今ではあたりまえに使われるようになった「リノベーション」という言葉も、ほんの20年前までは、巷にほとんど浸透していなかった。そんなリノベーションを世に広める一端となった会社がある。一級建築士設計事務所『ブルースタジオ』だ。
同社ではこれまで、数々の自分らしい暮らしをかなえる個人宅および事業用建物のリノベーションを手掛けてきた。また中古物件の再生のみならず、新築物件の設計監理・コンサルティング・街のブランディング、さらには不動産の売買仲介や、賃貸仲介・管理なども行っている。
ブルースタジオが手掛けるのは、いわゆる“デザイナーズ”と呼ばれるようなおしゃれな建築物だ。しかしおしゃれであることはあくまで表層的事象で、その裏にはまったく異なる価値が、まるで水面下の氷山のように大きく横たわる。同社執行役員 石井健氏に話を聞いた。
「なぜかまだ世にないもの」を自分たちで創った
ブルースタジオの代表的な仕事の一つに、2015年にリノベーション工事が完了した「ホシノタニ団地」がある。小田急電鉄が所有する同団地は、もともと社宅として使われていたが、築年数が深くなり、建て替えを含めた様々な検討がなされた。その末に選ばれたのが「リノベーション」という選択肢だった。
石井氏「団地をかっこよくして賃料を上げ、収益物件として再生するというよりも、『どうすれば団地に住む方々、そして地域の方々にとって「いい場所」になるか』を、小田急電鉄さんと一緒に考えていきました」
そうして始まったリノベーションを通して実現したのが、“敷地の開放”だった。具体的には建物の改修とあわせ、団地内の私有地に貸し農園、子どもの遊び場、ドッグラン、キッチン付き集会場、子育て支援施設などを設置し、街の誰もが利用できる場所とした。閉ざされた雰囲気だった団地を、「開かれたもの」に変えたのだ。リノベーション後、団地への入居を希望する人が増えて結果的に賃料は以前より高くなったが、それ以上に人と人、人と街が繋がるようになったのが何よりもの変化となった。
このようなブルースタジオのリノベーション事業は、どう始まったのか。同社の20年強の歴史は、リノベーション自体が世に定着した流れと、そのままリンクする。
同社の設立は1998年。草創期の状況について、石井氏はこう話す。
石井氏「当時、住宅を見つけるには、分厚い住宅情報誌から探すのが一般的でした。ただ基本的に住宅情報誌は、価格と間取り、駅からの徒歩分数、築年数などが帯状に表示されるだけで写真はなく、デザインの特徴や雰囲気などはわからない。当時はそうした基本スペックだけで家を選ぶのが、あたりまえだったのです。
でも冷静に考えれば、自分が住む家なのに、気に入ったものを自由に選べないのはおかしいよね、なぜそういう仕組みがないのだろう。ないなら自分たちで創ってしまおうか。ただ、新築だと完成まで道のりが長いので、まずは中古住宅の再生から始めよう。そのようにして始まったのが、当社のリノベーション事業です。
基本スペックだけでなく、たとえば「居心地の良さ」とか『趣味の◯◯にフィットした空間』など、いろいろな価値観で家を選べるようにする。それが一番の目的でした」
こうして2000年よりリノベーション事業を開始したブルースタジオは、以降、既存の建物ではなかなか見られない個性的なリノベーションを展開し、ニーズを着実に伸ばしていく。リノベーションを行う範囲もマンションの一室だけでなく、一棟丸々、あるいは区画全体などへと拡張していった。同社の取り組みは多くのメディアで取り上げられ、各種デザイン賞を頻繁に受賞するようにもなっていった。
住まいの選択肢が大きく広がった20年
同社がリノベーション事業をスタートして約20年が経った今では、リフォーム(=改修してもとの価値に戻すこと)に対する、「リノベーション=改修により、価値を転換し高めること」という言葉と価値観は、すっかり世に定着した。実際、人々の住まいに対する意識は、この20年でどう変わったのだろう。
石井氏「インターネットが普及し、以前は見られなかった海外の家やインテリアの情報などが、かんたんに見られるようになりました。それにともない、人々が“良い”と思う価値観も、多様化しました。あわせて、日本は成熟社会に入っていて、自分の暮らしをいろいろな観点から豊かにしたいと考える人が多くなった。
