AIやメタバースといったワードが耳目を集めて早数年。書店やニュースなどで見かけない日がないほど注目を集めており、数々のサービス開発や研究が行われていることは明らかだ。そんな世相のなか、気になる研究が発表された。
それは2022年9月に京都大学 人と社会の未来研究院 准教授の熊谷誠慈氏と株式会社テラバースCEOの古屋俊和氏の共同研究グループより発表された、仏教仮想世界「テラバース」だ。「一兆(テラ)の宇宙(バース)」を意味する造語は、仏教などの叡智とメタバースを融合させ、現代人の悩みを解決しようとする研究を総称するもの。仏教とメタバース、ひいては、宗教とテクノロジーという組み合わせは一体どのような発想をもとに生まれ、そしてどこを目指すのだろうか。
同研究の詳細と現在の研究段階について聞くべく、この研究を先導する熊谷氏を訪ねた。
仏教×テクノロジーの構想はどこから?
2022年9月に研究をスタートした、仏教仮想世界「テラバース」。仏教とメタバース(仮想空間)を組み合わせ、仮想世界上でも宗教などの叡智に触れようとする本研究の構想は総称して「テラバース」と呼ばれ、その研究の第一歩として開発が進められているのが仏教対話AI「ブッダボット」だ。「ブッダ」の名が冠されている通り、これは言うなれば“誰でもすぐにブッダ(正確にはブッダの教えを機械学習させたチャットボット)とテキストで会話ができるアプリケーション”で、ブッダボット宛に悩みを相談すると、その悩みに対する教えが届くという。仕事・恋愛・家族など多種多様な悩みに、仏教ならではの道筋を示してくれるものとして、開発が進められている。
このアプリケーションの開発を進めるのが京都大学 人と社会の未来研究院 准教授である熊谷誠慈氏。ブータン仏教をはじめ、大乗仏教などを研究する仏教学者であるかたわら、自身も浄土真宗本願寺派「教順寺」(広島市中区)の住職も務めている。
仏教の専門家である熊谷氏は、なぜAIの活用に目をつけたのか。
取材当日、広島で住職としての務めを終えて京都に戻られた熊谷氏にプロジェクトの説明を求めると開口一番に「平等院鳳凰堂って、メタバースなんです。」とはじめた。
——平等院鳳凰堂がメタバース、ですか。その2つの言葉には距離があるように感じますが、どういう意味ですか?
熊谷氏「仏教を心の拠りどころとする仏教徒の方からすれば、ブッダはとても尊い存在。ですが、経典から教えを得るのが常で、直接ブッダに悩みを投げかけることはできませんでした。『ブッダに会いたい』『直に悩みを相談したい』と思う仏教徒が2500年間ものあいだ、たくさんいたはずです。そのため、ブッダの姿や彼が説いた極楽浄土の世界が視覚的にもわかるように、仏画やお寺の装飾・構造は趣向を凝らして作られていきました。平等院は、その最たるもの。極楽浄土を仮想的に再現したお寺だと考えれば、メタバースの延長として捉えられるのではないでしょうか。
仏教が栄えていた当時の日本の暮らしといえば、家は木造で周囲にあるのは畑や森林など、自然に囲まれた風景が一般的でした。そんな暮らしのなか、仏教徒は『ブッダはどんな姿をしているんだろう』『極楽浄土はどんなところだろう』と思いを馳せていたわけです。そのような思いから、平等院鳳凰堂のような、現実とはかけ離れたきらびやかな3Dの空間を作り上げ、よりブッダや極楽浄土に近づこうとしたのだと思います。
ひと口に『仏教』と『テクノロジー』というと、仏教は“古来から伝わる文化・価値観”、 テクノロジーは“最新技術”、というように両者は真逆で相容れない風に感じられるかもしれません。しかし、元来宗教は最先端を担い、テクノロジーと共に歩んできたものです。平等院鳳凰堂も奈良の大仏も、当時の最先端の建築技術を寄せ集めて作られたもので、一見すると今では新しく感じませんが、その設計と建造に大変緻密な工学を用いているからこそ作り上げることが出来たもの。現代の技術でも再現が難しい程に、当時の先鋭的な技術が集結しているはずです」
