その日、名古屋は暑かった。
最高気温は36.4度を記録。容赦なく照りつける太陽と騒がしい蝉の声。だが、インタビュイーの言葉はそれ以上の「アツさ」を生み出した。熱の高まる会議室の壁に飾られた、真っ赤なフラッグ。そこに記された「NAGOYA GRAMPUS」の文字は、たしかな存在感を放っていた。
愛知県を拠点とするJリーグクラブ「名古屋グランパス」が短期間で急成長を遂げている。
2016年にJ2降格。しかし、年間の来場者数は2017年に2万人以上も増えた。「J2に落ちれば来場者数が1〜3割は減る」と言われるなか、J2降格後に年間来場者数が増えたのはJリーグ史上、初めての事例だ。さらに2017年から2018年にかけて、1試合の平均来場者数は約1万人の増加、伸び率は前年比160%をマークした。
一時期は「ファンからの愛着がJ1クラブ一低い」と酷評されたグランパスが、どうやってこの「大逆転」を実現したのか。
背景には、ファンと向き合い、結びつきを強固にした、顧客体験の改善があった。その内容を探るべく、同クラブの執行役員を務める清水克洋氏、マーケティング部イベント・プロモーショングループリーダーの戸村英嗣氏、同じくマーケティング部イベント・飲食担当の吉田典世氏に話を聞いた。
「ファンの愛着度ワースト1」からの意識改革
2019年8月現在、グランパスのファンクラブ会員数は29,000人を突破している。シーズンの折り返しを過ぎたばかりで、今年度の目標値である30,000人に迫る勢いだ。平均来場者数も28,000人を超え、J1に所属する18クラブ中4位に浮上(9月1日時点)。どちらも1991年のクラブ設立以降、過去最多を記録し、現在も伸び続けている。
そんなグランパスだが、戦績が芳しくなかった2013年前後は、観客動員数の低迷から頭を抱える日々が続いた。マーケティング部イベント・プロモーショングループリーダーの戸村氏は、当時のクラブの状況を「すべてが漠然としていました」と話す。
戸村氏「イベントを実施するときも対象層が明確でなく、実施後のアンケートも取っていませんでした。そのため、イベントの認知度や満足度といった数値なども取れておらず、『去年よりは盛り上がった』といった、担当者の主観と経験による振り返りしかできていませんでした」
そんなクラブのファンとの向き合い方の問題は、2013年にJリーグが観戦者へ実施したアンケート結果に反映された。
戸村氏「J1クラブのなかで、グランパスはクラブへの愛着度が最下位だったんです。『試合を観戦に来た理由は?』という質問に対し、他のクラブでは『地元のクラブだから』『クラブが好きだから』といった理由が多数を占めるなか、グランパスは『たまたまチケットをもらったから』『知り合いに誘われたから』といった理由が上位でした。来場者数の減少よりも、ファンのみなさんがクラブに魅力を感じていない事実に愕然としました」
アンケート結果を受け、それまで独立していたファンの体験に関わる部署を「マーケティング部」に統合し、グランパスは再スタートを切る。新しい組織体制にはじめは戸惑いつつも、組織は着実に前進していった。体制変更前のグランパスをよく知る戸村氏と吉田氏は、人一倍その変化を感じていた。
戸村氏「自分たち以外の業務にも目を向ける意識が芽生え、お互いの取り組みについて『ここを工夫すれば、もっと良くなるかも?』と意見を出し合うようになりました。どうすればお客様に楽しんでもらえるのか。クラブを好きなってもらえるのか。そのために各担当者は何ができるのか。クラブ全体を見渡しつつ考えられるようになったと思います」
吉田氏「うちのクラブは以前から個々の業務の『タコツボ化』が問題視されていました。管轄外の業務のことは何も分からない。体制が変わってからは、とにかくいろんな人に相談をしたり、他部署同士で話し合いをしたりする意識を持つようになりました。
今では、参考になりそうな情報を見つけたら、関係がありそうなメンバーでLINEグループを作って共有し合うくらい。相互協力が当たり前の雰囲気で、それを拒絶するグループもありません。提案からアクションまでのスピードと質の深みがグンと上がりました」
「ライト層」ってどんな人? 全員でファン層を再定義
体制変更後、まず取り組んだのがファンクラブ会員へのアンケートだ。その結果から、今まで不明瞭だったファンのニーズが明らかになった。