そうした流れで、多くのお金を費やす家なんだから、自分にとって本当に良いものを選びたいと思う人が増えていった。したがって、分譲住宅など既成の家へそのまま住むことに違和感を感じる人も多くなった。もちろん手間やコストを抑えて家を持つという価値観もあり、どちらが正解という話ではないのですが、自分のスタイルに合わせて多くの選択肢から住まいを選ぶ、あるいは住まいを創る過程からコミットするという価値観も一般的になってきました。
ユーザーが主体的にモノやサービスを選ぶ動きは、住まい以外でもさまざまな分野で見られる話ですが、もともと住まいではそれが大きく遅れていて、近年だいぶ浸透したというのがこの20年ではないでしょうか」
東京都大田区の久が原にも、ブルースタジオがリノベーションを手掛けた物件がある。賃貸マンションのエントランス近くにあった居室を、住民の共用スペースに改修し、「AGITO(アジト)」と名付けたものだ。竣工は2018年。
AGITOには、ゲーム用にも使える大型テレビ、遊具、大人数で囲める円形キッチンなどが設けられ、子どもを基点として多世代にわたる住民が自然な形で交流できるようになっている。壁面には柔らかいタッチのイラストで、ルールや時間割が視覚化される。部屋の材質には、ビー玉を散りばめた床や人工芝など、通常の居室には使わない素材を使っている。
もともとこのリノベーションは、同賃貸マンションが今後10年、20年経った時の建物全体の価値を維持することが目的だったが、改修を機に子育て世代を中心に人気を呼び、賃貸戸数を1つ減らしたにも関わらず全体の収益性は上がった。AGITOは、2019年度グッドデザイン賞を受賞。建築そのものとあわせ、ルールの内容やその伝え方など、「企画」部分が評価されたという。
どんな顧客のなかにもある「物語」を浮き彫りに
果たして、ブルースタジオがクライアントに提供する本質的な価値とは何だろう。同社を語るうえでよく挙がるのが、「物語を紡ぐ」というキーワードだ。物語とは、いったいどんなものなのか?
石井氏「大まかにいえば、空間を新たに創る際の目的を、明確にすることです。“4人家族だから3LDK”と決めつけるのではなく、その家族にとって本当に居心地のいい環境とは何なのかといったことを、お客さまごとに毎回考える。“古くなったので新しくしましょう”ではなく『その場所は何のためにあり、どうすれば利用する人たちが幸福になるか』を、徹底的に追求する。そうして浮き彫りになった個々の『なんのために創るか』を、物語と呼んでいます」
物語はブルースタジオが創造し、クライアントに押し付けるものでは決してない。クライアントからの聞き取りを通してこそ紡がれていく。とはいえクライアントのなかで、「なんのために創るか」がはっきり見えていないケースもあるのではないか。
石井氏「おっしゃるとおり、そうしたケースも少なくありません。その場合、まずはわかるところからうかがっていきます。たとえばコーヒーが好きなのであれば、どんなコーヒーが飲みたいか、それをどんな器で飲みたいか、その器はどんなテーブルに置かれていたら良いか、では椅子は?床は?と、どんどん拡張していきます。
そうしたプロセスをふむうちに、お客さまのクリエイティビティのカギのようなものが“ガチャリ!”と外れる瞬間があるんですよね。たとえば『寝室にいる時も、家族が淹れたコーヒーの香りが漂ってきたらいいな』とかです。そこから私たちが、『それなら壁の上部を空け、キッチンと繋がり感のあるオープンな空間にしましょう』などとご提案していきます。
建築のプロではないお客様に具体的な間取りや材質を挙げていただくのはなかなか難しい一方で、『その場所でやりたいこと』であれば、自然にいろいろ挙げていただけます。それを基点にお客様だけの物語を編み、具体的な間取りや材質に転換するのが、私たちの仕事です」
同社では、そうしたプロセスを行う際に心がけていることがある。「かしこまりました」と言わないことだ。
石井氏「これはどのビジネスにも通じる話だと思いますが、お客さまから『壁は赤で』と言われた時に、ただ『かしこまりました』と言うのではなく、きちんと理由まで聞くようにしています。それをしないと、赤は赤でもニュアンスが違ってしまうかもしれないし、お客様の目的を叶えるには青の方がベターかもしれない。あるいは、そもそも赤にするべきは、壁ではないかもしれません」
