高額な治療費。予約したのに待たされることがある。忙しい中での、毎月何回もの通院……歯科矯正は、始めるのも続けるのも一苦労だ。
そんな状態に一石を投じようとするのが、日本で初めてD2Cブランドとしてマウスピース矯正に取り組む「Oh my teeth」である。「矯正はもっと気軽でいい」──これがOh my teethが伝えたいメッセージだ。
矯正を始める前に一度だけクリニックに行けば、原則として定期的な通院は不要。LINEを介した24時間サポートや、歯科医による毎週の写真チェックにより、自宅で気軽に歯の矯正ができる。
そうした「気軽な体験」の裏側には、たった5分でも診察時間を短縮するためのこだわりや、顧客満足度を高めるための地道な改善、医療的な信頼性を担保する努力がある。歯科矯正をより気軽なものとするために、Oh my teethは“当たり前”とされている業界の常識と、いかにして向き合ってきたのだろうか。同社の代表取締役CEO・西野誠氏にインタビューした。
業界出身者ではないからこそ疑えた、歯医者の“当たり前”
「『歯並びが悪い』と感じているにもかかわらず、治療を受けていない日本人は少なくないと感じています」
西野氏は取材の冒頭、そんな問題意識を話してくれた。「歯に悩む人たちに、いかに歯の治療を始めてもらうか」。それがOh my teethの取り組むミッションだ。
西野氏は元々ソフトウェアエンジニアで、2019年の創業前は、仕事で歯科領域に関わることはなかったという。しかし、一人の生活者として抱いた違和感が、氏をOh my teethの創業へと向かわせた。
スマートフォンの登場を機に、世の中のさまざまな体験が変化している。にもかかわらず、予約しているのに待たされるなど、歯科医の体験は大きくは変わっていないことを不満に感じていた。
西野氏「これは明らかに僕のせいなのですが、子どもの頃から、歯医者がとても苦手だったんです。治療のときは痛くて怖い思いをしますし、『磨き残しがある』『なぜこんな状態になるまで放置したんですか』と行くたびに怒られる。あの独特な空間は、やっぱり大人になってからも苦手で。何とかして歯医者を、美容室のように気軽なものにできないだろうか。そんな切実な思いから、Oh my teethのアイデアにたどり着きました」
創業してからは、“当たり前”を疑う作業の繰り返しだった。常に「それはなぜか」と問いかけていく姿勢が、粘り強い改善の繰り返しを生んだ。
西野氏「前職は大手企業向けのソフトウェア事業を展開するワークスアプリケーションズだったのですが、そこで学んだのは、業界にどっぷりと深入りしている人間よりも、外側から客観的に見ている人のほうが重要な再発見ができる時があるということ。例えば建設業界など、自分が全く知らなかった業界の業務オペレーションを学びながらシステム開発に従事する中で、『本当はこうあるべきですよね』と、業界経験が長い方だと気づきづらい示唆をご提案できたこともありました」
まるでApple Storeのような店舗体験
では、Oh my teethが疑ってきた「当たり前」とはなにか。その一つが「歯科矯正のハードルの高さ」だ。
ハードルを下げるための工夫は、随所に散りばめられている。わかりやすいのが、明るくて開放的な店舗空間。MacBookやiPadが設置された、まるでApple Storeのような「歯医者っぽくない」雰囲気だ。
西野氏「おっしゃる通り、目指している世界観はAppleです。Macの登場は、それまで“オタクが扱う難しい機械”だと認知されていたパソコンのイメージを、一般人でも楽しめるもの、持っていることがクールであるへと変えた側面があるはず。歯科矯正も、パソコンのように一般人がもっと気軽に触れられるイメージをつくりたいんです」
「矯正はもっと気軽でいい」──Oh my teethは、クリニックの開放的な空間などのこだわりによって、そんなメッセージを伝えているのだ。
導入クリニック1号店の表参道店は、「ガラス張りの路面店」をキーワードに探し、隣にカフェがあるオープンな場所を選んだ。2号店の大阪心斎橋店も、近所にある店舗はほとんどがアパレルショップなどだという。
また、「初診無料」であることも気軽さを生み出しているポイントだ。クリニックではスキャンした自分の歯の3Dモデルやレントゲン写真を見せてもらいながら、治療についての説明を聞く。その結果、もし合わなそうであれば契約しないという判断ができる。
そして何より、入店から30分で歯型スキャン、レントゲン撮影、サービス説明が完了するスピード感にも驚かされる。「とにかく素早く診察が終わる」体験によって、顧客の満足感を生み出そうとしているのだという。
西野氏「とにかくお客さんを待たせず、最短で終わらせることを大切にしています。歯科医から呼ばれるのを待つ時間は、誰でも嫌ですよね。
既存の歯医者では、受付で予約確認をして、待合室に座って待ち、診察室へと案内される。でも、よく考えれば、例えば受付の人とドクターに2回同じような会話をしたり、呼び出されるまでにタイムラグが生じたりと、時間の無駄が発生しています。私たちはオペレーションを見直して、問診票はLINEで事前に送ってもらい、来店時にはドクターに直接案内するかたちにすることで待ち時間を短縮しました。
ですから、クリニックには待合室もありません。こうした積み重ねによって診察の時間をたった5分短縮するだけでも、歯科矯正の体験は大きく変わるんです」
低価格、通院不要。それでも「信用」を生み出すために
だが、いくら体験や空間の設計を「気軽」にしても、それでもやはり歯科矯正のハードルは高い。歯は健康や容姿に直接的にかかわる問題であり、「この歯医者さんに依頼しよう」と思うためには、強固な「信用」が必要不可欠だからだ。
