青森県八戸市の中心市街地には市役所や公共施設が集まり、八つの横丁には個性的な飲食店が軒を連ねる。そのちょうど中央にある「八戸ブックセンター」は、全国でも珍しい“市営書店”として2016年にオープンした。
館内にはソファはもちろん、ハンモックもあり、コーヒーやビール片手にゆったりと本を読むことができる。気に入った本を買い、そのまま近くの「八戸まちなか広場マチニワ」で読むのも良し、余韻を楽しむために飲み屋に足を伸ばすも良し。八戸では、八戸ブックセンターを起点に「本のある暮らし」が実現している。
だが、そもそも市内には図書館もあれば、もちろん民間の書店もある。なぜそこへ新たに公共施設として公営書店をつくるに至ったのか──。背景には当時の市長の強い思いと、書店が「売れ筋」重視にならざるを得ない、地方ならではの課題があった。
オープンから丸5年が経った今、八戸ブックセンターの役割や、本を介して築いた市民との関係性も確立しつつある。それらを明らかにし、地方で「読書文化」を育む意義をひもとくために、市の職員であり八戸ブックセンター立ち上げから関わる所長の音喜多信嗣氏と、おもにイベントや広報などを受け持つ企画運営専門員の熊澤直子氏、太田博子氏に話を聞いた。
“情報”は地域の文化力。「本のまち八戸」が誕生した理由
八戸市中心街の裏通りに建つ、遠くからでも目立つ真っ赤な外壁の施設。その一角に目をやると、重なる2冊の本を「八」の字に見立てたロゴが──。八戸ブックセンターは、店舗やオフィスが入居する複合施設「Garden Terrace」の1階にある。入ってすぐに雑誌やコミックが積まれる見慣れた風景ではなく、絵本や専門書、学術書、はたまた古書までが混在し、テーマごとに陳列されている。
レジカウンターではコーヒーを注文することができる。カフェのように、一杯ずつ丁寧にハンドドリップされたコーヒーだ。そのほかビールやワインといったアルコールもそろっていて、ゆったりと飲みながら本を試し読みできる。
選書に特色のあるセレクト書店は全国に数あれど、この八戸ブックセンターが特徴的なのは、それを運営しているのが八戸市だということ。
八戸ブックセンターは、「八戸に『本好き』を増やし、八戸を『本のまち』にするための、あたらしい『本のある暮らしの拠点』」をコンセプトに、全国に類を見ない公営書店として、2016年12月にオープンした。
八戸市では、八戸ブックセンターができる前から、市民が本に親しめるような取り組みが行われてきた。前市長の小林眞氏が、2013年の市長選の政策公約として掲げた「本のまち八戸」を実現させるための取り組みとして、2014年からスタートしたのが、子ども向けの事業。生後90日~1歳未満の赤ちゃんとその保護者に絵本をプレゼントする「ブックスタート事業」と、市内の小学校に通う全児童を対象に、市内の書店で使える2,000円分のクーポンを配る「マイブック推進事業」がある。
その2年後となる2016年12月、満を持してオープンしたのが八戸ブックセンターだ。大人も子どもも本に親しむための公共施設としての役割を持つ。
もちろん八戸市内には図書館があり、市立の各小中学校には図書室もある。それでも「書店にも行ってほしい」「家の本棚に自分の好きな本を入れてほしい」というのが、当時の市長の考えだったという。八戸ブックセンターの音喜多信嗣所長はこう話す。
音喜多氏「前市長はもともと、東京へ出張に行くたびに本を紙袋いっぱいにまとめ買いするほど、本好きな方でした。以前は八戸にもマニアックな書籍まで幅広く取り扱っているような民間書店がありましたが、年々そういった書店も少なくなってきました。自身の経験からも、情報を得られる機会が減ってしまうことは、地域の文化力に影響するという考えに至ったとのことです」
本による情報への接点を増やすことで、地域の文化力を高めるため、「本を『読む人』を増やす」「本を『書く』人を増やす」「本で『まち』を盛り上げる」の3つを基本方針に掲げ、その象徴となる「本のある暮らしの拠点」を市営書店として体現することにした。
これまで前例のなかった市営書店を立ち上げるにあたり、下北沢にある新刊書店「本屋B&B」や、出版社「NUMABOOKS」を経営するブックコーディネーターの内沼晋太郎氏をディレクターに迎え、空間づくりについてのアドバイスを受けることに。本屋B&Bの特徴でもある、ドリンクを飲みながら本を立ち読みできるスタイルを参考に取り入れた。
