真新しいホラーゲームの形。「オンライン進行型コーリングホラー」を体験する。
知人に誘われ、あまり深く考えず参加を了承した「オンライン進行型コーリングホラー」。ゲームに疎い私は、誘われたけど楽しめるのかという不安がよぎるものの、何をするかよくわかっていない状態で当日をむかえる。
えっと、ここからは「体験談」を書くのだが、その性質上、少しでも中身をクリアに書くとネタバレになってしまう……。だから、体験してきた私の印象を書いていくことにする。意味が分かりにくくても、雰囲気が伝わればと思う。
このイベントでは、1人の女性がある場所に迷い込んでしまい、帰り方を探している。私たちはグループで参加して、彼女とのやりとりを通して彼女の“イキサキ”を探す。皆で協力して彼女を助けていくのだ。しかし、彼女の状況も変化していく。それは彼女の肉声であり、チャットツールで打ちこまれるメッセージで繋がれ続ける。面識はないはずなのに、その発話が、私たちをどんどん身近な存在にしていく。ここが「ホラー」のキーなのかもしれない。リアルタイムのキャッチボールを繰り返すことで、生々しい経験が刻まれていく。
懐疑的な気持ちを抱えながら参加していたのに、彼女の恐怖がだんだんと肉薄してくる。加えて様々な仕掛けに他の参加メンバーが気づいていくことが、恐怖に追いうちをかける。あっという間に時間が過ぎていく。クライマックスに差し掛かっているであろう頃「このゲームは何がフィニッシュなのか」という疑問が私の頭の中によぎっていた。そして、勝手に考えていた衝撃的なクライマックスはなく終わってしまったのだ。
結果をすこし言うと「惜しかった」のである。彼女に対してもっと深く入り込めていればよかった。話す時間があったのに……と、悔いが残る。
これはきっと、日常生活でも言えることだろう。目先のことばかりを気にして本質的なことを見逃したり、大切な人がそこにいることが当たり前だったり。そんな日常の事実を突きつけられた思いがする。「また」は、いつなくなるのか分からないのに。参加するグループは、さながら仮想の社会生活だ。「空気」を読むことを無意識でしていた。ゲームの中であっても私たちは空気を読んでしまう。それを作ったのは、紛れもなく「肉声」である。文字だけでは決して伝わらない。画面上の匿名性という隠れ蓑で、人は社会性が薄くなるものだ。
「驚いて終わり」なホラー体験と思いきや、人生観の奥深い部分を見つめるきっかけにもなるイベントだ。プロデューサーである夜住アンナさんは「時間が進むにつれて電話の向こう側にいる相手の心を感じ、触れることで体験者側のパーソナルが引き出され、自分の言った言葉が相手を繋ぐ、ときには鏡になって自身に返ってくる」と綴っている。それは私が身を以て体感したことだ。「イキサキ探し」は、日頃の自分の行動を見つめ直すことにも繋がるハートフルな体験。最近はNEWSのメンバーも参加したと聞くが、コアな人気を呼ぶにも頷ける作品である。
執筆:山田はるか 編集:BAKERU
ロゴデザイン:LABORATORIES イラスト:青山健一