「どこかの地方都市の駅前のようだ」「何が起こるかわからない魅力がなくなった」「若者やお金のない人を追い出したいみたい」。
渋谷の再開発に対して、SNSなどでネガティブな声を目にした人は多いはずだ。
確かに1990年代に「渋谷系」や「渋カジ」、「ギャル文化」などを育んだ若々しさと猥雑さは、いま渋谷に立ち並ぶ巨大なオフィスビルと商業施設からは感じにくい。もっとも、都市のライフサイクルを考えると、若者の街だった渋谷が成熟して違うフェーズに入った証左といえるかもしれない。
ところが、だ。
同じく渋谷の地で、ここ数年に大幅リニューアルした商業施設ながらも、老若男女からインバウンド客を含めた多彩な人々を前より集め、雑多な活気を感じさせている場所がある。
渋谷PARCOだ。2019年の大胆な建て替えによって、それまでの延長ではない「ゼロから体験を設計し直した施設」として再出発し、2024年には過去最高の売り上げを叩き出したこの商業ビルは、昨年さらに大型リニューアルを実施。その“再設計された土台”の上で、約80区画を入れ替える攻めの一手だった。
なぜ渋谷PARCOは今、この街で独自の存在感を放っているのか。その立役者である渋谷PARCO アソシエイツプロデューサー・平松有吾氏に聞いた。

渋谷PARCO外観
バンブーバッグと、マルジェラとタミヤと、トニオのプリンと
渋谷駅からスクランブル交差点を渡って、左にそれて、公園通りを上る。ほどなくすると現れる白い建物が、渋谷PARCOだ。
いかにもモダンでクールな外観。だが、一歩足を踏み入れれば、館内のあちらこちらで独特の“熱狂”が溢れている。

3F「COMME des GARÇONS」店舗風景
写真提供|株式会社パルコ
1階から4階までにCOMME des GARÇONSの別ブランドがコンセプチュアルに出店しているのを筆頭に、Miu Miu、GUCCI、Maison Margielaといったラグジュアリーなハイブランドは、もちろん人を集めている。
加えて、ともに世界初となった任天堂のオフィシャルストア「Nintendo TOKYO」や『ジョジョの奇妙な冒険』の体験型公式ショップ「THE ★JOJO WORLD」、あるいはタミヤなどのラジコンカーをストリートカルチャーのようにプレゼンした「BLOCK HEAD MOTORS」など、日本が誇るIPやホビーを体感できるショップは、平日でも行列ができる。

6F「THE★JOJO WORLD」店舗風景。冒頭の見出しにある「トニオのプリン」とは、作中に出てくるもので、店内のカフェでは「トニオの特製プリン」として提供されている
写真提供|株式会社パルコ
JOJO
Ⓒ荒木飛呂彦&LUCKY LAND COMMUNICATIONS/集英社
Ⓒ荒木飛呂彦&LUCKY LAND COMMUNICATIONS/集英社・ジョジョの奇妙な冒険THE ANIMATION PROJECT
さらに上階にあがると「パルコ劇場」やミニシアター「WHITE CINE QUINTO」が通好みのエンタメ作品を上演し続け、夜が更けはじめると、9階のライブストリーミングチャンネル「SUPER DOMMUNE」がサブカルチャーのトーク番組やライブ、DJプレイなどを配信。地下では新宿二丁目に本店を構え、ドラァグクイーンと飲めるミックスバー「Campy!bar」で宴がはじまる、といった構成になっている。
ファッションに偏るでもなく、サブカルチャーに寄せるでもなく、ファッションとカルチャーがごく自然にまじりあって魅力を放っている。結果として、とても「渋谷らしい」魅力を放つ場になっているのだ。
「先日も中東からご家族で来館された方が『お父さんはISSEY MIYAKEでシャツを買い、お母さんはGUCCIでバッグを買い、お子さんたちはNintendo TOKYOでグッズを買って、帰りに地下でラーメンを食べて、家族全員が最高に楽しめた』と喜びの声をいただいた。多世代、多国籍のお客様に楽しんでいただけているのは、本当にうれしいですね」と、渋谷PARCO アソシエイツプロデューサー・平松有吾氏は言う。
平松氏「一度薄れかけていたパルコのDNAを丁寧に再構築していった。それが今の活性化につながっているな、と実感しています」

