普段の暮らしのなかで、「まちの取り組み」を意識する機会はあるだろうか。子育てや介護などに関して、自治体のサイトや広報誌を見ても「自分が必要とする支援がない」と感じている人も、少なくないかもしれない。これがもし民間の商品やサービスなら、もっと良いものを探そうという気にもなるが、行政ならしかたないとあきらめてしまう場合も多いのではないか。
そんななか、兵庫県明石市がにわかに注目されている。「やさしい社会を明石から」をスローガンに、「こどもを核としたまちづくり」をはじめ福祉関連の政策を拡充。2013年以降9年連続で人口が増加し、働き盛りの世帯を中心に転入が増えたことで、税収も32億円増加した。2018年には合計特殊出生率1.70と、国の1.42を上回っている。
「市民のニーズを把握して、それに応える。だから市民の満足度が高まり、人口が増えるんです」
そう語るのは、2011年から明石市長を務める泉房穂氏だ。2019年に“暴言”で辞職したが、その直後の市長選で7割の得票率を得て再選。就任以来推進してきた政策とまちづくりが、今も新たな市民を呼び続け、経済の好循環にもつながっている。
明石市はなぜ、子どもを対象とする施策を第一に推し進めるのか。「市民目線」で取り組んできたその経緯と背景、市民とまちに生まれた変化について、話を聞いた。
「子ども支援」に力を入れたから、経済の好循環が生まれた
JR山陽本線の新快速で、神戸(三宮)から15分ほど。明石駅が近づくと、海の向こうに明石海峡大橋が見えてくる。古くから交通の要衝として栄え、戦後は阪神都市圏のベッドタウンとしても発展してきたのが、兵庫県明石市だ。
2000年代には他の地方都市の多くと同様、人口が減少した時期があったが、2013年を境に再び人口増加へ転じ、9年連続で増えている。2020年の国勢調査では、62ある中核市のなかでもっとも人口増加率の高い都市となった。市民の生活満足度も上昇し、明石市が2019年に実施した「まちづくり市民意識調査」によれば、「明石のまちに愛着を感じる」人の割合は90.8%、「住みやすいと思う」人は91.2%と、いずれも9割を超えている。
転換を促した一番の要因は、2011年に市長に就任した泉氏の掲げる「こどもを核としたまちづくり」だ。とりわけ、所得制限なしで実施する高校3年生までの医療費無料、第2子以降の保育料無料、中学校の給食費無料、公共施設利用の無料、オムツの無料配達(0歳児見守り訪問)の「5つの無料化」の実現など“子どもを本気で応援する”政策が、子育て世帯の支持を得て、移住を大きく促した。
2016年12月にオープンした明石駅に面した複合施設「パピオスあかし」も、泉市政の象徴的な存在と言える。飲食店や大型書店、クリニックやヘアサロンといった民間施設とともに、「あかし子育てひろば」、市立図書館や市民広場、行政サービスの総合窓口など公共施設を新設。駅前からにぎわいが広がった。
経済も好況を見せている。明石市の中心部は新店のオープンラッシュで、コロナ禍にもかかわらず、2021年度は過去最高益になった商店街もあったという。賃貸や分譲住宅市場も堅調に推移し、地価も上昇。税収は増え続け、2010年度時点で70億円だった基金(市の貯金)は、2021年度には121億円に増えている。
「子ども」や「福祉」を先行させた特色ある政策が、確かな成果に結びついている。この状況について、泉氏は「スタートをどこに置くかの違いです」と説明する。
「日本の政治はよく、経済振興と称してとりあえず企業誘致をしたり、商店街にアーケードを造ったり、直接企業に支援をしますよね。でもそれで今、本当に経済は良くなっていますか? 明石市では、子育ての『負担の軽減』と『安心の提供』をすることで、安心して出産、子育てができ、買い物や外食がしやすいまちづくりをしました。それが商店、飲食店や住宅の活況につながっている。子どもに力を入れることが地域経済の好循環を生むんです」
他の地方都市のように、明石駅前の再開発でも、構想段階では市役所の半分が入居し、そのほかはゲームセンターやパチンコ店、消費者金融などが入居することになっていた。この計画を白紙にし、市民図書館や親子交流スペースなどの設置を実現したのが就任直後の泉氏だった。
「駅前ビルのテナントを入れ替えるとき、『ここに図書館と子育て広場があれば、商店街も儲かる』と説明しました。けど、誰も信じてくれませんでした。単純な話なんです。図書館で絵本2冊借りて、タダで遊び場を使えたら、5,000円分くらい浮きますよね。それならそのうち3,000円使って、子どもと一緒にご飯食べたりできますやん。
