長屋型の商店街、温泉旅館、保育施設、学生寮、みんなでつくる広場——。下北沢駅を中心とする全長1.7kmの空間に、2019年の秋から少しずつ新たな「場」が現れている。
小田急線の地下化によって生まれ、「下北線路街」と名付けられたこの空間の開発は、小田急電鉄が複数のパートナーとともに推進。同社の橋本崇氏がチームを率いるようになった2017年以降、短い期間でいくつもの企画を実現し、行き交う人に親しまれている。
だが、多様な文化が根付く下北沢に、使う人も用途もさまざまな施設を“溶け込ませていく”ことは、決して容易ではない。それを実現し、地元の人や訪れる人それぞれに適した体験を生み出せているのは、なぜなのか。
今回は、各施設の企画や建築に関わるパートナーから、UDS事業企画部・鈴木衣津子氏と金塚雄太氏、ツバメアーキテクツ代表・山道拓人氏と千葉元生氏の4名にインタビュー。小田急電鉄の想いを汲みながら、「豊かな街の体験」をどのように具現化しているのか聞いた。
愛着の広がる順で街づくりを考える
UDSは、世田谷代田駅~下北沢駅~東北沢駅の線路跡地でどんな価値を提供していくかを、小田急電鉄と膝を突き合わせて考えたメインパートナーだ。基本計画から線路街を象徴する商店街「BONUS TRACK」の構想、温泉旅館「由縁別邸 代田」の企画・設計・運営、そして「下北線路街 空き地」の企画・運営まで、その関わりは多岐にわたる。
「まちづくりにつながる事業企画や設計、運営」を掲げるUDSは、2015年から小田急のグループ傘下に加わっている。創業のルーツは、複数世帯が共同で建設する集合住宅「コーポラティブハウス」の企画設計。同社はその知見をベースに、事業を広げてきた。
鈴木氏「コーポラティブハウスでは、個人の敷地の境界線などを厳密にせず、うまく譲り合ってみなが心地良く過ごせる完成形を目指します。住人同士、また建築家やデザイナーなどとの話し合いを進めるコーディネーターの役割を、UDSはずっと担ってきました。そうした動きが、今回のプロジェクトに合致したと思います。
リーダーである橋本さんとは、小田急グループとなる以前から一緒に仕事をしていて、『人が関わり合うことで暮らしを豊かにしたい』という想いには私たちも共感していました。新しいものを派手につくるというより、持続可能で、愛される。個人的にも、『カッコいい開発』より『優しい開発』が小田急らしさだと感じていました」
計画を構想から練り直すためにまずおこなったのは、街の今の姿をきちんと捉えることだ。
サブカルの街のイメージが強い下北沢だが、実際は長く住んでいる高齢者や最近移り住んできたファミリーなど、暮らしている人の層は幅広い。その把握と同時に、「他の街にもある店が増えて個性が失われてきた」「公園や保育園が足りない」といった課題も確認しながら、「誰のための街づくりか」を考えていった。
鈴木氏「長く愛されることを踏まえて相談した結果、下北沢の良さである『多様性』『寛容性』を生かして、街に愛着を持つ人がもっと増えるようにしよう、という方向性がまず決まりました」
こう考えたとき、当時の計画では「“誰のために”が、来街者に寄り過ぎている」ことに気づいたと、金塚氏も言葉をつなぐ。街の開発は、エリアの魅力を増して外から人を呼ぶことが当たり前のように念頭に置かれるが、今回はそれを問い直した。誰を幸せにしたいのかを改めて考え、「すでに住んでいる・働いている地元の人」「これから住みたい・働きたい人」「来街者」「“下北”未体験者」の4つの層に整理した。
金塚氏「……整理したものの、どれも大事だよね、という結論になったのですが(笑)。ただ、アプローチをどこから始めるか、順番がとても大事なんじゃないかと話しました。
私たちが考えたのは、固定ファンをきちんとつくることでした。長い目で見て『下北沢って最高だよね』と感じる人が増えれば、その人たちがいずれ新しい人を連れて来てくれるはずだと思ったんです。
