全国で「空港民営化」の流れが進んでいる。2016年7月に先駆けて民営化されたのが「仙台空港」だ。東急電鉄(現・東急)や前田建設工業など7社からなるグループ(コンソーシアム)で設立された仙台国際空港株式会社を運営元に、管制業務を除いて、一元化した運営体制に変わった。
2016年度に316万人だった総旅客数は、2018年度に361万人に達するなど過去最高の旅客数を更新し続けている。新規就航便を誘致したほか、既存路線も増便やデイリー化など拡充を続ける。その裏側には、顧客に合わせたサービス面の強化や、航空会社へ新規就航を呼びかけるエアポートセールスの成功がある。
いかに仙台空港は「顧客体験」を変えてきたのか。また、そこには東急が長年の鉄道運営業務で培ったノウハウがどのように活かされたのだろうか。東急で渋谷地域の開発事業などに携わった後、仙台国際空港株式会社の社長へ就任した岩井卓也氏に聞いた。
リニューアルで「東北の空の玄関口」を体現する
──民営化によって、大きく変化したことは何でしたか。
複数ありますが、まず仙台空港を「宮城県の空港」から「東北の空の玄関口」へと概念を広げたことは大きいです。東日本大震災以降、東北6県のつながりが強くなったのは、あの震災で生まれた絆だったと考えています。
私たちは複数社からなる提案コンペの段階で、「東北のプライマリー・グローバル・ゲートウェイにする」をビジョンに掲げていました。ただ、この目標は、空港を公益的なインフラビジネスと考えると、当たり前の選択でもありました。最初から「宮城県の空港です」と定義してしまうと、ビジネスとして成り立つ市場規模が「小さい」と評価されてしまいますから。
私たちのコーポレートスローガンである「東北の空を、世界の空へ。」には、世界から人々を招き入れる玄関口として、仙台空港を起点に東北各地へ旅立ってほしいという思いも込められているのです。山形駅行きバスの増便など、隣県との連携も図っています。海外からのお客様が、お一人でも東北全域を周遊できるようになれば、よりインバウンド誘致も望めるでしょう。
──運営を開始してから、どのような改善に着手されてきたのでしょうか。
1階にある国内線到着窓口のリニューアルはその一つです。「東北の空の玄関口」を打ち出すような見た目に変えると共に、主に仙台市内を紹介していた観光案内所を刷新しました。JTBにカウンターを構えていただき、東北全域を外国語対応込みでご案内しています。
また、空港1階の「センタープラザ」にあるステージは、地域に開かれた場所にしようとする考えがあり、市民サークルの発表の場などに利用いただいています。
お土産売り場にも直営店を増やし、東北6県から集めた名産品を取り扱うようにしました。そこでは東急百貨店から人材を招き、売店の販売講習も実施しています。
──東北全域への意識が働いていますし、講習はグループ企業を有する強みといえますね。
このような目に見えやすいリニューアルもあれば、働く人々が変わらなければいけないこともありました。たとえば、民営化前も館内の「ご意見箱」やウェブサイトの窓口では、お客様からのご意見やご要望を受け付けていました。ところが、お客様が一生懸命に書いた投書を、半年も放置していたような状況でした。
「まずはそれにきちんと返事を書こう。さらに直せるところは直そう」と。無理難題なご意見も確かにありますが、真摯に受け止め、丁寧にお礼を伝えました。そんな当たり前のところも、着手すべき点には含まれていました。
苦情はアドバイス。「ご意見箱」から改善のタネを
──具体的に、お客様の声やクレームで変えたものはありますか?
