はじめまして、りょかちです。
私は普段、SNSを中心に若者カルチャーについて文章を書き、一方で本業ではWEBディレクターとして「UX設計」を仕事の一つとしています。
ですが、26歳女性会社員というひとりの消費者として、最近ひしひしと感じるのは、インターネットサービスはすでにオフラインと密接に繋がって、インフラとして機能しつつあり、すべてのサービスで、オフラインの体験を含めた「CX」がとても重要であるということ。
この連載では、ひとりの20代女性として、インターネットサービスとスマホを閉じたオフラインを行き交いする中で感じた小さな気付きについて執筆していければと考えています。
第一回に書かせていただくのは、流行する「レコメンデーションサービス」と、実生活の中にあるべき快適な裁量権のお話です。
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この夏、使っていた様々なサービスを退会した。その多くが“誰かのオススメを定額で提供してもらうサービス”だ。キュレーターがオススメのコスメを毎月送ってくれるサービスや、プロが私の趣味を観察してオススメのコーディネートを送ってくれるサービス、プロが選んだ食品を毎月送り続けてくれるサービスなど。最近この手のサービスをたくさん利用し始めていたのだが、半分以上はやめてしまった。
退会するきっかけになったのは、届いたダンボールを開けて「なんだかトキメかない」という違和感を感じた後、「自分で店舗に足を運んで、運命のシロモノに出会う一瞬も含めて、ショッピングというものが好きだったのだ」と気づいたことである。
逆に最近は、AmazonやZOZOのレコメンドエンジンからオススメされたアイテムをなんとなく眺めて、「あーたしかに欲しかった!」という感動とともに購入している。あるいは、実際に店舗に行って試すタイプのカスタマイズサービスにハマっている。IPSAの肌診断を実施した後、きれいで優しいBA(ビューティーアドバイザー)さんからのオススメを聞いて購入する商品を自分で決めてコスメを購買する体験は、「なるほど、こういう困りごとの原因はこれだったのか」という腹落ち感と解決策としての商品を持って帰れるので満足度が高い。
「レコメンデーションサービス」がフィットしている人たち
一方で、このようなサービスを活用している友人たちも勿論いる。多忙な友人は、「料理を作るだけでも面倒なのに、献立を考えるのは無理!」と話して、ミールキットを送ってもらうサービスを重宝している。また、「いつももらったTシャツばかり着ている」と話す友人は、「普段なら自分で選ばないアイテムを着れるから」という理由でコーディネートをしてくれるサービスを愛用しているようだ。“自分が選ばないチョイス”を求めてレコメンドサービスを利用する人は一定数いるようで、コスメのキュレーションサービスを利用する友人にも、同じようなことを話す人がいた。
コスメや洋服、ミールキットをサジェスト・キュレーション・チョイスして届けてくれる「選択のアウトソーシングサービス」はたくさんある。情報過多な現代に、大量の選択肢がある中で“何かを選ぶ”ということは、実は大きな負荷のかかる行為だ。「きょう何食べたい?」と聞いて「なんでもいいよ」と答えられて腹立たしいのは、その負荷をまるなげされているような気持ちになるからである。
これからも、膨大な選択肢と個人の好みを分析し(あるいは、専門家が独自の切り口で品定めし)、一般のユーザーに洗練されたアイテムを提供するサービスは増え続けるであろう。なぜなら私達は、彼らのペルソナシートの中では“膨大な情報が存在するがテクノロジーが発展する現代に生きる、忙しいワカモノ”なのだから。
まるで異なるそれぞれの「面倒くさい」の中身
しかし、そんな「ハイパーレコメンデーション」な時代の中で必要とされているのは、実は“ユーザーの裁量権のデザイン”ではないだろうか。
日々「選ぶのが面倒くさい」と思っていても、実際アウトソースしてみたら、私のように「やっぱり自分で選ぶのが一番たのしいし、満足度高いじゃん」という人もいる。サービスの作り手は、レコメンデーションエンジンや、アイテムをキュレーションする専門家たちのリクルーティングと並行して、“情報過多な時代で、忙しいユーザーが面倒な作業を代替してやってあげる”という行為を、もっと細分化しなければならないのではないかと思うのである。
例えば、私達がアウトソーシングしている“服の購入”という行為だけであっても、実際は数多くのプロセスに分解できる。
「自分の今の状態を理解する(体型や肌の色、好きなテイストなど)」→「自分の魅力や欠点を把握した上で、その日のスケジュールにぴったりのものを考える」→「条件に合うものを店内で探す」→「選択する」といった具合だ。もう少し抽象的にするならば、「現状の理解」→「その他の考慮すべきデータを参照しながら”似合う”を分析」→「分析した条件に合致しているアイテムを検索」→「選択」といったところだろうか。
私の場合、「現状の正しい理解」「”似合う”の分析」は苦手だが、「条件にマッチするアイテムの検索」と「選択」は好きなのだ。ある程度「こういうモノがベスト」が決まれば、あとは自分がときめくアイテムを選びたい。一方でとある人は、「どれだけアイテムをレコメンドされても、最後は誰かに決めてもらわないと決められない」と話していた。その場合、大きなハードルは「選択する」にあるのだろう。
「購入」を細分化すれば、それに沿った施策もクリアになってくる。例えば、私のように「現状理解」と「分析」をアウトソースしたい人間にとっては、自分のデータを分析してくれる診断系のサービスやレコメンドエンジンが必要だ。一方、「選択」をアウトソースしたいその人は「やっぱり人がいてくれると安心して選べる」と話していた。ともするならば、必要なのは店舗で購入に寄り添ってくれるプロの店員さんであり、必要なタイミングで店員さんに助けを求められる店舗でのコミュニケーションのアップデートである。
レコメンデーションを考える上で実は必要な、「何を選ばせるか」という真逆のデザイン
多様化した我々の生活の中には、生活者の数だけ「面倒くさい」がある。あまりにも面倒になった「選択する」という行為もまた然り。人それぞれ「選ぶの面倒くさい」の中身は違うのだ。
そして、その欲求の多様性と同様に、「これは自分で選びたい」という真逆の欲求も合せ鏡のように存在する。「これを面倒くさいから誰かにやってほしい」というのと同様に、「これは自分で選びたい」「ここはこだわりたい」「これはみんなと一緒じゃやだ」が存在しているのである。
「面倒なユーザーの購入体験を請け負います」というコンセプトでもってレコメンドサービスを設計しても人によってフィットしないのは、単なるレコメンドやキュレーションの精度ではなく、「面倒くさい」の解像度が低いから、という理由もあるかもしれない。
アウトソーシングサービスが増えている現代において、サービスを利用することによるユーザーの「利便性」とともに、アウトソーシングした先にある、ユーザーの「裁量権」もデザインしてくれたサービスが現れたならば、ユーザーである私達は初めて、嬉々として自分の毎日の重みになっている”面倒な”作業を手放せるようになるのかもしれない。