戸村氏「一口に『ファン』と言っても、クラブに求めているものは人によって違いました。ある方は選手との触れ合いを重視し、ある方はチケットやグッズの割引を望んでいる。家に届く会報誌を一番の楽しみにしている方もいました。クラブに対するニーズが違うのであれば、それに応じてファンクラブの設計を見直す必要がある。
そこで、以前は3,000円プランのみだったファンクラブの会員コースを、2016年には『プラチナ』『ゴールド』など4種類に分けました。2018年にはアンケートの結果を受け『キッズコース』を新設し、現在では5種類の会員コースがあります」
役員を含め社員30人の前でアンケート結果の報告をすると、社員によって「ファン」に対するイメージがバラバラであることも発覚した。
戸村氏「『ライト層』というワード一つとっても、『(来場回数)7〜8回がライト層だろう』と考える人もいれば、『0〜1回がライト層だ』と考える人もいました。社員同士でファンに対するイメージが異なると、議論が噛み合わなくなる。全員が同じ方向を向けるよう、ファン層の再定義をしました」
現在は、年間の来場回数が1回のファンを「超ライト層」、2〜4回を「ライト層」、5〜9回を「ミドル層」、10回以上を「コア層」と分類。各施策ごとにメインに訴求したい層を決め、それに応じて施策の内容を考えているという。
「オンライン」と「オフライン」の両軸で体験を作る
2016年からは、チケット購買・来場履歴などのデータ収集にも本腰を入れる。集めたデータの結果を受け、クラブ全体として「超ライト層」「ライト層」への訴求をメインにすることに。なかでも「親子」と「女性」の集客、再来場率の向上にオンライン・オフライン両軸で力を入れる方針を打ち出した。
オンラインにおける代表的な取り組みは、Jリーグチケットの会員登録情報に基づくメルマガ配信だ。試合情報をただ送りつけることはせず、来場履歴やファンの属性、試合の結果、イベントのタイミングなどによって送る内容を変えている。
清水氏「リーグの状況は2〜3試合で変わることもあるので、その時々の雰囲気を捉えてすぐにメルマガの企画に反映します。昨シーズン夏に7連勝をしたときは、連勝期間中にご来場した女性のお客様を“勝利の女神”として、『勝利の女神クーポン』をメルマガで配信し再来場を促しました。結果、500名を超える女性のお客様がクーポンで来場してくださいました。なかなかの反響だったと思います」
ファンの満足度に直結しやすいオフラインのイベントでは、メルマガよりもファンのセグメントを詳細に決める。例えば女性であれば、年齢層だけでなく、結婚や子どもの有無も考慮する。イベントの中身を具体的に作り込む際は、ファンに体験してほしいことをまず言語化し、イメージを膨らませるという。
吉田氏「親子向けイベントの『キッズワンダーランド』では、『冒険・体験・挑戦』をキーワードに設定しました。イベント内で体験できることは、全てこの3つの言葉に結びつくように設計しています。キーワードはプロモーションデザインの基盤にもなりますし、イベントの世界観を作る上でも大事なもの。前年のアンケート調査などを踏まえつつ、決めています」
勝敗によらず「全てのファンの満足度を1%でも上げる」
このような努力の結果は着実に数字にも現れ始めたが、同時に目標とする数字のプレッシャーを感じるようにもなる。数字ばかりに気を取られ、「ファンに楽しんでもらう」という本来の目的を見失いそうになるときもあった。
吉田氏「観客の割合は男性が75%、女性が25%なので、女性向けの企画を打っても、全体の満足度を上げるのは難しいんです。なかなか全体の満足度が上がらないので、例年開催している女性向けイベント『ガールズフェスタ』の開催を止めたこともありました。でも、上司に『それじゃあ、女性ファンが減っていくスタジアムはどうなるの?』と言われてハッとしたんです。
男性ばかりのスタジアムは女性や子供が来づらくなってしまう。女性の輝く笑顔や子供の元気な姿も同じようにあるスタジアムこそ、次に続き、さらに活気あるスタジアムに拡大していくのではないか、と考え直しました。」
戸村氏「以前は、事業サイドでも『試合に負けてるからお客様が来ないんじゃないの?』という意見がちらほら出ていたんです。でもそれじゃダメなんですよね。チームの状況が苦しくても、変わらずお客様が足を運んでくれるクラブにしなければいけない」
清水氏「スポーツ観戦はコンサートなどのイベントと違って、勝敗がある。試合で負けたら満足度は高確率で下がるんです。どれだけプロモーションをして、イベントを企画しても、いつだって主役はチームの『勝ち』です。もともと80%の満足度は、チームが負けたことで60%に下がるかもしれない。でも、私たちが考えたコンテンツで70%に上がる可能性だってありますよね。
