オフラインを顧客接点の主軸に置く企業にとっても、最新のテクノロジーは顧客体験を向上させるために検討したい手段の一つだ。しかし、顧客視点を見失い一辺倒にテクノロジーの導入を推し進めても意味はない。
2019年3月7、8日、翔泳社MarkeZine編集部は、デジタルマーケティングイベント「Markezin Day Spring2019」を開催。2日目のセッションでは、各分野で顧客と向き合ってきた3社がテクノロジーを駆使した顧客体験向上の取り組みについて語った。
登壇者は、パルコ 執行役グループデジタル推進室担当の林直孝氏、ヤマト運輸 リテール営業部プロジェクトマネージャーの中西優氏、LIFULL HOME’S事業本部グループデータ戦略部長兼Chief Data Officerの野口真史氏の3名。各社はどのような考えで最新のテクノロジーを採用してきたのか、当日の内容をレポートする。
テクノロジーで行動を促進し、館内体験を向上させる
セッションは、パルコの林氏によるテクノロジーを使ったウィンドウショッピングに関する取り組みの紹介から始まった。
林氏「私たちがテクノロジーを導入している目的は、PARCO館内での体験を向上させることです。現在PARCOの買上率は約50%、つまりお客様の半分はウィンドウショッピングだけで帰られています。
ウィンドウショッピングを全員が楽しんでいらっしゃるのならば良いのですが、探し回った挙句、欲しい商品が見つからず残念な気持ちで帰られる方も相当数いらっしゃるはず。良い商品に出会えて、購入に至ることを良い体験の1つと定義したとき、お客様にとって無理のない範囲で館内の回遊を促すことが課題解決に繋がるのではないかと考えました」
そこで、パルコは館内での顧客の行動を促進するため、2018年に自社アプリ「POCKET PARCO」へ新機能『PARCO WALKING COIN』を追加した。アプリを起動しスマートフォンの歩数計と連携させた後に館内を500歩くと、優待券に交換できるコインをもらうことができる。同機能が追加された結果、この機能を利用するユーザーは利用しないユーザーに比べ、買い回り店舗数は2倍に、平均購入金額は20~30%上昇したという。この施策の結果については、別のイベントでも語られている。
さらに、アプリをダウンロードしていない顧客への取り組みも徐々に始めている。2016年7月にオープンした仙台の「PARCO2」では、2台のロボットを使った案内サービスを1ヶ月間試験導入した。2018年の春からは、池袋と名古屋のPARCOの一部フロアにてスマートスピーカーによる案内サービスを導入している。どちらも顧客の館内でのお問い合わせ内容をデータ化し、館内体験の向上に活かすことが目的だ。
林氏「スマートスピーカーは5〜600種類の簡単な質問に答えられる程度ですが、お店のPOSデータ等と連携できると、『お客様のお探しの商品はここにあります』と一歩踏み込んだ提案も可能になるはずです。
今後は購買記録やスマートスピーカー等のログや各種デジタルデバイスによるデータを組み合わせて、個人を特定しない形でお客様が購買前後でどのような行動をとっているのかを分析する予定です。お客様の一連の行動を把握することで、より良いショッピング体験を提供したいと思っています」
ヤマト運輸における理想の顧客体験は「再配達ゼロ」
続いて、ヤマト運輸の中西氏が「再配達ゼロ」に向けた取り組みを紹介した。
国内宅配便業界の最大手であるヤマト運輸は、宅配便事業を開始してから40年を超える。荷物をより安全かつ正確に運ぶため、荷物の現状位置把握やドライバーの危険運転を検知する仕組みなど、物流に関するテクノロジー導入には早くから取り組んでいた。
一方で、顧客接点を意識してテクノロジーを導入したのはここ10年ほどだという。ヤマト運輸にとっての顧客体験の改善は、顧客との接点である「宅配便受け取り時」に集約される。
中西氏「当社にとっての顧客体験の要は、ストレスなく宅配物を受け取ってもらえるかに尽きます。『ECで買った商品がいつ届くかわからない』、『休日で時間指定をしても午前中4時間待たなければならない』など、私たちとお客様のリアルでの接点はストレスと隣り合わせです。テクノロジーの力で荷物を受け取るまでの体験の改善できないかと、日々模索しています」
宅配物受領時のすれ違いを解決するために開発されたのが、会員サービス「クロネコメンバーズ」だ。会員登録すると、いつ荷物が届くかを確認したり、受け取り日時や場所を変更できる。
クロネコメンバーズで最近よく使われている機能は「Myカレンダーサービス」だ。同サービスに、自分が受け取りやすい時間帯や場所を事前登録しておくと、登録情報に合わせて宅配日時や場所が自動的に変更される。2016年からは、再配達依頼や受け取り日時変更をより簡単に行えるようLINEアカウントとの連携を開始した。
