“チェキ”の愛称で親しまれる、富士フイルムのインスタントカメラ「instax」シリーズ。
その最新機種「instax mini Evo」(以下:「mini Evo」)が、注目を集めている。家電量販店・ネットショップの実売データを集計する「BCNランキング」によると、販売価格は2万5,800円(税込)とチェキの現ラインアップでは最高価格でありながら、発売した2021年12月のデジカメ市場では機種別販売台数シェアの10.7%で1位を獲得。さらに、「mini Evo」の売上により、富士フイルムは同月のデジカメ市場(コンパクトデジカメ、一眼レフ、ミラーレス一眼を合わせた全体)にて、メーカー別販売台数シェア2位となった。
1998年から販売を開始したインスタントカメラ“チェキ”「instax」は、現在では日本を含む、世界100か国以上の国と地域で販売されている。2018年には国内外における年間販売台数が1,000万台を突破。
商品が売れ続ける理由は様々だが、大前提としてユーザーが満足する商品を作る必要がある。商品を一人では作れないことがほとんどである以上、チーム間の連携は必須だ。
今回はヒット商品とチームの関係を紐解くため、「instax」の企画・マーケティングを含め「instax」全体統括として、「何を作るか」の責任を負う高井隆一郎氏と、長年「instax」の開発に携わり「どう作るか」の責任を負う技術マネージャーの橋口昭浩氏にインタビューを実施。
「チームみんなで作る」といえば聞こえはいいが、メンバーが各自の専門性を発揮するゆえに、意見がぶつかりあうこともあるはずだ。こうした現実に富士フイルムはどう向き合い、ものづくりを行うのだろうか。「instax」チームの開発プロセスを伺った。
誰に届けるかを決める時から、開発チームと一緒に
──『mini Evo』、かなりの人気商品ですよね。私もユーザーとして愛用させていただいています。
高井:ありがとうございます。『mini Evo』の感想で一番うれしかったのは、「チェキって俺のものじゃないと思ってた。けど買っちゃった」「使ってみたら、全然アリ」といった男性ユーザーたちからの声です。まさに『mini Evo』を届けたい層だったので、「よし!」と思いましたね。
橋口:Instagramを見ていると、写真だけではなく、カメラ自体を撮って載せてくださっている方も多いんです。デザインや質感にこだわっただけあって、カメラも一緒に写したい、所有していること自体がうれしい、と感じていただけているのかなと思います。
──新商品を開発される際は、まず何から始めるのでしょうか。
高井:誰に届けたいのか、を明確にするところからですね。誰に届けるのかがブレると、アイデアの良しあしが判断できず意見がばらばらになったり、年長者や役職が上の人の意見に単純に流されてしまうからです。
ユーザー像を決めるときに気をつけているのは、性別や年齢といった単純な属性でくくらないこと。
住まいや家族構成、興味関心、ライフスタイルなどはもちろん、『instax』を使うとしたら、どんなシーンで、どんな気持ちなのか。そうした内容を話し合いながら、届けたい人の像を明確にします。
橋口:珍しいかもしれませんが、誰に届けるかを決める時点から、開発チームと一緒に取り組んでいるんです。『instax』の開発チームは、今のコアユーザーであるZ世代より世代が上のスタッフばかり。『instax』のコアユーザーとは好みも全然違うので、チームで「これが良いよね」と言っていたデザインや機能とユーザーの意見との間にもギャップがあることが多いです。
高井:『instax』にデジタル技術を積極的に取り入れ始めた頃は、「マーケティングチームの中で一回意見をまとめてほしいです」「もっと具体的な議題でないと、会議が前に進みません」といった声が開発チームから上がり、うまく連携が取れていませんでした。
橋口:けれども、マーケティングチームと開発チームの間での議論を続け、 ヒット商品が出て、ようやく一緒に考えるのが当たり前になってきましたね。
高井:今では、議論がまとまらなくて、1、2時間何も進まないこともあります。
