大衆酒場好きなら知らない人はいないであろう「ホッピー」というドリンク。 “元祖ビアテイスト清涼飲料水”*として、1948年の発売以来、長く愛されてきた。最も基本的な飲み方は、甲類焼酎をホッピーで割り、ビアテイストのお酒として楽しむというもの。ホッピー自体は低カロリー、低糖質、プリン体ゼロだというのも嬉しいポイントで、酒好きの身体にも優しく美味しい一杯が出来上がる。
*ホッピーはアルコール約0.8%。酒税法上、酒類ではなく清涼飲料水に該当する。
もちろん他にも色々な飲み方が工夫でき、飲食店で、家庭で、と自由なスタイルで愛飲されている。酒場を取材することの多いライターである私、スズキナオもホッピーが大好きで、居酒屋のメニューにホッピーがあれば、まず間違いなく注文する。
しかし、そのホッピー、主に関東エリアで親しまれているもので、それ以外のエリアではなかなかお目にかかれなかったりもする。私は10年ほど前に長く住んだ東京から大阪へと移住したのだが、当初はホッピーを提供するお店になかなか出会えず、なんとも心細かったものである(幸い、近年は関西でもホッピーを提供するお店が増えてきて、安心のホッピーライフが戻ってきた)。
変わらぬ味が多くのファンに支持され、“ホッピーカルチャー”とでも言うべき、独特の文化を生むにまで至ったホッピー。そのホッピーの魅力に迫るべく、ホッピービバレッジの社長を務める石渡美奈さんにお話を伺った。
「ホッピー」の変わらないこと・変えてきたこと
最初に聞いてみたかったのが、今年で誕生から75周年を迎えるホッピーが、その歴史のなかでどんな風に変化してきたのかということだった。時代の移り変わりに合わせてどんな部分を変え、どんな部分を守ってきたのだろうか。
——ホッピーの長い歴史のなかで、変わらない部分と変わってきた部分とがあるんじゃないかと思うのですが、それについてお聞きしてもいいでしょうか。
石渡さん「変わらないものというのはやはり、創業者である私の祖父・石渡秀がホッピーに込めた想いですよね。当時中小企業としては非常に画期的だった、本物のホップをはじめとした天然ものへのこだわりと、お客様に自信を持ってお売りできる製品づくり、安心して召しあがっていただける製品づくり。これは未来永劫変わらない部分です」
——なるほど。製品づくりの姿勢はずっと一貫しているわけですね。その一方で、時代とともに変化してきたところもありますか?
石渡さん「技術も進化しますし、原材料も進化しますよね。市場も変わり続ける。そこは時代に合わせて変えていくべきところだと思っています」
——ホッピーというと低カロリー、低糖質、プリン体ゼロということで、そういうことが気になる私のようなお酒好きにはありがたい飲み物というイメージもあるんですが、それも時代に合わせて打ち出してきたものなのでしょうか。
石渡さん「『これからの時代は体に優しい部分が強みになる』と考えたのは、亡くなった私の父(2代目社長・石渡光一氏)なんです。でも、そのことに気づかせてくれたのは実はお客様でした。ある時、『ホッピーにはプリン体が含まれていますか?』というお問い合わせが相次いだのです。私が入社して間もない1997年、当時はまだプリン体自体が今のように広く知られていなくて、聞かれた私たちが『プリン体って何?』という状態でした」
——そうなんですね!今でこそよく聞く言葉ですけど、当時は違ったんですね。
石渡さん「そうなんです。恥ずかしながらそれまで調べたこともなくて。そこですぐに分析センターに出して、保健所の方にも出して、その結果、プリン体ゼロという表記が許されました」
——後からわかったことだったと。そしてそれ以降は、体に優しいという特徴をアピールしていったわけですね。
