「CX(カスタマーエクスペリエンス)」「顧客体験」――。テクノロジーの発達により、消費者の購買体験やニーズが変化する中で、XDがテーマとして扱うこれらの言葉は、近年注目されつつある。一方で、その定義は論者によって異なるとともに、絶対的な正解もないといえる。注目を集める企業の経営者たちは、どのようにこの言葉を見つめているのだろうか。
スタートアップが盛り上がっている地として注目を集める福岡で、「ともに学び、ともに産業を創る」がコンセプトのカンファレンス「Industry Co-Creation(ICC)サミット FUKUOKA 2019」(主催:ICCパートナーズ)が、2019年2月18〜21日に開催された。
このプログラムの一つとして、「CX Leader Discussion – いま求められているCX(顧客体験)を議論する」が開催され、株式会社クラシコムの青木耕平氏、株式会社博報堂ケトルの嶋浩一郎氏、株式会社 LDH JAPANの長瀬次英氏、ヤフー株式会社の井上大輔氏らが登壇。野心を燃やすビジネスパーソンらを前に、CXの最先端を語った。
「コヤマパーキング」が作った顧客体験
セッションの口火を切ったのは、モデレーターを務めた株式会社プレイド代表取締役の倉橋健太氏だ。今、CXはビジネスシーンにおいて最重要キーワードとなりつつある。
倉橋氏「昨年頃から『顧客体験』『カスタマーエクスペリエンス』という言葉が、ビジネスシーンにおけるキーワードとして聞くようになってきました。CXに注力している企業は中長期的に成長を遂げているというデータが『フォレスター・リサーチ』から発表されています。
NRI(野村総合研究所)の田中達雄氏が出版した『CX戦略 顧客の心とつながる経験価値経営』には、企業が本来ユーザーに提供できる価値を、CXが増幅することも低減させることもあると書かれている。CXがビジネスにもたらす影響は、今後ますます大きくなるでしょう」
注目されている一方で、新しい概念だからこそ、論者によってCXの定義は異なる。分かりやすく噛み砕くべく、セッションでは登壇者が消費者として感動したエピソードをシェアすることから始まった。クラシコムの青木氏は、このセッションの前日に体験したエピソードを語る。
青木氏「昨日、福岡に着いて食事をしようと思ったのですが、友人に紹介してもらった和食居酒屋の名前が『コヤマパーキング』という非常に印象に残るものでした。そうしたらタクシーで行き先を伝えるのも面白い体験になるし、お店に入ったら思わず『なぜ、その名前なんですか?』と聞いてしまいますよね。単純に料理が美味しいというだけではなく、名前の不思議さが一歩深い体験を生み出し、幸福感を得ることができました。
ただこういう話をすると、『SNSなどで拡散されやすい体験をつくるべき』という話になりがちですよね。けれども、僕が感じたのはそうではない。どんなお店なんだろうと考えたり、店員さんと話したりとエピソード記憶として定着するような体験が、豊かな記憶となって積み上がることで、消費者は世界に対して期待を持てるようになるんです」
青木氏が語るのは、マーケティング理論として利益を最大化するために行われるCXではなく、消費者としての素朴な喜びだ。しかし、そんな自分自身の喜びからCXを思考していくことによって、消費者が求めるCXの端緒が見えてくる。
また、ヤフーの井上氏が話したのは、同じくセッション前日に遭遇したこんな体験だった。
井上氏「昨日、羽田空港から福岡までスカイマークに搭乗したのですが、搭乗ゲートには非常に目立つグレーヘアーの紳士がいたんです。客室係の偉い人かな? 程度に思っていたのですが、搭乗して寝ていると周囲がザワザワし始めて。その紳士がマイクで挨拶しているので話を聞いてみると、実はスカイマークの佐山展生会長だったんです。会長自ら乗客に対して『ありがとうございます』と丁寧に挨拶し、去年の業績と今年の計画を語った上で、全員にキットカットを配布する。そんなサービスにKOされて、すっかりファンになってしまいましたね」