渋谷PARCO アソシエイツプロデューサー 平松有吾 氏
モノ消費が勢いを増した時代の、カウンターとして
パルコのDNAとは何か?
平松氏は2つをあげる。1つは「ファッションとカルチャーの融合」、もう1つは「新しい何かを先取りして形にする」ことだ。
そもそも渋谷PARCOが生まれたのは1973年。西武百貨店などを率いたセゾングループの堤清二氏が鳴り物入りで立ち上げたファッションビルだ(現在はJ.フロント・リテイリンググループ)。それに先立つ、1969年に池袋に生まれた1号店に次ぐ2番目のPARCOで、堤氏の盟友だった増田通二氏が創業者として作り上げた。
そして、この当初から、ただモノを売る商業施設ではなく、文化の発信地としての役割をもたせた新しい存在だった。
西武劇場(のちのPARCO劇場)やパルコミュージアム、ギャラリーを館内に設置、寺山修司や日比野克彦といった前衛的なクリエイターを世に紹介していった。また現代アートのような斬新なデザインと、挑戦的なキャッチコピーを使った広告の数々は、単に買い物を促すのではなく、カッコいい生き方や考え方を後押しするようだった。パルコ出版を作り、渋谷エリアのタウン誌である『ビックリハウス』やマーケティング情報誌『アクロス』といったユニークな雑誌の発行も、当時の若者たちを大いに刺激した。
まさに「ファッションとカルチャーを融合」させて、新たな才能やモノやことを「先取りして形にして」いったわけだ。
平松氏「パルコが生まれた70年代前半は、学生運動が終息して、若者も急速に大衆消費社会に取り込まれていく頃でした。百貨店を中心とした流通業が力を持ち、モノを持つことで充足感を満たすことが多くの方にとって喜びだった。そんな風潮へのカウンターとして、創業者の増田さんはカルチャーとビジネスを融合して、ひとつの空間にしていったのだと思います」

こうして「若者が好むカルチャーは渋谷から発信される」というイメージを、パルコとその周辺がより強く植え付けた。90年代に花開く、渋谷系などの音楽ムーブメントや、ハイファッションと古着やカジュアルアイテムを混ぜ合わせて楽しむ渋カジのスタイルも、パルコの影響があった面もあるだろう。
1977年生まれで、90年代に10代のほとんどを過ごした平松氏は、「私自身もそうしたカルチャーに強い渋谷PARCOの独自性に魅かれて、2004年に新卒で入社した」という。
平松氏「ところが、こうしたパルコのDNAが薄れていったのが、2000年代だったんです」
バブル景気の残り香があった90年代を終え、時代は大きな節目を迎えた。低成長が当たり前になり、深刻なデフレ傾向が続き、安価なファストファッションが台頭した。
同じタイミングで、大店法が廃止されて、巨大なショッピングモールが各地にできた。駅に直結した駅ビル内のテナント開発の自由度が増した。圧倒的なアクセスの良さは坪単価の良さに直結し、アパレル、雑貨、飲食店などは駅ビルやモールでの出店を望み、集客力をさらに増やした。Eコマースが頭角を現し始めたのもこの頃だ。
こうして流通チャネルとマーケットの地図が様変わりして、パルコのようなファッションビルの強みは薄れていった。セゾングループからパルコが売却されて離れたのも、2004年だ。
平松氏「私が入社した頃は、変わり目だったわけです。創業期からのカルチャーとビジネスの融合や、新しい形のないものを突き進むムードを抑えざるを得ない状況。ブランドやショップの出店を促すリーシング業務も『他で売れている実績があるブランドだから入れよう』『大手が動き出すまで様子を見よう』といった空気に支配されつつありました。苦しい時期でしたね」