石渡さん「そうです。ラベルにも表記するようになりました。私が宣材を作っていく上でも強調していきました。
入社当時、『若い女性がこれからのマーケットの主役になる』とさかんに言われていた時代でした。年齢的にもまさにターゲット層だった自分の感覚に照らしてホッピーを見て、より受け入れてもらえるように、というのは考え続けてきた部分ですね。そのなかで、ホッピーならではのダサさと可愛さ、ダサカワさ(笑)は大切にしてきました」
——ダサかわさ、いいフレーズです(笑)。アピールの仕方を時代に合わせて工夫して、商品自体は変えずに守ってきているということなんですね。
石渡さん「この瓶(ホッピーの代名詞でもある茶色いリターナブル瓶)なんか、絶対にいじれないですね。ホッピーの顔なので、守り続けます。
ただ、瓶の後ろ側の注意書きは時代に合わせて細かく変えているんです。それが先日、Facebookを見ていたら、『ふとホッピーの瓶を見たら注意書きが変わっていた』と書いている方がいて、ホッピー応援団の方ってすごいなーと思いました(笑)」
——それはすごい(笑)。私は瓶の裏側をまじまじと見たことすらなかったです。というか、そういう風にSNS経由でファンの方の声が届いたりもするんですね。
石渡さん「もちろんです。FacebookやTwitterやインスタグラムは、実はとてもよく見ています。たとえば、スズキさんがホッピーについて何か投稿すれば、それもチェックさせていただいて(笑)」
――わー!酔っぱらった勢いで恥ずかしいことを書かないように気を付けます(笑)
あえて“不便”を味わい、自分なりに楽しむ。
居酒屋でホッピーを注文すると、“ナカ”と呼ばれる甲類焼酎がグラスやジョッキにあらかじめ注がれた状態で、“ソト”と呼ばれるホッピーの瓶とともに提供されることが多い。客は甲類焼酎に対して、好きな量のホッピーを加えて飲む。濃度を好みに応じて調整できるのもホッピーの魅力である。しかし、それは逆に言えば「ちょっとした手間」でもある。ここからはその手間をめぐる話を聞いていく。
——ここ数年で大衆酒場文化が改めて脚光を浴びていますし、若いホッピーファンも増えているんじゃないでしょうか。
石渡さん「もちろん若い方に飲んでいただくのは大歓迎です。しかし、あえて若い方に向けてアピールするといったことは失礼ながらさほど意識していません。というのも、口にするまでひと手間かかるホッピーは、若いうちは面倒に感じるのではないかと思うからです」
——なるほど、でもちょっとわかる気もします。ホッピーって美味しく飲もうと思ったらちょっとひと手間かかりますもんね。
石渡さん「そうそう。それこそ“三冷(ホッピー、焼酎、ジョッキをあらかじめ冷やしておき、氷を入れずに飲むメーカー推奨スタイルのこと)”なんて、ホッピーを冷やして焼酎を冷やして、ジョッキを冷やして……自分の若い頃を思い出してもそんな面倒なことをいちいちやっていられないじゃないかと思うんです(笑)。そのひと手間が幸せなんだということに気づいてくれる方が、ホッピーを好きでいてくださると感じます。ホッピーは『粋を味わい楽しむ大人のドリンク』なんです」
——たしかに、手をかけることをあえて楽しむ姿勢が重要かもしれないですね。あと、たとえば瓶ビールだと、お互いのグラスに注ぎ合ったりすることがありますけど、ホッピーってもう少しパーソナルなものだと感じます。自分なりの飲み方で楽しめるような。
石渡さん「『マイホッピーウェイ』を持てるのがホッピーの魅力です。焼酎を割らず、ホッピーをそのまま『ジャストスタイル』で召し上がる方もいらっしゃいますし」
——アルコールの濃さについても好きに調節できますもんね。私は最近、あまり焼酎の量を増やし過ぎずに、一杯に対してホッピー一本を使い切るぐらいのバランスで飲むのが好きになってきました。そういう気分に合わせて飲み方を自由に変えられるのがホッピーならではだなと思っています。