たくさんあります。たとえば、授乳室の設備を変えました。ベビーベッドや、親御さんが腰かけられるスツールを設置したのは、投書箱発のアドバイスでした。
また、中国からいらっしゃるお客様は「持参した魔法瓶でお茶を淹れて飲む」という習慣があるとお聞きし、給湯器を新設しました。
──顧客や旅客と向き合った中での改善ですね。
苦情対応はまさに「向き合う」というプロセスそのものですし、苦情とはアドバイスですから。ただ、運営事業体としては小さな会社ですし、費用の問題もあるため、優先順位をつけながら改善しています。今では、まずはお客様の声をきちんと受け止め、やれるところから改善していく、という気持ちが社員にも芽生えています。
「宮城県の空港」のままでは成し遂げられない目標
──空港そのもののブランディングともいえるのでしょうか。
空の世界ではエアラインのブランドが大変に強力です。一方、空港は顧客にとって「飛行機に乗る場所」に過ぎません。ですから、空港というインフラが一生懸命にブランディングする必要があるのか、という根本的な問いは生まれます。海外の大空港では豪華なラウンジを設けるようなところもありますが、顧客が認知するアイコンとして成り立っているのかは疑問です。
しかし、BtoBtoCのビジネスという観点であれば、「空港のブランディング」には意味も生まれると考えます。空港を介して東北全体につながるビジネスが活況になれば、その分、旅客を含めたコンシューマーにも良い影響を与えられる。仙台空港は、東北復興のイメージリーダーの一つとして期待されていました。その期待を、私たちは真面目に受け止めたのです。
ターミナルビルが津波に飲み込まれた映像は、あまりにセンセーショナルであり、ショッキングでした。その記憶が、「地域の人たちと一緒に仕事をして、地域の未来のためのヘルシーな空港になった」という明るいニュースで塗り替わることが大切だと考えました。そのための情報発信も続けています。
東急が守る「当たり前」を実現させていく
──「インフラのブランディング」といえば、東急が取り組んできたこととも通じるように思いますが。
「何のためのブランディングなのか」が大きく異なります。東急は住宅販売や不動産賃貸を手掛けていますから、沿線ブランドの価値が実利に跳ね返ります。ただ、仙台空港は、そのような実利につながるブランドではないわけです。
──では、東急のノウハウのようなものを含め、シナジーはありませんか?
よく聞かれることでもありますが、もはやノウハウやスキルという次元では語れないものが通じています。身に染み付いている「安全第一」への意識。これは鉄道会社としての「当たり前」であり、空港運営の仕事においても必要なことです。
たとえば、短期的な視点では「儲からない」と思えるような投資や人材育成も、いくつも進めています。灯火などの保守管理や滑走路の点検ができる民間人材を育成し、自立した空港運用を目指すための「仙台オペレーションセンター」を設けたのも、その一つです。
常に長期的な視野に立たなければ、安全は守れません。そして、それを「当たり前」だと考えなくてはいないのです。
──経済合理性だけでは判断できない観点もあると。
もう一つあるとすれば、「地域と心中する」というほどの意識です。「事業期間である30年間は逃げません」と宣言することは、「売るまでが仕事」と考えやすい一般的な不動産デベロッパーには考えられないでしょう。沿線ブランドの価値向上に取り組み続けてきた東急だからこその意識です。
その地域と深くお付き合いをして、地域のためになることが自社のためにもなる。それが「当たり前」の考えを持つ東急で育った身としては、何の違和感もありません。
──そういったビジネスへの捉え方や考え方が、空港事業を支えているのですね。
まさに、そうです。つまり、これはスキルではなくエシック(倫理)なんですよ。企業のエシックが、この新規事業とも合致しているからこそ、良好な運営ができていると考えます。だからこそ、当初より「仙台空港は僕らが手掛けるべきだ」と強く思ってきました。
──今後の成長プランについての構想をお聞かせください。
まずは、総旅客数550万人、貨物取扱量2.5万トンという目標を、なるべく早く達成したいですね。空港という公共施設を民間に委託する際に、公共側やメディアも含めた人々が議論をした結果、「旅客数」と「貨物量」が通信簿のデフォルトになりました。他の空港民営化でも、この2点が求められています。
そのためには、国内外での就航路線拡充が命題です。今後も路線開拓を視野に入れたエアポートセールスを続けていきます。
国際線の「仙台〜台北」便については、2016年の民営化前まで、運航数は週に2便でした。それが現在は週に19便にまで増えました。
10月にはタイ国際航空の「仙台〜バンコク」便が、11月には中国国際航空の「仙台〜大連」便の運航が再開しました。バンコクや大連はビジネスでも大きな拠点です。観光目的だけでなく、東北にある企業のビジネス促進策として、行政と共に私も参加するトップセールスで開拓を進めています。
また、現在は仙台空港を拠点に4時間圏内の就航地が多いのですが、今後も東南アジアを含めた中距離路線の誘致にも挑戦していきます。
設備の部分、ヒューマンタッチの部分、機能性の部分、ホスピタリティの部分など、今後も様々なところを改善し続けながら、「東北の空の玄関口」としての役割を全うしていきます。
執筆/長谷川賢人 撮影/廣田達也