——仏教がテクノロジーと歴史を重ねてきたという見方は面白いですね。仏教は「古き伝統的なもの」というイメージが強く、「新しさ」とは遠い存在だと感じていました。
熊谷氏「VRでいえば、チベットの仏画はすごく面白くて。たとえば、『ブッダや極楽浄土を想像しながらお祈りしてください』と急に言われても想像できませんよね。なのでまずは、仏画を見ながらそのイメージを頭に残し、瞑想を行うんです。絵師に至っては、キャンバスを自分で作るところから始め、画面に描きたい仏様の等身に合わせたグリッドを引き、その後に下絵を描いて絵の具で着色する。誰でも描けるように設計された仏画を描いて、その姿を自分の手でジェネレート(生成)することで、ぐっと想像しやすくする。さらに、ブッダの姿に思いを馳せながら仏画を自分の手で描いていく時間はメディテーション(瞑想)にもなっていて、信仰を深める時間としても考えられます。
日本で例を挙げると、たとえば、浄土宗や浄土真宗の方で仏壇をお持ちの方がおられるかと思いますが、あれも極楽浄土を模したミニチュアです。装飾が施された建物の真ん中に阿弥陀仏が立っている姿を確認できると思います。
つまり、これらの工夫はVR(バーチャルリアリティ・仮想現実)であり、日常生活とは違う現実で時間を過ごす=メタバースともいえますよね」
——仏教は常に時代ごとの技術や流行を取り入れながら、人々にわかりやすく伝えられてきたのですね。
熊谷氏「学術的な議論や哲学的な言葉だけでは、民衆に受け入れられませんからね(笑)。あとは、親鸞が作った讃歌(和讃)には、当時流行っていた『今様歌(いまよううた)』に則って旋律、つまりメロディーがついているんですよ。讃歌は和語で書いてあるので、当時の人々が意味を理解できるように作られています。もし親鸞が現代に生きていて仏教にテコ入れするとすれば、流行りのアーティストにYouTubeでカバーしてもらおうとか、メタバース空間でラップしてみようとか、民衆の受け入れられ方に合わせて念仏も試行錯誤していたかもしれませんね。それくらい、最先端の技術=テクノロジーや文化的流行と共に歩んできたものだと思いますよ。
仏画や豪華なお寺を作るのと、今構想しているテラバースは根本では同じだと考えています。ただフィジカル(身体的)にアプローチするか、テクノロジー(科学技術)でアプローチするかの違いで『仏教の教えを身近なものにしたい』という思想は通底している。そう考えると、仏教とメタバースの組み合わせは自然な流れではないでしょうか」
日本仏教に抱いた危機感
宗教は常にテクノロジーと歩みを進めてきたもので、現代ならAIやメタバースを取り入れてみようと考えるのは自然なこと、と語る熊谷氏。最新の技術を駆使して仏教の教えを広めようと取り組む背景には、日本における仏教の形骸化が問題意識としてあるようだ。このままでは日本の寺が減り続け、仏教さえ廃れてしまうという危機感を感じているという熊谷氏に、問題の背景と解決の糸口を尋ねてみた。
——日本では、特定の信仰を持たない人が多いイメージがあります。「仏教が衰退」と聞くとそんな気はしますが、現在の日本仏教界はどんな状況なのでしょうか?
熊谷氏「まず、日本全国のお寺の現状から説明すると、約4割が年収300万円以下、世帯平均は550万円ぐらいで、いわゆる普通のご家庭の半分ぐらいしか稼げてないわけですね。つまり、ワーキングプア。お寺だけで単独で稼げるところがほとんどなくて、兼業のお寺がほとんどなんです。新型コロナウイルスの流行前の時点で、『2040年までに寺社の3割は消滅する』*との指摘がなされていたのですが、コロナ禍の影響で収入が大きく落ち込み、状況はさらに厳しくなっているものと思われます」
*「4割が年収300万円以下」お寺経営の厳しい現実:2040年までに寺社の3割は消滅する」(鵜飼秀徳氏、プレジデントオンライン、2019/09/16)
——ではなぜ、それほど仏教が支持されなくなったのでしょうか?