そして同社がもう一つ重視しているのが、その時のことだけでなく、住んだ後のこともシミュレートすることだ。
石井氏「住まいを設計する際には、どんなふうに住んでいくかや、どのくらい住むかも重要なポイントになります。だからお客様とは、『10年ぐらい住んで、キャリアの節目で住み替える』『少なくとも子どもが独立する20年ほどは住み続けたい』『家族の形態にあわせて、継続的にリノベーションしていきたい』『まだ決まっていない』といった将来のシミュレーションも必ず行うようにしています。
初めにそうした話をすることで、頭のなかに物件を手放すことをふまえた“回路”のようなものができ、住んだ後に近隣の不動産チラシなどにも自然と目がいくようになります。先々の不動産価値を読むのは難しいからこそ、そうやって相場感をなんとなくでも追っておくことが、売却を成功させるカギともなります」
上っ面ではなく、質感や迫力がともなったデザイン
生活スタイルの変化に合わせ、リノベーションを複数回行った事例もある。同事例の夫婦は、10年ほど前に約70㎡のマンションを都内で購入し、ブルースタジオにリノベーションを依頼。その時はまだ子どもはいなかったが、将来子どもが生まれることも想定した。その後、子どもが2人生まれ、かつコロナ禍で在宅勤務が増えたことで、年長の子どもの個室を設けるべく再リノベーションを行った。
同事例は、「リノベーション・オブ・ザ・イヤー2021」を受賞。創品タイトルには「リノベは続くよどこまでも」と付けられた。ご夫婦は、年少の子どもが大きくなった際に個室を設ける“再々リノベーション”も視野に入れているという。
こうしてブルースタジオの設計は、ただ見た目の良さを追求するのではなく、顧客のオリジナルな物語にひもづいてデザインされる。つまりは、「機能的な目的」に基づいている。またそこには、顧客の将来の時間軸も織り込まれている。だからこそ、その設計物は、上っ面のデザインや奇抜さではなく、質感や迫力のともなった「おしゃれさ」「かっこよさ」となるのだろう。
そんな同社はこの先、未来に向けどんな価値を提供していこうとしているのか。
石井氏「多様な住まいの選択肢をご提供するという大きな軸は、今後も変わりません。そのなかで近年ウェイトが増しているのが、社会課題に向き合うことです。たとえばコロナ禍前の東京では、通勤時間も勤務時間も長く、仕事に関わる時間が全国平均より圧倒的に長いというのが実状でした。かつ子育て環境も、待機児童の問題もあり、非常に厳しいものがあります。
そうした社会的な課題を、リノベーションで改善できる場合があります。たとえばリノベーションをしたことで、限られた時間で行う家事が効率的にできるようになったとか、子育てに大切な規則正しい生活リズムが創りやすくなったとかです。そのように、クライアントの要望に応えながら社会課題の解決にも寄与できる取り組みに、今後は一層注力していきたいです」
また、同じく社会課題の解決にも繋がる取り組みとして同社が今後伸ばしていきたいと考えるのが、部分的な小規模リノベーションだ。
石井氏「たとえば日本の玄関はせまいことが多いですが、部分リノベーションで土間を大きくすることで、愛するバイクを飾ったり、鏡を置いて靴を含めたコーディネートスペースにしたりと、暮らしの豊かさがグッと広がります。最近では、家を出る直前も家に帰った直後も寄る場所は洗面台ということから、玄関に小ぶりの洗面台を設ける事例も増えています。
また家のなかの廊下は、ただの通路であることが多いですが、創りによってはちょっとしたワークスペースやピアノスペース、仮眠スペースなどに転用できる場合があります。リノベーションと聞くと全面改修のイメージが強いかもしれませんが、部分的なリノベーションでも暮らしを大きく改善することができますし、当然こちらの方が環境負荷は小さいので、積極的にご提案していきたいです」
「クライアントオリジナル」を追求することで、リノベーションという言葉と価値観の普及に大きく寄与した、ブルースタジオの20年。対して今後の20年の活動は、クライアントオリジナルを突き詰めつつ、より社会にコミットしたものとなりそうだ。リノベーションを通して社会の、そして地球の課題に向き合う価値観が世に定着した時、そこにはリノベーションならぬ新たな言葉が誕生していることだろう。
執筆/田嶋章博 撮影/西村満 編集/サカヨリトモヒコ(BAKERU)