袋を開けた途端、ふわりと豆の香りがひろがる。ミルで挽いて粉になったそれを、カップに乗せたフィルターへ。ポットの湯をゆっくりと注ぐと、モコモコとふくらむ粉から、もっと芳醇で複雑な香りが立ち上がった。
ドリップコーヒーにしか醸し出せない、特別な時間がある。たった数分。けれど香ばしさと苦みと酸味が入り混じった中に心身をひたらせるのは、せわしない今みたいな時代には、ことさら染みる。
『PostCoffee(ポストコーヒー)』はそんなコーヒーの多幸感をサブスクスタイルで気軽に届けるサービスだ。正確には「定額定期便」。月額1,980円から、スペシャルティコーヒーと呼ばれる最高品質の焙煎豆が自宅に届く。
驚くのは、継続率の高さだ。解約率はたったの「3%以下」。飲食系のサブスクビジネスは、解約率が数十%と高いのがスタンダードだが、驚くほど低い。ひもとくと、スマートな業態の奥に潜んだ、もっと香ばしい、緻密かつ泥臭い体験設計があった――。
感性×データで精度をあげる「コーヒー診断」
『PostCoffee』は2020年2月にローンチされたコーヒーのサブスクサービスだ。定額を支払うとコーヒー豆が届くサービスは、他でも見かける。しかし『PostCoffee』がそれらと一線を画すのは、2つの大きな特徴があるからだ。
1つは「世界中のスペシャルティコーヒーに絞っている」ことだ。
スペシャルティコーヒーとは、生産国はもちろん、そこでの栽培や栽培管理、収穫、精算処理などの品質管理が適正なうえで、生産地独特の味と風味を持つ美味しいコーヒーのこと。日本ではSCAJ(日本スペシャルティコーヒー協会)が定義づけしているが、トレーサビリティが明確な、風味豊かな最高級グレードの豆といえる。
『PostCoffee』はそうしたスペシャルティコーヒーを扱う限られた農家やこだわりのロースターと契約。200を超えるラインナップを揃えている。さらに全国の人気コーヒーショップとも契約し、彼らのスペシャルティコーヒーも扱っている。

定期便は3種類の豆が、シンプルながらも洗練された専用のパッケージに入って届く
「コーヒーは毎回、3種類ごとにお送りしていますが、その組み合わせは30万通りにまでなります」と創業者でCCOの下村祐太朗氏は言う。
下村氏「加えていつも『前回とは違うコーヒー』が届くようになっています。自分の好きな味や香り、テイストには従いつつも、多彩なコーヒーを楽しめる。だから飽きないわけです」

ポストコーヒー株式会社 CCO/取締役 下村祐太朗氏
それこそが2つ目の特徴、「自分の好みの美味しいコーヒーを毎回提案してくれる」ことだ。
支えているのは、独自の「コーヒー診断」システムである。「コーヒー診断」は『PostCoffee』のサイトやアプリにアクセスすると受けられる。ニックネームと年代を入力したのち、順番に出てくる質問に答えて診断は進む。
Q.モーニングにトーストとコーヒー。トーストにのせるとしたら?
Q.友達とファミレスに来ました。ドリンクバーで何を飲みますか?
Q.好きなフルーツは?
たとえば質問はこんな具合だ。単に味の好みを聞くのではなく、ライフスタイルやこだわりをさりげなく聞いているのがポイントだという。
下村氏「コーヒーの味を言語化するのは簡単ではありません。けれど、こうした質問ならば答えやすい」

