オーディオの電源を入れ、アンテナを立て、周波数を合わせて……。あの頃と比べたら、ずいぶんと手軽にラジオを聴けるようになった。これを可能にしているのが、2010年にスタートしたインターネットラジオサービス『radiko(ラジコ)』だ。
リアルタイムで全国のラジオを聴ける「エリアフリー」や、過去1週間の放送をさかのぼって楽しめる「タイムフリー」など、従来のラジオでは実現できない機能も備える。URLで過去のラジオ番組を共有できる「シェアラジオ」や他番組のレコメンドなど、Webサービスならではの価値も付加している。
ラジコはラジオの楽しみ方をどう変えてきたのか。そして、変えようとしているのか。radiko業務推進室長、坂谷 温氏に話を聞いた。
「届ける」のアップデートが、リスナーの解像度を上げた
「ラジオには元々良質なコンテンツがたくさんある。ラジコが注力するのは、リスナーがラジオをより楽しめるよう、コンテンツを『貯めて』、探しやすいように『整理し』、適切に『届ける』ことなんです」
radiko社内では前述した3つの役割を総括し、『オーディオコンテンツロジスティクス』と表現するという。この考え方は、その出自にも起因する。
ラジコは、元々電波ラジオの難聴取問題を解決するために、在京・在阪民間放送局が中心となって立ち上げたサービスだ。山間部はもちろん、ビルの高層化や増加に伴い、都心部もラジオ電波が届きにくい傾向がある。そうした課題に対し、多くの人がラジオを聴ける環境を整えるべく、会員登録不要、かつ無料で楽しめるインターネットラジオを始めたのだ。
つまり、ラジコは「届ける」手段として生まれた。それが「貯める」「整理する」という役割を持つにいたったのは、ユーザーと向き合う中でのこと。ラジコはインターネットを経由するがゆえ、ラジオリスナーの行動データを細かく取得できる。その環境もあり、ラジコはユーザーを見ながらサービスを作り込んでいった。
坂谷氏「例えば、ある番組では毎回特定の時間に演歌を流すのが番組の特徴になっていました。コアファンほどその時間を楽しみにしているのかなと思っていたのですが、データで見るとその時間は一気にログが低下していたんです(笑)。そんな情報も、ラジコだからこそ取得できます」
MAUは750万人ほど。男女比は6:4、平均年齢は44〜45歳で、朝の8時〜9時の利用が最も多い。こうした全体像から、番組中のログの変化まで、膨大なデータが彼らの資産になっている。データは放送局側へも共有され、番組の改善につなげているという。また、ユーザーの“声”も積極的に収集する。その最たる例が、年に一度おこなわれる大規模調査だ。
坂谷氏「ラジコでは、年に1回ウェブサイト上でアンケートを募っています。直近は、3万7千人の方々から回答をいただきました。設問数は40個ほどある長めのアンケートなのですが、コアユーザーからライトユーザーまで毎年熱心にフィードバックをいただけています」
ユーザーの声が「地域」「時間」の壁を越えた
2014年にはじまったエリアフリーも、アンケートで集まった「エリアを越えて全国の番組を聴きたい」という声によるもの。ニーズから考え出したサービスだったものの、定量的なデータを分析すると、radiko側の想像を超える多様な使われ方が生まれていた。
坂谷氏「私たちは当初、東京や大阪でしか放送していない番組を聴きたい、地方のリスナーのニーズを想定していました。大きな局のほうが有名なパーソナリティを起用しやすく、番組を聴きたい人がいると考えたからです。しかし、意外と多いのは、都心のリスナーが地方のラジオを聴くパターンでした。進学や転勤で都会に出てきた人など、地元から離れて暮らす人が聴いているんです」
地域に根づくラジオ局には、その地域のリスナーに愛されている名物番組、名物パーソナリティがいる。そういった番組を自ら探求するコアユーザーもいるそうだ。
例えば、爆笑問題の太田光氏はかなりのラジオ好きで、自身がパーソナリティを務める番組で、お気に入りの地方番組を紹介している。ラジオ番組を通し、新しい地方番組に出会う。エリアフリーは、そんなリスナーとラジオの新しい接点も生んでいる。
