帰りがけに花屋に立ち寄り、花を選ぶ。せっかくのかわいい花だから、きれいな部屋に飾りたくなる。片付いた部屋で花を眺めていると、少し手の込んだ夕食を作りたくなったり、お風呂にゆっくり浸かりたくなったり、自分に目を向けられるようになる──。ただそこに花があるだけで、少しずつ暮らしが変わっていくのだ。
「花を飾ると、暮らしが変わる。暮らしが変わると、自分をもっと好きになる。」をタグラインに、2019年2月にスマートフォンアプリとしてリリースした『FLOWER(フラワー)』。「かわいいが届くお花便」をコンセプトに、花を取り入れることでライフスタイルや暮らす人に変化を促す。
まちの花屋やオンラインストアでも花を注文することはできるが、「忙しい毎日のなかでは買いづらかった」と、サービスの発案者であるFLOWER株式会社の小室美佳氏は振り返る。生花業界の“素人”だからこそ、業界の常識にとらわれず、顧客視点のサービスを生み出せたという。
FLOWER立ち上げの背景や体験設計の狙い、FLOWERが実現しようとしている「花のある暮らし」について、デザイナーの木坂名央氏、代表の菊池和紀氏とともに話を聞いた。
事前に選んで自宅に届く「お花便」をアプリで実現
『FLOWER(フラワー)』は、写真プリントの『ALBUS(アルバス)』や『レター』などのスマートフォンアプリを運営するROLLCAKE株式会社の新規事業として、2019年に始動した。
立ち上げのきっかけは、FLOWERで品質管理・企画を担当する小室美佳氏の前職時代にさかのぼる。当時、動画事業のディレクターとして、朝7時に家を出て深夜0時に帰宅する多忙な毎日を送っていた小室氏。「花とは、ほど遠い生活をしていました」と振り返る。そんなときに出席することになった、友人の結婚式。テーブルに飾られていた花をもらって帰ったのが、「花のある暮らし」を意識するきっかけだった。
小室氏「それまで自分のためにお花を買ったことも飾ったこともなかったので、家に花瓶もなくて。とりあえずグラスに入れ、お花のある1週間を過ごしました。私にとって、この1週間はとてもいい時間になったんです。お花の世話をしていると、だんだん気持ちが前向きになりました。好きな紅茶を飲んでみたり、入浴剤を入れて湯船に浸かったり……久しぶりに自分の時間をつくる小さなきっかけになったんです」
しかし「花のある暮らし」を続けることは、案外難しかったという。仕事帰りに花を買おうと思っても、花屋はすでに閉店後。インターネットでも買うことはできたが、大きすぎたり価格が高かったり、自分に合う花にはなかなか巡り合えない。
小室氏「お花によってナチュラルに自分の時間がつくられていく感じが心地よく、またお花を飾りたいと思う日々が半年くらい続いていました」
それならいっそ、花に関わる仕事に就こうと考えた小室氏は、転職活動のなかで縁があったROLLCAKE株式会社へ。新規事業として、花にまつわるサービスを立ち上げることになった。デザイナーの木坂氏も加わり、「体験設計書」づくりからスタートした。
ROLLCAKEではサービス開発の際、独自の体験設計書を作成するという。FLOWERでもそのノウハウを活用し、サービスの定義やターゲット、市場まで細かく設定。ユーザーにとっての課題や阻害要因をヒアリングで引き出し、ドキュメントにまとめている。さらに体験設計書では、ユーザーの課題が解決された先に見えてくる「ゴール」を明記しているのも特徴だ。「ユーザーがどのような状態になってほしいか」という“課題の向こう側に見えてくる理想”を目指し、体験設計書に基づいて開発や運用、施策などすべての意思決定を行っている。
ROLLCAKEが運営するほかのサービスも、その例外ではない。『ALBUS』は、アプリで写真プリントを注文すると、直接ポストに届くサービスだ。現在、写真プリントアプリサービスとしては、販売シェア国内No.1を誇る。『レター』も同様に、アプリから写真を選んで注文し、カレンダーの手紙として送ることができる。両者ともにスマートフォンアプリで、直接ポストに届く仕組みが構築されている。
木坂氏「ROLLCAKEはウェブサービスの会社と思われがちですが、アプリの体験とともに、写真やアルバムといった、実際にある“もの”をつくる会社です。生活に“もの”が入ることで、暮らしがよりよいものになる。既存のアルバムや写真と、私たちが取り組むお花は、とても近い距離にありました」
花を選んで自宅に届ける。生花業界では異色の試み
FLOWERでまずリリースしたのが「ポストに届く定期便」だ。毎月、花とグリーンがポストに届くサブスクサービスで、花のある暮らしを気軽に始めることができる。
