季節ごとに最適な豆を選び抜くこと。
豆に応じた最適な焙煎方法を都度考えること。
品質管理のため、毎日豆と焙煎の状態を確認すること。
プロセスを徹底的に管理し、誰でも同じようにおいしいコーヒーを淹れられること。
そんなこだわりと熱烈なコーヒー愛を持つ男が立ち上げた、コーヒーブランドがある。
アメリカ・カリフォルニア州発のコーヒーブランド『ブルーボトルコーヒー(以下・ブルーボトル)』だ。創業者の強い想いからスタートした同社は、そのコーヒーのおいしさにこだわり抜く姿勢が高い支持を集め、2018年8月現在、アメリカと日本に59店舗を展開している。
XDでは、ブルーボトルがどのようにブランドを作り上げてきたかを探るべく、インタビューをおこなった。
前編では、品川カフェチーフバリスタの高橋翔氏に話を伺い、店舗がどのように優れた体験を提供しているかを紐解いた。
後編となる本記事ではBlue Bottle Coffee Inc. VP(Vice President) of Product and Experience/ブルーボトルコーヒー ジャパン合同会社 取締役の井川沙紀氏に話を伺った。ブルーボトルはブランド全体として、どのようにこだわりを貫き続けているのだろうか。
こだわり抜く姿勢が、ブランドを作る
「こんなに創業者の想いが強く、事業のあらゆるシーンに反映しこだわり抜けている企業はないかもしれない」
入社前、北米の店舗に訪れた経験やさまざまな話を聞く中で、井川氏が感じた率直な感想だ。
海外ブランドの日本展開におけるPRなどでキャリアを積み、さまざまなブランドを目にした彼女にとっても、同社のあらゆる場面でこだわり抜く姿勢は驚嘆に値した。創業者ジェームス・フリーマン氏の強い想いは、店舗、ブランドのあらゆるシーンから垣間見えた。
井川「規模を拡大していくと、創業者の当初の想いや思想は徐々に薄れていくことがほとんどです。しかしブルーボトルはそれを変わらず反映し続けていることが傍から見てもわかるほどでした」
ブランドへの想い入れの強さを肌で感じた井川氏は、次第にブルーボトルに惹かれていく。新たにできる日本法人が100%子会社展開であったこともプラスに作用した。これまでライセンスでの海外ブランド展開を支援してきた井川氏にとって、本国の意思を100%反映できる子会社という環境が魅力的に映ったのだ。
井川「当時は前職を退職し、フリーランスのPRとして独立することも検討していました。ただ、このブランドと環境であれば、是非力になりたいと思ったんです」
2014年11月、井川氏は日本法人設立と同時にブルーボトルコーヒージャパンへ入社。広報・人事マネジャーを務めた。日本はブルーボトルにとって初の海外出店。社内にノウハウもなく、すべてがゼロからのスタートだった。井川氏は社内のあらゆる業務をこなし、日本展開の基盤づくりに奔走した。
社内体制の構築と並行し、井川氏は入社前には見えなかったブランドの強みやストーリーを、一つひとつPRしていくことにも尽力する。外から見る景色と中から見える景色は異なる。入社前には見えていなかったブルーボトルのこだわりを構築するさまざまな要素を社会に伝えていったという。
井川「喫茶店という日本のコーヒー文化にインスパイアされていること。職人気質なコーヒーへのこだわり。多店舗展開するにもかかわらず、あえて面倒な方法を選ぶこと。共感を得られる魅力的なストーリーが揃っていたんです。PRとしては腕の見せどころだと思いましたね」
すべては「コーヒーがおいしかった」という体験のために
立ち上げに奔走し、徐々にその基盤が出来上がった頃、井川氏は日本法人の取締役/最高責任者に就任する。当時の井川氏は社内のあらゆる業務をこなし体制を作っていった結果、日本法人のあらゆるファンクションを横断的に見ていた。その姿を見た本国から「日本の責任者をやらないか?」と打診を受けたことがきっかけだったという。