また、地域ごとに存在する考え方の違いも、エリアフリーがあれば可視化できる。たとえば、沖縄の基地問題を取り上げるとき、沖縄と東京では意見に違いがあるはずだ。そうした捉え方の“多様性”を知る機会にもエリアフリーは寄与するはずだ。
ユーザーの声を聞きつつ、データでその行動を理解し続ける——。
これを繰り返す中で見いだされたのが、「貯める」「整理する」役割だ。例えば、2016年からスタートした「貯める」機能「タイムフリー」は、今の時代の情報流通と非常に相性がいいという。
坂谷氏「最近は、SNSでラジオ番組が話題になり、聴取につながるパターンが増えています。例えば、放送直後からウェブメディアでその内容が取り上げられ、SNSで拡散される。すると、メディアの情報で番組を知り、タイムフリーで聴取するといった流れが起きているんです」
タイムフリーは無料・かつ登録不要で利用できる。はじめてラジオに触れる人にとっては、よい入り口になっているという。2019年には、生放送の2倍以上のユーザーにタイムフリーを通して聴かれた放送もあった。
坂谷氏「芸人の山里亮太さんと女優の蒼井優さんの結婚に関して、山里さんがパーソナリティを務める深夜ラジオで、記者会見の当日、その詳細を語りました。リアルタイムで聞いていたのは9万人ほど。ですが、翌日以降ラジオでのトーク内容をさまざまなメディアが伝え、倍以上の25万人がradikoのタイムフリーで聞いてくれたんです」
ただ、SNSとの連携ではラジオならではの特性も見えてきた。その示唆を与えてくれたのが、視聴している番組をSNSやメール等で共有する「シェアラジオ」の機能だ。
坂谷氏「期待していたほど、シェアラジオが使われている印象は残念ながらないです。ラジオはパーソナリティとの距離感が近く、一対一でコミュニケーションしているような錯覚をする番組もあったりする。その距離感がシェアとは相性が良くないのかもしれません。当初は、友人に『これ聴いてみて』と共有するには便利だろうと考えたのですが、全体的にはそこまで伸びなかったんです。もしかすると、よりライトに『いいね!』のような、熱量を可視化する機能の方が広まりやすく、かつユーザーにも価値あるものかもしれません」
radikoが力を入れる「整理」の可能性
「貯める」に加え、これからradikoが注力するのが「整理する」ことだ。たしかに、データによってラジオのあらゆる情報が可視化されれば、整理がしやすくなるのは想像に難くない。坂谷氏は加えて、スマートスピーカーの普及にも言及する。
坂谷氏「一昔前は、ラジオ受信機がついたオーディオ機器がリビングにあり、家族でラジオを聴きました。しかし、今ではオーディオ機器は家になく、スマートフォンやPCなどパーソナルな環境でラジコを使う人も多い。この状況を変えつつあるのがスマートスピーカーです。
radikoはすでにAmazon Alexa、LINE Clova、Google Homeにも対応しています。スマートスピーカーは、各家庭のリビングに置かれることが多い。一度、家庭の中心から消えたラジオがリビングに戻り“ラジオを聴く”という原体験を次の世代に作る上で、スマートスピーカーは重要な接点なんです」
スマートスピーカー時代のラジオを考えるとき、鍵となるのはユーザー体験だと坂谷氏。特に注力すべきは、音声指示への柔軟で適切な対応だ。
坂谷氏「現状では、『OK Google、◯◯(ラジオ局名)をかけて』といった具体的な固有名詞がラジコの起動に必要です。これは、放送局や番組の名前がわかる人でないと使えません。もっと曖昧な指示やキーワードでの起動が体験としては重要なんです」
この実現に必要なのが「整理」だ。スムーズな番組検索や提供には、番組を分析し、細かく多様なキーワードの抽出が必要になる。番組やトピックごとキーワードを設定できれば、これまで局や番組単位でアーカイブしていたコンテンツを、より細かな単位に分割できる。すると、従来の「局」や「番組」「編成」という枠にとらわれず、届けられる。