青木氏「ブランドと人が結びつくと、消費者にはとても強い印象が残りますよね。クラシコムが広告記事を提案する場合にも、担当者が記事に出ることを提案しているんです。大きなブランドであるほど、ブランドイメージは製品やサービス、企業のビルや工場などになってしまう。しかし、人の名前とブランドが結びつくだけで消費者の印象はガラッと変わるんです。
関わる『人』をどのようにコンテンツ化し、そこからどのような体験を築くことができるのか? それをどのようにコミュニケーションに折り込んでいくのかということが、 これからのCXを考える上で、とても重要な視点になるのではないかと思います」
オールドメディアが持つコミュニケーションの可能性
CXという言葉が普及する背景には、テクノロジーの発達によって、消費者の購買スタイルが激変していることにある。博報堂ケトルの嶋氏はそんな時代背景を見据えながら、これからの消費者とのコミュニケーションは、あるメディアの存在が印象に残っていると語る。
嶋氏「最近、TBSラジオで講談師の神田松之丞さんの番組を聞いているんですよ。人の悪口ばかりなんですが、毎回聞かずにはいられないんですね(笑)。
何を言いたいかというと、企業のコミュニケーションは、ラジオに学べることが多いのではないかと思うんです。ラジオは、不特定多数に語りかけるメディアであるはずなのに、リスナーは『自分のために話してくれる』と感じてしまう。中島みゆきさんのオールナイトニッポンでは、朝の4時に中島さん自らが天気予報を読み上げ、『今日は寒いから気をつけてね』と言ってくれる。それを、リスナーは『自分に対して言ってくれている』と感じてしまうんです。
SNSやLINEなどの普及により、企業と生活者のコミュニケーションが変化していく中、これから必要とされるのは、マスに向けたものでありながらパーソナルに語りかけるようなコミュニケーションができることなのではないでしょうか。その時に、中島みゆきのようなラジオパーソナリティを参考にしながら、コミュニケーションをすることが求められると思います」
「ワン・トゥ・ワン・マーケティング」「パーソナライズ」といった概念が注目される中で、昔からパーソナライズされていたメディアはすでに存在していた。嶋氏が提案する視点は、消費者とのコミュニケーションを考える上で欠かせない視点になるだろう。
それに対して、井上氏が紹介したのは、海外で放映されているテレビ番組の事例だった。
井上氏「ノルウェー国営放送テレビ局NRKでは『スローテレビ』という番組を放送しています。この番組では、焚き火の映像を12時間も流し続け、高視聴率を獲得したんです。コンテンツとしては面白くありませんが、それをみんなで見ている(共時性)という状況が面白い。
一方で、友人がFacebookライブを配信していたときに、視聴者が私1人で非常にストレスを感じたんですね(笑)。つまり、デジタルはパーソナライズが得意ではありますが、消費者とコミュニケーションをするうえで、それだけを追いかけるのは本質的でないのかなと。マスメディアにおける共時性のように、CXではさらなる付加価値を考慮する必要があるでしょう。」
「カスタマージャーニーはいらない」
今まで挙げてきたようなCXを設計する上で、多くの企業は消費者に対するアプローチを「カスタマージャーニー」といった言葉で定義している。しかし、LDH JAPANの長瀬氏はそんな一般的な発想に対して距離を取り、「カスタマージャーニーはいらない」と断言した。
長瀬氏「企業は広告を打ち、口コミを誘発し、店頭にポップを置き……と、カスタマージャーニーを設計して、購買へと誘導しようとします。しかし、消費者の体験は常に『現場』で起こっており、その場で考えながら商品を購入する。どれだけカスタマージャーニーを設計しようと、購買に至ったきっかけは誰にもわからないのではないでしょうか?」
長瀬氏から飛び出した「カスタマージャーニー不要論」。それに対して、他の登壇者はどのように応答したのだろうか? 後編では、白熱する「CX論争」の続きをレポートしていく。