FLOWERの特徴は、ユーザーが写真を見て、事前にブーケを選べる点だ。同様のサービスでは、色合いやイメージなどは選べても、具体的な花の種類までは選べないケースが多い。FLOWERは、写真とともに実際に使う花の名前や説明を記載し、自分がいいなと思うものや今の気分に合うものを、自分で選べるシステムをとっている。
代表を務める菊池氏は、FLOWERの立ち上げ当初はALBUSでエンジニアをしていた。別のチームからFLOWERを見て、「めちゃくちゃ大変そう」という印象を持っていたという。
菊池氏「花は生ものですからね。僕がメインで担当していたALBUSは『写真』ですが、FLOWERは『花』です。生花は、入荷したものをすべて販売できるとは限りませんし、当然ロスもでます。ブーケの写真を掲載してお届けするまでにはタイムラグが生じるため、思うように仕入れができないこともあります。生花のオペレーションはとにかく大変そうだなと思っていました」
サービスの要となる「花」を調達する取引先探しにも、当初は苦戦した。
小室氏「今でこそ“おうち時間”という概念が生まれ、“花のある暮らし”も浸透しつつありますが、当時は生花業界にすら、『自宅に飾る花を買う』サービスの可能性が伝わりませんでした。『自分用に花を買うなんて、しないでしょ』と」
アプリで花を買うことも、自分用に花を飾ることにも「そんなにニーズはない」と否定的。「花は一部の人の趣味にすぎない」と、生花業界の人さえも思っていたのだ。ポストサイズの箱に生花を入れて送ることも、もちろん理解してもらえない。「本当に難しいことをやろうとしていると自覚した」と小室氏は振り返る。
取引先探しでアプローチした企業や生花店は50を超えた。だが業界全体として「花が売れるのは、贈答用や冠婚葬祭、イベントのときだけ」という固定観念があり、FLOWERの目指すサービスはなかなか理解されなかった。
木坂氏「お花を日常的に売り続けることは理想であって、無理だというあきらめが業界に広がっていました」
そんななか「やっと出会えた!」という企業が現れた。スーパー向けに生花を卸している総合商社だった。
小室氏「私たちが公式サイトから問い合わせしたところ、先方も『やっと来てくれた』と思ってくれたらしいんです(笑)。その方は業界の衰退を危惧されていて、母の日やお彼岸、バレンタインといったイベント以外で、お花を売る仕組みを模索していらっしゃいました。業界にはない新しい取り組みを行おうとしている私たちに、可能性を感じたそうです。『ぜひやりましょう』というポジティブな返事をいただきました」
商品化にあたっては、FLOWERのこだわる「写真を見て、事前にブーケを選べる」ことに難色を示されることもあった。
小室氏「発送のタイミングでお花が揃わないこともありますし、写真と同じブーケを作れるとは限りません。『普通ならあり得ない』と言われました」
だが、あくまで顧客視点で考えると、どんな花が届くかわからないよりも、花を事前に見て選べるほうが、ワクワクするしわかりやすい。「業界ではやりたくないことでも、FLOWERでは重要だと思っていました。真面目に突き詰めていきました」と小室氏は話す。
小室氏「『なぜできないんですか?』『いや、できなくはないんですけど……』みたいなやり取りもありましたね」
木坂氏「私たちはいい意味で“お花の素人”だったので、意志を貫くことができました。業界を知りすぎていたら、無理だと思って実現できなかったかもしれません。それでもなんとか形にできたことが、今につながっていると思います」
「かわいい」を突き詰めるお花会議
FLOWERのコンセプトは「かわいいが届くお花便」。なぜ「かわいい」に着目したのだろうか。それは、開発段階で行ったヒアリングで、何度となく「かわいい」という言葉が発せられたからだという。
小室氏「まずはわたしの身近な友人から、雑談みたいにヒアリングしていたのですが、みんな『かわいい』ってよく言うことに気づきました。『かわいい』という感情を引き出すことが、とても重要だと感じたんです。体験もビジュアルも含めてどんなふうに『かわいい』を表現するか、デザイナーの木坂とともに話し合いながら、形にしていきました」
「かわいい」と言っても、人それぞれの「かわいい」がある。だからこそ「自分で選べる」こと、自分好みの「かわいい」を見つけられることが重要となる。そのなかでFLOWERが志向している「かわいい」とは、“遠すぎないけどちょっと先の憧れ”だと木坂氏は語る。
木坂氏「FLOWERにあるかわいいお花は、どこにでもあるお花ではなく、“都会のおしゃれでこだわりのあるショップ”にありそうなお花のこと。ただ、とがり過ぎると多くの方には使ってもらえません。イメージしているのは、今よりも1段上くらいのおしゃれさ。『この花を部屋に飾れば、暮らしごとおしゃれになりそう』と思ってもらえるように、お花選びをしています」