橋口:あるある(笑)。でも、その時間にこそ意味があると感じています。なぜなら、関わる人が一人でも腹落ちしていないと、その人はずっとモヤモヤしたまま開発に携わることになるからです。納得感がないと、それが製品に反映されたり、途中で決まったことがひっくりかえる可能性があります。 みんなでとことん議論する場が定期的に設けられていることが、良いプロダクトにつながっていると思うんです。
「これ、いるの?」の繰り返し
──『mini Evo』は、これまでの『instax』が主流としてきたポップなデザインとは異なる、クラシカルなデザインで、プリントレバーやダイヤルなどのアナログな操作感が魅力的ですよね。なぜ、このデザインが採用されたのでしょうか。
高井:『mini Evo』は、2020年4月に発売したモデル『instax mini 40』同様にクラシカルなデザインベースにしたものです。『instax mini 40』は、これまで『instax』を手に取らなかったユーザーにも使ってほしいという背景から生まれた機種。クラシカルなデザインを大きな方向性として採用したのは、2013年に『instax mini 90 ネオクラシック』というクラシックデザインの機種を出したときに、世代問わず評判が良かったからです。
──『mini Evo』のクラシックデザインには、どんなこだわりがありますか。
高井:『mini Evo』のこだわりは、持っているだけでうれしくなるカメラです。ダイヤル操作でエフェクトを選択することや、レバーを引いてプリントすることができて、アナログ操作によって作品を楽しめる。ただシボ皮の具合へのこだわりに加え、操作パーツもただ増やすだけでなく、操作感などに徹底的にこだわりました。
なので、開発チームとはたくさんやりとりしました。「良いものができたよ」と開発部が持ってきたレンズダイヤルの操作感に調整を加えた試作品を、「この硬さだと、片手では操作できないね」と戻す。すると今度は、柔らかくなり過ぎてしまって、「もうちょっと硬くして」とまた戻す。
橋口:実のところ、最初は「本当にいる?」と思うパーツもありました。例えば、プリントレバーがそれに当たります。普通に考えたら、ボタンを押すだけでプリントできる方が手間がかからなくて良い。でも、ユーザーはレバーを引くひと手間が使用感として良いと言う。銀塩カメラのフィルムを巻き取るレバーを彷彿とさせるからです。
高井:こうしたパーツは、中途半端なクオリティで付けるぐらいだったら、ない方が良い。そもそも写真の出力やフィルター機能を操作するだけなら、レバーやダイヤルである必然性もありません。それでも、その一つ一つの音や質感にコストや時間をかけてこだわって作るのは、ユーザーに「良いものを買った」と実感して頂きたいからです。
橋口:なので、納得するまで何回も議論を重ねます。開発チームとしては安定供給を実現するために、性能を一定のコストで実現する必要がある。一方で、マーケティングチームの提案では、実現したい製品と目標コストの間にギャップがある提案が上がってくる。開発からもアイデアを出し、そのギャップを埋めるまで何度も繰り返します。
高井:企画と開発の間では、「本当にそのパーツが必要なのか」「その機能が必要なのか」という議論がいつも繰り広げられています。もはや戦いですよね(笑)。
思った通りのものが出てきたら、面白くないじゃないですか
──デザイン面だけでなく、機能の面でもこだわりを感じます。例えば、色彩を豊かに表現できる“instax-Rich Mode”(以下:リッチモード)。発色の良さにおどろきました。
高井:私たちもリッチモードでプリントした写真を見たとき、これはユーザーが喜ぶぞ、と思ったんです。「写真の色彩は豊かな方が良いだろうから、一律にリッチモードにしてしまおうか」という意見も出ました。ところが、「どちらが好きですか?」とユーザーに聞いてみると、「元の『instax』の色味の方が断然好き」というユーザーも半分ほどいた。つまり、ユーザーにとって大事なのは、自分が表現したい写真が撮れること。色彩が豊かになることは、そのための選択肢の一つなんだと気付かされました。
良い画質で残したい人も、これまでの柔らかい風合いが好きな人も、どちらの期待値も削がないように“通常モード”ではなく“instax-Natural Mode”(以下:ナチュラルモード)という名前で、元の画質でもプリントできるようにしたんです。
ちなみに、普段はリッチモードとナチュラルモード、どちらで撮影されることが多いですか?
