スペインの作家ミゲル・デ・セルバンテスの小説『ドン・キホーテ』には、常識や権威に屈しない主人公が登場する。彼の名にちなみ「新しい流通業態を創造したい」という願いを込めたのが、ディスカウントストアの「ドン・キホーテ(以下、ドンキ)」だ。
「ドン ドン ドン ドンキ ドン・キホーテ〜」というドンキ店内を流れるメロディや、公式キャラクターの「ドンペン」など、耳や目に馴染みがある人も多いだろう。そんなドンキの”PB”の存在はご存知だろうか。
2009年からドンキは「情熱価格」というブランドを展開し、「安さ」という価値を追求し顧客に提供してきた。2021年に方向を大きく転換し、自社だけでつくる「プライベートブランド」から顧客と一緒に商品をつくる「ピープルブランド」へとリニューアルした。
リブランディングと合わせ、「ダメ出しの殿堂」というサイトを立ち上げ、顧客からの「ダメ出し」の募集を始めている。現時点で5万4千件以上の商品へのダメ出しが集まり、70点以上の新しい商品が生み出され続けているという。
「ピープルブランド」へと変わった背景には、顧客に対するどのような考えがあったのか。パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス SPA推進本部 SPA推進部 PB販促課責任者 中武正樹氏に話を聞いた。
「ドン・キホーテらしい」とはどういうことか?
2009年10月、ドンキはプライベートブランド「情熱価格」の目玉商品として、「驚安(きょうやす)ジーンズ」を販売。後発ながら激安ジーンズの価格競争に参加し、690円という破格の値段で話題となった。中武氏も当時のことはよく覚えているという。
中武氏「私が中途で入社したのは2007年。まだ右も左もわからない中、『うちの会社はすごい価格で商品を出しているんだな』と驚いたことを覚えています」
「お客さまの声をカタチに」──これが「情熱価格」のテーマだった。2008年9月にリーマン・ショック、2009年10月にギリシャ債務問題と、金融問題が続き、深刻な景気後退に陥る社会で、人々の節約志向は強まっていた。
その時代に「お客さまの声をカタチに」するのであれば、驚くほどの安さを追求するというのは理にかなった選択だ。実際、「情熱価格」は社会に大きなインパクトを与えたが、順風満帆というわけにもいかなかった。
中武氏「ドンキは、元来ディスカウンターです。それもあって『良いものをお安く』という商品展開が続くようになり、気づけば展開する商品が他社と同質化してしまい、凡庸になってしまっているのではという課題が生まれました」
当時、店頭にいた中武氏は、現場でも「情熱価格」の課題を感じていたという。
中武氏「『情熱価格』は、どちらかといえば売りにくい商品。店頭では、いわゆるナショナルブランドの商品で価格訴求するのが、最もお客様に響きます。利益を削る売り方にはなりますが、価格の優位性さえ訴求すれば売れる。それで現場としては売れている感がすでにあり、なぜプライベートブランドの商品に売れる棚を割かないといけないのか、という疑問はありました」
自社のブランドでありながら、自社の店舗で売る気にならない。なぜ、そのマインドになってしまうのか、社内アンケートを実施し、議論も重ねたという。そこで出てきたのは、「これにはドンキらしい魅力がないのではないか」というものだった。
中武氏「私たちには、グループ共通のショップ・ビジョンとして『CV+D+A』というものがあります。コンビニエンスのCVと、ディスカウントのD、そしてアミューズメントのA。これらが業態を作っているという考えです。アミューズメントの部分では、お買い物をエンターテインメントにしようという考え方があるんですね。
プライベートブランドも、安いというのは大前提として提案しないといけない。ですが、それだけになってしまい、価格でしか選んでいただけないのは課題ですし、そもそも楽しくないという課題がありました。それでは、ドンキらしくありません」
店舗ビジョンとして記載されている「CV+D+A」