Oh my teethが調査したデータによれば、歯の表側にブラケットを装着するワイヤー矯正は、部分矯正が30〜60万円、全体矯正が60〜130万円ほどかかる。他方で、Oh my teethのマウスピース治療では、部分矯正プランは33万円、全体矯正は66万円と、ワイヤー矯正と比較して安めに価格設定されている。
とはいえ歯列矯正は審美治療であり、保険適用外であるため高額な費用がかかることには変わりない。それだけの費用を払ってでも、「この歯科医にお願いしたい」と思ってもらえることが大切だ。また、「マウスピース治療で大丈夫なのか」「本当に通院しなくていいのか」など、治療の効果についても矯正をはじめる前にユーザーは不安がある。歯根を大きく移動させるなど、細かい調整が得意なワイヤー矯正を選ぶべき時も場合によってはあるからだ。
こうした前提を踏まえ、ユーザーからの信頼を得るための方法を尋ねると、一呼吸置いたのちに西野氏は言葉を返してくれた。
西野氏「結論からいえば、一人ひとりに真摯にサービスを提供していくしかありません。マウスピース矯正のような新しい治療は、他の方法と比較して前例が少ない。ECサイトでコンタクトレンズが購入できると知ったとき、『毎回メガネ屋に行かなくても大丈夫?』とみんなが思ったはずです。でも、周囲の人たちの率直な評価が、不安を解消する材料になる。ですから、いま目の前にいる顧客に最大限満足してもらうことに専念するのが、結局は近道なんです」
西野氏はユーザーに安心してもらうためのデータとして、「NPS」という顧客満足度を示す指標を挙げる。現在、Oh my teethのNPSは60を超えており、少なくとも80%以上のユーザーはOh my teethでの治療に満足しているという。
また、治療方法の改善にはストイックに向き合っていると西野氏は語る。例えば、「通院不要」を謳うOh my teethだが、ユーザーから送られる歯の画像とレポートをドクターがリモートで観察し、少しでも黄色信号が灯ったらすぐに来院してもらうことで安全性を担保している。全ては「顧客に矯正を失敗させたくない」という強い気持ちからだ。
西野氏「Oh my teethは原則通院不要を謳っている分、間違いなく安全性が高い治療を提供しなければなりません。そこで導入しているのが、一人のユーザーを複数の医師でレビューする仕組みです。マウスピース治療がうまくいくかどうかは、医師の技量によっても左右されます。複数の医師がチェックすることで一人で診断する場合よりも判断ミスを減らせるだけでなく、提携医師間のコミュニティで事例やノウハウが蓄積し、精度の高い治療に関する知見がアップデートされていくんです」
さらに、誠実に顧客と向き合ううえでは、「無理な治療を安易に始めない」決断も大切だ。Oh my teethでのマウスピース矯正治療が向かない人には、ドクターからその旨をしっかり伝えることが、信用の積み重ねにつながる。
西野氏「Oh my teethで矯正を検討してくれる人のうち、Oh my teethのマウスピース矯正に向いているのは7割ほど。残りの3割は、抜歯が必要だったり、骨格の問題を抱えていたりするなど、抜歯を併用したマウスピース矯正やワイヤー矯正、手術が必要なケースです。そうした場合は、治療をお断りさせていただき、提携の歯科医を紹介しています」
現在、Oh my teethで矯正中のユーザーのうちの約2割が、身近な人からの口コミ経由で開始しているそうだ。「カップルで一緒に矯正を始める方も最近すごく増えていて、楽しく継続してくれるんです」と西野氏は語ってくれた。
リモートなのに、医師との距離が近い
ただ、いくら気軽に始められ、かつ信頼が獲得できても、定期的な通院なしでユーザーに矯正治療を継続してもらうのは容易ではない。1日20時間のマウスピース装着を毎日継続するのは、実際に始めてみると非常に大変だからだ。
歯科矯正は挫折との戦いでもある。実際に、マウスピース矯正を始めた人のうちの約3割が治療を途中でやめてしまうと西野氏は語る。意を決して治療を始めた顧客が挫折しないように、どのような工夫がなされているのだろうか。
まず注目したいのは、ユーザーと医師の距離の近さだ。
西野氏「Oh my teeth のコンセプトの一つは『リモートだが、顧客とドクターの距離が一番近い矯正』。とにかく、ドクターとの距離が近いんです。LINEでドクターに質問を送ると、基本的には24時間いつでも、すぐに返信が来る。最初は『通院したほうが安心できる』と言っていたユーザーも、始めてみるとむしろ『通院せずにLINEで済むのがすごく良いですね』と言ってくれます」
そうした距離の近さを前提に、ユーザーには毎日の装着時間をLINE上で報告してもらい、装着をリマインドしている。装着時間が短い人には、医師の側からメッセージする。
また、通常の歯科医であれば通院時に月1回のペースで歯を検診するが、Oh my teethでは毎週1回は、撮影した歯の写真を送ってもらっている。「歯医者よりも顧客のことをよく知っている状態をつくる」ことで、顧客の変化を見落とさないようにしているのだ。
こうした積み重ねの結果、Oh my teethがプロデュースするクリニックの来院数は7,000人を超え(希望者含む。2022年7月現在)、今後3年以内に導入クリニックを全国70店舗まで展開する計画だという。
西野氏「実は1店舗目から、100店舗展開を見越して設計していました。展開がしやすいように、既に店舗の体験をできるだけテンプレート化をしています。いまクリニックにある内装は、椅子から診療部屋の壁、レントゲンのボックスに至るまで、ほとんど工事が必要ない可動式のもので構成されている。だから、空間の広さや間取りにあわせて自由に設置できる。そうして日本全国どの街でも、Oh my teethのサービスを受けられるようにしたいですね」
聞き手・執筆/石田哲大 撮影/須古恵 編集/小池真幸