市民のみなさんから預かってる税金で、みんなが借りられる本を揃えるだけで、絵本2冊分のお金の余裕が何十世帯で生まれる。そのたびに駅前の商店街にお金が回る。事業者側でなく、『商店街でお金を使う側』、つまり市民の視点で物事を考えているだけなんです」
市民ニーズを把握するには「生身の声」があれば十分
2011年以降、「子ども」にフォーカスした政策を続けてきた明石市。公共事業の見直しを図り、下水道ネットワーク計画の予算を600億円から150億円に削減するほか、市営住宅新設取りやめなど業務の見直しや、専門職の活用による人件費圧縮など予算のやりくりで、その財源を生み出してきた。その結果、泉氏の就任当初126億円だった子ども関連予算は毎年10億円程度増え、現在では約258億円と2倍以上になった。さらに泉氏は組織人事改革を行い、子ども政策にかかわる担当職員を就任時の約3倍にした。
「公共事業を担ってきた建設業界はもちろん、市の職員にも『都市基盤整備こそまちづくりの基本』と考える人がいて、最初は大きく反発されました。全国市長会でもさんざん『あの人は変わり者やから』『やりすぎだ』と言われました。
でも市長には予算編成権と人事権があり、実際に行使できますから、“周りを全員敵に回す”覚悟さえあれば可能です。『泉が変わり者だから』できるのではなく、ただ本当にやるかやらないかだけの違いなんです」
明石市では子どもだけでなく、認知症の診断費用の無料化や在宅介護支援金などの高齢者支援はもちろん、障害のある人の支援や犯罪被害者支援など、「誰一人取り残さない施策」の拡大も進めている。それでも「子ども」がことさら注目されるのは、国レベルでは子育て支援がまだまだ手薄であることの裏返しだと泉氏は説明する。
「子どもは未来の社会の担い手ですから、すべての子どもを社会のみんなで支援すべきなんです。子どもを支援しない社会に未来はありません。子どもを支援することは、私たちみんなの未来を支援するということなんです」
泣いている子どもが一人でもいたら、助けに行く。誰も行かなければ自分が行く……「クサい言い方やけど、真面目にそう思っている」と話す泉氏。この「誰一人取り残さない」という姿勢が、支援を「所得制限つきの現金給付」といった貧困対策だけで済ませるのではなく、「すべての子どもへの未来施策」として、行政サービスを無料で提供することへのこだわりにも表れている。
実際に明石市では「5つの無料化」のほか、産前・子育て応援ヘルパー派遣や「子ども食堂」支援、中核市としては3例目(関西初)となる児童相談所(明石こどもセンター)の設置、養育費の立て替えなど、多角的に子ども支援策を実施。いずれも、明石市に住むすべての子どもを対象として実施している。
「日本の社会はまだ“子どもは親の持ちもの”という意識があり、なんでもかんでも親に責任を持たせようとする。持ち主の親が何をしようが『親の問題だ』としてしまって、結局、子どもに冷たいんです。
でも本来、子どもの人生の主人公はその子自身なわけですから、子ども自身を尊重すべきです。だから、親の所得による所得制限をかけず、みなさんから預かった税金を使い、行政サービスとしてすべての子どもを支援するんです。それが市民みんなの安心につながります。所得制限を設けて、頬を現金でひっぱたくような一時的なバラマキ政策では、支給を受ける人のプライドを傷つけ、一方で対象外の層からの妬みやっかみなど、社会に無用な分断を生むだけです。経済効果も望めません」
貧困層だけでなく、中間層も可処分所得が減り続けるなか、将来にさまざまな不安を抱く人々の立場に立ち、まずは目の前の市民の声を聴く。ニーズを把握し「経済的な負担」と「もしもの不安」を軽減する。安心して子どもを産み育てられると信頼されれば、人は集まる。子育て負担が軽くなり消費にお金が回れば、経済が上向き、税収が増え新たな制策をする財源もできる——まちの好循環を生む発想、“スタートの違い”が、泉氏のまちづくりのベースにある。
今なお続くコロナ禍においては国に先んじて、ひとり親家庭に対し、児童扶養手当に5万円上乗せする支給を二度に渡って実施。また、養育費の緊急支援に加え、高校進学が困難となった学生に「あかし高校進学応援プロジェクト」で100名に奨学金を給付し、学習支援なども実施した。さらに大学生や専門学生、高校生などに、100万円を上限として無利子で学費の貸付を行い、市が学校に直接振り込むなどの支援策を打ち出した。
こうした緊急時の細やかな“寄り添う支援”は、子どもに限らず、さまざまな市民を対象に迅速に実施されている。個人商店へ家賃2カ月分(上限100万円)の緊急貸付、生活困窮世帯に対する国の特別定額給付金の先行実施など、市独自の支援策を次々に実現してきた。