中西氏「以前はEメールで荷物の動向を通知していたのですが、リアルタイムでは確認されにくいんですよね。その点、LINEであればほぼ確実にリアルタイムで見ていただけます。受け取り日時や場所を変更したい場合も全てLINE上で完結可能です」
宅配物受領時の体験向上を図る同社が指標としておいているのは、「1回で受け取ってもらえたかどうか」だ。
中西氏「再配達率は重要な指標の1つですが、再配達率という言葉はあまり使わないようにしています。1回目の宅配で受け取っていただくことが、お客様にとって最もストレスがなく、理想的な体験だと考えるからです。私たちの理想は、再配達そのものをなくすことです」
蓄積データと最新テクノロジーを活用し、家に関わる非効率をなくす
3人目に登壇したLIFULL野口氏からは、蓄積したデータやAR技術を活用した事例が共有された。
データを活用した技術の1つ目は、不動産・住宅情報サイト「LIFULL HOME’S」を使う不動産会社向けに開発された自動タグ付け機能だ。物件の内装写真を登録する際に、過去のデータから写真に何が写っているのかを自動で判別し、タグ付けを行う。
野口氏「「これまでは、不動産会社の担当者が写真ごとに『リビング』『キッチン』『洗面所』など手動でタグ付けをしていました。自動でタグ付けされるようになると、平均40秒かかっていた時間をたった2秒に短縮できました。本来不動産会社が取り組むべき物件の提案や相談に乗る時間を確保するのに貢献できていると感じます」
データ活用事例の2つ目は2018年10月にリリースした「見える!不動産価値」だ。LIFULL HOME’Sに蓄積されたデータを元に、自宅の売却価格の仮査定や所有物件のニーズをシュミレートしてくれる。
野口氏「「家を売却しようと思った時、従来はいくつかの不動産会社に見積もりを依頼し、いくらで売れるか査定を相談して、初めて参考価格がわかりました。お客様からすると、精緻でなくとも参考価格を早く知りたいのではと思い、このサービスを開発しました」
LIFULLは、ARを活用して従来の体験を便利にする機能もアプリ版LIFULL HOME’Sにて提供している。AR対応のカメラを通して物件を見ると、空室状況や売り物件情報を画面上で確認できる「かざして検索」とメジャーを使わずに、画面上で部屋の間取りを計測する「AR見学メモ」だ。今後は不動産や物件オーナー側のおすすめポイントをスマートスピーカーやロボットを通じて内見者に伝えられる仕組みも考えているという。LIFULLのテクノロジーを活用した取り組みも、こちらのイベントで語られていたので、合わせてチェックしてもらいたい。
顧客視点を欠いたテクノロジー導入に意味はない
最後に、各社のテクノロジーに対する考え方が共有された。林氏は無思考にテクノロジーを導入すると、逆に顧客体験を損なうこともあると話す。
林氏「館内に設置しているスマートスピーカーがトイレの場所を聞かれた時、当初は『トイレは◯◯にあります』と回答していました。そしたら、ある日インフォメーションセンターに、『みんながいるところで”トイレはどこ”って言われたくない』というご指摘をいただいたんです。確かにそのとおりだ、配慮に欠ける回答だと気づいてすぐに変更しました。便利なテクノロジーだとしても、お客様の視点をないがしろにしてはいけないと再認識した出来事でした」
顧客の視点をもたず、テクノロジーをただ導入するだけでは、顧客にとって良い体験にならないケースもある。顧客の視点に立つ上で、中西氏は顧客が潜在的に解決したい課題は何かを常に意識することが大切だと述べた。
中西氏「全てのお客様にとってクロネコメンバーズが便利なサービスかと問われると、まだそうではないと思います。再配達を便利に行えるようにしても、そもそも手配すること自体が面倒だとお客様は感じているはず。理想は購入から商品の受け取りまでがシームレスに進む状態です。顕在化している課題を解決することも大事ですが、今導入しているテクノロジーで全てのお客様を幸せにできているのか、と原点に立ち返ることが大事だと思います」
顧客の視点に立ちながら、どのようなテクノロジーが存在しているかを知ることも、体験を変えていくためには必要不可欠だ。野口氏は、最新テクノロジーにまだ馴染みのない企業に向け、テクノロジーの進化を表層だけでも掴んでおく大切さを話す。
野口氏「テクノロジーの進歩により、以前は時間がかかっていたことや不可能だった課題が簡単に解決できることが増えました。しかし、そもそも技術を知らなければ『それってできないよね』と諦めてしまいかねません。1つ1つの最新技術を深く理解するというより、どんなツールがあるのか、何ができるのかを知識として持っておくことが大事なのではないでしょうか」
イベントでは進化し続けるテクノロジーに対し、企業の向き合い方が語られた。3社に共通していたのは、顧客の視点に立って顕在的、潜在的に解決したい課題は何なのかを粘り強く考えることだ。
最新技術の便利な側面にばかりに気をとられないことの大切さを、再認識させられるセッションであった。
文/水落絵理香 編集/イノウマサヒロ 撮影/加藤甫