「まちの風景が変われば、人の心も変わりはじめます。市民が変われば、やさしさがまちに広がる。やさしい社会に変わっていくんです」
スローガンに「やさしい社会を明石から」を掲げ、2011年の初当選以来、兵庫県明石市長を務める泉房穂氏。「こどもを核としたまちづくり」を推進するなかで5つの無料化を実現し、経済効果をもたらすなど、今、全国的に注目されている自治体のトップだ。
「市民目線」を貫き、誰もが暮らしやすいまちづくりを進めている明石市。その意図や狙いを語る泉氏の口調の端々には、社会や未来への熱い思いがうかがえる。本記事では、「社会を変えるために必要なのは、あきらめないこと」と語る泉氏に、幼少期から現在を振り返ってもらいつつ、その信念や行動原理について語っていただいた。
幼少期に誓った「冷たい社会をやさしい社会に」
──明石市の生まれである泉さんが市長を志したのは、いつ頃からなのでしょうか。
私ね、小さい頃から市長になろうと思ってたんです。4歳下の弟に障害があって、2歳のときに「一生起立不能」と診断を受けたんですよ。頑張ってリハビリして5歳のときからはなんとか歩けるようになったんですが、当時の兵庫県には「不幸な子どもの生まれない運動」なんてものがあって、県を挙げて障害者の強制不妊手術を推進していたんです。
当時の明石市も「障害があるなら、バスと電車を乗り継いで養護学校へ行け」というんです。せっかく歩けるようになったのに、わざわざ遠くの学校とは……なんてことをいうんだ、と驚きました。結局、「何があっても絶対に学校を訴えない」「送り迎えは家族がやる」ことを条件に、私と同じ小学校への通学が許されました。でも、漁に出る両親は朝早くから家にいません。だから私が弟の分の教科書を自分のランドセルに詰めて、彼には空のランドセルを背負わせて、一緒に通学しました。誰も手伝ってくれないんですよ。そのとき、なんて冷たい社会なんだ、と悔しい思いをしました。
幼心に誓ったのは、理不尽な社会に対する“復讐”です。この冷たい社会を「やさしい社会」にする。明石を「やさしいまち」に変えてみせる、と。
──幼い頃の悔しさが原点なんですね。
貧しい家庭だったけど、生徒会やスポーツもして、学業の成績も悪くはなかった。大学は特待生として入学金や授業料免除、給付型奨学金をもらって進学しました。
でもいざ大学に進学してみると、周りは進学校から来たエリートばかり。家庭環境も裕福で、なに不自由なく暮らしている人ばかりでした。みんな官僚や政治家になると言うけど、私からしたら「ちゃんと人の痛みや悲しみに寄り添って、政治ができるのか」って。
卒業後、マスコミの中から社会を変えようとまずはNHKに入局。次にテレビ朝日に転職し『朝まで生テレビ』の制作に携わりました。そんなとき石井紘基(※1993年から衆議院議員を務めたものの、2002年に刺殺され逝去)さんの本を読んで感銘を受けた。手紙を出したら直接会うことになり、その後選挙のお手伝いをするようになりました。
石井さんは「急いで政治家になっても良いことはない。もっと社会を知るために」と弁護士になることを勧めてくれました。それで、まったく興味もなかったのに法律を勉強して、弁護士になったんです。自分で言うのもなんやけど、きっちり働いて、同期のなかでもずいぶん頑張ってましたよ(笑)。
でもいざ弁護士をやってみると、こんなに社会は冷たいんや、とまた驚いた。理不尽なことがいっぱいある。
──子どものときに感じた、「冷たい社会」ですね。
犯罪被害者にはなんの支援もなく、離婚調停では子どもの言い分はまったく聞いてもらえない。両親を亡くした子どもに対しても、児童相談所ですら「うちは高校生を担当していないから」と、対応してくれない。
でも弁護士も政治家も、ほとんどが裕福な家庭で育った人ばかりです。せめて弁護士くらいは「困っている人のためになりたい」とか正義感を持って働いてほしいけど、多くの方はそうした思いが自然と育まれるような生い立ちではないのでしょう。
──社会階層が固定化されて、本当に困っている方の視点を持ちづらくなっていると。