「目の前で溺れてる人がいたら、助けるに決まってるじゃないですか。『ちょっと、何が必要なのか調べますね』なんて、そんな悠長なことを言っていられない。まちへ出て、商店街の人に話を聞いたら、『もう店を閉めなあかん』『来月の家賃が払われへん』と言われるわけです。『それなら期日に間に合うように、すぐに手配しましょう』と。こうした緊急時の市民のニーズ把握というのは、当事者数人の生身の声さえあれば、大規模に調査するまでもないんですよ」
“冷たい”社会を変える、行政の連携とアプローチ
市民のリアルな声をじかに聞くため、泉氏はさまざまな取り組みを行っている。「市長への意見箱」を開設し、専用メールアドレスを設けたほか、市役所本庁舎、公共施設などに意見箱を設置。2021年12月からは泉氏自身がTwitterを開設し、さらに幅広く声を聞いている。
市や国の政策や制度に対する意見はもちろん、中には「近所の公園の植樹が伸びてきて危ないから切ってほしい」「市の施設の空調の設定温度が寒すぎる」「Wi-Fiがつながりにくいからなんとかしてほしい」といった身近な意見も投函される。それでも泉氏は、「できることは全部やる」と語る。
「条例改正など議論が必要なものに関しては、ある程度意見が集まってから検討することもありますが、すぐにできることは関係各所に確認して速やかに改善するようにしています。やるかやらないかを考えるというより、基本的には全部やろうと、真面目に思っているんです。市民が実際、課題に感じていることですから」
そうした市民ニーズは年々、多様化、高度化し、複雑なものとなってきているとも泉氏は指摘する。そんなニーズに応えるため、明石市で取り組んだのは組織改革だ。弁護士や社会福祉士、臨床心理士、LGBTQ+当事者など、専門資格や知識を有する人を次々に全国公募して採用。専門職の仕事だけでなく一般行政職(事務職)の仕事も担い、専門知識を政策に活かせる体制を敷いている。
「日本の行政組織では残念ながら、専門職をうまく活用できていません。そのほとんどがピンポイントで採用され、弁護士なら法律相談だけ。そうではなく、明石市ではあえて一般行政職として専門家を採用し、そのスキルをより柔軟な形で行政サービスの起案や提供に生かせるようにしています」
また、明石市の行政サービスの方針には、「ワンストップ」「チームアプローチ」「アウトリーチ」という三つの柱がある。まずは「ワンストップ」の意識のもと、総合窓口をはじめ、一か所で手続きや申請を行えるよう担当職員が市民をサポート。さらに「チームアプローチ」として、例えば学校の場合、スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカー、スクールロイヤー(弁護士)といった各分野の専門職が連携し、児童や学生を支援している。そして、要支援者のもとへ行政側からアプローチするなど、必要なサービスを「アウトリーチ」で提供する。
そこにあるのは、「縦割り行政」「民事不介入」「申請主義」といった今の“冷たい”日本の社会を変えようとする姿勢だ。
「そもそも行政の標準家庭の想定が、いつまで経っても『会社員の父に専業主婦の母、子どもは2人いて……』みたいな感じなんですよ。そんなの、実態に即していない。実際には『父は収入不安定で“DV夫”、母はメンタルを崩してパートを打ち切られ、子どもは不登校でネグレクト状態。家の奥には祖母が寝たきりで、生活困窮が続いている』……そんなふうに課題が4つも5つもあるような家庭がたくさんあります。なのに窓口をたらい回しにされた挙句、“法は家庭に入らず”で、『家族のことは家族で解決してください』『困ったら申請してください』などと非常に冷たい。
でも、そこで行政が責任を持って対応しなければ、いったい誰が助けるんですか。本当に困っている人は、課題があるからこそなかなか役所へ相談に来られません。身近な市区町村からアプローチして、担当部署がチームで連携して、必要なサービスを提供する。それが行政の責務です」
「市民のため」「国民のため」といった言葉は、至るところで目にする。それでも市民である私たち自身が、それを心から実感する機会は、ほとんどないのが現実だ。何か困りごとがあっても、どこへ相談すればいいか、どの窓口へどの申請書類を用意すべきなのか、自分がどんな支援を受けられるのかもわかりにくい。だからこそ泉氏は、行政に今「顧客視点」が必要だと語る。