その後、アメリカ本社でブルーボトル全体の“体験”を担当する役員”VP of Product and Experience”にも就任した。同社にとっての“体験”とは一体何を指すのか。
井川「ブルーボトルにおけるExperienceは一般的な企業でいうマーケティングに近いと思います。ただ、ブルーボトルではマーケティングとは呼びません。マーケティングという言葉では、商品を外へ売りに行くイメージが強くなります。ブルーボトルでは外ではなく、店舗にいらっしゃったお客様の体験をより良くすることを重要視している。ゆえに“体験”と呼んでいるのです」
マーケティングと呼ばず、体験作りと呼ぶーー言葉選びひとつとっても、ブルーボトルのこだわりが垣間見える。顧客に優れた体験を提供することで、ロイヤリティ向上と再訪にもつながり、ロイヤリティの高い顧客は周囲の人も呼び込む。
いわゆるマーケティング活動も、来店時の顧客の期待値を正しく設定するという意味では体験の一部に他ならない。全ては体験に帰結しているのだ。
ブルーボトルが考える体験は、“コーヒーへのこだわり”につながる。コーヒーを楽しむために必要なものが店舗には求められている。
井川「ブルーボトルが理想とするのは、お店から出たときに『今日もコーヒーがおいしかったな』と思ってもらうこと。逆に言えば、それ以外のことは違和感がなかったという意味で何もなくてもいいくらいです。ブルーボトルのすべては、コーヒーのおいしさのためにあるので」
コーヒーの味はもちろん重要だ。ただ、味に影響するのは口に含む瞬間だけではない。入り口でドアを開ける瞬間に感じるコーヒーの香り、スタッフの笑顔、店内のデザイン、コーヒーを手渡される瞬間から飲み終わって外に出るまでの間にあるあらゆる体験が、コーヒーをおいしく楽しんでもらうためには必要だ。
井川「わたしたちが提供したい体験は、仰々しく何かを提供するのではなく、行き届いている状態を作ることです。主役であるコーヒーをより楽しんでもらうために何ができるかを考え、行動するのが私たちの仕事です」
コーヒー体験に欠かせない、スタッフの自律的な思考
コーヒーという主役を引き立てるのは、バリスタによる振る舞いだ。
店舗を訪れる人ごとに異なるニーズや文脈をくみ取り、最適な体験を提供することがブルーボトルが重視していることだ。
井川「お客様の中には、その日すごくハッピーな人もいれば、嫌なことがあって落ち込んでいる人もいる。ですから、良いサービスを提供するためには、それぞれのお客様に合わせたコミュニケーションや接客が必要です」
一人ひとりに合わせたサービスを提供するためには、マニュアル化された画一的なサービスではなく、個々の状況に合わせて都度考え行動することが求められる。特にブルーボトルが提供しようとする、パーソナライズされつつも仰々しくない体験は、その塩梅を調整するのは難しい。常に考え行動し続けなければ、提供し得ない体験であり、人が介在しなければ実現できないだろう。
そのためにブルーボトルは、店舗スタッフの教育も主体性を重んじる。前編でも紹介したように、企業理念を伝えた上で、個々の行動は規定せず、自律的にブルーボトルらしさを考えつづけることが求められる。
井川「お客様のことは店舗にいるメンバーが一番わかっています。ですから、本社が『これをやってください』と、完成されたマニュアルを渡すのは適切ではない。『ホスピタリティって何だろう?』『いいサービスって何だろう』という、そもそもの議論から店舗で作り上げていくべきだと考えています。その過程の中で、『このお店ではこれをやるべきなんだ』という納得感がみんなの意識の中に生まれ、それぞれの自律的な行動へつながるのです」
個々の店舗を追うのではなく、俯瞰し横つなぎを
ブルーボトルでは店舗ごとにコンセプトもデザインも変えているため、来店する客層も、価値観も異なる。
加えてアメリカと日本では国民性にも違いがある。つまり“良いサービス”を一律で管理するのは不可能だ。