そうした流れと建物の老朽化もあって、2010年代に入ると渋谷PARCOは建て替えの構想を進めはじめた。2016年に一旦、クローズ。2019年の建て替えに向けて、長い準備期間を過ごす。
この建て替えプロジェクトに2017年から平松氏も参画した。そしてこの建て替えのタイミングで、あらためてパルコのDNAに立ち返ることを決めた。押し出せずにくすぶっているようにも見えた「ファッションとカルチャーの融合」と「新しい何かを先取りして形にする」だ。
平松氏「建て替えするならば、あらためて『唯一無二の場所』をつくらなければならない、という起点がありました。そのための原点回帰だったのです」
1階を「ショウテンガイ」にした理由。
唯一無二の場所をつくるために、原点に立ち返る。ファッションとカルチャーの融合をあらためて提案する。
大胆な方向転換は、2010年代のパルコにとって大英断だったに違いない。なにせ2000年代に入ってから建て替えに入る直前の2015年まで渋谷PARCOの取扱高(全テナントの売上合計金額)は、ほぼ右肩下がりで減少を続けていたからだ。
しかし、平松氏は「苦境だったからこそ挑戦できた」と振り返る。
平松氏「2000年代から駅ビルのような成功例を後追いする面もありましたが、結果が出なかった。駅から10分歩かなければいけない渋谷PARCOでは同じ施設はつくれないし、仮に同じ店舗を揃えたところで、徒歩10分の物理的距離は集客に影響します。現状の成功事例とはまったく違うことをせざるを得ないわけです。だから、原点回帰への反対意見は意外と少なかった」
世界的に「リアルなカルチャーの体験価値」がじわじわと高まっていたことも追い風になった。ライブやフェスなどの人気はもちろんのこと、2010年代後半くらいから世界的なファッションブランドが、アートやカルチャーとコラボレーションしてイベントやポップアップストアなどを積極的に手掛けていた。
平松氏「これもインターネットの影響だと分析しています。今や若者を中心に、世界のほとんどの人がInstagramなどのSNSを毎日覗き、Netflixを観て、EコマースでH&Mなどの洋服を買う。全世界の人たちがネットの普及によって、誰しもおしゃれになり、多彩な情報をキャッチアップして、時差なくトレンドやエンターテインメントを楽しめるようになりましたからね。しかし、それも行き渡って、“その次”を求め始める流れがあった」

世界のどこにいても「ファッション」や「トレンド情報」が均質化された結果、他者との差異はつけにくくなった。そうなると、ネットでは体感できない「リアルな場所」や「カルチャーの現場」の価値が、あらためて高まったというわけだ。
そうなるとストリートファッションやサブカルチャーの領域で世界的にもユニークな発信を続けてきた日本、そして東京、さらには「渋谷」という地の利が、さらに輝きを増す。
平松氏「1970年代から渋谷でカルチャーとファッションを発信してきた渋谷PARCOを、あらためて原点回帰して伝える意義がうんと高まりはじめてもいた」
そこで2019年の建て替え時、1階はハイブランド、2階はレディース……といった通り一辺倒のフロア構成を捨てた。
たとえば1階は「ショウテンガイ・エディット・トウキョウ」という名のとおり、雑多な商店街をイメージしたつくりに。
「GUCCI」「LOEWE」といったラグジュアリーブランドが入ると同時に、NIGO氏の手掛けるストリート感あるブランド「HUMAN MADE」が並ぶ。さらには「THE LITTLE BAR OF FLOWERS」という生花店や、吉田カバンの「PORTER EXCHANGE」までが続く、緩急のあるフロアとした。
ハイブランドと裏原のTシャツに、60年代のデニムをあわすような、渋谷らしい自由なミックススタイルをフロア展開だけでも感じさせるつくりにしてあるわけだ。
6階は「サイバースペースシブヤ」。「Nintendo TOKYO」や「SEGA STORE TOKYO」「JUMP SHOP」といったゲームや漫画のIP系ショップが並ぶが、空間づくりはファッションブランドと同じレベルの造り込んだ内装に仕上げた。
平松氏「ブランド・ショップはそのブランドやデザイナーの世界観を形にした店づくりをする。同じ考え方をIP系のショップにもお願いしました。具体的には『ゲームや漫画などの中に入り込んだような体験を提供してほしい』と内装を仕上げてもらいました」

