「楽しそうねぇ。このあたりの方?」
「いえ、今日は遊びに来たんです。あ、よかったらおひとつ、どうですか?」
「あら、いいの? ありがとう」
ある日曜日の昼下がり。商店街で買ったつまみをベンチで楽しむ家族に、通りかかったおばあさんが話しかける――下北沢エリアの新しい商店街「BONUS TRACK」では、行き交う人たちの交流は日常の光景だ。
BONUS TRACKは、小田急電鉄が手掛ける「下北線路街」の開発の一環として生まれた。新しい施設にもかかわらず、街に溶け込んでいることから、街づくりに取り組む他の鉄道会社やデベロッパーなどが多く視察に訪れている。
この場所はなぜ、地域で暮らす人や場を作る人、遊びに来る人、それぞれが自然と混ざり合う場所として機能しているのか。BONUS TRACKの企画・運営を担う散歩社の内沼晋太郎氏と、散歩社のチーフディレクターであり、会員制のワークスペースBONUS TRACK MEMBER’Sのマネージャーでもある桜木彩佳氏に話を聞いた。
下北沢は「サブカル」だけの街ではない
下北沢駅前の喧騒を抜けて少し歩き、世田谷代田駅との間のちょうど中程に差し掛かると、赤い達磨が一際目を引く小さな商店街、BONUS TRACKが現れる。
木立がそよぐ散歩道沿いに、1階がお店になっている小さな建物がいくつか並ぶ。二手に分かれた小道の片方を奥へ進むと、居心地のいいオープンスペースが。くつろぐ人を眺めながら通り抜けるだけでも、ただ駅へと歩くよりも気分が浮き立つ。
散歩道に戻ってお店に目を向けると「恋する豚研究所 コロッケカフェ」や「日記屋 月日」など、一風変わった名前にも興味が湧いてくる。店をのぞいたり、ドリンクを買ったりと、思い思いに楽しむのは若い人から子連れの家族、年配の方などさまざまだ。
BONUS TRACKがオープンしたのは、2020年の春。コロナ禍で予定通りの営業がかなわない店舗も多い中での滑り出しとなった。近隣の方へとテイクアウトのお弁当販売を始めたり、世の中の情勢をみながら小規模な企画を実施したり。少しずつ活動を広げるうち、まるで以前からずっとあるかのように、街になじんだ場所になりつつある。
桜木氏「春から夏にかけては大変でしたが、今は少しずつ、近隣の方々に参加してもらえるイベントも実施できるようになりました。いろいろな人が楽しんでいる、下北沢らしい雰囲気が出てきたと思います」
メディアで目にする下北沢のイメージは、「サブカルチャーを愛する若者たちが集う街」ではないか。
しかし、それは下北沢の一側面にすぎない。高級住宅街といわれる代田や池ノ上のエリアには、昔から暮らす年配の方も多い。飲食店も、リーズナブルな居酒屋からこだわりのレストランまで、実は幅広い。
「下北沢で商売を始めてから、サブカルだけの街でないことを強く実感しました」と話すのは、散歩社の共同代表を務める内沼氏。博報堂の嶋浩一郎氏とともに、2012年から下北沢で営業している新刊書店「本屋B&B」は、この春にBONUS TRACKに移転した。内沼氏はテナントの管理者であり、入居者でもあるのだ。
BONUS TRACKの運営・企画を担う散歩社は、ビジネスプロデューサーであり日本橋などの街づくりにもかかわる小野裕之氏と、内沼氏が2人で設立。それぞれが小田急電鉄とつながりがあり、同社は個人事業主とのリーシング契約ができないことから、その間に入る役割として散歩社が生まれた。
どうしたら、多様性のある商店街になるのか
内沼氏が街づくりにかかわることを決めた背景には、2つの理由がある。ひとつは、下北沢が小規模な事業者が挑戦しにくい街になっていることへの課題感。もうひとつは、リアルな店の意義を追求したいという思いだ。
内沼氏「2000年ごろの下北沢には、個人商店のような小さなお店がたくさんありました。ところがB&Bを立ち上げた2012年には、すでに駅前の家賃が高騰し、チェーン店が増えていました。購買層は多様なのに、事業者の多様性が薄れている。そうした状況を変えられたらと思っていました。
また、ネットでこれだけ簡単に本を買える時代に、リアルな本屋にこだわる身として、その存在意義をずっと考えていました。ネットと違うのは、知的好奇心のある人が集まる場を、一定の面積で持っていること。そして、本屋を一歩出れば周辺にアパレルや飲食といった他の商売もまた、横にリアルに存在していることです。本屋自体が、カフェや雑貨など別の業態を併設しているケースも増えています。
それらを考えると、本屋はただ本を並べているだけでなく、その外側にあるものとの接続も含めて、店にわざわざ行くということをひとつの体験と捉えて、その価値を上げていく必要があるなと思いました。