坂谷氏「例えば、トークテーマや特定の話題で検索できれば、接するハードルも下がりますし、ある話題に関する地域やパーソナリティごとの意見を比べられます。『◯◯についての意見が知りたい』『◯◯の情報をまとめて聴きたい』といった指示にも柔軟に応え、番組内の聴きたい部分だけを抽出した提供も可能になるかもしれません」
また、整理が進めば「パーソナライズ」にも活用できる。「このトピックやジャンルに関心のある人は、この局やこの番組もおすすめ」といったアプローチも可能になる。「そのユーザーが一番欲しい情報を、よりダイレクトに届けられるようになる」と坂谷氏も語る。能動的に番組を探さない層にとっても、未知の良質なコンテンツとの出会いを生み出せるかもしれない。
近しい機能としては、2018年よりオーディオアドの実証実験をおこなっており、音声広告をパーソナライズして配信する仕組みも整えている。個々に最適化されたコンテンツ提供の可能性も、徐々に見え始めているといえるだろう。
番組をも変えるデータ、変えるべきでない文化
「届ける」「貯める」「整理する」の3つに注力するradiko。逆に言えば、届ける対象であるコンテンツには手を出さないという姿勢でもある。「すでにラジオには素晴らしい番組がたくさんあります。変えるべきは届け方であり、それがradikoが担う役割になる」と坂谷氏。
坂谷氏「最近では、若年層の間で『パケットや通信料を使わないラジコがあるらしいよ。ラジオっていうんだけど』という話があったそうです。これは、“若年層はラジオを知らない”という事実とともに、何で聴くかは問題ではないということだと思います。それがラジオかラジコか、YouTubeかなんて何でもいい。あくまでコンテンツがすべてなんです。
我々も、当初はラジオの補完機能としてスタートしましたが、オーディオコンテンツを届ける一媒体として、いかにその市場を広げられるかを問われていると感じています」
そのひとつの突破口にradikoはデータという強みを持っている。「radikoはデータによってユーザーを可視化できる。これは、他媒体にはないメディアカレンシーのようなものだ」と坂谷氏は考える。このデータは、コンテンツを作る局側とも連携しつつ、オーディオコンテンツの未来を模索する手助けをしている。
坂谷氏「これまで番組は、作り手の勘や経験に基づき制作されてきました。しかし、数字で見るとそれがリスナーにとっていいのか否かも一目瞭然になる。例えばTBSラジオでは、ラジコ上でのリスナーの変化をスタジオに表示しているそうです。制作スタッフはもちろん、出演者もそれを見ながら放送する。データの蓄積と分析によって番組の改善も可能になるんです」
綿密なログがあれば、ヒートマップのような「盛り上がりの可視化」も可能になる。先述した「いいね!」機能などがあれば顧客の反応がさらに可視化され、番組作りにも有用だろう。彼自身、いちラジオファンであり、その思いもあるという。
ここで坂谷氏は「ただ」と言葉を続ける。
坂谷氏「それだけでは、予定調和で単調な番組しか生まれなくなってしまいます。『これ好きだよね?』というものばかりを届けるのではなく、意外性を持たせることも重要でしょう。発見性や新たな出会いを生むようなコンテンツも時には盛り込んだり、ラジオならではのコンテンツを作れるかが大事になるでしょう。
ラジオにはラジオにしかない文化があります。他のメディアでは見せないタレントさんのパーソナルな話題や、ニュースに対する独自の考え。パーソナリティーとリスナーとの『近さ』。それこそがラジオの魅力ですし、これからも変えるべきではないと思うんです」
オーディオコンテンツロジスティクスの視点で、ラジオとの出会いをリデザインしてきたradiko。まだまだラジオを変革する余地を残しつつ、その影響は番組自体にも及ぼうとしている。
スマートスピーカーでの楽しみ方も、データに基づいて生まれた新しい番組も、今後さらに幅を広げ、新たな体験を生み出していくだろう。10年後、15年後には、想像もつかない「新しいラジオ」を多くの人が楽しんでいるかもしれない。
文・取材/葛原信太郎 編集/小山和之 撮影/須古恵