「食事は母親が作るもの」「保育園の連絡帳は手書きで十分」「自治体に経営の視点なんて必要ない」――。
誰が決めたかわからないけれど、社会では「当たり前」だと思われている価値観の数々。刷り込まれた固定観念は、時代や環境の変化によって“そこから外れた人々”を、時に苦しめてしまう。一方で、そんな「これまでの当たり前」を、新たな価値観に変えていこうとする人たちがいるのも事実だ。
虎ノ門で開催された「CX DIVE 2019 AKI」では、セッションのひとつに「社会の当たり前をアップデートするCX」というテーマが設けられた。登壇したのは、コドモン代表取締役の小池義則氏、シェアダイン共同代表の飯田陽狩氏、千葉県流山市総合政策部マーケティング課 課長の河尻和佳子氏の三名。
育児や保育、行政では「ずっとこうだから」と言われることが多く、変化が起きづらい分野ともいえる。固定化した価値観を時代に合わせて進化させていくことの、難しさとやりがい、そしてイベント全体のテーマでもある「コンサマトリー(プロセス自体を楽しむこと)」について、モデレーターのインクワイア代表取締役・モリジュンヤの進行のもと、各々の立場から意見が述べられた。
時代の変化についてきていない「当たり前」
セッションの冒頭、登壇者らは各事業の紹介とともに、どんな「これまでの当たり前」に向き合っているのかを語った。
まずは、以前XDでも取材した「料理家による出張作り置きサービス」、シェアダインの飯田氏。自身が産後の仕事復帰時に感じた「食卓を犠牲にしている」という罪悪感をきっかけに、食の専門家が各家庭で食事を作ってくれるサービスを立ち上げた。
飯田氏「私たちが変えたいのは、『食事を作るのは母親』『食卓には多くのおかずが並ぶべき』などの固定化した価値観。核家族化や女性の社会進出が一般的になりつつある今の時代、そこを変えない限り、母親の負担は大きくなるばかりです」
コドモンの小池氏が提供するのは、保育園と保護者を結ぶコミュニケーションツール。これまで業界内で「当たり前」とされてきた、手書きの連絡帳や電話連絡などのアナログな文化に、テクノロジーのメスを入れた。
小池氏「世の中に役立つビジネスはないかを模索していたとき、知人の保育園運営を手伝う機会がありました。そこで保育業界には、時代に合わせてアップデートできていない業務のやり方などが原因で、『保育士が辞めていっていまう』『本部から現場の現状が見えない』などの課題があることを知ったんです。それまで培ってきたウェブ制作や運用の技術を生かして、解決できないかと考えました」
三人目の登壇者、流山市役所の河尻氏も他の二人と同様、「これまでの当たり前」を変えるチャレンジを進めている。同市は、全国の自治体で初めてマーケティング課を設置した。
流山市も以前は、「すべての市民に平等であるべき」という“決まりごと”ゆえに、情報を届ける相手を考慮せず、漠然と発信や施策を行うことが多かったという。そこにマーケティングの視点を取り入れ、「30代から40代前半の共働きファミリー(DEWKS)」にターゲットを絞った広報やまちづくりに力を入れる戦略で、人口を大幅に増やすことに成功している。
河尻氏「そもそも、自治体にはマーケティング視点がないんです。お金儲けのイメージがあるらしく、その視点を持つこと自体が『いけない』とされがち。しかし、人口減から町を守り、自治体が生き残らなければいけない時代に、経営視点は絶対に必要です」
河尻氏「ファミリー層にターゲティングをすると、『他の住民は重要ではないのか』と言われることもありました。けれど、情報が誰にも届かず市ごと沈んでいったら意味がない。ターゲットを定めるのは、『市を末長く継続させ、みんなが幸せに暮らす』という最終的な目的に辿り着くための手段なんです。そのことを根気強く対話し、理解を得てきました」
そのコンセプトは、本当にユーザーが求めているものか
社会課題を解決するときに大切なのは「本当の課題とは何か」を見極めることだ。しかし、社会全体に先入観や固定概念があるのと同様に、サービスを提供する側にももちろんバイアスはある。