熊谷氏「まずは、仏教の形骸化が原因の1つでしょう。お寺へは旅行や元旦にお参りで行くだけ、お経は誰かが亡くなったときに形式的にあげるだけといった方が多数の日本仏教に対しては“観光仏教”や“葬式仏教”と揶揄する意見があります。
仏教の本場であるチベットやブータンでも、観光や葬式を重視しているのは変わりません。チベットの場合、ラサという首都にある大昭寺(ジョカン寺)にお参りするために、みんなひたすらお金を貯めて、何ヶ月もオフを取ったり仕事を辞めたりする。彼らは、信仰心を高めて将来極楽浄土に行きたいとか、自分だけでなく『世界の全ての生き物が幸せになりますように』と、そのコントリビューション(貢献)のために聖地巡礼を行います。人によっては、ラサまで何百キロも歩いていったり、五体投地*しながら行ったりする人もいます。祈りを捧げて、時間をかけて苦労しながら行く。そのプロセスこそがご利益であるという考え方です。そうやって努力したエネルギー(=業)が自分にポジティブな“自業自得”となって、自分の良い行為の結果として“幸せ”(=ご利益)を得る。その利益を自分にだけでなく、生きとし生けるもの全てに還元したい、そういう狙いを持って観光します。
お葬式も同様で、亡くなってからどのようなお経を、どの僧侶にあげてもらうかなどを時間をかけてずっと事前に考える風習があります。日本の場合は、これほどの思いで仏事に臨まれている方は多くない。信者の方でも、お経をあげるのは葬儀など限られた場面に留まることが多く、仏教の教えを深く学ぼうとする方は少数派でしょう。そうして、どんどん形骸化が進んでいるのではないでしょうか」
*五体(=両手・両膝・額)を地面に伏せて仏に礼拝すること。仏教における最も丁寧な礼拝方法の一つとされている
——日本仏教には課題もたくさんありそうですが、どのような部分を課題と感じられていますか?
熊谷氏「『人々の悩みや社会課題にはっきり向き合わない』というのは一つの課題だと思います。たとえば、戦争がはじまったり、新型コロナが流行したり、社会的な課題が生じた場合、様々な国の仏教界が大衆に向けてメッセージを発信します。とくに敬虔な仏教徒が多い国だと、コロナ禍ではお寺に行けずに困る方が増えてしまいますよね。そのときに、他国の仏教リーダーたちは、信者たちが在宅でできる実践を提案するなど細かく対応してきました。また、様々な社会課題に対して、考え方の指針として『仏教的にはこうすべきだと考えます』、ということをメッセージとして常に発信しています。海外の仏教界に比べると、今の日本の仏教界はリアクションや積極性が低いように感じられます。
また、『科学的視点が欠如している』ことも衰退の原因の一つかもしれません。仏教、宗教というのは非科学的な側面もありますが、現代社会において非科学的なものは“間違っている”と認識されることが多く、短絡的なロジックで一蹴されているようにも見えます。ただし、最先端の科学研究はまだ解明されていないことに挑戦しているので、非科学的な状態、言い方を変えれば『未科学的』な状態です。科学的なものが正しい、というのはある視点から見ればそうですが、未だ科学的とされていないもの(すなわち未科学的なもの)が間違いというのは早計だと思います。
ただ、近年、脳科学と仏教などの瞑想を結びつけて、瞑想をしているときの心の変遷を定量化して証明するような研究も増えてきています。チベットのダライ・ラマ法王はそこにすごく興味を持って、毎年のように科学者と宗教者の対話を続けています。
2014年には京都で2日間、ダライ・ラマ法王を招いて世界の研究者と宗教者とディスカッションするイベントを開催しました。発表される数学や脳科学の研究内容に対して、ダライ・ラマ法王は『被験者の母数は何人?』とデータの扱いにも慣れた様子で質問していました(笑)。仏教が盛んな国だと異分野などにも関心を寄せていたりするので、そうした関わり方は今後もっと重要になってくると思います」
伝統知とテクノロジーの掛け算から生まれた「ブッダボット」と「テラバース」