ゆえに、それぞれの店舗における自律性が重要になり、店舗ごとでのディスカッションが重要視されている。その中で井川氏は全体を俯瞰し、国内外50を超える店舗の情報を横つなぎをする役割を担っているという。
井川「例えば、ニューヨークのグランドセントラルステーションカフェと、品川カフェは似ているんです。どちらも駅にある店舗なので急いでいる方が多く、サービスにおいてスピードが重要視される。この2店舗の間であれば具体的に行っているオペレーションなどを共有することで、よりよい店舗体験の提供にもつなげられます。全部を細かく見るのは難しいからこそ、俯瞰した視点で共通点から見えることを伝えるようにしています」
すべての店舗がより良い“コーヒー体験”をどうすれば提供できるかを考え抜いている。つまり皆がひとつの方向へ向かって進んでいるのだ。それができているからこそ、さまざまな店舗が持つナレッジや情報を共有して活用できるともいえるだろう。
企業理念を強く浸透させ、同社のブランドをより強固にする。それがすべての店舗で実現しているからこそ、井川氏は全体を俯瞰する役割に徹することができる。
店舗に限らない、コーヒー体験へ
井川氏がアメリカ本社のVP of Product and Experienceに就任して約半年が経った。ブルーボトルは2002年の創業時から持ち続けるこだわりにもとづいた“コーヒー体験”を突き詰めることで日本市場でも成長を重ねている。
2017年9月にはネスレグループ入りにより資金体制を大幅に強化。日本では2018年3月に京都カフェ、7月には神戸カフェ、8月17日には10店舗目となる目黒カフェをオープンするなど、着実に規模を拡大している。
ただ井川氏が見据える成長はこのまま単に店舗数を増やすだけではない。より多くの人へブルーボトルが考える“コーヒー体験”を提供するためには、さまざまなチャネルでのアプローチが必要だと考える。
そのひとつがオンラインだ。同社では2015年から本格的にECを展開しているが、オフライン(店舗)との接続が弱く店舗とは別物として存在していたという。
井川「ブルーボトルはこれまで店舗に注力して体験を作り上げてきました。オンラインの活用はまだまだこれからです。しかし、より多くの人へおいしいコーヒー体験を届けるためにはオンラインの活用は外せません。オンラインとオフラインの双方で関係性を築くために何をすべきか、社内でもディスカッションを進めています」
オンラインとオフライン双方で顧客との関係を築く施策は、アプリやロイヤリティプログラム等数多く存在する。その中でもブルーボトルらしいアプローチは何か。ブランドらしさを重要視するゆえ、その施策一つにも徹底した議論が行われているのだろう。
オンラインでのコミュニケーションにも力を入れることは、井川氏が担う領域が拡大することも意味する。多様なタッチポイントでブルーボトルらしい顧客体験をどう提供するのか。
井川「チャネルが増えるということは、店舗だけでなく自宅やオフィスなど場所を問わずブルーボトルらしい体験が提供できるということでもあります。でも、そこでフォーカスするのも、やはり“コーヒー体験”なのです。常に大切にしてきた、“今日もコーヒーがおいしかったな”というコアな提供価値をあらゆる接点での体験にいかに落とし込めるのか。いうなれば、これまでは“店舗体験”だけだったのが、本当の意味で“コーヒー体験”へフォーカスすることが求められているのです」
コーヒー体験を突き詰め、進化させ続けるために
“今日もコーヒーがおいしかったな”という体験を突き詰め続ける、ブルーボトル。
コーヒーに対してとても強いこだわりを持つ創業者、ジェームス氏の想いを薄めることなくブランド全体に行き届かせることがブルーボトルの強さを実現している。それが帰結するのが“コーヒー体験”という考え方に他ならない。
ブランドは作ること以上に、その価値を進化させ続けることが難しい。ブルーボトルのこだわり抜く姿勢からは、ブランドのあり方として学ぶことは多いはずだ。
撮影/加藤甫