「かわいい」をサービスに反映するため、小室氏と木坂氏、そしてフローリストの3人が、毎月「お花会議」を重ねている。さまざまな角度から「かわいい」を考え、商品のブーケやアプリのデザイン、SNSの投稿などに生かしていく。
一般的な「かわいい」のイメージを具現化するよりも、ユーザーの興味や思い出など、具体的なエピソードと紐付け、「自分ごと」に思えるような仕掛けづくりを意識しているという。
小室氏「例えば、同じアジサイのブーケでも、雨の日のアジサイと、晴れの日に蝶が舞っているようなアジサイとでは、できあがるブーケは違ってきます。それぞれ好きな人も違ってきますよね。
身近な友人など特定の誰かをイメージしてブーケをつくると、そこで表現されているストーリーやイメージに、ユーザーの方が共感してくださって、『かわいい』と思ってもらえるんです。“推しの色”と重ねる方もいたりして。
そうやってさまざまな角度から『かわいい』の要素をちりばめて商品を考えるのは、本当に楽しいんですよ。買ってくれる人がいることで、モチベーションにもつながっています」
ブーケを考えるプロセスは、ファッションに似ているところがあるという。 SNSでトレンドカラーや流行っている言葉を探したり、ファッション誌のコーディネートから色の組み合わせを考えたり……。旬を一足先に取り入れたところ、「2月後半から桜がヒット商品に」といったことも起こった。世の中の雰囲気を捉えて言語化し、イメージに落とし込んでいく。
小室氏「梅雨どきには晴れ間をイメージしたレインボーカラーの花を使ったり、秋はボルドーの色のお花を入れてもらったり。暑い季節はレモンスカッシュの『しゅわっ!』という感じが気持ちいいので、そんな雰囲気に通じるかすみ草を使ったり……。感覚を言葉にして、ブーケとともに伝えると、お客さまにも共感してもらえることが多いなと感じます」
木坂氏「『ピンク系のかわいいブーケ』だとありきたりだけど、『いちごみるく』という名前がついていたら、かわいいって思いますよね。言葉とビジュアルが組み合わさることで、パッと見え方が変わることがあると思うんです」
「かわいい」と思うポイントは人それぞれだからこそ、ブーケのバリエーションやビジュアル、言葉選びなどさまざまな角度から「かわいい」を具現化し、ユーザーと共有しようとしている。
大ぶりのブーケを低価格で届ける「ロスレスブーケ」の仕組み
2021年9月、新たに始動したのが「ロスレスブーケ」だ。
誕生の背景には、ユーザーからの声があった。定期便のユーザーにインタビューを行ったところ、「もっと大きな花を飾りたい」というニーズがあることを知った。広い家に引っ越して「ブーケが小さく感じる」という感想も聞こえてきたという。また、ユーザーの多くは、Instagramで見るような“素敵な部屋に飾られているブーケ”に、憧れを抱いていることも見えてきた。ただ、それだけボリュームのあるブーケは価格も高く、日常的に楽しむことは難しい。
小室氏「私も定期便でお花のある暮らしを続けているうちに、もっと大きなブーケを飾ってみたいと花屋に行ってみたんです。でも、たくさんの花から選ぶのは案外大変で、疲れてしまって。FLOWERで、大ぶりなブーケを日常的に届けられる仕組みをつくれたら、と考えるようになりました」
花屋の実店舗では、店内を飾り付けるために一定以上花を仕入れなければならないが、そのすべてが売れるわけではない。当然、その仕入れ値は花の販売価格に加算される。大ぶりなブーケの価格が高くなってしまう理由の一つだ。
そこで考えたのが、価格を下げるために、花の廃棄をゼロに近づける販売方式だ。市場から直接仕入れ、数量を限定して売る仕組みである。売り切るぶんだけ花を仕入れるため、ロスが発生せず、通常価格の約3〜5割程度安価で届けることができる。
「花の廃棄(ロス)を生まない(レス)ブーケ」という意味を込めて「ロスレスブーケ」と名付け、定期便を利用する顧客に向けて、テスト販売を行ったところ、数十分で売り切れたという。
木坂氏「リアルタイムで販売し、『かわいい』と思って買ってもらうのは、ユーザーに直接通知を届けられるアプリだからできることです。花が好きな人たちがつながっているFLOWERだからこそ、響いたサービスだと思います」
菊池氏「テスト販売のフィードバックで一番多かったのは『お得ですね』という声でした。『この大きさのブーケがこの値段で届くの?』と。実際に届いて、喜んでいただけたようです。ロスレスブーケというコンセプトにも、共感のコメントをいただきました」
木坂氏「いいことをしている気分になれますよね。お花が捨てられるのを想像すると、悲しいじゃないですか。そこに自分もお買いもので寄与できる感覚が気持ちいいのかな。お得だし、かわいいし、いいことをしているし。いいことだらけです」
