宗教学者として知られる北海道大学准教授・岡本亮輔氏が考える「聖地巡礼」の秘密。
近年、一般に「聖地」といえば、アニメの舞台や「カレーの聖地」などを指すようになっている。西欧の教会や日本の寺社を研究する私も、「アニメじゃない方の巡礼」「わりと真面目な方の聖地」とことわりを入れなければならなくなっているのだが、実のところ両者に大差はない。その場所にまつわる物語が共有され、それを体感したい人々が集まるのだ。
物語を供給するメディアは多岐にわたる。新約聖書でも「天気の子」でも「出没!アド街ック天国」でも、広義のフィクションが場所を意味づける点では同じだ。ディズニーリゾートは入念な環境整備によって物語に没入させる最も成功した聖地であり、年間パスポートを買って週に何度も通うゲストは篤信者そのものだ。
重要なのは、本来、聖地巡礼は不可欠な実践ではないことだ。エルサレムに行かないキリスト教信者が問題視されるわけではない。むしろ日常的に聖書に親しみ、地域の教会に通う方が重要だ。聖書はフィクションを広める作品、教会はファン・コミュニティに相当するだろう。まったく同じように、舞台訪問をしなければアニメ作品を楽しめないわけではないし、赤羽や立石だけに唯一無二の安くて美味しい居酒屋があるわけではない。
しかし、本来は真夏の日差しを防げる京セラドーム大阪の方が健康的なはずだが、高校球児の多くは、阪神甲子園球場でプレイすることに、それこそ自分の一生に関わるような特別な意味を見出す。甲子園に立った体験は幼少期からの努力に意味を与え、たとえプロにならなくてもその後の人生の指針になる。物語によってある場所が代替不可能なものになり、そこに身を置くことに至上の価値が与えられる。物語が生む強度ある場所体験こそが、聖地巡礼の本質なのである。
したがって、フィクションを共有する人としない人の間には、同じ場所をめぐり温度差が生じることもある。四谷須賀神社は長いこと地域密着のひっそりとした神社であり、その境内に繋がる階段は地元民の生活道路だった。だが、2016年の夏以降、「君の名は。」のファンにとって、物語のクライマックスに関わる唯一無二の聖地となった。現代では、なんでもない場所に巡礼者が押しかけ、地域住民がそれを不思議そうに見守る光景が至るところで繰り広げられているが、フィクションが人々の体験に与える影響の強さをよく示している。
執筆:岡本亮輔 編集:BAKERU
ロゴデザイン:LABORATORIES イラスト:青山健一