仏教は最新技術と共に歴史を歩みながら、その教えを広く伝えるための方法を模索してきたと語る熊谷氏。形骸化が問題視されている日本仏教に対し、まずは教えに直接触れてもらうことを目指し「ブッダボット」の開発に至った。ではなぜ、ブッダと会話できる必要があったのか、またどのような経典をもとに進められたのか。ブッダボットの先にある「テラバース」の構想に至るまでは、住職でもある熊谷氏だからこそ見通せた未来があった。
——そうした問題意識が、「テラバース」や「ブッダボット」に繋がっていると。
熊谷氏「この研究のきっかけは東伏見光普さん(青蓮院門跡・執事長)とお話していたときに、『日本仏教の衰退というこの危機的状況をどうにか出来ないか』と相談されたことでした。そこで、私たちは、まず『仏教とは何なのか』というそもそも論に立ち返りました。誤解を恐れず一言でいえば、仏教とは“幸せになるための教え”だと言えると思うんですね。より正確に言えば、人間の不幸や精神的な苦痛(煩悩)を減らしていくことを目指すもの。仏教界の歴史を振り返れば、ただ教えを説くだけでなく、病人を匿ったり貧しい人に施しをしたり、雨が降らないときには水を活用できるように溜池を作ったりと、直接的に社会に仏教の教えを還元するような機能もありました。そこで、現代社会と直接接点を持てて、かつ仏教の教えにカジュアルに触れられるようなアイデアを広く考えはじめました。
当初は、『メンタルフィットネスを作ろう』なんて話も出たのですが、これは日本人の価値観にはすぐには馴染まないだろうと。海外ではマインドフルネスの人気も相まって、自分自身の心のコーチングをしてマインドを変えていくためのサービスにお金を払うというのは一般的です。日本の場合は体型などの見えるところにお金は払うけど、『心は己で鍛えるものであって、そんなものにお金は払うべきじゃない』といった価値観が強く、心を定量化したり、新たなシステムで鍛錬するといった考え方がすぐには受け入れられなさそうだったので、断念。
次に『トレンドのAIを使ってみてはどうだろう』と思い、共同研究メンバーの一人であるデータサイエンティストの古屋氏に『AIでブッダを作れないか』と相談したんです。会話を進めるなかで見えてきたのは、ブッダの知性を人工知能で再現することは困難だけど『ブッダと似たような説法をするAI』は作れるかもしれない、ということ。人工知能に経典を学習させて『教え』をDXすることで、人々の悩みに一種の回答を出せるようになるかもしれない。そうして開発を進めたのが『ブッダボット』です」
——学習させる聖典はどのような基準で選ばれたのでしょうか?
熊谷氏「悩みを相談して、的確な教えを得るような聖典を選ぶ作業は結構大変なものでした。たとえば、浄土真宗の聖典である親鸞の『正信偈(しょうしんげ)』は、ひとえに極楽浄土の歴史やそこへの行き方が書いてあるんですよ。なので、どんな質問をしても『信心を得なさい、念仏しなさい』という答えになるだろうと……(笑)。そうすると『仕事がきついです』とか『リストラになりそうです』という悩みに対しても、教えの上では、仕事なんかよりも極楽浄土へ行くことが遥かに大事とされているので『そんなことよりも信心を得なさい、念仏しなさい』という回答になってしまう。
他にも、『般若心経』が候補に挙がったのですが、これは“色即是空空即是色(しきそくぜくうくうそくぜしき)”といって、全ての物質的要素というものは非実体的であると捉え、そうした物事への執着から解放するための教えです。なので、たとえば『仕事がなくなりそうです』と相談すると『仕事なるものが非実体的なものである』と返ってくるだろうと。『彼女に振られそうです』には、『彼女という存在そのものが非実体的なものです』と返ってきて。『それらに執着しちゃ駄目ですよ』と言われると納得できる部分はありつつも、高次元な話で腑に落ちづらい。
最終的に学習させたのは、仏教の最も古い聖典である『スッタニパータ』です。これには、日々の生活のなかでのアドバイスや格言のようなものがパーリ語で書かれていて、日常の生活についてのアドバイスが豊富でした。さらに、この聖典はブッダと弟子たちの対話形式で綴られていたので、悩みと回答を紐付けやすかったんです」
——実際にプロトタイプが出来上がってみていかがでしたか?