そこで、地元の人には『ずっと下北にいたい』と思われるように。また、これから住んだり働いたりする人が増えるよう、子育てがしやすいように保育施設や、小さな規模で事業を始められる商店街などを考えていきました。既存のコミュニティの充実にフォーカスして、来街者への魅力も増しながら、徐々に未体験の人たちに寄せていこうと提案したんです」
多様性のある「下北線路街」全体の描き方
多様性と寛容性を大事に、長期的な視点でプロジェクトは動き始めた。とはいえ、それを実際の空間や施設として具現化していくことは簡単ではない。
新たにつくる場は、下北らしくありながら、「街を今より好きになれる」体験を生み出すことが求められた。特に2人が難しかったと話すのは、エリア全体におけるバランスだ。小田急線・下北沢駅の乗降客数は1日平均12万人を超えるが、両サイドの駅は1万人にも満たない。わざわざ足を運びたい理由を、いかにつくるか。
金塚氏「全体像が見えてきたので、ではそれぞれにとっての魅力をどう配置するかを検討しました。続けていくためには事業性も重要なので、その視点も踏まえて企画をしなければいけません」
鈴木氏「中途半端な商業施設では人は呼べませんし、住宅街だからと単純な住居にすると、場の価値を享受できる人が限られてしまう。たくさんの候補から、地元の人も楽しめるアイデアに『お風呂』と『飲食』があり、さらに来街者の方にも魅力的な『宿泊』要素を検討しました。
東京都心にはおしゃれなホテルや民泊は多いので、似たようなものを世田谷代田につくっても立地的に弱い。そこで東京にはあまりない『旅館』として、差別化を図ろうと企画したのが、温泉旅館『由縁別邸 代田』でした」
駅からわずか1分歩くと、落ち着いたたたずまいの玄関にふと気づく。喧噪を離れたエリアだからこそ成立した旅館は、温泉と甘味、あるいは温泉とビールの「日帰りプラン」も人気だ。ここを拠点に、下北沢への街歩きも楽しめる。
下北沢から東北沢方面に歩くと現れる広場「下北線路街 空き地」も、街との日常的な関わりを意識して生まれたスペースだ。UDSが企画設計と運営を担当、ツバメアーキテクツがデザイン監修を務めた。『みんなでつくる自由なあそび場』を掲げるこの場所では、フードマーケットや音楽ライブ、アート展示、親子イベントなどが毎週のように開催されている。
実際のイベントは、例えば地域の子育て団体やライブハウスの運営会社など、住民や下北沢で活動する事業者が担い手になっているものも多い。サービスを供給する側と享受する側を、自由に行き来できる場をつくりたかったと鈴木氏は話す。
鈴木氏「もちろん一人ひとり興味のあることは違うので、無理に何かをする必要はまったくありません。ただ、多様な企画があれば、どこかで接点ができて、親近感が湧きますよね。それを機に、今まで目に入らなかったテーマが気になったり、人に勧めたくなったりする。いろいろな切り口があるからこそ、『自分の興味次第で選べるし、関わり方も人それぞれ』という場が成り立つのかなと感じています」
下北線路街ではクリエイティブエージェンシーのPARKの協力の下、コミュニケーション上のキーワードとして「であう」「まじわる」「うまれる」の3つを掲げ、新たなチャレンジの支援を打ち出している。さまざまな層と接点を持った先に、その交流も促せたらという考えもある。一方で、例えばサブカルが好きな人とオーガニック野菜が好きな人に、あえて交わってもらう必要があるかというと、それも違うのではという議論もあるようだ。
金塚氏「大事なのは、多様な方々が同じ空間を共有できること。その中で、交わりたい人は交われる場所であること。両方を実現できたのが空き地であり、線路街全体もゆくゆくはそうなれたらと思っています」
「地面のデザイン」から、街の体験を変える
ツバメアーキテクツは、空き地プロジェクトに加えて、散歩社が企画・運営する職住一体型の商店街「BONUS TRACK」の設計と内装監理を担当。「『地面のデザイン』から手掛けた」と、山道氏は振り返る。
同社は山道氏・千葉氏と西川日満里氏の3人が、2013年に設立した一級建築士事務所だ。具体的な空間設計を行う「DESIGN」と、開発・研究を担う「LAB」の2部門で構成されている。