6F「SEGA STORE TOKYO」店舗風景
写真提供|株式会社パルコ
こうした踏み込んだリーシングを、平松氏は「ストーリー型改装」と呼ぶ。坪単価や費用対効果を前面に押し出して出店を促すのではなく、フロアごとに掲げたテーマ。前出のように「サイバースペースシブヤ」や「ショウテンガイ・エディット・トウキョウ」といった色を決め、「どんなお客様が、どのようにフロアを訪れて、どんな気持ちになってほしいか」のストーリーを練った。ハイファッションだろうが、ゲームIPだろうが、そうした具体的なストーリーを思い描き、それを企画にしたためて、各店を口説いたのだ。
だからフロアごとにバラバラのようで、不思議と馴染み、違和感がない。フロアをまたいでも、GUCCIの華やかでアーティスティックな店内の空気を味わったあとに、近未来的なSEGA STORE TOKYOに佇む等身大キャラクターに胸を躍らす体験をごく自然に堪能できる。GUCCIとNintendoが一見、バラバラの同じ土俵で違和感なく輝く。カルチャー×ファッションが混じり合っても、ごく自然に回遊できる新たな渋谷PARCOが形づくられていたのだろうといった。
「渋谷の街を館の中に再現する」こともイメージしたという。
平松氏「渋谷という街の魅力、アイデンティティをひもとくと、魅力的な個店や雑多な人が集っていることだとたどり着きました。高校くらいの頃、僕が渋谷で遊ぶとなると代官山や恵比寿あたりから、神南あたりはもちろん、千駄ヶ谷くらいまでの広範囲なエリアを指しました(笑)。要はそれくらい魅力的な店が点在していて、ワクワクする感覚がストリートにあった。同じ感覚を伝えたかった」
こうして、2019年の建て替えを果たした渋谷PARCOは、多くの支持を得たのは先に述べたとおり。建て替え前は年間150億円程度にまで落ちていた取扱高はすぐに起きたコロナ禍の頃には苦戦するも、2022年には228億円にまでアップ。2023年には358億円にまで伸ばした。
平松氏「さらに建て替えから6年たった昨年には、また大幅なリニューアルを実施。『CELINE』や『GANNI』、『THE ★JOJO WORLD』『ゴジラ・ストア Shibuya』などが加わりました」

3F「GANNI」店舗風景
写真提供|株式会社パルコ
あらためて、並びがすごい。
売上・利益は極めて好調だったが、新しい何かを先取りするのがDNAだ。平松氏は「攻める」ことを決めた。2025年の大型リニューアルにおける旗印でキーワードは「解体を主張する」だ。これは1977年、創業者の増田氏が、渋谷PARCOが安定路線に入りそうだった頃合いにかかげた挑発的なメッセージを借りて、掲げた。

平松氏は「雑誌編集に近い感覚で、館づくりをすすめている」という。
雑誌は特集ページをつくるにしても、最初に豪華なグラビアで魅せたあと、意外なインタビューがはさみこまれ、実用的なコラムが入って、多彩な連載記事などが続く。雑誌コンセプトに基づきながらも、「次は何がくるのだろう」と小さなワクワク感を胸にページをめくる楽しさがある。
そんなワクワクを編むためには、いま世の中がどんな方向に向かっているかトレンドを押さえ、感度の高い人たちとの人脈も不可欠だ。
学生時代から広範囲な渋谷で遊び、2000年代のパルコでも、実は編集型のアンテナショップやとがったブランドの開拓などを続けてきた平松氏の姿勢が、ここにきて実を結んだともいえる。
平松氏「もっといえば僕だけじゃないんです。PARCO劇場にしろ、パルコ出版にしろ、ミュージアムにしろ、カルチャーの現場で編集的な手法でカルチャーをつくり、発信してきたノウハウを持つ社員が、社内のほうぼうにいた。大勢がリーシングのお願いにもコンセプチャルな企画書をしたため、何度も提案する編集力と粘り腰を持っていた。まさしくDNAが残っていたことが今につながったのだと確信しています」
渋谷PARCOの第二章の編集を終えた平松氏は、今後、さらにパルコが持つ渋谷の他の物件の企画やリーシングを手掛けていく。また、パルコを飛び出して、また別の地域、領域で自身の知見と経験を生かしていく予定だという。
今度は、日本のあちらこちらで、新しい“熱狂”が生み出されるわけだ。
渋谷PARCOの建て替えやリニューアルについては、平松氏の著作に詳しく書かれているので、ぜひこちらもチェックしてほしい
『渋谷パルコの復活』(光文社、2026年)
取材・文/箱田高樹 写真/田巻海 編集/鶴本浩平(BAKERU)