熊谷氏「日本語訳ではありながらも、ブッダの言葉に直接触れられるのは大きいと思いました。まだ回答と悩みの紐付けがデータ量として足りない部分もあり、悩みに対して少しずれた回答が返ってくることもありますが、これは使いながらデータを取得していけば精度を上げていくことができると見込んでいます。
もう一つの課題に、ミスリーディングがあります。たとえば、大雨による災害が最近よく問題になりますね。洪水とかで緊急避難のアラートとかが出ていて、直ちに避難しなければいけないとき。『夜で怖いんだけどどうすればいい』と尋ねると、仏教系の回答だと『焦らずゆっくり考えなさい』と返ってくる。『それで残って人が流されちゃったときは、どう責任取るんですか』という指摘を受けました。こうした課題には、たとえば台風情報をAIに学ばせてリンクさせると、有事の際だけはその台風情報が引っかかる仕組みも作れますね。そうしたリスク対応についても、今後考えていかなければいけない部分だと思います。
また、ファクトチェックが行えるという利点もあります。偽の情報で信者が誤った方向に誘導されてしまうような懸念もありますが、スッタニパータという実在の聖典をもとにした回答なので、“ブッダの答え”としてエビデンスがしっかりしている。たとえば、『この壺にいかにご利益があるか』という話を密室でされると、その場でファクトチェックが行えないので、信じて買ってしまう。しかし、ブッダボットが手元にあれば、聖典にそのような記載があるのかをすぐにチェックできる可能性もあります。いわゆるカルト宗教で起こっているようなそうした問題も未然に防げるし、万が一起こってしまっても、過去ログを辿って責任に対処できます。そういう意味でも、仏教をブラックボックスにせずに使用してもらえるので、DXのもたらす意義は大きいのではないでしょうか」
——お寺のDXも考えられていますか?
熊谷氏「Web1.0、2.0、.3.0といった考え方がありますが、今のお寺はインターネットにも接続していない、1.0にも到達してないお寺が結構あります。徐々にSNSを活用して2.0に対応しているお寺も増えていますが、サイバー空間を持っているような、3.0に対応したお寺なんて稀な例を除いて殆どないと思います。お寺は物理的な空間に制限されている部分が大いにあるので、これをどうにかメタバース上で再現できないか、という計画が『テラバース』です」
熊谷氏「新型コロナの流行以後、お寺の存在価値はとくに見直されるようになりました。お坊さんにとって、直接会いに行ってお経をあげることも叶わず檀家は直接説法を受けることもままならない状況が続き、お寺としても仏教徒の方々にとっても、歯がゆい数年だったと思います。足を運ぶ、直接会うといったことが障害になってしまうのであればIoTを活用することがお寺を存続の危機から救える方法なのではないかと。
その解決策の一つが『サイバー寺院』です。宗教法人なので登記用の土地は必要ですが、VR・AR空間上に3Dで寺院を作ってしまえば、寺院の維持で苦しむ方々を救える可能性がありますし、有名なお寺は本堂を現実空間に残しながら、子院をサイバー空間上に作るということも可能になります。
また、お寺が減るということは、建物だけでなくお坊さんのヒューマンリソースも減っていきます。なので、将来的にお坊さんの数が減ったときに、葬式をやりたくてもお坊さんの予定が取れなくて葬儀があげられない……なんてことも起こりうる。そうならないように『アバター僧侶』を作っておいて、3D空間上の寺院にいるようにすれば、タブレットやスマホなどを使って遠隔でお経をあげられますよね。コロナ禍のような対面が難しい状況にも対応できる。以前実際に、コロナ禍で来られない檀家さんに対してオンラインの法事を行ったら、とても喜んでもらえたので需要はあるのかなと。しかし、こうしたシステムを導入するにはお坊さんのITリテラシー次第なところもあり、どれほど普及させていけるかは議論が必要な段階です」
AIは仏教の「教え」を再現できるか
ブッダとの対話を通して悩みに応える「ブッダボット」の試みは、真新しい技術を使うこと前提で出来上がったものではない。現代を生きる人々から少しでも苦悩を減らし、さらに仏教の教えを広めるために、日本における仏教が抱えている問題を解決しようとする壮大な計画の第一歩だ。熊谷氏の思いを聞いたところで、実際にブッダボットを体験してみた。
——質問してみますね。
「家族を大事にすること、自分を大事にすること、どちらを優先すべきか」
熊谷氏「まだプロトタイプなので、都度サーバーを立ち上げないといけない状況で……ちょっと返ってくるまでに1分くらいかかります」
熊谷氏「〈他人のためになることを優先し、自分のことをおろそかにすべきでない〉と出ましたね。家族の方をやっぱり優先すべきなのだろうか。ただ、自分のことをおろそかにすべきでないと書いてありますね。『もう家族のためなら自分が病気になってもいいや』という自己犠牲ではなく、自分も大切にっていうことでしょうね」