下北沢の店舗奥にも備え付けの端末にて、診断を受けることができる
質問から導き出した「味の好み」は、独自の基準で最適な味と香りのスペシャルティコーヒーにマッチングされる。スペシャルティコーヒーは明確に「産地」と「味」や「香り」でカテゴライズされているため、データサイエンスとの相性がいいという。
もっとも、味の好みを推し量るのは、定性的なセンスも必要だ。「こういう好みの人は、こういう味を好む傾向が高い」といったアルゴリズムは、『PostCoffee』のスタッフ皆でつくりあげた。もともとカフェやコーヒーショップでバリスタ経験がある社員が多く揃っていたため、これができた。
下村氏「さらにお客様には、コーヒーを楽しんでいただいたあとに、必ずフィードバックをいただくシステムになっている。5つ星評価とともに『もっと苦みがあるほうが好み』とか『酸味がちょうどよかった』といった声も丁寧に拾い上げて、次回の定期便には、フィードバックを活かした、違う豆にしているのです」
要するに、顧客は『PostCoffee』で定期便を続ければ続けるほど、「自分好み」のコーヒーに近づける。さらにユーザーが増えるほど、好みの傾向がデータとしてとれるので、サービス全体の美味しいコーヒーのマッチングの精度もあがっていくわけだ。
こうして、どんな豆と出会えるかわからないワクワク感。コーヒーの知識が増えていく充実感。そして、好みの美味しさに近づき、頼むほどレベルアップしていくゲームのような楽しさが、『PostCoffee』にはあるわけだ。
カウンター越しでいつも聞いた「オススメで」がヒントに。
ユニークな『PostCoffee』の体験設計。根っこには、下村氏が、デザインからコーヒーに入ったという出自もありそうだ。
そもそも、違う畑からの参入だった。
下村氏と兄で現CEOの下村領氏の2人は、もともと16年間、Webを中心としたデザイン会社を経営。その後、スタートアップ企業を手掛けてバイアウトも経験するなど、ビジネスの嗅覚はすでにあった。
2017年頃は、アメリカでWeWorkが盛り上がっていた頃、そんな彼らが「自分たちもやってみよう」と事務所のあった渋谷区富ケ谷で、コワーキングスペースも開業する。「カッコいいから」と、そこにネットで偶然見つけて惚れ込んだイタリア製のエスプレッソマシンを置き、コーヒーを提供しはじめた。この一杯が、今にいたる起点となった。
下村氏「富ヶ谷あたりはスペシャルティコーヒーを出すカフェやショップが当時から多くあり、そこのスタッフや常連客がよく僕らのコワーキングを利用してくれていたんですね。彼らが『もっと美味しいコーヒーを出したほうがいいよ』と」
そして、彼ら経由でスペシャルティコーヒーを仕入れ、提供しはじめると「コーヒーがうまい」と評判に。さらに下村氏は、コワーキングスペースで実際に日々コーヒーを出しながら、ビジネスシーズを見つける。

スペシャルティコーヒーの美味しさを感じながらも「自分がどんなコーヒーが好みか、までは見えていない人ばかりだった」だ。
下村氏「カウンター越しに少しお話ししても『味の好み? わからない』『豆は何がいいか? オススメで』という方がほとんどでした」
質の高いコーヒーの潜在的ニーズはある。一方で多彩なスペシャルティコーヒーを自ら選ぶ術をほとんどの人が持っていない。そこでスペシャルティコーヒーをより多くの人たちに楽しんでもらえるよう考えた。いわば、スペシャルティコーヒーとの出会いを“デザインしなおす”ことにしたわけだ。
まずは、気軽に楽しめる「コーヒー診断」のような仕組みを実装。味の好みを見つけられると同時に、幅広くも奥深いスペシャルティコーヒーの啓発につなげようと考えた。
コワーキングスペースやカフェでの提案も当然できるが、リアル店舗では地域密着型にならざるを得ず、スケールしづらい。そこでECでの販売にシフトさせた。
豆の仕入れ先は、自ら開拓。最初は苦労したが、いくつかの名店と契約がとれると、信用力がひろまり、右肩上がりで取引先が増えた。すでに個人向けに豆の通販をしているカフェやロースターはあったが、受発注や配送は手間だった。新たな販売チャネルとなる『PostCoffee』は歓迎された。
サービス名はポストに入る定期便スタイルで配送することからつけた。サイトのデザイン、そしてUI/UXの磨き込みは得意領域。できるだけスタイリッシュにすると同時に、シンプルでわかりやすいサイトにした。目指したのは「コーヒーのZOZOTOWN」だったという。
下村氏「イケてるブランドを取り揃えているプラットフォーム。コーヒーでそれをつくりたかった」
当時、少しずつ増え始めていたサブスクスタイルに寄せたことも功を奏した。正式ローンチが2020年2月。ちょうどコロナ禍のロックダウンがはじまる直前で、「おうち時間」を大切にする風潮が高まり、動画配信にしろ、飲食系にしろ、サブスクリプションサービスが人気となった。その波にのって、すぐさま人気サービスになったわけだ。
とはいえ、いくら良いサービスでも、継続してもらうハードルは極めて高いものだ。『PostCoffee』が解約率3%と圧倒的なのは、巧みなビジネスモデルと商品の良さを超えた別のところにこそ、ある。