石渡さん「そうですね。それと、ホッピーとの最初の出会いを覚えていらっしゃる方がとても多いんです。『上司に連れて行ってもらったどこそこの居酒屋で初めて飲んだ』ですとか『若かりし頃にお金がなかったから居酒屋でリーズナブルなホッピーをよく飲んでいて、それから年齢を重ねた今も、ホッピーを飲むとその頃の気持ちを思い出す』という方もいらっしゃいました。その方は今も大事な日にホッピーを飲んでくださっているそうです」
——言われてみれば私も初めて樽ホッピーを飲んだ時の感動は覚えています。いつも飲む瓶のホッピーとはまた違った味わいで。あれは大阪では出会えないですもんね。
石渡さん「あれは残念ながら品質の関係で東京近郊にしかお届けできません。でも、便利になりすぎた今の世の中で、少しくらいの不便があっても、それはそれでいいことなんじゃないかと思っています。『東京に行ったら樽ホッピーを飲むぞ!』と思って遠方から飲みに来ていただくのも人生のなかの大切な感動ではないでしょうか」
——それは本当にそうですね。わざわざ飲みに行くとか、そういうことが楽しいんですよね。
石渡さん「たとえば大阪の『江戸幸』さん。あのホッピーの味は江戸幸さんでしか味わえないでしょう? 『こんなお店が東京にあったらいいのに』と思いますけど、大阪に出張で行った時にようやく飲めるという、それも人生の感動じゃないですか」
——「江戸幸」のホッピーは本当に美味しいですよね。あの店が大阪にあるおかげでかなり助かっています(笑)。大阪で美味しいホッピーを飲みたくなったら真っ先に思い浮かぶお店です。
石渡さん「やはり、地域性とか、季節感とか、そういうことがあるから感動が生まれると思うんです。2019年に岡山県の犬島という離島で、建築家の妹島和世先生の監修で古民家を改装した『犬島ホッピーバー』を開きました。広いお庭があって、そこでミントを植えて育てていて。それを使った『モヒート』ならぬ『ホピート』が名物の1つなんです」
——ホピート!それはすごく美味しそうですね。
石渡さん「美味しいんですよ。でも私は大変恥ずかしながらミントって一年中手に入るものだと思ってたんです。実際はそうではなくて、夏のミントは葉を一枚摘むだけでふわーっと香りがするぐらいパワーがあったんですが、秋口に摘んだミントは同じ味にはならないんですね。食感もごわごわして、香りや色も違ってしまって。やっぱり植物にだってその他の食材にだって、季節ごとの意味があるんだって思ったんです。旬の季節があって、人間がそれを欲する季節もある。この場所だから、この季節だから味わえるものにはやはり価値があるんだなと改めて思いました」
——だからこそ、美味しかったなーと後々まで記憶に残ったりするんでしょうね。
石渡さん「そうだと思います。たとえばコンビニはすごく便利ですけど、24時間365日、どこでも同じものが買えるというのを求めすぎてしまうと失ってしまうものもある気がします。季節を感じながら少し不便なこともむしろ楽しい、愛しいと感じます」
——ひと手間くわえてホッピーを美味しく飲むというのと通じてくる話ですね。
広まる、ホッピーカルチャー
私が東京から大阪に引っ越して10年近くが経つのだが、その間、大阪の町にホッピーを出す店が増えてきているのを実感する。様々なメディアで大衆酒場の魅力が取り上げられているおかげでもあるのだろう。大阪以外の地域に旅行しても、居酒屋のメニューにホッピーを見かけることが多くなった。ここからはホッピーの持つローカル性と、その可能性について話を伺っていく。
——とくにここ数年で関東以外にもホッピーの認知度が広がっていると思うのですが、それは感じますか?