試合を見て、負けて、『残念』という気持ちで帰るより、美味しい食事やビール、イベント、選手との触れ合いも楽しんでもらえた方が、『スタジアムに来てよかった』と思ってもらえるはず。一人でも多くのファンに笑顔で帰ってもらうためにも、事業部側で何ができるかは常に模索したいですね」
J2への降格が、ファンとクラブの気持ちを1つにした
一方、「ライト層」へのアプローチを強化したことで、コアファンから厳しい意見をもらうこともあった。
戸村氏「例えばスマホのライトにカラーフィルムを貼って、スタジアムを赤色やオレンジ色の光で満たす企画、それも一部のファンから言わせると『サッカーらしくない』。とはいえ、グランパスとして新しいエンターテイメントや演出にチャレンジしたい気持ちがある。
だから、新しい取り組みをするときにいただく意見には耳を傾け、直接お会いする機会を作り、取り組みの背景をお伝えしています。すると、『クラブがそういう方向で頑張るなら、俺たちは俺たちができることでグランパスを盛り上げていく』と理解してくれるんです」
このようなファンの「変化」には、J2への降格も関係していた。
戸村氏「2016年にクラブの降格が迫っているなか、『グランパスがJ2に落ちないために、どうすればチームにパワーを送れるのか』を、ファンと真剣に話し合ったんです。ファンやサポーターの声をチームに届ける映像を作ったり、アウェイ観戦ツアーを企画し、社員もゴール裏のスタンドに入って、サポーターと肩を組んで声を出し合ったこともありました。
結果的にJ2に降格しましたが、そのときの経験により『どんな状況でも自分たちが一体となってチームを支えて盛り上げていこう』という気持ちをファンやサポーターの皆さんと共有できたのだと思います」
清水氏「2018年から募集を開始したグランパスのボランティアスタッフの中には、こちらがお願いしている以上のことに取り組んでくれる方もいました。例えば、『試合で勝ったらハイタッチでサポーターを送り出そう!』と発案して、実行してくださったり。クラブ側だけじゃ絶対にそんなアイデアは思い浮かばない。
クラブがファンに対して『こうしてください』と伝えるだけでなく、『一緒に盛り上げていこう』という気持ちを共有することが大切なんでしょうね」
スタジアムに訪れる4万人の「家族」を笑顔にしたい
挑戦を続けるグランパス。今後はファンと共に、どんなクラブを創っていくのか?
清水氏「今年のはじめから、ファンのことを『ファミリー』と呼ばせていただいています。サポーターのみなさんも、SNSで自分たちのことを『グランパスファミリー』と呼び合っています。『グランパスが好き』という共通項で集まった人たちが、家族のように触れ合うスタジアムを目指していきたいです」
戸村氏「ファンのセグメントを分けてはいますが、全員に笑顔で帰ってほしい気持ちは変わりありません。クラブ方針の中に『満員で笑顔で溢れたスタジアム』という項目を入れ込んでいるくらい。我々はパロマ瑞穂スタジアムも豊田スタジアムも満員であってほしいし、同時に全員が笑顔であってほしいんです」
ライト層、コア層、親子、女性、男性——マーケティングにおける名称はそれぞれ違うかもしれない。だが、その誰もが、グランパスにとっては大切な“家族”だという。
吉田氏「『グランパスが誰かの思い出になればいいよね』と、社内でよく話すんです。スタジアムにいる一人ひとりが、グランパスの試合を見て喜んだり、怒ったり、泣いたり、笑ったり。これだけSNSが広がっているなかで、リアルに喜怒哀楽を感じられるコンテンツってそんなに多くない。
いろいろな感情を共有するなかで全員の距離が縮まり、スタジアムで過ごした時間や思いが、誰かの人生の一部になっていただけたらとても嬉しいですね」
勝つか負けるか。常に変化の激しいスポーツの世界では、ファンの期待値を調整するのも難しい。しかし、これからもグランパスは「逆境」を「チャンス」に変え、苦しい状況でも、スタジアムを埋め尽くすファンを笑顔にする気持ちを忘れないだろう。
ファンは「ターゲット」ではなく「ファミリー」。その言葉が示すとおり、「親身」になって顧客のことを徹底的に考えるグランパスの姿勢が、ファンの心に残る顧客体験を作り出している。
取材・文/なかがわあすか 編集/イノウマサヒロ 写真/山口タクト