人生に必要なのは、やさしさと賢さと、ほんの少しの強さ。やさしさとは、想像力です。自分の周りにはこれまでいなかった人、見えていない人の立場にどれだけ立てるか。困っている人に、どれだけ寄り添えるのか。もちろん、想像することには限界もありますから、当事者である相手の話を真摯に聞く姿勢、あきらめない責任感も大切にしています。
市民の“リアリティ”で、まちの風景が変わる
──冷たい社会を「やさしい社会」にするために必要なのは、どんなことだと思いますか。
きちんと大義を掲げて、真正面からていねいに説明すること。それを目に見える形にすること。そしてもう一つ重要なのが、ちゃんと“儲けていただく”ことです。
例えば、明石市では国の「障害者差別解消法」の理念を明石のまちで具体化するため、「明石市障害者に対する配慮を促進し誰もが安心して暮らせる共生のまちづくり条例(通称:障害者配慮条例)」を制定しました。点字メニューや筆談ボードの設置費用や簡易スロープの設置工事費など、障害のある方への配慮の提供を支援するために、市が商店などに全額助成しています。
「障害のある人への差別をなくしていくことで、誰もが安心して暮らせる共生社会を実現する」ことが大義です。一方で事業者の方々にとっては、障害のある方への適切な対応を進めることで、ベビーカーを押した子ども連れも、押し車を使う高齢者の方も、安心してお店に入れるようになる。すると、店の評判も上がって「儲かりますよ」というところまで、きちんとご説明するわけです。
助成制度を広めていくにあたっては、最初に商店街連合会や商工会を取りまとめている方のお店へ出向き、協力してもらえるようお願いしました。地元のキーパーソンに実際に対応を進めてもらうと、やはり評判になって、お客さまも増えて、ずいぶん褒められる。すると、「そらええわ」「ウチもやってみよ」と口コミでどんどん広がって、他の店も追随するようになりました。
ご家族に障害のある方がいる店舗からはじめたのでは、「身内の問題」で終わってしまう。普段障害者とは関わりが薄い層にも理解していただくことが、まちを変えていくには大切なんです。
──課題から距離のありそうなところから、あえて動かしていく。
そう。まちの風景をガラッと変えるために、そこを押さえに行く。それがまち全体をやさしくすることにつながります。まちの風景が変われば、人の心も変わりはじめます。市民一人ひとりが変われば、まちも社会もやさしくなっていく。
でもその「やさしい」には、私の感覚でいうと「儲かる」「褒められる」も一緒に必要なんです。「やさしくなろう」「人にやさしく」とただ言うだけではダメで、メリットがないと人は動かないんです。
──利己的な動機も大切ということですね。そこから本当に、利他的な行動が広がっていくのでしょうか。
いちばん大事なのは、市民の“リアリティ”。子ども政策も、「実際に自分が助かってる」というメリットが実感できないと、本当の共感は生まれない。そこに生活の“リアリティ”が伴って、初めて人の反応が変わり、理解が広がるんです。
例えば、市長に就任した当初「泉は子どもや福祉ばかり」と怒っていた人が、あるとき「市長、ありがとうな」と。急にどうしたんですかと返したら、芦屋におった娘さんが、今度孫を連れて近所に帰ってきて、家を建てるんやと。「明石はええ町や言うて、うちの娘喜んでるわ」って、うれしそうに声を掛けてくれたことがありました。
──“高級住宅街”として知られる芦屋から、明石へ。
そうそう。昔だったら、明石の人は出身地を「神戸の近くです」なんてごまかしてたのに、えらいイメージ良くなったなと思います(笑)。でも、こういう話は本当にたくさんあって。それが身近なところで増えていくと、行政のやろうとすることを、市民の方も“リアリティ”を持ってわかってくれるようになるんですね。
「グローバルスタンダード」の施策でほかの自治体へ波及を
──明石市では特色ある施策を次々に実現していますが、参考にしている事例はあるのですか。
やっぱり、海外の取り組みが参考になりますね。国会議員時代、フランスの少子化対策を勉強しましたが、「3人目以降は家族みんな公共交通機関や公共施設が割引きになる」とか、「3人子どもを育てたら年金支給額が上がる」とか……わかりやすいインセンティブがあると、出生率は上がるんだな、と。