官民が補完し合い、より豊かな読書体験を
本を「共有」して読むための公共施設が図書館だとしたら、本を「私有」して読むための公共施設が八戸ブックセンターだ。だが、本を購入して「私有」するのは、民間の書店でもできる。近年では減ってきているとはいえ、もちろん八戸市内にも民間書店はある。音喜多氏は八戸ブックセンターのオープンに際し、民間ではなく八戸市が書店を運営する意義と、「あくまでも公共施設であり、民間との競合関係ではない」ことを、地元書店に伝えたという。
当時、市内にあった20店舗ほどの書店を一軒ずつ訪れ、八戸ブックセンターの第一目的はあくまで「本を『読む人』を増やし、本で『まち』を盛り上げる」こと。取り扱うラインナップは民間書店と異なり、取り寄せや予約などは八戸ブックセンターでは引き受けず、民間書店での注文を案内することなどを説明。すると、地元資本の老舗書店が運営に協力したいと声を上げたという。現在は「カネイリ」「木村書店」「伊吉書院」の3社がLLP(有限責任事業組合)をつくり、仕入販売や店頭業務などを八戸ブックセンターから業務委託している。
こうして、所長の音喜多氏を含む八戸市の職員と、民間書店の組合のスタッフ、そして八戸ブックセンターに勤務するために採用された企画運営専門員が一緒に働いている。
企画運営専門員の中には、都内の大手有名書店の出身者や、地元書店を経験したスタッフがいる。企画運営専門員の熊澤直子氏は、青森市の書店で6年、野辺地町の書店で2年経験したのち、八戸ブックセンターに勤務。地方の書店販売員としての経験から、地方が抱える課題についてこう話す。
熊澤氏「地方の書店では、ベストセラーなどの売れ筋商品を置くのがメインになっています。売れ筋商品の中には健康法や歴史など内容に不確かなものもあって、モヤモヤしながら販売した経験もあります。でも、ベストセラー以外にも良い本ってたくさんあるんですよね。ここではそういう本を自信を持っておすすめできるんです」
八戸ブックセンターで取り扱うのは、自然科学や人文・社会科学、芸術といった学術書、専門誌のバックナンバーに絵本や洋書、地元出身・在住作家の作品や個人制作のZINE(ジン)……。中には手に入りづらい古書もある。いずれも都市部の大型書店や専門の書店まで足を伸ばさなければ見かけないようなものばかり。民間書店だけではなかなか取り扱えない本をそろえることで、八戸の書店機能を「補完」しようとしている。
本棚のつくり方も特徴的だ。「宇宙」「人体」あるいは「猫」「どう生きるか」といった大まかなテーマのもと、専門書や絵本、文庫本などが混在して並んでいる。本の形式やジャンルにとらわれず、直感的に気になる本を選べるような仕組みになっている。
例えば、棚の下方に「元素」や「科学一般」、上へ目をやると「宇宙」といったテーマへと、ミクロからマクロへと広がっていくような演出などもある。
音喜多氏「お客さまの関心はさまざまですが、『あれ、何これ』と手を伸ばしてもらえるように、いろいろと入れ替えたり試したりしながら、お客さまへ向けて本棚をつくっています」
熊澤氏「『星をよむひと』というテーマのコーナーには、月の呼び方を紹介する『月の名前』という本や、映画ドラえもんの小説『のび太の月面探査機』などが一緒に並んでいます。インターネット書店で関連書籍をレコメンドされるのとは違う、突拍子もない本との出会いって、書店に足を運んでいただくからこその体験だと思います」
その他、地域の催しものや季節の行事に合わせた棚をつくったり、地元出身の作家を大きく取り上げたり。「ジャズの郷」として知られる八戸市の南郷地区にちなみ、過去には大きい棚を全面ジャズにしたこともあった。八戸にゆかりのある人々に選書を依頼する「ひと棚」というコーナーもある。地元の大学・高専の教授、八戸と関連のある企業の経営者なども選者だ。本を介して地域文化を伝えるのも、八戸ブックセンターの役割となっている。
“読む人”だけでなく“書く人”を増やすための「カンヅメブース」
八戸ブックセンターの基本方針の一つである「本を『書く人』を増やす」。それを叶えるべくつくられたのが、「カンヅメブース」だ。その名の通り、“カンヅメ”になれる執筆専用の個室で、利用者登録すれば無料で使い放題だ。ジャンルを問わず、「誰かに読んでもらいたい」と何かを執筆する人であれば、市民でもそうでなくても誰でも登録できる。