自分たちのサービスは、「本当に必要な人たちに」「必要な形で」届いているのか。自問自答を繰り返した日々を、小池氏が共有した。
小池氏「私たちは当初、企業が顧客満足度の向上を追求することと同様に、保育園も保護者の満足度を追求しているものだと考えていました。そこで、連絡帳をデジタル化し「保護者の満足度を向上させられるサービス」であることを保育園に提案したのですが、全く受け入れられなかったんです。保育園側のIT化が進んでいないこともあって、先生の負担が増えてしまいそうとか、うちはまだそのステージじゃないとか、ネガティブな反応ばかりでした」
自分の考えと現状に大きなギャップがあると感じた小池氏は、ユーザーインタビューを行なった。すると、保護者の満足度を高めるよりも、目の前の人手不足の方が課題だとわかったのだ。
小池氏「待機児童もどんどん増えるなかで、園が本当に求めていたのは、保育士の負担を軽減し、離職率を減らす方法だったんです。そこで、コンセプトを『すべての先生に、子どもたちと向き合うための時間と心のゆとりを創出する』という視点に変えました。不要な仕事やクレームを減らす方向性にしたことで、事業への評価が変わっていきましたね」
常に自分たちの価値を疑い、本当の課題に合わせていく「変化の受容力」の重要性を指摘する小池氏。同様に飯田氏も、ニーズに合わせてシェアダインのサービスを見直したと語った。
飯田氏「女性の社会進出に伴って家事の『時短』が注目されており、当社のサービスでも初期はキーワードにしていました。でも、かつて自分も抱えていた母親の“罪悪感”を解決するのは、本当に時短なのだろうか、とずっと考えていたんです」
利用者の声を聞いてわかった“罪悪感”の正体は、「家族を想って料理ができていないこと」だった。ならば、母親たちが本当に求めるのは、料理を簡単に済ませる手段ではなく、サービスを通じて、家族と向き合える環境が得られること。
それは、シェフに家事を任せることで生まれる「子どもとの時間」の場合もあれば、家庭料理の悩みに一緒に向き合ってくれる「相談相手の存在」の場合もある。飯田氏は、コンセプトを「時短」から「家庭への寄り添い」へと変更した。
飯田氏「今でもユーザーのフィードバックは必ず読んで、月に一度はユーザーのもとへインタビューに行っています。シェフ側ともミートアップを設けて意識的に話す場を増やし、常にニーズと向き合うようにしていますね」
流山市でも、子育て世代を取り込むために、まずは子育ての「何が」大変なのかを100人にヒアリングした河尻氏。その結果、双子や三つ子育児ならではの大変さなど、自身が想像もできない事例を聞くことができたという。
河尻氏「行政の施策では、市民の話を聞く機会を十分に設けずに『たぶんこんな感じだろう』と進めたものが逆効果となることもあります。市民全員に聞くことは難しいけれど、話を聞いた相手には、『ちゃんと向き合ってくれている』と共感が生まれる。行政への信頼もそこから広まっていくんです。大変ですが、最初のヒアリングに手間をかけるのは大事だと思っています」
自らも顧客も、主体的に関わることで「楽しむ」
ここまでの話のなかで、登壇者三名の言葉からは、「社会を変えていこう」とする使命感や義務感が端々に感じられた。しかし、その想いだけで事業を長く続けることもまた、簡単ではないだろう。今回のCX DIVEでは、行為やプロセス自体を楽しむ「コンサマトリー」という概念が全体のテーマとして設定されている。本セッションでも、登壇者が課題に立ち向かう原動力となる「楽しみ方」を聞いた。
小池氏「自分が一生涯、命をかけられるであろう分野にいる、そんな実感があります。だからこそ、進んでいる道はすべてプロセスで、それ自体を楽しもうという意識もあって。目標を達成するごとに、『次はあそこへ行ってみよう』と考えながら走っていますね」
河尻氏「やっぱり楽しいと感じるのは、人が変わって、喜ぶ姿を見るときです。自分が関わったことで人が成長するのは嬉しい。伴走する喜びですね」