ロスレスブーケを続けるなかで、「アプリをのぞくのが楽しい」という声も増えてきたという。SNSをチェックするように、『何か新しいお花があるかな』と、FLOWERを見ることが日課になっている人が増えているのだ。「FLOWERがそんな存在になれるなんて、素敵ですよね」と小室氏の声は弾む。
ユーザーのなかには、定期便をきっかけに花を飾ることが楽しくなり、花屋に出向いて花を購入するようになった人もいるという。ロスレスブーケをきっかけに、花のロスを少しでも減らそうと実店舗で花を購入した人もいる。
木坂氏「FLOWERで“花のある暮らし”のすそ野を広げていくことは、業界全体にとってもよいことだと思います。お花を買って遊びにいくなど、ちょっとした贈り物の選択肢に花が入ると、もっといい世界になると思います」
菊池氏「僕らFLOWERの花は、“ハレ寄りのケ”のものかなと思っています。日常生活に花がずっとある状態……つまり花のある暮らしを提供するために、手段のひとつとして『かわいい』がありますし、『価格』もあると思っています。
一方で、細かいカスタマイズや誕生日に贈る花、誰かをイメージしたオリジナルブーケを組みたいといった要望は、実店舗でフローリストの方に組んでいただくことが最良だと思います。FLOWERと実店舗である花屋で、用途のすみ分けができていることを感じています」
花の力で自分をもっと好きになる
FLOWERが大切にしているのは、ただ「花を届ける」のではなく、より多くの人が「花のある暮らし」を実現しようと思うきっかけをつくることだという。
小室氏「ただ『かわいい花が届きました』だけではダメなんです。好みのお花を選んで、3タップくらいで購入できて、わくわくしながら届くのを待って、届いた瞬間に“かわいい”が飛び込んでくる。そしてだんだんと枯れていって、『次の花は何にしようか』と考えて、また届いた新しいお花に入れ替える……。体験としてこのサイクルをつくるのが、とても大切だと考えています」
木坂氏「放っておいても届くサービスはありますが、FLOWERは自分でかわいいお花を選ぶという『選択する』コミットを挟んでいます。ユーザーは、能動的に花のある暮らしを目指すことができるんです」
FLOWERのユーザーは「花に思い入れの強い人が多い」と菊池氏は語る。
菊池氏「一般的に、サービスへの問い合わせやご意見は、『○○してほしい』『○○できない』と短文で届くことがほとんどです。一方、FLOWERのユーザーからは、例えば配送などで花が痛んでいたときでも、長文で感謝の気持ちやエールも一緒にいただくことが多いですね」
木坂氏「メールではなく、わざわざ手紙やハガキで『好きです』とファンレターをいただいたこともありましたね。ネガティブな体験をしても、『頑張ってください』と応援をいただいて、本当にありがたいなと思います」
コロナ禍を経て、ユーザーにも生花業界にも、「花のある暮らし」が少しずつ広がりを見せてきた。とりわけロスレスブーケの売上は、リリース当初の20倍にまで伸びているという。最後に改めてFLOWERが目指すゴールを聞いてみた。
菊池氏「FLOWERの体験設計書では『ライフゴール』という、“ユーザーの理想の状態”を明文化しています。僕らは、『自分の暮らしをもっと好きになる』というユーザーの未来を目指していきたいと思っています」
木坂氏「ただ花があるだけではなく、花が飾ってあって『かわいい』と思える状態をつくること。花のある暮らしを提供しながら、自分の暮らしを好きだと思えるところまで、ユーザーを連れていきたいですね」
小室氏「自分がいいなという状態が保てていると、自分のことが好きになり、ポジティブになれますよね。そんな状態を手軽につくれるのがお花であり、そのツールとしてFLOWERが存在できたらうれしいです。ユーザーがどんな気持ちになってほしいかを意識し、『今の方向は間違っていないよね』と確認しあいながら、チームで『自分の暮らしをもっと好きになる』というライフゴールを目指して取り組みます」
「ブーケをつくるたび、『かわいい“子ども”ができた。いってらっしゃい!』と見送るような気持ちでアプリに公開しているんです」と小室氏。楽しそうにFLOWERについて語る小室氏や木坂氏、菊池氏ら運営メンバーの姿に、サービスに対する熱量を垣間見るような思いがした。
FLOWERは、単に花を定期的に届けるサービスではない。FLOWERによって花のある暮らしを実現し、ユーザー自身が自分の暮らしをもっと好きになってほしい――。そんな強い思いが届いているからこそ、ユーザーからも熱いエールが集まるのだろう。
“かわいいが届くお花便”として、FLOWERはこれからもユーザーの暮らしに向き合っていく。
執筆/鈴木ゆう子 取材・編集/大矢幸世 撮影/伊藤圭