通常の設計事務所が担う業務は、建物ができ上がったら終了だ。しかし、山道氏らは「これからの建築家はそれではいけない」と考えた。空間の体験を長期的に捉えたとき、空間が成立する前後や空間周辺を捉える研究部門を持つことが、建築家として世にプロジェクトを出していく上で重要になる——。「設立時からの考えが、7年の試行錯誤を経て、BONUS TRACKに落とし込めた」と山道氏。
山道氏「ツバメアーキテクツでも、まず下北沢の街を詳しくリサーチしていきました。すると小さい店舗がすごく大きな庇(ひさし)を出していたり、半地下や奥まった場所でも外壁を改造したりと、『中の活動を建築の外に出していく』という、人々の空間的実践や自己表現に気づいたんです。
この建物と街をつなぐ手法を、BONUS TRACKで取り入れられないか、と。そして商業施設だけど人が住めるようにし、エントランスをなくして外から自然に入って来られるようにする。建築の想定を自分たちで組み立て直し、下北沢の新しい日常をつくることを考えたんです」
その上で、設計の肝になったポイントがいくつかあった。そのひとつが「区画と家賃の関係」だ。
BONUS TRACKも、出会いや交わりの中で、新たなチャレンジが生まれる場を想定していた。だが、入ってほしい若い事業者を想像すると、高い家賃は設定できない。現実的な家賃から逆算して、テナントあたりのサイズを絞り、代わりにテナント数を増やすことを考えた。併せて、エリアを挟む道路から自然と人が流れ込む、外部空間の設計にも工夫を重ねた。
この具現化はまるでパズルのようだ。日本の建築には「一敷地・一建物」の原則があるため、路地などの外部空間を多く持つ分棟型の建築計画にするために、敷地を分割。同時に、小さなテナントをいくつか組み合わせてひとつの建物にする。結果、5つの敷地・5つの建物がつくられた。もちろん、敷地の分割線にフェンスなどがあるわけではなく、そこがおのずと共有の路地や中庭になっている。これが、前述の「地面のデザイン」だ。
千葉氏「日本人に馴染みのある公共の空間は、欧米的な広場や公園というよりも、それこそ商店街のような道の上だと言われています。それに、ここは住宅地なので、商業施設のための外部空間ではなく、周辺の道から自然と連続するような場所にしたかった。
そこで、門やゲートのない道の延長のような入り口からだんだん広がって、中央にちょっと休めるスペースがあり、再び狭くなって外の道につながっていくような外部空間を設計しました」
建築を外に“染み出させる”ためのルールと運用
当然、建物にも、街に与える影響を考えた工夫が施された。例えば、外壁の素材に加えた“ノイズ”。BONUS TRACKには建物が5棟あるが、外壁の素材を統一していない。統一感がある建物は、入居者が手を加えにくいからだ。
山道氏「初期設定の建築がピカピカ過ぎず、あらかじめ少しバラバラした印象になるような“ノイズ”を含んでいると、DIYの庇もその連続に溶け込んでいきます。プロが建てた完成版を『どうぞ』と引き渡すのではなく、空間をテナント事業者と一緒につくっていけるようなあり方を目指しました」
余白を残してスタートし、受け手が関与しながらゆっくり完成へと向かう。そんな発想は、橋本氏の「送り手と受け手が交わって価値が生まれる『発酵』する街づくり」というイメージとも一致する。ツバメアーキテクツはUDSや散歩社と相談しながら、時間とともに「場の価値」が高まる運営のルールも設計していった。
千葉氏「こうした施設ではたいてい建築を傷つけないように、制限をつくることが多いのですが、ここではむしろ『できること』を示して積極的なカスタマイズを促しました。また、外部空間も明確なリースラインを設けず、どんどんお店をはみ出してもらえるようにしています。そうすることで、入居する人自身が街へのアクセスを考えることができ、この場所を育てていけるようになっています」