──基本はリッチモードですね。私はデジタル一眼カメラも持っているので、現像したときの色味にもこだわりたいんです。でも、ナチュラルモードもチェキらしい写真を撮る時に使います。リッチモードとナチュラルモードがそれぞれ違う質のものとして共存しているところが、『mini Evo』の好きなところです。なので、10通りのフィルムエフェクトと10通りのレンズエフェクトに、2通りの画質が加わり、同じエフェクトでも2倍楽しめると思っています。
高井:2倍楽しめるって表現、いいですね。今度使おうと思います。
橋口:なんだか、ユーザーインタビューみたいですね(笑)
──ユーザーの声に耳を傾けることが習慣になっているのかもしれませんね(笑)。ちなみに、製品の開発中は、今のようなユーザーインタビューをよくするのでしょうか。
高井:社内で一通りデザインを決めたら、モックアップを作って、必ず対面のユーザー調査をします。そのとき見ているのは、モックアップを出した瞬間のユーザーの表情です。むしろそれが全てと言っても良いくらい。
なぜなら、みなさんだいたい気を遣ってくださって、「ダサい」と思ってもまず口には出さないんです。ところが顔にはそれが出る。そこを見ています。
数千人単位のユーザーに対してオンラインで実施するような定量調査も行っていますが、オンラインやペーパーのアンケートで得られる情報には限界があると感じます。
橋口:やはり、対面でユーザーから学ぶことがすごく多いですよね。「『instax』で撮るとその場の空気ごと切り抜ける感じがする」なんて表現をされたり。そういった言葉は社内からはなかなか出てこないですから。デジタルのぱきっとした写真が主流の中、全く違う一つのエンターテイメントになってるんだな、と『instax』の価値を逆に教えられている気持ちになります。
高井:ただ、ユーザーの声をそのまま商品に反映するわけではありません。だって、思った通りのものが出てきたら、面白くないじゃないですか。やっぱり出す商品、出す商品、新しいものを作って、おどろきを与えたい。
例えば、「アナログ感が好き」という意見があったら、アナログ感と定義しているものは何かを深掘り、それを体験できるデザインや機能は何か、想像を膨らませます。
だから、デザインや機能の方向性が固まったあとはユーザーに「答え合わせ」したりはしないんです。
橋口:期待を超える価値を提供する一方で、ユーザーの期待外れにならないことも大切です。『mini Evo』はスマートフォンから写真を転送してプリントできるようにしています。今は何でもスマホとつながる時代で、むしろスマホとつながらない方が不便に感じる。そのため、2019年に発売した『instax mini LiPlay』以降、Bluetoothでスマホと簡単につながるようにしています。
高井:「instax mini LiPlay」の商品企画時には、カメラでありながらスマホの写真をプリントできる機能を持たせるのは如何なものか?との社内議論がありました。当社はそれまでにスマートフォン用プリンターを発売していますし、技術上は可能です。でも当時はその判断をしなかった。
スマホ写真をプリントできるようになったら『instax』の良さがなくなってしまうという結論になったんです。カメラはカメラだけの機能を持った方が良いと。
ただ、時代が変わればそれに応えなければならない。当たり前に実装されるべき価値と期待を超えていく価値、その両方を取りこぼさないことが、プロダクト開発において重要であると考えています。
アナログとデジタルの良いとこ取りが、独自の価値
──最後に、『instax』が変わらずにユーザーに提供し続けている価値についてお聞かせください。
橋口:高品質なプリントですね。それを可能にしている撮影、感光、現像の技術が一緒くたになっているのは『instax』ならでは。2000年以降にカメラ付き携帯電話が登場しても、ライブハウスのイベントや結婚式、観光地の記念撮影において、その場で写真が手に入る『instax』には底堅い需要がありました。
高井:プリントをするときの「ジーッ」という音も『instax』の大事な体験価値の一つとしてユーザーに提供し続けているものです。
“チェキ”instax mini Evo プロモーションビデオ/富士フイルム
橋口:音量を下げようと思ったら技術的には可能です。でも、これをなくしてしまうと『instax』らしさがなくなってしまうと思っています。この音も、ユーザーの方が『instax』を好きだと思ってくれている要素だと思うので。
──デジタル技術とアナログな体験、この二つが共存するからこそ、『instax』は独自の価値を提供できているのですね。
高井:2019年に『instax』の価値を改めて考え直して、「don’t just take, give.(とるだけじゃない、あげたいから。)」というプロモーション用のタグラインをつくりました。
つまり『instax』は撮ったその場で写真を手に入れることができる。だから、撮ったその場でチェキプリントを相手に贈り、会話を楽しむことやチェキプリントで自己表現できることが、『instax』の価値なのだということをグローバルに伝えていこうと決めたんです。
写真を撮る行為と、誰かにあげる行為を通じて、ユーザーの方が何かを成し遂げたり、楽しい気持ちになったら良いなという思いを表しています。
それを実現するために、デジタルとアナログ、両方の良いとこ取りをして、常にユーザーの期待を超える新しい体験を提供していきたいですね。
橋口:そうですね。これまでの『instax』のイメージを維持しつつ、デジタル技術でどんどん新しい体験を作りたい。生みの苦しみもあるんですけど、これまで以上にマーケティングチームやデザインチームなどのメンバーと年齢関係なく一枚岩となり、互いの良いところを引き出しながら、開発に携わり続けたいですね。
執筆/藤田マリ子 編集/イノウマサヒロ 撮影/植村忠透