博覧強記の仏文学者・古書コレクターとして知られる鹿島茂氏が考える「顧客体験」とは?
「未生の記憶」という言葉がある。生まれる前の、覚えているはずもないことを記憶していると感じる摩訶不思議な心理現象を指す。
私がこの「未生の記憶」に遭遇したのは、初めてパリのボン・マルシェ・デパートに足を踏み入れたときのこと。「なっ、なんだ、この、どうしようもなく懐かしい感じは。これは一体なんなんだ!」と叫びそうになった。いくら記憶をたどってもボン・マルシェのような内部空間に身を置いた体験はない。なのに、なぜか懐かしくてたまらない。
結局、私はこのときの気持ちを核にして、ボン・マルシェの創業者であるブシコー夫妻の本『デパートを発明した夫婦』(講談社現代新書)を書き上げ、おかげさまでいまもロング・セラーになっているが、ボン・マルシェの内部空間のことを調べてみてわかったのは、ボン・マルシェの新館が完成した一八七二年に初めて館内に入った顧客たちが感じたのもこの説明不可能な「懐かしさ」だったということだ。つまり「未生の記憶」を私ばかりか彼らも感じたのだ。なぜだろう?
それはブシコー夫妻がそのようにボン・マルシェの内部空間を創ったからである。つまり、天才的商人である夫妻は顧客がいつまでもそこに居たいと思うような内部空間を創るにはどうすればいいかを徹底的に考えたあげく、この「説明不可能な懐かしさ」はどこからくるのかと問題設定を行い、最終的にそれは「未生の記憶」から来ると解いたのだ。
どこで? ノートルダム大聖堂で。
だが、なにゆえにノートルダム大聖堂に「未生の記憶」の淵源があったのか?
ノートルダム大聖堂は、ローマ帝国を瓦解させたゲルマン民族の枝族フランク族がパリのシテ島に七世紀に建てたキリスト教会をもとにしている。そこはローマ時代には万神殿が置かれていた場所であり、さらに歴史を溯れば、先住民だった森の民ケルト人のドルイド教の神殿があったところである。
そして、なんとも不思議なことに、十二世紀にノートルダム大聖堂がゴシック様式で再建されたとき、その内部空間にはこうしたガリア、ローマ、ゲルマンという民族の集合的無意識が封じ込められたのである。
おそらく、先祖代々のガリアの農民だったブシコー夫妻はノートルダム大聖堂で祈祷を捧げているとき、こうした先住民族への遡行を無意識のうちに成し遂げ、「未生の記憶」の淵源に到達したにちがいない。
ボン・マルシェはしばしばノートルダム大聖堂のコピーであると言われるが、じつはそうではない。ボン・マルシェはノートルダム大聖堂がコピーしたケルト人の原始の森を復元したというのが本当なのである。
というわけで、ボン・マルシェの「説明不可能な懐かしさ」は二〇〇〇年ほど前に失われたケルトの森の神殿が「未生の記憶」によって甦ったものだということができる。
思えば、われわれの祖先の原日本人もケルト人とよく似た森の民であり、ユーラシア大陸の辺境に生きたという点でも同じである。そして、森そのものを神の顕現するサンクチュアリとして崇めてきたのも似ている。私がボン・マルシェで感じた「説明不可能な懐かしさ」は、我らが先祖の聖なる森が「未生の記憶」としてDNAの中に残存していたからにほかならない。
かくて、結論。集客の秘訣が顧客体験の分析にあるというのだったら、その分析は中途半端なものであってはならない。顧客の「未生の記憶」の淵源にまで溯るような解析でなければならないのだ。
その場合、日本人という枠はかえって邪魔になる。七万年前にアフリカを出てユーラシアの両辺境に達したホモ・サピエンスという括りにおいて日本人とヨーロッパ人は共通の「未生の記憶」を持つゆえに、顧客体験の先例はアメリカよりもむしろヨーロッパで見つかることが多い。これが私が経験から割り出した法則なのである。
文:鹿島 茂(仏文学者・書評サイトALL REVIEWS主宰) 編集:BAKERU
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