リアルなお店をつくるのは、商品と働く人とお客さんだと思いますが、そのさらに外側にいる街の人も無関係ではありません。街づくりの一端を担うことで、リアルな本屋の求心力や、街の文化がどのように生まれていくのかということを体感すべきだと思ったんです」
街の人が多様なら、BONUS TRACKに入っている店舗もバラエティに富んでいる。もともと小田急電鉄に「多様性を認めて支え合う街づくり」というイメージがあり、散歩社とも共有していた。「できる前から予想がつくような、予定調和な場所にはしたくなかった」と内沼氏。
この方針に基づいて、BONUS TRACKでは2つの仕組みで店舗の多様性を生み出している。まず、建物の一部では1階を店舗、2階を住居として設計し、職住一体でリーシングしていること。駅前よりも賃料を抑えて店舗を運営できるので、小規模な事業者も、BONUS TRACKなら下北沢エリアでの出店に挑戦できる。それは、街における事業の多様化につながる。
もうひとつは、新しい挑戦を促す誘致と、お店の公募という複数の方法でテナントを集めていること。小野氏や内沼氏のつながりの中で、お店を出したい個人や、本業とは異なる挑戦をしたい法人に絞って声をかけた。そうして、編集者が手掛けるカレー屋「ADDA(アッダ)」や、発酵デザイナーの小倉ヒラク氏の「発酵デパートメント」など、ここにしかない店が生まれた。公募から決定した店舗も加わって、唯一無二の商店街になっている。
内沼氏「今入っているテナントさんも、それぞれのタイミングで入れ替わる可能性はあります。僕らのつながりを超えた人間関係が育まれて、有機的に変化していくほうが健全だと考え、公募という方法も取り入れました」
「#散歩しよう」から始まった、街の人に寄り添う体験づくり
予定調和ではない体験を作る仕掛けは、テナント集めにとどまらない。BONUS TRACKに関わる個人事業主や会社が、複数の役割で他社とかかわったり、複数の顔を持つ個人が混ざり合うようにして、多層的なつながりが生まれるようになっている。
例えばBONUS TRACK内の「omusubi不動産」は、テナントでありながら、各テナントの契約管理をしている。同時に外の物件の開拓と仲介も行うので、ここから巣立つテナントのサポートができる。この場所で生まれた雰囲気や価値を、外へとゆるやかに広げていく仕事も託されているわけだ。今後は、BONUS TRACKへの出店に興味がある事業者を支援するケースも出てくるだろう。
また、同社が運営するワークスペース「BONUS TRACK MEMBER’S」の会員は、例えば平日はラウンジで本業に取り組み、休日はシェアキッチンなどを利用して、本業とは異なる挑戦をすることができる。つまり、訪れる人の主客合一を実現しているのだ。
内沼氏「事業と事業、人と人との関わりがあえて入り組んでくるように、あらかじめさまざまな仕掛けを埋め込んでいきました。複雑な関係性が難なく成り立つには、業務の範囲や規則を決め込まない『余白』が必要です。余白が予定調和を崩して、また新しい関わりを呼び込む。その繰り返しが維持されていけばと考えています」
4月1日、非常事態宣言直前という予期せぬ状況の中、BONUS TRACKは当初の予定通り開業を迎えた。必要な物流の停滞、宣伝活動やオープンイベントの中止など、想定外の事態の連続。散歩社が運営するウェブメディア「下北沢、線路と街」のコラム「新しいまち『BONUS TRACK』が“予定通り”の開業から、全テナントオープンの今日を迎えるまで。」の中で、その様子は「2カ月が半年のようだった」と書かれている。
広場やシェアスペースを使った密に入り混じる企画が提供できない中、近隣の住民と交流するために打ち出したのが「#散歩をしよう」というステートメントだ。社会的に、健康のための散歩は推奨されていたことから、BONUS TRACKと街をつなぐ広い遊歩道で散歩をしようと呼びかけた。
暮らす人には、散歩をより楽しむための地図を制作。まだ営業を始められない飲食店へは、BONUS TRACK MEMBER’Sを利用したサポートプランの提供を開始した。
会話からニーズを汲み取り、これらの施策を推し進めたのが、桜木氏だ。桜木氏も内沼氏同様、下北沢の多様性を肌で感じてきた。10代の頃から下北沢のカルチャーに魅了されて通いつめ、2016年からは3年間限定でオープンしたイベントスペース「下北沢ケージ」の責任者を務めた。
「イベントができない。この状況で私に何ができるのかと、自分の仕事への肯定感が揺らいだりもしました」と、桜木氏は話す。
