株式会社小杉湯で働いているのは銭湯・小杉湯の魅力に惹きつけられたメンバー。株式会社銭湯ぐらしは、小杉湯ファンの人々によって生み出された企業だ。
彼らに共通の姿勢は、「それぞれが自分の暮らしを形にしていくこと」。彼らは、世間の常識にとらわれることなく、小杉湯に集いながら、自らの暮らし方・働き方に対して誠実であろうとする。
小杉湯や銭湯ぐらしは、働く上でなぜこの姿勢を大切にしているのか。共通の姿勢を持つことによって、事業や顧客にどのような影響があるのだろうか。株式会社小杉湯、銭湯ぐらしのメンバーに話を聞いた。
「家業」から「事業」にしたことで集った仲間
「小杉湯」という名前には2つの意味がある。87年にわたって続いてきた銭湯としての名前と「株式会社小杉湯」という法人としての名前だ。三代目・平松佑介氏は2016年に家業を継ぎ、2018年には小杉湯を株式会社化している。
平松氏「株式会社にしたことで、小杉湯は家業から事業へと変わりました。それによって、平松家の人間だけでなく、運営に携わりたい人が小杉湯という場所に集えるようになったんです」
菅原氏「関わるスタッフの広がりだけでなく、会社化することによって、銭湯というイメージの外に出ていけるようになったのも大きな変化でしょうね。家業のままだったら、『銭湯だから』という意識を乗り越えられず、『小杉湯となり』のような外に踏み出す事業が生まれることもなかったでしょう。しかし、家業を事業へと変えることで、新たな可能性へと踏み出し、チャレンジをしていく土壌が生まれたんです」
平松氏は「銭湯は神社仏閣に近い」と表現する。ならば株式会社小杉湯は、さながらこの神社仏閣の管理人とでもいうべき存在になるだろう。彼らは、自らの仕事を「湯守(ゆもり)」という言葉で表現している。
平松氏「ベンチャー企業の経営は100m走のように、短期的な利益を追求する傾向にありますよね。しかし、家業は駅伝のようなもの。小杉湯を継ぐと決めたときから、30年後を見据えて、第4走者、第5走者へとタスキをつないでいくことを考えていました。
株式会社小杉湯の社員である4人は、それぞれ、考えていることもバラバラだし、価値観も異なっています。しかし、湯守として小杉湯を守り続けていくという軸は決して揺るがないんです」
働き手の人生に寄り添っているからこそ、スタッフは顧客と向き合い続けられる
小杉湯を守り続けていく――。
数十年の時間を前提としてスタッフに関わってほしいのであれば、会社もまた、スタッフたちの数十年の時間を引き受ける必要がある。だからこそ、株式会社小杉湯は、そこに携わる人々の人生を支える組織であろうとしている。
平松氏「小杉湯に携わる人々の共通点は、自分の暮らしを自らつくろうとしていることです。たとえば、美帆は奥多摩と高円寺の2拠点で生活をしているし、塩谷はイラストレーターとしても仕事をしている。それぞれ、働き方も暮らし方も異なっています。これらはライフステージや個人の成長によっても変わってくるでしょう。
株式会社小杉湯は、それぞれの暮らしに合わせて常に変わっていく必要があると思っています」
スタッフの暮らしに合わせて株式会社小杉湯も常に変化していく。それによって小杉湯を利用する顧客にどのような影響が生まれるのだろうか。平松氏は次のように述べる。
平松氏「携わる人たちが『自分の物語』のために大切なことを実現していく。物語をより豊かなものするには、舞台である小杉湯や登場人物となる他のスタッフ、お客さんとの関係はより重要になってくると思うんです。結果的に、自分の物語を大切にしてもらうことで、小杉湯全体にいい影響を与えてくれます。
塩谷や美帆や菅原がいて、その人だからこそできる仕事が生まれる。すると株式会社小杉湯がお客さんに提供できるサービスが増えていくんです」
塩谷氏は、小杉湯の仕事を「家事のようなもの」だと言う。彼女にとっては、ご飯をつくることと、小杉湯で働くことに大きな区別はない。自分の暮らしの延長にあるからこそ、スタッフたちは、まるで我が家のように小杉湯を清潔に整えたり、顧客の困りごとに向き合えるのだろう。スタッフの望む暮らしに組織が寄り添っているからこそ、スタッフは仕事を自分ごと化できる。だからこそ積極的に日頃の業務に向き合えているのだ。