養育費の立て替えも、スウェーデンやフランス、ドイツや韓国など海外では既に行われています。明石市ではパイロット事業として2018年に実施しました。明石市の施策は、よく「全国初」「関西初」と言われるけど、日本が遅れているだけで、恥ずかしいことなんです。
そもそもOECD諸国のなかでも日本は、子どもに関する予算が先進国の半分程度なのに、公共事業は平均より多い。逆なんですよ。だから明石市では公共事業予算などを削減し、子ども予算を倍にしました。要するに、ヨーロッパ並みの予算配分と人員配分をしているだけなんです。
──グローバルスタンダードに合わせていたら、「全国初」と言えてしまう事例が増えたと。
そうやって明石市が全国初をやってしまえば、2例目、3例目と続く自治体も出てきやすくなるでしょう。前例踏襲、横並び意識の強い日本の行政で、ゼロから1をつくるのは、多少の強引さも腕力も要りますから大変なんですけど、私はそういうのが得意ですから(笑)。
だからどの政策も、かなり狙って“置いていく”感覚があり、普遍性のある内容、ほかの自治体も真似しやすいような枠組みを意識しています。例えば2021年1月からスタートした「明石市パートナーシップ・ファミリーシップ制度」は、LGBTQ+の方だけでなく事実婚の方にも広げ、パートナーだけでなくその子どもまでを含む家族関係を証明する制度にしました。まずは市民の賛同を得やすいテーマから理解を広めて、ほかの自治体にも取り入れてもらい、世の中で認知されるようになればさらに制度の拡充を図っていく、という戦略です。
実際、それまではLGBTQ+の方に限定した制度を目指すところが多かったけど、明石市が性的指向や性自認などを問わずに適用したうえで、子どもも含むファミリーシップ制度を創設したところ、所沢市、市川市などほかの自治体にも同様の制度が広がってきています。
──これまでの固定観念を崩していくような取り組みも少なくありません。これまで特に不便を被っていなかった方からは、反発のようなものもあると思うのですが……。
あるかもしれません。私は、子どもの頃からずっと、自分の生きている社会が素晴らしいと思ったことなんて、一度もありません。社会や制度は、変えるべき対象だと常に思ってきました。弁護士の勉強ではじめて『六法全書』読んだときにも、「誰がこんなもん書いたんや」と思いましたよ。「金持ちのため、財産を守るための法律ばかりで、貧乏人や立場の弱い人のための法律が全然ないやないか」って。
そうやって社会は完璧ではなく、是正すべき対象だと思えていたから、少数派のための政策を考えるのは当然のことなんです。歴史というのはつねに、少数派が多数派へと移り変わることで、動いてきました。私は、「未来は少数派にあり」だと思っています。
やるからには、“負け戦”ではいけません。少数派が中間層の共感を得て、社会を変えるために重要なのは、できるだけ分断や分裂を招かないようにすることです。少数派/多数派に分けて、「こちらがかわいそうなので変えましょう」みたいな言い方では、多くの人は賛成してくれません。「少数派のための政策を行うことで、あなたもハッピーになれるんです」と働きかけることが重要なんです。
やっぱり人はみんな、自分のことが大切です。他人ごとのままでは、自分自身を犠牲にして人を助けるようなことはなかなかできません。自分自身、あるいは子どもやその子ども……未来の安心につながるという“リアリティ”が生まれなければ、社会は変わらない。
想像力を働かせながら、「自分たちで社会は変えられる」と信じる
──とはいえ、日本で暮らしていると、なんとなく閉塞感があるというか、社会は変えられないと感じてしまいます。
そこは「発想の転換」が必要です。例えばお金の問題。私も市長になった当初は、お金がないと思い込んでいました。でも、実際は予算をやりくりすることでなんとかなりました。古い固定観念のままで、なんでもかんでも“ない”と思い込んでいるから、変われないんです。子ども施策に力を入れれば、まちは発展するんです。「子どもを支援したら、経済が良くなった」というのも、みんなびっくりでしょう。