そんな条件を実現できているのは、この場の運営を担う散歩社が入居者として常駐し、エリア全体に目を配っていることも大きな要因だ。目配りと、相手に委ねる自由とのバランスの下、各事業者はどんどん主体的になり、多様なコンテンツが生まれている。
山道氏「有名建築と言われる場所では、テナントが入ると、何もない方が美しい空間だった……と感じることも少なくありません。でもBONUS TRACKはその逆で、テナントが入り、使い倒されることで空間の魅力も倍増していると感じます。
僕らとしては、テクニカルに“緩さ”を制御することに取り組みましたが、それはあくまでこの建築の始点です。事業者さんがそれぞれ建物を使いこなして初めて、ここだけの魅力になる。結果、建物というハードがだんだんと下北沢の街に染み出して、商業施設なのか住居なのかもわからないのに自然な空間になっているのは、とても興味深いです」
「役割のオーバーラップ」が、豊かな街をつくり出す
コーディネーターとして、また建築家として、空間や建築物を通じた新たな街の体験づくりに挑む両社。それぞれに現時点での手応えを感じていると話す。
鈴木氏「空き地のオープン1周年を機にとったアンケートで、変わりながらも『下北らしさを感じる』という声がたくさん届いたのは、うれしかったですね。お子様連れの方々が、空き地や下北線路街のことをとてもよく思ってくれていて、今までイメージの薄かった、サブカル以外の下北沢の広がりを実感しました。複数の施設の運営に携わりながら、さらに豊かな体験が生まれるように働きかけたいと思います」
BONUS TRACKは2020年4月、緊急事態宣言の影響でグランドオープンができず、テナントの飲食店も急遽テイクアウト商品を提供するなど、模索を余儀なくされた。立ち寄るのも近隣の住民が大半だったが、結果的にそれが奏功した。
千葉氏「華々しく開業して多くの人を集めるよりも、まず地域の人たちと関係をつくりながら徐々に観光客にも来てもらう、そんな進め方も今後の商業施設において重要になってくるのではないかと感じました。観光消費だけを対象とするのではなく、生活の中に浸透していくようなあり方です。そうした場所の方が長く愛され、持続していくはずです。
また、入居する事業者さんとともにつくり続け、時間軸を伴って変化していく建築に挑戦できたのは、建築家として手応えがありました」
地域を軸に展開する流れは、下北線路街の全体で見据える方向性でもある。小田急電鉄とは、BONUS TRACKでのリーシングや運営の形を、近隣の空き家問題の解決に応用したいと話しているそうだ。賃貸住居としては家賃が高くても、店舗兼シェアハウスなら、若い人や小規模な事業主のハードルも下がる。同時に、一般的な日本の住宅地には見られない、庭や道を共有する新しい住宅地の形も考えたいという。
元々の下北らしさを生かし、多様な人を許容しながら新しい体験を一緒につくっていく。ここでは関係者もまた、多種多様な役割を担ってタッグを組みながらも、全体のゴールを見失わずに連携している。
なぜ、そうしたことが可能なのか。山道氏はひとつの気づきを教えてくれた。
山道氏「どんな企画も、そこには誰かの意志があることを改めて感じました。全員で議論をしながらも、ピンときた誰かが『これをつくりましょう』と強い意志を込めて決断している。
その上で、企画から運営が連続し、各者の役割がオーバーラップしながら関わり続けているのも特徴的です。通常、開発が終われば企画部門から管理部門へバトンが渡され、リスクを回避するような保守管理が中心になります。でも今回は。橋本さんの部署が引き続き運営に携わり、UDSさんも散歩社さんもずっと関わり続けている。そうした座組が重要なのだろうと思います」
「役割のオーバーラップ」という表現は、今回のプロジェクトを貫く一つのキーワードだ。人もチームも建物も、役割を決め込まないことで、多くの視点や知見を柔軟に取り入れることができる。下北沢はこれから、さらに豊かな体験が生まれていく場になるだろう。
執筆/佐々木将史 編集/高島知子 撮影/須古恵