顧客の声を「ダメ出し」として受け止め、「驚き」で返す
「よりドンキらしいブランドへ」──2021年2月、新たなブランドメッセージ「ドンドン驚キ」を掲げたリブランディングが発表された。ブランドメッセージで掲げている「驚き」とは、どのようなものなのだろう。
中武氏「いわゆるドンキらしさというのは、『ワクワク、ドキドキ』で、お客様はそれを求めて来店されます。その気持ちの源泉は何か。それは、驚きだろうと私たちは考えています。お買い物の中で、商品を手に取って、驚いたり、感動したり、そういった出来事が多ければ多いほど、ワクワクやドキドキが増えていきます。
パッケージを新しくする際、商品の特徴や開発担当者の推したいポイント、お客様へのメリットなどを、新聞記事のようなかたちで文章化するというのをやり始めました。それを社内で『驚きのニュース文言』と呼んでいるんです。
質や機能など、商品そのものにも驚いていただきますが、それだけではありません。お買い物が楽しいということは、手に取ったときにすでに驚きがある。そのための工夫を商品のパッケージで表現しています」
商品のパッケージは「驚きのニュース」をアピールする“誌面”。商品企画の段階からニュース性を吟味し、商品のコピーにこだわることで顧客にとっての驚きとなるようにパッケージをデザインしているという。
だが、ブランドロゴやパッケージを新しくしただけでは「ピープルブランド」とは言えない。新しくなった「情熱価格」を、顧客と共創するピープルブランドたらしめているのが「ダメ出しの殿堂」だ。
ダメ出しの殿堂では、その名の通り「情熱価格」の商品に対する「ダメ出し」を募集している。ダメ出し募集中の商品一覧が掲載され、商品に対するダメ出しを行うと、「みんなのダメ出し」として匿名で表示される。ダメ出しに対して、顧客は「いいねぇ!」というリアクションを示すことができ、ドンキ公式からも「かたじけない」「がんばります」などのスタンプが付与されることもある。
顧客からの意見を受け付けるだけであれば、「ダメ出し」という言葉を用いる必要もなかったように感じられる。あえて、この言葉を選んだ背景にはどのような考えがあったのか。
中武氏「リニューアル前の『情熱価格』にも、パッケージの裏にお客様窓口、コールセンターの記載がありました。当然、そちらからもお声をいただいていましたし、今もお電話でお客様からのお声をいただきます。
そういったお客様からのお声だけでなく、ずばり商品に対するご意見をいただきたかった。アイデアボックスという仕組みもありますが、なかなかお客様は率直なご意見を教えてくださいません。
なので、専門のサイトを作って、『人気商品のダメ出しをしてください』とお願いすることにしました。ご意見、ご要望だと恐らく投稿しにくいだろうから、ダメ出しをしてもらおうと」
あえて、ダメ出しという言葉を用いることで「ネガティブなことを伝えても許してもらえるのではないか」という雰囲気が醸成できるのではないかと考えていたという。
中武氏「お褒めの言葉ばかりいただけたら、商品がどんどん良くなるかというと、そうでもありません。お客様のために改善したいからこそ、叱ってくださいという姿勢なんです。ダメ出しには『ここを直してくれたらもっと良くなるのに』というニュアンスのものもあるので、お客様が言いたいことを伝えやすくて、かつ愛のある声が届く場所を作りたいと考えました」
ダメ出しの殿堂には様々なダメ出しが届いているそうだ。どんなダメ出しがされているのだろうか。
中武氏「お客様からのダメ出しには、品質改善に関するものもあります。これは当然、対応します。また、類似の商品があれば、それも含めて商品の改善を検討する会議も実施しています。
一方、使用シーンについてや、商品を棚から取ってレジまで持っていくまでの気持ちについてなどに関するダメ出しをいただくこともあります。これはピープルブランドらしい改善だと実感しています。
例えば、『大盛り!の文字が恥ずかしい』というダメ出しをいただいた商品があります。大盛りが目立つようにパッケージに記されていると、レジを通す際に恥ずかしいというお客様の心境をケアできていなかった。そこでドンキらしく、大盛りをヤバ盛りという表現に変えました。