館内に2部屋あるカンヅメブース。あるのは机と椅子、デスクライトのみ。Wi-Fiと電源、冷暖房を完備しており、思う存分執筆に集中することができる
筆者自身、利用者登録をして、執筆する際には積極的に利用させてもらっている。雑誌のレイアウトを考えていたとき、スタッフの方に相談したところ、参考になりそうなパンフレットやPR誌類を譲っていただいたこともあるなど、手厚いサポートにはいつも助けられている。だがそもそも、書店に執筆専用室があるのもめずらしい。“本を読む人”だけではなくて“本を書く人”を増やそうとするのはなぜだろうか。
音喜多氏「“読む人”を増やすためには“読むための本”が必要ですよね。もとをたどると、“書く人”がいないと成り立たない。もちろん前例がない設備なので、本当に使ってもらえるかどうかの不安はありました。でもオープンして数年経ってみると、一番よく使われているのは、実はカンヅメブースなんです。背中合わせになったブースの利用者さん同士が仲良くなったケースもあります。
利用者は、小説家さんやライターさん、自費出版する方などがメイン。さらに、就学前のお子さんが『絵本を描きたい』と、お母さんと一緒に来てくれたこともありました」
八戸ブックセンターでは作家や書評家を招いて執筆・出版のためのワークショップを行ったり、短歌の講座を開いたりしている。「書く場」だけでなく「学ぶ場」も提供しているのだ。実際にカンヅメブースで執筆して、出版された作品も出てきているという。“書く”ことそのものは孤独な行為だが、“書く人”や“書きたい人”が出会い、文章のテーマや形式は違えど“同志”を見つけることで、“書く”ことを後押ししてくれる場になっている。
一方で、本を読む習慣のない市民もいるため、より裾野を広げるようなイベントも積極的に行っている。企画運営専門員で、美術館や一般企業に勤めていた経歴を持つ太田博子氏は、こうしたイベントを企画・運営する一人だ。
太田氏「本が好きな方に注目してもらえるイベントだけでなく、本への興味の入り口になるようなイベントも企画しています。例えば、小説に登場する料理を市内の飲食店に再現してもらうイベントを開催したときには、『そのお店の料理だったら食べてみたい』と、本を読んでいない方も足を運んでくださいました。そこから、『本を読んでみようかな』といったきっかけをつくっていけたら」
八戸市ゆかりの作家、髙森美由紀氏を取り上げ、作品に出てくる料理の数々を再現し、近くの「八戸ポータルミュージアム はっち」の飲食店などで販売した
併設するギャラリーでも、ブックデザイナーの仕様書を紹介する展示や、絵本の原画展といった本にまつわる展示、さらに三菱製紙八戸工場の協力により「紙の本ができるまで」の過程を追う展示を実施。さまざまな角度から本にまつわるイベントを行うことで、まずは八戸ブックセンターへ来てもらえるような工夫を凝らしている。
本とまちのハブとしての存在
八戸市の中心市街地のメインストリートは、直線距離にして全長1km程度。八戸ブックセンターは、コンパクトな中心街の真ん中くらいにあり、街を回遊する拠点として、“ハブ”のような役割も担っている。
例えば施設の向かいには、アートディレクターの森本千絵氏がロゴやオブジェをプロデュースした「八戸まちなか広場マチニワ」があり、さらに道路を挟んだ先に地域観光交流施設「八戸ポータルミュージアム はっち」がある。昨年11月にリニューアルオープンしたばかりの「八戸市美術館」も徒歩圏内で、屋台村「みろく横丁」をはじめとする個性的な飲食店も集まる立地だ。
八戸ブックセンターのスタッフは、観光客からおすすめの観光スポットやお店を聞かれる機会も多いという。
熊澤氏「民間書店では、その日に入荷した雑誌や書籍を慌ただしく店頭に並べ、『いち早く目当ての本がほしい』というお客さまをできるだけお待たせしないような接客をしていました。一方、八戸ブックセンターには公共施設ならではのゆったり感があって、お客様とも親しくコミュニケーションができている実感があります」