失敗しない淹れ方と、すぐに届く安心感
解約率の低さ、裏返すと継続率の高さを後押ししているのは、ユーザー目線に立った「ネガティブなコーヒー体験の排除」だろう。例えば、いくら豆の質が高くても、いくら「コーヒー診断」で導かれた自分好みの銘柄だとしても、“淹れ方”を間違えば、コーヒーの味は大きく落ちるものだ。
そこで『PostCoffee』では、豆の挽き方やお湯の量と温度、どれくらい蒸らすかどうかを、パッケージや付属のカード、あるいは同封する冊子などでしつこいくらい丁寧に伝える。
下村氏「初期の頃は最初にドリッパーまで送っていました。豆には自信がありますが、淹れ方を間違えると美味しさが出ない。お客様には、淹れ方で『美味しくなかった体験』は絶対にさせないという気概をいつも持ち、いろんな仕組みを常に試しています」
また、こうしたデザインやクオリティを重視したECサイトは、配送スピードなどが遅い傾向があるが、『PostCoffee』は違う。「15時までにオーダーが入ったら、その日に配送手続きをする」ことをルールにしている。「届くのが遅い」というネガティブな体験を嫌っているためだ。
下村氏「Amazonやヨドバシカメラの良さは、早く届くことに尽きる。その感動が僕らも好きでよく使っているので、配送スピードは意識しています。『こんなに早く届くの?』と驚いてもらえる」
いくら美味しくて、おしゃれでも、飲みたいときにすぐ届かないでは生活の一部にはなりづらい。「毎回違う豆を届ける」スタイルも、顧客の体験を豊かにするだけではなく、同じ銘柄の在庫を切らさないことに心血を削らなくていい。リスクヘッジになっているのかもしれない。
いずれにせよ、「早く、良いものを、確実に届ける」というベースの体験設計がとても誠実に行われ、徹底している。だからこそ、3%という圧倒的な解約率の低さを実現。そして、普段使いのインフラのように、スペシャルティコーヒーを生活の中で染み込ませることに成功しているのだろう。

コーヒーに炭酸をかけ合わせるという斬新な商品「スパークリングコーヒートニック」。シュワッと弾ける炭酸に、浅煎りコーヒーの果実味、レモンの爽やかさを組み合わせ、砂糖で甘さを整えている
下村氏「うれしかったのは、以前、あるイベントで知り合った女性が『名前はわからないが毎月届くコーヒー屋さんの契約をしている』とおっしゃっていた。メールをみせてもらうと、うちのメルマガだったんです。電気やガスのようなインフラというか、ブランド名じゃなくて『コーヒー屋さん』と呼ばれるくらい、その方にとって日常の当たり前になっていることがうれしかった」
ユーザーの声では、もうひとつ忘れられないものがあるという。
大学生からもらったメールだった。自分の父親が『PostCoffee』を使うようになり、それを祖父が淹れるのが日課だったという。祖父と祖母はとても仲が悪く、普段はほとんど会話すらないほどだったらしいが、毎月届くいつも違うスペシャルティコーヒーを淹れるときだけは、ちょっとした会話が生まれたという。
「今回はどうかな」「この苦み、ちょうどいい」。
そんな些細なやりとりが、豊かな豆の香りとともに部屋に小さく響いたわけだ。『PostCoffee』にしか醸し出せない、特別な時間があるわけだ。
今後は、今の下北沢と東京大丸にある実店舗の他、少しずつリアルの場も増やし、ネットとリアルをシームレスにつなぐことにも力を入れていくという。『PostCoffee』は、スペシャルティコーヒーをもっとより多くの人々の日常に浸透させ、そして世の中の豊かな時間とささやかでしあわせな会話を、これからもきっと増やしていくんだ。

取材・文/箱田高樹 写真/タケシタトモヒロ 編集/鶴本浩平(BAKERU)