『大して変わらないじゃん』という話なのですが、大盛りと書かれているよりは具体性が薄れます。まぁ、400グラムと大きく書いてあるので、量が多いことはばれてしまうのですが(笑)」
商品パッケージを作る際の単語選びや言い回しなどを含めて、顧客が商品を手に取った際にときにくすっと笑ってもらえたら、という茶目っ気をもつこともドンキらしさだと考えていると、中武氏は語る。
中武氏「毎月、ダメ出しの殿堂に掲載する商品はこちらで決めて更新していて、1カ月でおよそ2000件のダメ出しをいただいています。いただいたダメ出しを商品ごとに仕分けして、さらに商品のどこへのダメ出しかで仕分けをします。質、外観、見た目などで分類していき、項目ごとに改善ポイントを検討しています。ダメ出しいただいた商品の改善だけでなく、派生した新商品の検討も行っています」
ピープルブランドとなった「情熱価格」は、顧客からのフィードバックを愛あるダメ出しというカタチで受け止め、商品開発に反映して改善するというサイクルを実現。ドンキでは、この循環を「最驚」を生み続ける共創サイクルとして表現している。
「顧客最優先主義」という企業原理に立ち返る
大量の「ダメ出し」を受け止め、商品に反映する。仕組みとしては理解できても、実行するのは容易ではなかったはずだ。なぜ、ドンキはピープルブランドを実現できたのだろうか。その背景には、企業の根底を流れる哲学があった。
中武氏「私たちには『顧客最優先主義』という企業原理があります。不変の企業原理であり、全ての企業行動を規定し、駆動するものとなっているんです。弊社のことは、ご来店してくださるお客様が全て決めてくださればいい、という考え方なんです。お客様が求めることであれば、それを愚直に実現していくのが私たちです。
そんな企業のオリジナルブランドですから、商品についてもお客様に決めていただくのが自然です。わざわざ、私たちの店舗を選んでくださり、オリジナル商品をご購入されるのは、かなり希有な事象です。その点において、お客様のニーズに合わせてカスタマイズするのはごく当たり前のこと。
『ピープルブランド』という名称には、こうした意味も込めてあるんです」
ドンキらしいブランドとして、企業原理に即したブランドとして、ピープルブランドとしてリニューアルした「情熱価格」は、次第に社内での受け取られ方も変わっていった。
中武氏「最初はみんな嫌がったんです、『ド』と大きく書かれた商品パッケージを。『格好悪い』『売れるわけないじゃん』と、否定的な声もありました。私たちとしてもインナーブランディングに力を入れて、情熱価格のリニューアルをした際の経緯やコンセプトを伝えるマンガを作成しました。それを全店舗に配布して読んでもらうなどの草の根活動をしてきました。
新しくなった『情熱価格』がメディアに取り上げられ、お客様からの好意的な声も出てくると、徐々に社内も新しいブランドに自信が持てるようになっていきました。やはり、インナーブランディングでも、外部からの評価は有効ですね。次第に、従来ナショナルブランドでやっていた棚での商品の並べ方などを、ピープルブランドでもやり始めるようになってきました」
ドンキでは、各店舗に権限が委譲されており、店舗でどの商品を扱うかは任されているという。「自分が『これだ!』と思ったものを信じて、店舗に並べて、お客様からの反応がある。それが一番楽しいので、現場のスタッフはみんなそれを邪魔されたくないんです」と中武氏は言う。そんなドンキにおいて「情熱価格」が店舗でも売れる棚に並ぶためには、現場スタッフの共感や理解は欠かせない。
中武氏「店舗への権限委譲が、これまでドン・キホーテを大きくしていくエンジンでしたし、これからもそうだと思います。店舗の人間はみんな『お客様と日々接している自分が、一番売れるものを知っている』という、自我の塊みたいな人間ばかりなんです(笑)私自身、店頭にいたときはそうでした。