「自分の暮らしをつくる」後押しが、新たな価値を生み出す
小杉湯が軸としている持続可能性は、銭湯ぐらしにおいても大切にされているテーマだ。代表の加藤優一氏は、彼らが法人化した理由を次のように語る。
加藤氏「『銭湯ぐらし』プロジェクトは『風呂なしアパートと銭湯をかけ合わせたらどうなるのか』という社会実験でした。つまりビジネスとして利益を生むことは考えていなかったんです。
では、なぜ法人化を選択したのか。それはこの組織を持続可能なものにしていきたかったからです。小杉湯が数十年続きながら地域に根ざしていったように、銭湯ぐらしもまた、地域に根付く活動をしていきたいんです」
銭湯ぐらしは現在、5人の役員とアルバイトによって運営されている。しかし、この他にも「メンバー」として関わる人々が多く出入りしている。彼らは金銭的報酬だけではなく、銭湯ぐらしを通して暮らしを充実させたり、本業ではできない自己実現ができることで関わっているそうだ。また、アルバイトも時間外に小杉湯となりの中でフルーツサンド店や駄菓子屋を始めている。
菅谷氏「自らの企画を進める方々は、『何かをしたい』『何かを手伝いたい』といった気持ちに突き動かされています」
「何かをやりたい」そんなメンバーたちの主体性が尊重され、周囲はそれをサポートしていく。その根底にあるのは「自分の暮らしをつくる」ことを助け合うという姿勢だ。
堀氏「彼らの『やりたい』が実現できる環境をつくる。それは『その人の暮らしをつくる』ことの後押しになります。結果的に、小杉湯となりの運営に主体的に関わってもらえて、企画が生まれていく。それらが他のメンバーへ提供できる価値となって循環していきます。銭湯ぐらしの未来のためにもなっているんです」
加藤氏「自分の暮らしや働き方を充実させようとしている人が側にいることで、他のメンバーにも連鎖していきます。あくまで小杉湯となりは何もしなくてもいいし、何を強いられることもない場所ではあるのですが、結果的に『自分もここで何かやりたい』と思える余白がある場を提供できていると思います」
今後、銭湯ぐらしでは、小杉湯となりのサテライトスペースのオープンを計画している。順次、街の中に施設を広げていくことによって、コンセプトのひとつである「銭湯のある暮らし」を伝え、「街の中の余白」を拡大していく方針だ。
加藤氏「小杉湯がそうであるように、本来は自宅で完結する日常生活の一部を街に開くことで、新しい出会いやちょっとした楽しみが増えるはず。街を一つの家と見立てて、街に暮らすように生きるライフスタイルを広げていきたいです。そのためにも街の中に暮らしを持ち寄れる余白のある場所を増やしていきたいですね」
平松氏「私は高円寺生まれ、高円寺育ちで、この街が大好きです。だからこそ、ここに集う人たち、暮らす人たちと一緒に豊かな暮らしをつくりたい。その結果として街づくりにつなげられたらと思っています。
小杉湯を守り続けるという軸は揺るがないまま、そこで出会う人たちとの関係性の質を大切にしながら『みんなでやっていきたいね』と、話しているんです」
菅谷氏「ただし、そんな変化を急速に求めているわけではありません。僕らは、スタートアップ企業で推奨されるようなスピード感を持ってプロジェクトを進行するのとは、真逆のやり方をしています。会議は長いし議論は多い。けれども、全員の意見をしっかりと聞き、話し合いを重ねながらゆっくりと確実に進んでいるんです」
拡大していくのではなく、持続していくこと。
短期的な利益の代わりに小杉湯が求めているのは、何十年もの時間を見据えた長期的な豊かさだ。それは、経済的な合理性に沿わない部分もあるかもしれない。一方で、身体を持った人間のリズムに耳を傾けられる。だからこそ、多くの人々がそこに集まり、その輪に加わっているのだ。
小杉湯の周囲に広がる取り組みを観察すると、これまでの会社や地域といったつながりでは捉えられない新たな関係性の形が見えてきた。銭湯を中心にして彼らが生み出したゆるやかな繋がりは、長い時間をかけて高円寺という街に染み込んでいくことだろう。そこから高円寺ならではの体験がさらに育まれていくのかもしれない。
取材/大矢幸世、執筆/萩原雄太、撮影/須古恵、編集/木村和博