飯田氏「私も、『生活がこんなに豊かになった』などと利用者の声を聞くことですね。本来このサービスで作りたかった世界を思い出せるので、自分が大変なときや社内の雰囲気が悪くなってきたら、あえてユーザーインタビューを入れるようにしているんです」
自分たちの事業によって変わった人たちのフィードバックをもらい、原点を思い出す。つらいことを乗り越えるときには有効だ。さらに河尻氏は、「つらさ自体も楽しんでしまうことができたら」とも語る。
河尻氏「娯楽で得られる『一瞬の楽しみ』と違って、『持続する楽しさ』には、少し困難が伴うと思っています。つらいとわかっていても、高い壁を乗り越えたときはやっぱり楽しい。越えたあとの自分を想像できるからこそ、わくわくする方を選べるのかな、と思います」
また、河尻氏はもうひとつ、市民自身にも「楽しい」と思ってもらうことを重要視しているという。例えばボランティアにしても、「市民なのだから」と義務感で来てもらっても続かないからだ。
河尻氏「楽しさやメリットを用意して……というと少しおこがましいですが。継続的に地域へ関わっていただくためにも、主体的な楽しさをいかに見出してもらえるかを考えています」
飯田氏「シェアダインのユーザーさんもそうです。実際に何カ月か使っていただくなかで、最初はシェフ任せだったのが、レシピを聞いたり、作るのを横で見るようになったりする方が出てきて。一緒に料理を楽しんでもらえるようになる、すごく本質的な変化だなと思いました。それに合わせて、サービスにもサブスクリプションを導入したり、チャット機能を追加したりしています」
事業を作ること、顧客が変化すること——どちらにも共通するのは「主体的に取り組むことが楽しさにつながる」点だ。そして、行為自体を楽しむことは、継続的に効果を出し続けるためには欠かせない要素となる。
“一番大事な”笑顔のため、アップデートし続ける
「固定化された社会の当たり前を変える」という、途方に暮れるほど遠く、大きな目標に向かい続ける三名。目標に向かうプロセスすらも楽しみながら、この先さらに、社会の概念をどう変えていこうとしているのか。
小池氏「基本的に人は変化を嫌います。ただ、一度旨味を覚えると、貪欲になるのも人の特徴です。変化にスピード感が出れば、価値観も一気に変わっていく。その一助になりたいという思いで、事業を進めています」
河尻氏「『与えられた環境だからしょうがない』と考えてしまう、受け身な人を減らしたい。本当に変えられないことなのかを考えて、半歩でも踏み出す人が増えると、社会が変わっていくと思っています。まずは流山市にそういう人を増やして、社会全体のうねりに変えていきたいですね」
これまでの当たり前を「しょうがない」と受け入れるのか、新たな価値観を持って進むのか。今回登壇した三名は、社会の当たり前をアップデートするべく前に進んでいる。最後に、小池氏が一人の社員の印象的な言葉を共有した。
小池氏「仕事も子育ても頑張っている社員が、『親にとって、子どもと笑っていることが一番でしょ』と言ったのを聞いてハッとさせられたんです。一番大事なのは、子どもと向き合うための時間的なゆとりだったり、笑顔でいられることだったりで、もしかしたらそれ以外に重要なことはないのかもしれないと。家事が親にとって本当に重要なタスクなのかを再定義することも含めて、“一番大事なもの”以外でいかに負担を減らせるかは、まだまだテクノロジーや新しい手段を取り入れる余地があると考えています」
親子の笑顔、保育士の働き方、市民の暮らし。人々にとって“一番大事なもの”のために、「これまでの当たり前」をアップデートする。その方向性は、常に時代と相手のニーズを追いかけ続けることで見えてくる。
アップデートに終わりはない。だからこそ、彼らのように取り組む人々と、社会に暮らす私たちがともに、主体的に「楽しむ」ことが、自分も社会もよりよく変えていくのだろう。
執筆/ウィルソン麻菜 編集/佐々木将史