——絶妙な答えが返ってきますね。少し時間を置いて返ってくるのも、同じ悩みに対して考えてくれているような体感があります。宅配業者のチャットボットなど応対サービスでは、一瞬で回答が返ってこないとストレスになりますが、人生の悩みを相談しているような内容の場合は、一瞬で返ってこない方が自然な気がします。
熊谷氏「たしかにそうかもしれませんね。回答までの時間を設定できるので、1秒、2秒と設定時間を変えていって、回答が得られるまでの心地いいラグを探すのはいい研究テーマになるかもしれません」
——質問をした後、自分がこの問いに対して自問自答する時間もちょっと欲しいというか。質問して返ってくるまでの時間によって、相談する方の満足度、回答に対する評価も何か変わってきそうですよね。
熊谷氏「今のお話を要約すると、相手に対して話す時点で頭の中を一度整理している。そこですぐ回答を出されたら、その回答をもとにもう1回考える、というステップがあった方がいいんでしょうね」
——AIが生成、回答するものへの人間の評価は、それをAIが作ったかどうかというプロセスの影響が大きいと聞きます。自動生成された言葉ではなく、あくまでも本当にブッダが語った言葉であることがいい作用を生んでいますね。
熊谷氏「そうですね、権威づけ、信頼性の一つの根拠といいますか。その言葉が現代人にとって正しいかどうかは別として、少なくともブッダが言ったんだというところへの信頼性はあると思います。人工知能が生成したものは、あくまでも“人工”の知能で、人間ではない。でも、ブッダが確かに言った言葉から選ばれて返ってくるのであれば、その言葉はAIのものではなく、ブッダの言葉として受け取れるのかもしれません」
——的を射るような、でも少し距離があるような回答であることも考える余地が生まれていいように思います。
熊谷氏「それは私も重要なポイントなのではないかと思います。いわゆる巷のAIでいえば、レコメンドエンジン、マーケットサイトなどの『おすすめ欄』に活用されていて、そこでAIとの認識の差が生まれると『全然好みではないものをおすすめされている』と、差異がネガティブなものに写ってしまいますよね。
でもブッダボットの場合は、質問と回答の間の“ちょうどいい距離”のようなものが、相談者にもう一度質問を自問自答させるような作用を生んでいて、ブッダボットに100点の回答を出してもらうんじゃなくて、自分の回答を出していくための手がかりにするっていう位置づけでしょうか。ブッダボットの回答をすこし時間をかけて解釈するのは、聖典をもとに『教え』を理解するプロセスに近しいように思います。“ちょうどいい距離”がブッダの言葉の受け取り方を解釈することに繋がるかもしれません」
——toC(コンシューマー・消費者)だけでなく、toB(ビジネス)のサービスとしても活用できそうです。
熊谷氏「複数の企業さんからは、既にブッダボットを使ったワークショップをやりたいという要望があります。新入社員の教育や幹部候補向けのワークショップなどで、ブッダボットの回答をディスカッションの材料として活用できます。ビジネスシーンではデータや経験に基づいて判断するものですが、仏教的観点では経典の教えを参照する。その回答の差異を見て、会話を広げられます。アイデアが枯渇しているときは、自分とは違う視点が突破口になるので。たとえば、家族関係の相談をしていたのに、“家族”ではなく自分と他者の利他性と自立性の関係性という話題に転換したじゃないですか。そういう我々のするタイプの議論の進め方を大きく変えてくれるようなところに、一つ可能性はあるんじゃないかと」
——仏教をDXする可能性は大きそうですね。
熊谷氏「元々、仏教はフィジカルな空間を使うしかなかったので、そこにデジタル、サイバー空間が増えることで可能性はダブルになるのではないかと考えています。
また、私が僧侶としての能力に限界を感じていた点においても手助けになってくれると思っています。人を導く立場の僧侶としての能力や知性、知識も足りず、修行も足りないと感じていて。それは仕方ないと思われるかもしれませんが、一方で救いを求めている人々がいるわけです。知性の拡張は人工知能を使ったり、DXで出来る。この頭で覚えられることには限りがありますが、ブッダボットはスッタニパータの多くを記憶してくれているわけです。デジタルの媒体を活用してDX化を進めることによって、自分にないものを増やしていく。そのような知性の拡張はお坊さんもやってもいいのではないかと思います。このような新しい技術を作ることについて、当初は葛藤もありましたが、それで一人でも多くの人が救われるのであれば、それはやった方がいいのではないかと」
——話を伺うまでは遠く感じていた「仏教」と「AI」というワードですが、時代によって頼りにされる対象が違うだけで、ある種人間を超えた存在に思いを馳せる意味では同じものを感じますね。
熊谷氏「AIの精度が高まっていくと、よりその超越的な存在感が強調されますね。Googleが開発している囲碁プログラムの『AlphaGo』なんか、まるで囲碁の神様のように扱われているようにも見えます。AIが100%正しいかどうか分からないけれども、自分よりかは優れた存在で、ある程度正しい回答をくれる不可思議な存在ですよね」
「あっちにブッダがいるらしいよ」と噂する未来も?
