ベーシックな色から絶妙な中間色まで揃う全40色を5色ごと8つの「世界観」で展開。こだわりの色合いと、白を基調としたシンプルなデザインが高感度な女性の心を掴み、2019年の発売以来ヒットを続ける三菱鉛筆のサインペン「EMOTT(エモット)」。
「どんなスタイルにもなじむ」「持っているとお洒落に見える」「机の上にあると気分が上がる」など発売当初から人に見せたくなるデザイン性の高さが話題となり、「情緒的価値に振り切った新商品」として紹介されることも多い。
シンプルで洗練されたビジュアルが注目を集める一方で、発売から一年以上経った今は筆記具としての機能性の高さでも評価されている。
成熟市場と言われる文房具業界において、「EMOTT」はなぜロングヒットを実現できたのか? 開発担当の三菱鉛筆商品開発部・渡辺悠太氏、広報担当の奥村華奈子氏、飯野尋子氏の3名にお話を伺った。
ユーザーの気持ちとスタイルにフィットするペン
「誰かに見せたくなる、そういう気持ちを高めてくれる商品が必要じゃないか。機能だけでなく情緒的なところまで追求した文房具を作ろうというところからはじまりました」と開発担当の渡辺悠太氏は言う。
「EMOTT」の開発が始まったのは2016年。SNSを日常的に楽しむ人たちが急速に増え、自分の持ち物やライフスタイルを不特定多数の人に「見せる」ことや、「自分らしさ」を表現することがスタンダートになりつつある時期だった。
では、なぜ「サインペン」だったのか。
渡辺氏「国内ではそれほど多く使われている印象はないかと思いますが、グローバルに見るとサインペンの市場は非常に大きく、学生の方を中心に確実なマーケットが存在していました。
この市場に対して、従来商品とは全く違うポジションから三菱鉛筆としての技術力を生かした提案をしたいという思いがありました」
まだ日本ではあまり認知されていなかったものの、グローバルに見れば大きな市場が確立されていた「サインペン」。技術的にも、新しい機構のペン先とインクが開発できたタイミングだったということに大きく後押しされた。市場もあり、勝負できる技術もある。そして、モノに対する情緒的な価値への期待が高まりつつある中、「EMOTT」の開発は始まった。
渡辺氏「ユーザーがサインペンを使用するシーンを具体的にイメージしたとき、ちょうどその頃「バレットジャーナル(※アメリカで生まれたノート活用術)」や「ライフログ」も海外先行で注目を集めるようになっていた時期でもあり、サインペンを使って手帳やノートを彩るという需要も見込めました」
感度の高い女性たちはどのようなモノを所有することに喜びを感じるのか、どんなふうに自らの暮らしの中でモノと向き合い楽しんでいるのか。開発チームは、より具体的なイメージを作り上げながら、ユーザーのライフスタイルに寄り添い、情緒に訴えるサインペンの商品化を進めていった。
「色の組み合わせ」という価値の発明
最もこだわったのが、「色の伝え方」だ。従来のサインペンでは、グラデーションにして色を並べるのが主流。だが、その発想では、結局ペンの軸色やデザインが違うだけで、色の伝わり方としてはこれまでの商品と同じになってしまう。
たどり着いたのが「EMOTT」ならではの、5色×8グループで構成される絶妙な色展開だった。
渡辺氏「限られた本数でも『色の組み合わせ』を変えることで表現の幅が広がるということを伝えられたらいいなと。ユーザーの感情に響くような組み合わせを考えていきました」
ベージュやサックスブルーなど最近のファッショントレンドとなじむ「ネイチャーカラー」や、ブルーや茶系だけを集めた「アイランドカラー」など、中間色を中心に揃えた40色を8グループに再編成した。それぞれのグループには「心弾む、新しいけど懐かしい色合い(キャンディポップカラー)」、「花を思わせる優しいカラー(フローラルカラー)」といった、イマジネーションを刺激するようなコンセプトがつけられている。
従来までのスタンダードだったグラデーションという発想から、「色の組み合わせ」という新たな発想への転換を図った「EMOTT」の挑戦。それによって生まれたのは、「色の組み合わせ」が想起させる「世界観」という新たな価値だった。限られた色数の中からも、組み合わせ次第で、さまざまな印象を創り出すことができるわけだ。
飯野氏「インテリアを選ぶ時にも当てはまると思うのですが、『こういう雰囲気が好き』と趣味嗜好がはっきり確立されている方でも、実際にたくさんの色が目の前に並べられたときに、自分の好みに近い5色を選ぶっていうのはなかなか難しい。
でも『こういうテイストが好き』というイメージは皆さん明確にもっていらっしゃいます。なので、こちら側がそのイメージを想起させる『色の組み合わせ』を先に用意するということを行いました」
開発時にもそれぞれの「色の組み合わせ」が想起させるイメージの社内共有に力をいれた。