石渡さん「お陰様で、あちこちにファンの方が増えていると感じます。そうして求めていただけるのはもちろん歓迎です。すると、そこからご当地のホッピー文化が生まれるかもしれません。その土地ごとの食べ物があるわけで、それに合うホッピーの飲み方が生まれるかもしれないとワクワクします。
たとえば、大阪なら大阪ならではのホッピー文化になるでしょう。大阪で紅しょうがの天ぷらをいただいた時に、その存在を初めて知って、またそれがホッピーとすごく合うんですよ。それも江戸幸さんでの話です(笑)。このようにホッピーをその土地なりに楽しんでいただけるのはとても嬉しいことですね」
――ご当地ならではのホッピー文化が生まれれば、その土地に行くのも楽しみになりますもんね。
石渡さん「その点は大事にしていきたいと思っています。おかげさまで東京ではホッピーの名を知ってくださっている方が大勢いらっしゃいますよね。でもその反面、イメージが先行してしまい、新しい扉を開こうとする時に意図せず足枷になってしまうこともある。ホッピーはどんなお料理にも合いますし、もっと可能性があるのに、先入観で見られてしまい残念に感じることが多々あります。このままでは我が子『ホッピー』の将来が先細りになってしまうので、あえてホッピーが知られていない海外でブランディングを兼ねて新しいことに挑戦しようと準備を進めています」
——具体的な場所のイメージはあるんでしょうか。
石渡さん「私はニューヨークを選びました。『え、そこで受け入れられているの?』と、みなさんに良い意味で驚いていただけるような場所に挑戦したいと。ある一通のメールをきっかけに、2012年からニューヨークへ通い始め、知り合いもいなかった状態から話を進めて、おかげさまで協力してくれる仲間に恵まれました。ニューヨーク流のホッピー文化が生まれたら面白いのではないか、そしてそれをまた日本に持ち帰れたらと考えています」
——それは大きな計画ですね。どうなっていくのか楽しみです。今年はホッピー誕生が75周年を迎える年ですが、会社としての新たな展望などはありますでしょうか。
石渡さん「2011年の東日本大震災を経験した時に、明日はわからないなって思ったんです。まさかこんなことになるとはと。それに加えて今回のパンデミックもあって、さらにその実感が強くなりました。だからこそ目の前の一分一秒を大切に、今この瞬間の平和を噛みしめ、社訓に従い目の前のお仕事に懸命に取り組み、時を丁寧に積み重ねて、それが結果として次の100年、200年になっていくということを大きな前提として、その上でこれからも製品としてだけでなく、ホッピーを取り巻くストーリーやホッピーの本質を大切に育てて参ります。もちろん新商品も色々と考えています」
——新商品も!お知らせを楽しみに待っています。ちなみにホッピービバレッジの社屋は赤坂にありますけど、赤坂の町を舞台にした「赤坂 yoi machi はしご酒(通称・赤ベロ)」ですとか、コロナ禍になる前には催しも色々と開催されていましたよね。やはりそれだけ赤坂という土地に思い入れがあるということでしょうか。
石渡さん「それはもちろんです。石渡家が赤坂に居を構え、事業を興して約130年です。私は生まれも育ちも赤坂、現在も赤坂に住み赤坂でお仕事をさせていただき、まさにホームタウンです。祖父も父も町のために心血を注ぎ、父の遺言は『ホッピーと赤坂を頼む』でした。私も先々代、先代の跡を継ぎ、地元の仲間と共にプロジェクトを色々と企画実施しています。とくに私たちのような中小企業は地元があってこそだと考えています。
残念だったのが、オリンピックの中止でした。予定通りに開催されていたら赤坂に聖火ランナーが走る予定だったんですよ。街を挙げて盛り上げようと皆でとても張り切っていたんですけど……。それにパンデミックで居酒屋さんも営業できなくなってしまったでしょう。飲食店様がどこも生きるか死ぬかの打撃を受け、弊社にとっても大打撃でした。地元飲食店の仲間のおかげさまで乗り越えることができたと感じています」