まずは自分たちのまちを、社会を「変えられる」と思えるかどうか。あきらめからはじめるんじゃなくて、「なんとかなる」「できる」と思うところからスタートする。明石市では「やさしい社会を明石から」と言い続けてますけど、単なるスローガンではなく、本気で思ってるんです。私はわりとリアリストで、自分を客観的にみて、明石市長ならなれる、なればできる、冷たいまちを変えられるはずだと立候補したから、今がある。
よく言うんです。政治をあきらめるのは、未来をあきらめることだ、と。私はあきらめたくない。あきらめようとも思わない。Twitterでも「あきらめるのはまだ早い。できることはまだある」と伝え続けているつもりです。
──私たち一人ひとりが、意識を変えていかなければならないんですね。
そこは、あまり悲観してません。特に、地方の市区町村長選挙などは明らかに変わってきています。市区町村長は直接住民の投票で選ばれますから、時代や“リアリティ”をいちばん反映しているのではないでしょうか。かつてのように、地元の有力者や有力団体が裏で首長を決めるような時代はもう終わっていて、きちんと住民のニーズに向き合わなければ、選挙で勝てない時代になってきていると思います。
──市長に就任して、成し遂げたいと思っていたことはどのくらい実現できましたか。
はじめの8年までは1割くらいしかできていないと思っていたけど、この3年でバタバタっと3割くらいまではできたかな。でもここからが大変なんですよ。明石がやってきた施策を、ほかのまちにも広げていかなければ、次に行くことはできません。
というのも、今はまだ国や県が「冷たい」なかで、明石市の財源だけで賄い続けているから、精いっぱいなんです。さらに市の財源を使おうとすると、全体のバランスが崩れてしまいます。持続可能性を考えると、国や県の政策転換が必要なんです。
実際、明石市が中学校の給食費無償化や、高校生の医療費無料化を実現できたのは、国が2019年10月に幼児教育・保育の無償化へと舵を切ったからです。国が表明した時点で、既に明石市は自らの負担で実施していました。だから、国から幼児教育・保育の無償化の費用を受け取ることで、市の負担が減り、浮いたお金で次の子ども施策を実現することができたわけです。
──残りの7割を達成するために、県や国を動かしていかなければならないわけですね。
そうなんです。せめてヨーロッパ並みの予算配分で、公共事業を見直し、子ども予算を少なくとも2倍にしてもらいたい。そういう機運を高めようという思いもあって、Twitterをはじめました。発信をはじめた2021年12月21日は、私にとっても思い入れ深い「旧優生保護法被害者等の尊厳回復及び支援に関する条例」が成立した日です。これを機に、明石市でできたことを、ほかの地域にも広げていこう、「ほかのまちでもできる」ということを伝えていこうと思ったんです。
──こうしてお話を伺っていると、明石市で暮らす子どもたちはどんな人に育つのか、楽しみになってきますね。
私から言えるのは、やっぱり「やさしい人」、そして「自分らしくいられる人」であってほしいなと。困っている人がいたら自然に声をかけられるようになってほしいし、自分が人生の主人公として、やりたいことを胸張ってやっていけるような人になってほしい。
「やさしい社会を明石から」というのは、明石で育った子が、ほかの地域や国で暮らすようになってもやさしい人でいてくれたら、きっと実現するんでしょうね。もちろん明石に戻ってきてくれたらうれしいけど、仮に帰ってこなくても、明石で育ったことはその子のプラスになるし、きっと世の中にもプラスになる。どこで暮らしていても、明石の宝ですよ。
──「市長になりたい」というお子さんもいらっしゃるんじゃないですか?
そう、いるんです。手紙をくれたり、「会いたいです」と言ってくれたりして、うれしいなぁ(笑)。私もだいぶまわり道しましたけど、その子らに言えることがあるとすれば、世の中にはいろんな人がいるから、あなたが見えているものがすべてじゃないよ。見えていない人もたくさんいて、それぞれにその人の人生があるよ、と伝えたいですね。
どうすれば政治家になれるかではなく、大事なのは「政治家になって何をするか」。そのための想像力を、きちんと働かせてほしいと思います。
取材・執筆/大矢幸世 編集/佐々木将史 撮影/其田有輝也