文字による表現―小説・川柳・俳句・短歌など―を読んでいると、書き手の内面や内側から湧き起こってくるものを感じる瞬間がある。本稿では、川柳人・暮田真名さんに「書く」ことと「自分を掘る」ことの関係について、書くことで得られる気づきについて綴っていただいた。
(この記事は2024年12月に発行された『XD MAGAZINE VOL.08』より転載しています)
暮田真名(くれだ・まな)
1997 年生まれ。著作に川柳句集『ふりょの星』(2022 年)、川柳入門書『宇宙人のためのせんりゅう入門』(2023 年、ともに左右社)。NHK文化センター青山教室で「青山川柳ラボ」講師、荻窪「鱗」で「水曜日のこんとん」主催。
わたしが書く川柳の特徴として、死にまつわるモチーフの多さがしばしば指摘される。
託されて月命日のつかみ取り
おそろいの生没年をひらめかす
故人はとても、プロペラでした
棺の緯度がまちがっている
霊柩車ほぐしの雨も降るだろう
句集からいくつかピックアップしてきた。これが全部ではないから、たしかに多いのだと思う。まず、句集のタイトル『ふりょの星』からして「不慮の死」のもじりだ。どうしてこういうことになるのかといえば、やはり作者であるわたしの興味が反映されていると考えるのが妥当だろう。
じっさい、葬式というセレモニーに無性に惹かれる。好きが高じて、東京ビッグサイトで開催されている「エンディング産業展」に行ったことがある。一社で辞めた就職活動は、もちろん葬儀会社を受けた。
「死骸を箸でつまんだら、つまんだところから崩れたの」
学生の頃に友達から聞いた言葉が忘れられない。彼女が飼っていたウーパールーパーが死んでしまい、水槽から出してお墓に埋めようとしたのだという。もし生きていたら、ウーパールーパーのからだは崩れなかっただろう。死ぬことよりも、生きていることの不思議を思った。生きているあいだウーパールーパーのかたちを保ち続けていた力を、わたしのからだも湛えているということ。〈生き物〉と〈モノ〉を隔てる目に見えない何かへのおどろきが、わたしに死に関する単語を選ばせているのではないか。
では、語の選択以前に、どうしてわたしは川柳を書くのだろう。ここでも〈モノ〉を手がかりに考えてみたい。
わたしにとって差し迫った問題はつねに、〈生き物〉と〈モノ〉の境目よりもむしろ〈人〉と〈モノ〉の境目だった。生き物が〈肉体の死〉をくぐり抜けてモノになるとすれば、人をモノに変えてしまう〈心の死〉とでも呼ぶべきものがあるはずだ。
心の死は全て他殺である。 「お前はひとりの人間として扱うに値しない」というメッセージを受け取り続けることで―例えば、何かひとつの目的の道具としてのみ扱われることで―自分でも、自分が生きているのかどうか分からなくなってしまう。
今は「わたしはモノではない、人間である」という宣言の時代だと思う。宣言するのは踏み躙られ、モノであることを強いられてきたマイノリティの人々——例えば、女性たち——である。
文学は〈モノではないということの輝き〉に親和的だ。家事、出産、育児など再生産の道具としてあること以外許されなかった多くの女性たちが、異議申し立ての言葉を獲得し、抑圧を振り払う。主体的な選択に向かって手を伸ばすことの価値を、わたしは頭では理解している。
それなのに、わたしの喉は「わたしは人間である」という言葉を拒んだ。わたしのストーリーは、今挙げたような女性のストーリーとは大きく違うから。東京に生まれ、わたしの教育にどれだけのお金が費やされたかが分かるために、自分をマイノリティだと思うことすらままならないから。けれど、「わたしはもう死んでいるんだ」と強く思い込まなければ絶対に生きていけなかったから。
殺されたことが傷つきならば、殺されていないかのように振る舞わなければいけないこともまた傷つきだった。「人間らしく生きる」などという荒唐無稽なファンタジーを今からどうやって信じたらいい?
現代川柳と出会ったのはそんな折だった。
わたくしがしずかに腐る冷蔵庫 倉富洋子
カーテンらしくふるまっている 佐藤みさ子
シナモンふる蛾をうつくしくおもうまで 八上桐子
川柳の言葉たちは、どうしてか、自分がすでに死んでいることを知っているようだった。バラバラにされ、食肉と同じように保管され、しかし食べられることもなく腐敗する他ない「わたくし」。本当はカーテンではないのに、カーテンの役割を果たそうと努める人。「うつくしくおも」えないという理由で鱗粉の代わりにシナモンをまぶされた蛾はもはや飛び立つことはできないだろうが、その姿は肌にパウダーをはたきかける人間の姿と重なる。
川柳の中で人は絶えず何かに変わろうとし、何かを変えようとしている。そのさまは追い立てられているかのように狂騒的で、「わたしも、あなたも、そのままでいい」という肯定だけがない。まさしくわたしが生きてきた世界で書かれたものだ。ここには本当のことしか書かれていない。
ちょっと見てよ死体(わたし)の焼け具合 渡辺隆夫
川柳の言葉たちは、自分がもう生き返らないということも分かっているようだった。死んでいるのに、もう生き返らないのに、おしゃべりしている!それはわたしには死んだ人が生き返って語りだすのと同じくらい感動的な光景だった。〈モノ化された人のきらめき〉。わたしはこの奇妙で、ねじれていて、貧しい光のために言葉を使うことに決めた。川柳はわたしの二つめの心臓になった。もしわたしが生きてしゃべっているように見えるのだとしたら、それは川柳がしゃべっているだけなんですよ。
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