桜木氏「その中でもなるべく毎日来て、歩いている方と雑談をしたり、テナントさんに困っていることをヒアリングしたりしていました。その結果、少しずつ近隣の方がBONUS TRACKの常連さんになっていったんです。『お姉さんよく見るけど、ここの人?』と話しかけられたりもして。
見通しが立たないなりに、次第にこの場所がみなさんの『心の拠り所』になっていく感じがありました。この半年は、私たちの活動にちゃんと意味があるんだとかみしめる時間でした」
複雑な関係性を受け入れると、場の変化が続いていく
7月になると少しずつ、三つの密を回避するなど感染防止対策をしてリアルな企画を実施していこう、という空気が世間に流れ始めた。BONUS TRACKの強みは、他の商業施設には少ない換気の良いオープンスペースがあること。その点を活かして、日曜日には「ボーナストラックサンデー」という市場を、また8月の終わりには夏祭りにも似た「夏市」を開いていった。
桜木氏「夏市は『地域のお祭りがなくなって寂しい』『小学生の発表の場がない』といった近隣の方の声を、なんとか反映したいという思いで開いたものです。私たちだけで進めるのではなく、BONUS TRACKの並びにある世田谷代田仁慈保幼園と一緒に企画を立てたりと、近隣施設とのつながりをつくっていきました」
内沼氏「オープンエアである特性を生かして、少しでもリアルな場を共有できる機会をつくりたい気持ちもありつつ、人が集まる場に行くこと自体がまだまだはばかられる中での企画なので、外から訪れる人と暮らす人の双方に最大限の配慮をしました。
名前の付け方ひとつ取っても、例えばボーナストラックサンデーは、直訳すると『ボーナストラックの日曜日』。実は名前だけでは何も言っていないんです。しばらくは外部の出店者なども入れず、各テナントが少しだけ広場にせり出して、少しでも楽しくしようという主旨でスタートしました。もしこれに『マルシェ』や『マーケット』という名前をつけていたら、実情は違ったとしても、人がごった返して賑わうイメージから不安に思う人もいただろうと思います」
「#散歩をしよう」という言葉しかり、イベントの名前しかり。街の人に寄り添う意志が、BONUS TRACKが街に溶け込んでいった最大の要因だろう。
散歩社では、BONUS TRACKで培った考え方を線路街全体に、ひいては他のエリアにも広げていく予定だ。線路街の別の商業施設でもテナント公募をサポートする「お店の公募」というサイトを立ち上げたほか、お店の可能性を再発見するオンラインスクール「お店の学校」も始めている。
予定調和にならない場づくりを進めてきたBONUS TRACK。桜木氏は、今の状態について「ここにいる人たち同士の信頼の線が、たくさん重なっている感じ」と表現する。
桜木氏「それも、限定的な場所の濃い共同体ではなく、薄い線であることが重要で、こういうまとまりがあってもいいんだよ、と教えられているようにも思います。この文化の中に、赤ちゃんもおじいちゃんも、スッと入ってこられる。そんな体験をより拡張していける企画を、私が中心になってつくれたらいいのかな、と思っています。
一方で、BONUS TRACKの特徴である多様性や複雑さは、なかなか一言では説明できません。わかりにくさや複雑さを楽しむための、適度な補助線も必要。今後は、そうした補助線を引くことも意識していきたいです」
下北線路街の開発を担う小田急電鉄の橋本崇氏は、人が有機的に関わることで新たな価値が生まれる、まるで「発酵」するような街づくりをしていきたいと話していた。内沼氏も同じように、BONUS TRACKを生き物のように変化し続ける場所にしたいという。
内沼氏「関係性を入り組んだものに、あえて少し複雑なものにしておくことで、異なる立場で話せたり、お互いの理解がしやすくなったります。また、何かあったときにそれぞれが関わり方を柔軟に変えることができれば、場の持続性にもつながります。
今後も、さまざまな人と関係を築いて、いろんな文脈をつくっていきたい。下北からは足が遠のいていたという人や、下北でイベントなんて考えたこともなかったという事業者さんにも、ぜひ関わってほしいですね。5年、10年のスパンで、この場所を多様な人たちと関わりながら、一緒に耕していけたらと思います」
運営側が提供する体験を定義せず、複雑さをポジティブに捉える姿勢が「余白」につながり、お互いの活動を後押しする関係も生み出している。BONUS TRACKでは、誰もが主役になれる場所としての土台が整い始めている。
執筆/イノウマサヒロ 編集/高島知子 撮影/須古恵