そのため、『これを売るって決めたから』と、トップダウンで決まったものを売るのは好きではありませんでした。自分だけが知っている、お客様に買っていただけるものを、ひたすら売る。それが好きな人が現場には多いんです。
ピープルブランドには、小売りの醍醐味である『この商品を売るかどうか』『売るとしたら店舗内のどこにするか』という余白が残されています。これは従来、ナショナルブランドでやっていたこと。売れる商品は、店頭の一番良いところに置きたい。ピープルブランドがお客様から選ばれる商品になれば、店頭にも置きたくなる。サイクルが良い感じに回ってきている手応えがありますね」
これだけこだわりを持った店舗のスタッフからはもちろん、現場勤務ではないスタッフからも、商品に対して「ダメ出し」がある。
中武氏「リブランディングしてから、半年に1回は『情熱価格』についてのアンケートを実施しています。店舗のスタッフ、店長、店舗をいくつも管轄するエリアマネージャー、間接部門の社員も回答します。私たちは、店舗で品出しをしてくれているアルバイトの方を『メイトさん』と呼んでいるのですが、メイトさんもアンケートに回答できます。ドンキに関わるみなさんにアンケートに回答してもらい、『情熱価格』の社内通信簿のようなものをつくっています。
その内容が、本当に遠慮がないんです。よくそこまで言ってくれるなって思いますね(笑)。弊社には『自分の意見をはっきり述べよ』という決まりがあるんです。部下や上司に対しても遠慮せず、何でも言いたいことを言いましょうというルール。なので、みんなガンガン言います。これは日々お客様と対峙していて、お客様から直接預かっている言葉なのだろうと、私たちも受け止めています」
顧客のニーズに応えるために、社内で遠慮せずに意見を交わす社風。「情熱価格」は、顧客とだけでなく、店舗のスタッフとも共創しているようだ。
「ドンキらしい」ブランドを顧客と共創する
顧客と、社内とも共創するピープルブランドとして、「情熱価格」は今後どのような可能性を見据えているのだろうか。
中武氏「『ダメ出しの殿堂』はリブランディングと同時期の2021年2月にリリースしましたが、当時は急ごしらえでした。当初は、お客様からダメ出しがあっても、私たちはそれにリアクションできませんし、ダメ出しは他のお客様から閲覧できない状態。部分的にサイトを改修して、ダメ出しをお客様同士で閲覧可能にして、『いいね』マークを付けられるようにしました。
ダメ出しの可視化やリアクションはできるようになりましたが、実現したいこととしては道半ばです。最終的には、『情熱価格』に対してお客様が語り合えるようなコミュニティサイトになることを目指しています。
ラジオって、はがきを投稿して、パーソナリティが『ラジオネーム○○さん、いつもはがきをくれるね』と読み上げるみたいなことがありますよね。それってはがきを送付する方にとっても嬉しいことのはず。
『ダメ出しの殿堂』も、少しずつ『情熱価格』のファンであるお客様の居場所のようにしていけたらと思いますし、私たちもお客様から刺激を受けつつ、コミュニケーションできたらと思いますね」
共創関係にある顧客との向き合いだけでなく、ブランドの商品自体でも描いていることはある。商品がさらに「ドンキらしさ」を体現するものになっていくことだ。
中武氏「『情熱価格』を活かして、ドン・キホーテで買い物をすることの楽しさを伝えていきたいですね。『情熱価格』があるから、ドンキに行きたいとなってくださるお客様を増やしたい。数ある店舗の中から、私たちの店舗を選んで来店いただくからには、商品も『ドンキらしいね』という商品である必要があると思います。今後も、癖がある、尖りのある商品を、お客様と一緒に開発していけたらと思います。
カバーしているジャンルも様々ですが、とにかく広げようとは考えていません。当然、食品や小売品のようなドンキの業態と親和性の高いカテゴリーは拡充していきます。その他にも、他社が扱わない、ドンキにしかないようなカテゴリーも強化したいですね。そのほうが、ドンキらしいと思いますから」
取材・執筆・編集/モリジュンヤ 撮影/伊藤圭