太田氏「県外から来られたお客さまが『明日の予定がまだ決まってない』とおっしゃるので、ちょうど翌日開催予定の公開講座をおすすめしたことがありました。八戸工業大学との共催で、種差(たねさし)海岸を歩きながら植物学者と菌類学者の方に解説していただくのですが、実際に参加されて『楽しかったよ』と、2日連続で八戸ブックセンターにお越しいただくことになりました(笑)。市役所の業務としてはなかなかできないことかもしれませんが、自分のおすすめのお店をご紹介することもあります」
どこかに観光しに行ったとき、地元の方に「おすすめのお店を教えてほしい」と気軽に話しかけられる機会はそうあるわけではない。役所でも民間書店でもない、公共の書店だからこそ生まれているコミュニケーションがそこにはある。ガイドブックのおすすめスポットをただなぞるのではなく、そこで暮らす人と会話し、誘いに任せて足を運ぶことに意味があるのだ。
ハブとしての役割は他にも見られる。八戸では読書に関するコミュニティがもともと存在し、市内には複数の読書会団体と、それを取りまとめる「八戸市読書団体連合会」があるという。八戸ブックセンターでは読書会の活動に参加するための窓口のような機能も担っている。
太田氏「八戸ブックセンターの中には無料で貸し出している読書会ルームがあり、本を読んで意見交換をする場として使っていただいています。読書会の開き方をレクチャーしたり、参加したい方がいたら団体の主催者におつなぎしたり。小学生から高齢者まで、幅広い年齢の参加者が集まっています。八戸ブックセンターのイベントでお呼びした著者の方をご紹介する形で、連合会のほうで著者との懇親会「作家を囲む会」が企画されたこともありました。
知らなかったことや楽しみ方をシェアしてくれるので、お客さまから教えられることもたくさんあります。本という財産をみんなで楽しもうという雰囲気があるんです」
公共施設としての書店は、未来への種まき
「本屋で本を買う」という体験には、ネットで本を購入する以上に、私たちの五感を刺激する要素がある。本屋に入って、ふと目に入る表紙、ページをめくったときの紙の匂い、ずしりとした本の重み……。気に入った本に出会うときのあの感覚は、直感的としか言いようがない。八戸ブックセンターが提供しているのはまさに、そういった本との“偶然の出会い”だ。
太田氏「『表紙がかわいいからなんとなく手に取ってみた』とか、『時間があったからたまたま見た』といった偶然の出会いをきっかけに、まったく興味のなかったことを知りたくなったり、異なるものの見方を知ることができたりする。それがオンライン書店のレコメンドとは違うところですし、『人生の選択肢』が増えることだと思うんです。できればそういう経験をより多くの方に実感してほしい」
音喜多氏「八戸ブックセンターにはあえて検索機を置いていません。ふらっと立ち寄って、ときには私たちと話して、偶然に本と出会ってほしい。そこから波及するように『知へのいざない』を創出できたら」
「いまはなかなか行き来できませんが、まずはぜひ、足を運んでいただきたいんです」と口々に話すお三方。その熱意に触れ改めて感じるのは、「八戸ブックセンター」が、「本との偶然の出会い」を創出する場であり、それと同時に「人と人とを結ぶ」場でもあるということだ。「本が好き」「執筆している」「イベントに興味がある」……そうした共通点を介して、人と人が出会うことは、その人の人生はもちろん、まちをより豊かなものにするのではないだろうか。
八戸ブックセンターが誕生して丸5年が経過した。
前例のなかった市営書店に対し、当初は異を唱える市議会議員もいたが、ここまでの確かな実績を受けて柔和な反応になりつつあるという。全国から視察に訪れる団体も多く、コロナ禍の前には年間100件ほど受け入れていたそうだ。八戸ブックセンターや図書館以外でも「本に出会える場所」をつくろうと、2018年8月からは「ブックサテライト増殖プロジェクト」をスタート。市内のカフェや金融機関などに小さな本棚を設置し、誰でも閲覧することができる。名実ともに八戸は「本のまち」になりつつある。
かつての市長が描いた、“地域の文化力の向上”の効果は、すぐに目に見えるものではないのかもしれない。しかし、目先の数字を気にしすぎることなく中長期的な目標やビジョンを持てるのが、市が運営していることの強みだろう。
八戸ブックセンターは、未来へ向けての種まきをしている最中だ。
執筆/栗本千尋 編集/大矢幸世 撮影/蜂屋雄士