ここで紹介した「ブッダボット」及び「テラバース」はまだ研究・開発段階にあり、試行錯誤を繰り返しながら一般公開に向けた準備を進めている。最後にあらためてこの研究によるソリューションがどのような未来をもたらすのか、展望を聞いた。
——たとえば「ブッダボット」が世の中に普及したら、どのような影響があるでしょうか?
熊谷氏「ブッダボットを通して新しい思想や哲学、興味も生まれてくると思います。たとえば、経典が書かれた当時は男性優位の考えが強く、現代とはジェンダー観が異なります。そうしたところから現代の価値観にカスタマイズされた新たな仏教観が生まれると考えると、それは仏教の発展版とみなすこともできます。経典に載っていること以外を“仏教”として認めないとすれば、ブッダボットから生まれてくるアイデアは、あたらしい思想といえますし、場合によっては新しい宗教ともいえるかもしれません。このように、仏教が広く大衆のもとに認知されることで、仏教そのものも更新され、その後の思想や哲学にも影響を及ぼすことができるのではないかと思います」
——同じように「テラバース」が普及するといかがでしょうか?
熊谷氏「『仏教』を一つのテーマとしたコミュニティができるようになるかもしれないですね。たとえば、そのコミュニティ内だけで使える仮想通貨ができるとする。仏教は“自業自得”という考え方をベースにしているので、『善い行いをすると、1点もらえます』という独自のルールができたりするかもしれません。徳を積んでキャッシュが貯まる……というようなテラバース内独自の経済圏を作るとか。さらに、それをドルや円などの現実の通貨とリンクさせることで、新しいタイプの経済が生まれる可能性もあります」
——この研究を社会に実装していくためには、どのようなお考えがありますか?
熊谷氏「サービスを作ることが、研究を社会に実装していくシンプルな第一歩なのではないかと。研究したものをサービスとして広く提供することで、社会に意義も示せますし、需要や反応を見てまた研究を深められる。そのために、株式会社テラバースを創業しました。『伝統知テック産業』として、仏教の教えを必要に応じて社会にインストールしたり、またブッダボットのようなサービスを開発して仏教を広めたりと、まだあまり仏教を知らない市井の人々にアプローチできるといいなと考えています。
現在、仏教が広く根付いているブータンで、先立ってブッダボットを公開できないかと画策しています。まだあまり日本ではイメージできないかもしれませんが、ブータンやチベットなどでは、観音菩薩が大人気なんですよ。たとえばラサのちょっと町外れに『ARで観音菩薩が歩いてる!』となれば多分現地の方が殺到するでしょう。チベット密教開祖のグル・リンポチェが今高島屋の前にいるとなれば、日本人は来ないと思いますけど、ブータン人は海を渡ってでも来ると思いますよ。きっと。
みんな群がって直接話してみたり、一緒にとりあえずついて行ったり、あるいは街中に珍しいポケモンが出るとそこに人が集まるポケモンGOみたいな感じですね(笑)。仏教が根付いている国だととてもイメージがしやすいので、まずはそういった仏教国や仏教文化圏からスタートして、ゆくゆくは日本でも展開できればと考えています」
執筆/梶谷 勇介 撮影/衣笠名津美 編集/浅利ムーラン、鶴本浩平(BAKERU)