「行政にとっての顧客は市民です。行政は『税金』という形で、顧客である市民から前払いをしてもらっています。それなら、市民のニーズを把握して、それに応える必要がある。既に代金を払っていただいている方々が暮らしよい、住み続けたいと感じられるようなまちづくり、サービスを提供すべきなんです。顧客満足度が高まれば、政党や業界団体に配慮しなくても、ちゃんと選挙にも通りますしね」
確かな実績に自信を持つ職員、変わりゆくまちと市民
2011年明石市長選挙に当選し、以来3期に渡って市長を務めてきた泉氏。当初は69票の僅差での当選だったものの、年々市民からの支持を広げてきた。
全国的に注目されるきっかけにもなったのが、職員に対する“暴言”がパワハラとして問題となり、任期を3カ月残して辞職した後の2019年の明石市長選挙だ。有志が「泉房穂氏に応援の気持ちを伝えたい会」を発足、街頭署名と合わせて約5,000人分の署名を集め後援会に提出し、泉氏に“出直し選挙”への出馬を求めた。支援の声を受けて出馬を決めた泉氏は、得票率7割を超える8万795票を獲得し、再選を果たした。
「ほんまに涙が出ましたよ。もちろん、発言自体は言い訳できませんし、私が問題発言をしなければ、やらなくていいはずの選挙でした。でも子育て中のお母さん方や、ユーススペースを利用している高校生たちが中心となって、『せめてありがとうは伝えよう』と、自主的に署名運動してくださった。本当にありがたかったですね」
泉氏が市政に取り組んで11年経ち、市民だけでなく、職員にも変化が出てきた。第2子以降の保育料無料化や児童扶養手当の毎月支給、中核市初となる「ひきこもり相談センター」の開設など次々と「全国初」「関西初」となる政策を実行に移し、人口増加や税収アップなど実績につながってきたことで、自信を持つようになったという。
「はじめは職員たちも半信半疑でしたが、実績を上げて、市民の方からの評価も上がってきたことで明らかに変わりました。もはや『全国初』であることも意識せず、各自創意工夫しながら、必要な施策を実行してくれます。職員採用試験も年々志望者が増加し、民間企業からの転職も増えています。『行政は明石市しか受けていない』という方もいるんですよ」
市議会にも変化が見られるようになった。明石市の政策が市民から圧倒的な支持を得るようになったことで、近年の新年度予算は全会一致で成立。LGBTQ+に関する施策も、他の地域ではまだまだ賛否があるが、事実婚の人や、その子どもまでを含む家族関係を、性的指向や性自認にかかわらず証明する「パートナーシップ・ファミリーシップ制度」の創設など、革新的な政策の実行を後押ししている。
全国的にも注目を集めたのが、旧優生保護法によって不妊手術などを強いられた人とその配偶者に、支援金300万円を支給する「旧優生保護法被害者等の尊厳回復及び支援に関する条例」が2021年12月に成立したことだ。議決にあたっては、商工会関係者も全会一致を望んだほか、障害のある当事者団体による議員らへの働きかけもあったという。
「はじめは私自身がなんとか議会を説得しようと考えていましたが、関係者から『市長はなんもせんといて』と言われたんです。『市長が動いたら反発で余計に(条例案が)通らなくなるから』って。実際にみなさんが動いてくださった結果、議会も賛成に転じて、なんとか成立しました。市民とまちが変わってきているから、議会も変わらざるを得なくなっているんです」
明石市の打ち出す政策に追随し、周辺地域も子育て支援策を次々と導入。兵庫県加古川市は2020年から所得制限なしで15歳までの子どもの医療費無料化(2022年7月からは18歳までに拡充)を実施し、兵庫県加西市では2022年度から小中学校の給食費を無料化。2022年3月に実施された兵庫県西宮市長選挙では、候補者が子ども医療費の無料化など、“明石市並みの子育て支援”を軒並み公約に掲げていたという。
「さんざん『明石はどうかしてる』『泉さんやからできるんや』と言われてましたけど、みんなバンバン真似しはじめました。兵庫県ではだいぶ『無理』から『できる』に変わってきましたよ。『どこのまちでも、やればできるやん』って思います(笑)」
少子高齢化の進む日本において、若年層の投票率は伸び悩み、“シルバー民主主義”と揶揄されることもある。「若い世代向けの政策がない」「自分一人が票を投じても意味がない」というあきらめの表れとも言えるかもしれない。
そのなかで明石市が楔を打ち込んだ施策は、市民に「私はここで暮らしたい」という意志を育みはじめている。経済の好循環という確かな実績も携えたこのまちから、閉塞感漂う日本の行政の、新たな変化への兆しが見えてきている。
取材・執筆/大矢幸世 編集/佐々木将史 撮影/其田有輝也