飯野氏「インクの色の調合をする技術チームに対して、『こういう世界観を表現したいからこのピンクではなくて、もっとこういう感じのピンクにして欲しい』とか、ニュアンスで色の違いを伝える場面が多くありましたが、社内で8つの世界観をブレずに統一できていたことで、40色の絶妙な色の違いを実現することができました」
ペンの軸、パッケージ、販売什器も、すべてを真っ白に振り切ったのはもちろん、「色の組み合わせ」を訴求するためだ。カラーバーの部分だけを際立たせることが徹底された。
奥村氏「ユーザーがペンを使うシーンを大事に考えパッケージデザインにはかなりこだわりました。たとえば5色ケースは、デスクの上に立てて置いてもらってインテリアの一部になるような、ライスタイルに馴染むようなデザインを意識しました。ペンとペンの間にあえてわずかなスペースができるようにして、立てたときの佇まいが美しくなるように細部まで作り込んでいます」
使用シーンまで踏み込んで設計するユーザーファーストなデザインは一方で、「売り場で目立ちにくいのではないか」「汚れやすそう」「従来と異なる什器デザインで棚取りが難しい」など、社内の営業チームや小売店からは心配もされた。しかし、「EMOTT」が挑戦する新しい価値のために、ここを曲げるわけにはいかなかった。
奥村氏「いままでのやり方で売りにくいという戸惑いの声をいただくこともありましたが、時間をかけながら、SNSなどで自分の個性を発信する感度の高い方に伝えるための商品なんだという意図を伝えて、みなさんに納得をいただいていきました」
言葉ではなくイメージで伝える。
ユーザーの感受性に頼ったプロモーション
2019年4月、発売してすぐ「EMOTT」は大ヒット。SNS上では「#EMOTT」「#エモット」のついた投稿が自然発生的に数千件に広がった。
飯野氏「発売当初は、『スタイリッシュ』『かわいい』など、想定していた通りサインペンとしての新鮮さへの反応を多くいただきました。
でも、発売から半年後くらいから次第に『スラスラ書ける』『書きやすい』など、使っていただいたからこそのコメントが多く上がるようになってきて、あえて大々的には訴求しなかった機能性の部分でも、ユーザーの方に受け入れていただいたと実感しました」
従来の文房具であれば最も重視される機能性だが、「EMOTT」ではそこをあえて前面に押し出さず、それよりも「世界観」を伝えるプロモーションが優先された。
飯野氏「実際には三菱鉛筆の新技術が詰め込まれたペン先なのですが、技術の高さには自信があったので『絶対に使っていただければわかってもらえるはず』と、機能についての訴求は一切排除して、情緒に訴えかけるPRに統一しました。
言葉で言わなくても世界観はユーザーの方に伝わると考え、WEBサイトもビジュアルを多く用意して作り込みました」
メーカーの主張を押し付けるのではなく、デザインにもプロモーションにも、ユーザーに自由な解釈を委ねるような余白がある。強く主張しないからこそ、「自分らしさ」を追求する感度の高いユーザーの潜在意識に「EMOTT」の魅力が響いたのだ。
さらに発売から1年、世界中の誰もが予測もしなかった新型コロナウイルスの流行は、「EMOTT」のユーザーにも変化をもたらした。
渡辺氏「自宅で過ごす時間が増えたことで絵を描いたり、ぬり絵をしたりする方からの需要も大きくなってきています。『EMOTT』で下書きをした後に筆で描くと滲まなくていいんだよね、という声をいただいたり。
手帳に文字を書くだけでなく、イラストを描くための道具としてアートの分野にも需要が広がったのは驚きでした」
世界が大きく混乱する変化の時代にも「EMOTT」が長く支持されるていることは、「EMOTT」が決して「デザインに振り切った」だけのサインペンではないということを物語る。ユーザーの心の機微に寄り添い提案された「色の組み合わせ」、色を際立たせるために緻密に計算されたデザイン、「世界観」を伝えることを目指した控えめなプロモーション、そして、それらを下支えする確かな技術力。
機能優先でユーザーに提案していく文房具から、ユーザーの情緒に寄り添う文房具への転換は成功した。三菱鉛筆にとっても大きな挑戦であった「EMOTT」は、一年以上たった今もリピーターが途切れない。2020年に行われたプロモーションでは、40色の中から、既存の組み合わせとは異なる色の組み合わせにした期間限定アソートを展開。限られた色数の中でも、まだまだ様々な提案ができる可能性を示すこともできた。
モノを選ぶこと、使うこと、あらゆることが「自分らしさ」の表現となる時代。「自分らしさ」を求めるユーザーの感情を刺激する新しい価値をいかに創出していけるのか。柔軟な発想力がますます求められてきそうだ。
執筆/裏谷文野 編集/サカヨリトモヒコ(BAKERU)