見えた上で、さらに保護者や利用者のことを知るための企画を立ち上げることにしました。その一つが、糸井重里さん率いる「ほぼ日」が主催する「生活のたのしみ展」への出展です。コクヨブースの一角に手作りのプロトタイプを展示して、来場者の方とコミュニケーションをしてみました。
また、同じタイミングでクラウドファンディングも発表したんです。目的は開発資金を募るのではなく、ユーザーの感想集めや接点づくりです。「こんなコンセプトの商品を作ろうと思っていますが、みなさんの生の声が必要です。そこで企画会議を開催しますから、ぜひ参加してください」というリターンを設定しました。
自分の知人や社員といった身近なサンプルではなく、よりユーザーの裾野を広げてリアクションをもらうフェーズに切り替えたわけです。
――多くの「生の声」を得ることに集中されたのですね。
商品開発は、どうしても「モノ」が主役になりがちです。しかし、考えの中心に置くべきは「人」であり、そこへアプローチしていくべきだったのです。
まずは身近な人にプロダクトを触ってもらい、少しずつ価値を深堀りしながら、ユーザーの裾野を広げていく。そして、僕らが作りたい「顧客の幸せ」を求めてくれる人へ、いかに多くリーチしていくか。それを繰り返していきました。
――広く意見を聞くとなると、相違や衝突もあったのでは?
迷ったときにはMVP(Minimum Viable Product)という手法に立ち返りました。最小の機能で試作品を作り、身の回りの当事者5人ほどに聞いていくんです。その都度、手応えを確認します。
とにかく当事者を交えることです。ここで会社に留まって、会議のテーブルについたおじさんたちだけで決めつけると、プロダクトがブレてしまいます。たとえ、経営層から意見されたとしても、あくまで意見の一つにすぎません。開発チームは、ひたすらユーザーの声を聞こうと決めていました。
この方針をとって、本当に良かったと感じる瞬間がありました。クラウドファンディング後の体験会の出来事です。「伝え方を間違えてしまうと、この商品は勘違いされる」とわかった。それが最大の転換点になりました。
「ドラえもんのひみつ道具ではありません」
――勘違い、ですか。
クラウドファンディングの企画会議を開催する頃には『しゅくだいやる気ペン』という名前は決まっており、20名の親子に参加していただくことにしました。「子ども会議」と「大人会議」にグループを分けてプロトタイプを体験していただいた後に、子どもには「どのような機能があったらうれしいか」を描いてもらいました。
一方の「大人会議」では製品への意見をお聞きしました。「これは『しゅくだいやる気ペン』という名前です」と紹介すると、「手に持つだけで子どものやる気が生まれるペンだ」と勘違いされてしまったんです。つまり、親がガミガミ言わなくても、まるでドラえもんのひみつ道具のように、子どもが勝手にやる気になるペンなんですよね、と。
もちろん、そうではありません。製品の軸は「親子の関係」であり、それを良好にサポートするための製品を目指していたのですから。大人会議では、あらためてコンセプトを説明して、ご理解をいただきました。ただ、「子どもが勝手にやる気になるペン」として感じさせてしまったのは、僕らの伝え方に問題があったのだとも気づけました。
――製品のコンセプトを正しく伝えるために、どのようなアプローチを取ったのでしょうか?
この商品は『しゅくだいやる気ペン』の公式サイトのみで販売しています。これはコクヨでも前例がほとんどないこと。注文時には必ず公式サイトを経由するので、ファーストビューで「かきたくなる。ほめたくなる。」と、商品の本質を訴求するようにしました。
ページを開くと、「子どもが勉強をしている姿」の動画が目に飛び込んでくる。商品の詳細を説明するより前に、僕らが幸せにしたい顧客が子どもであることを表明し、共感してくれた人にこそ買ってほしいという思いを込めました。
――理解度を高めるために、あえて販路を絞るというのがユニークですね。
『しゅくだいやる気ペン』を一般の販路に乗せた場合、文具店や家電量販店に流通するでしょう。ただ、各店舗の仕入担当者は、この商品の置き場に迷うと思うんです。文具といえば文具ですが、家電といえば家電ですし、あるいはスマートフォン向けガジェットでもありますから。
コンセプトも含めた「新しい商品」の場合、使い方や効果への期待を来店客に尋ねられたとしても、販売員の方は説明しきれないでしょう。だからこそ、まずは僕たちが「商品がどのように認知されるか」まで、しっかりと設計しなければいけないと考えたのです。
「顧客との向き合い方」が、製作から販路までを左右する
――発売後の反響はいかがですか?
おおむね好評です。子どもからの「夏休みの宿題が早く終わりました!」なんてうれしいお手紙や、親からも「ほめるのが上手くなった」という感想をいただいています。
――なぜ、ほめるのが上手くなれたのでしょうか。
一例ですが、子どもが宿題の答えを間違えたとしても、その日に頑張った分の「やる気パワー」を可視化できますから、親は「ここは間違えちゃったけれど、今日はこれだけ頑張ったね!」とほめることができます。すると、子どもは「また明日も頑張ろう」と思えるようです。
「ある問題の正誤だけを見て怒らない」というのも、僕たちが『しゅくだいやる気ペン』を通じて伝えたかったことです。学習の過程や姿勢から親子のコミュニケーションが生まれ、それが子どものモチベーションアップにつながり、結果として学力が備わっていく。その構想が現実になり、顧客の声として伝わってきたのはうれしかったですね。
――今回の開発、売り方、伝え方を通じて、中井さんが「得られたもの」は何だと思いますか?
仮説と検証を繰り返していくことの強みですね。
自分が思いついたアイデアは、どのような形でもいいから具体化して、顧客となり得る相手に一度は投げかけてみることが大切です。そこで得た手応えをきっかけに、次のステップを考える。それを愚直に繰り返していくことで、作りたいものの「本質」が見えてくるはずです。
検証していく中で、そもそも自分が何を課題だと感じ、商品という形にして投げかけたかったのかも見えてくる。それに気づくことで、商品の価値を深堀りできます。
――頭で考えるだけでなく、手応えを感じつつ進んでいくのが大事なんですね。
そうですね。しかし、なによりも大事なのは、商品やアイデアの中心にはユーザーがいることを常に意識することです。そして、ユーザーがその商品を使って、どのような幸せを得られるのかを意識する。このような製品の「軸」をブレさせないことも重要でしょう。
『しゅくだいやる気ペン』の開発初期のように、ある社会課題を想定して複雑なアプローチをしても、実は解決にならなかったり、幸せにできなかったりすることがあることも、知っておくべきでしょう。商品のイメージに送り手と受け手の間で齟齬が起きないように、ユーザーが抱く感覚と、商品が持つ期待値の距離感を、しっかり推し量ることも大切です。
僕らはまさに今も「顧客といかに向き合うか」という旅の途中にいます。『しゅくだいやる気ペン』にいただいた声を消化し、さらに顧客が幸せだと思える方向へ進んでいきたいですね。
執筆/XD編集部