——飲食店さんもメーカーもここ数年は本当に大変だったでしょうね。
石渡さん「だからこそ、『赤ベロ』もなんとか開催できないかと話し続けてきたんです。毎日のように会議を重ねて、どうしてもリアルではできなくて、直前でオンラインに変えたりですとか。それでも、一緒に運営している仲間たちと『どうしたらできるだろう』と前向きに挑み続け、結果一層絆が深まりました。仲間がいるからこそどのような課題も共に乗り越えることができる。このつながりはパンデミックを通じて得た一生ものの宝です」
——ようやくそういった催しも再開できそうですね。
石渡さん「もう、今年はすごいですよ!スケジュール的にはもう私の“今年”は無事に終わっています(笑)。赤坂を挙げてコロナからの復興に挑みます。赤坂のイベントでも年内予定がいっぱいです」
——ますますお忙しくなりそうですが、でも、すごく楽しみでもありますね! ホッピーが東京の地に根差したものであるということが改めてわかるお話でした。最後に美奈さんの一番好きなホッピーの飲み方を教えていただいてもいいでしょうか。
石渡さん「一番好きな飲み方は……まず、16時ぐらいから飲み物を我慢して(笑)。夜の食事会っておおよそ19時とか20時に始まりますよね。それまでできるだけ水分の摂取を我慢します。満を持していざ、霜のついたジョッキによく冷えた焼酎を注いで、よく冷えたホッピーを2代目直伝の注ぎ方で作ってぐっと飲む。これは瞬く間に吸い込まれていきますね(笑)。『今日も頑張って働いてよかった!』って心の底から思います。そして2杯目からはゆっくり味わいながらいただきます。私にとって至福のひと時です」
——それは確かに絶対美味しい飲み方ですね。この後に美味しいホッピーがあると思えば仕事も頑張れそうです。
石渡さん「これはつい先日の話なんですが、取材のお仕事で17時からホッピーを飲んでいたんですよ。取材自体は2時間ほどでしたがその後も意気投合し、お開きになったのが結局24時過ぎでした。同行していた社員達も含めてきちんと食事をいただいていなかったので、その後に一緒に別のお店で食事をすることにしたんですね。もちろん弊社のお客様のお店で、そこでまた『乾杯ー!』と飲んだら、また美味しいんです(笑)。『さっきまでさんざん飲んでいたのに!』って、自分でも不思議でしたね。
社員のみんなともホッピーがあるおかげで労をねぎらいあって、心からホッピービバレッジの3代めで世界一幸せだなと思います」
——ホッピーへの愛を感じる素晴らしい話です。
石渡さん「ホッピーを好きでいてくださるお客様には、ファンという言葉では申し訳ない程心からホッピーを愛し、ホッピーを身内のように想っていてくださる方が大勢いらっしゃいます。雨が降ろうと槍が降ろうと揺るがずに注ぎ続けて下さるホッピー愛には感謝しかありません。このように思いながら毎日お仕事をさせていただけるのもホッピーのおかげさまであり、それは75年もの長きにわたりホッピーを愛し育ててくださっている、星の数程のホッピー応援団のおかげさまであると有り難く感じています。ホッピーがこれからどんな風に成長していくのか楽しみでなりません」
——これからもホッピーを美味しく飲ませてもらいます! 今日は貴重なお話をありがとうございました!
石渡さんの話を聞いてとくに印象に残ったのは、手間や不便こそが感動につながるということだった。利便性ばかりが過剰に追求されがちな世の中で、あえてちょっとの手間を楽しむ。それが人生のなかに余裕を生み、今だからこそ、ここだからこその感動を、後々まで心に残してくれるのだ。
美味しくホッピーを飲ませてくれる店を探したり、自分好みの飲み方を試す手間そのものを楽しむこと。それが大きな喜びにつながっていく。そう思うと、ますますホッピーという飲み物が愛おしく思えてくるのだった。
執筆/スズキナオ 撮影/タケシタトモヒロ 編集/浅利ムーラン、鶴本浩平(BAKERU)