スマホやインターネットの発達に留まらず、AIやIoTの誕生と普及、さらには登場を間近に控えた5Gによる超高速通信技術——。目覚ましいスピードで進化するテクノロジーが、今、顧客体験の“再発明”を促している。
2019年4月17日に虎ノ門ヒルズで開催された「CX DIVE」では、先端のCXについて独自の思想を持つ実力者が集い、業界の垣根を越えたディスカッションが繰り広げられた。
登壇者同士が互いを刺激し合うセッションも見られるなか、「テクノロジーにより進化するコミュニケーションとCXの未来」は、一見複雑なテーマを丁寧に紐解くように、終始落ち着いたムードで議論が進んだ。
登壇者はコミュニケーションロボットなどを製作するユカイ工学の代表 青木俊介氏と、企業向けにVR(仮想現実)システムの開発・提供を行うSynamon(シナモン)の代表取締役である武樋恒氏。モデレーターは、Webメディア『ハフポスト日本版』編集者の南麻理江氏が務めた。
プロダクトやサービスが、ユーザーにとって良い体験を実現するには?
冒頭に述べたようなテクノロジーの進化は、便利な世の中を実現した。一方、総務省統計局によると、スマホやインターネットの発達はリアルでのコミュニケーションを減らしているという。近年では、フィルターバブルの弊害も生まれ、テクノロジーの進化は新たな社会問題を誘発するのではないかと危険視する声も上がる。今後テクノロジーはコミュニケーションのあり方をどのように変化させ、近未来のCXを作っていくのだろうか。
最初にマイクを握ったのは、ユカイ工学の青木氏だ。同社は「ロボティクスで世界をユカイに」を合言葉に、人の“コミュニケーション”を誘発するロボットなどを製作する。彼の膝上でしっぽを振り、参加者の興味を集めていたクッション型セラピーロボットの「Qoobo(クーボ)」は、会社を代表する製品の一つだ。
青木「僕たちの会社では毎年1回、社員の妄想を試作品として実際に作って持ち寄るコンペを実施しているんです。Qooboも2年前に優勝したチームのアイデアから誕生しました。Qooboはキモ可愛さがウケていると思いますが、キモ可愛いというUIは、ロジカルに作られたというより、個人の妄想を紐解くうちに生まれたものです。
僕は、『私はこれが欲しいんだっていう個人的な願望からロボットを作ろう』と社内で呼びかけています。なぜなら、『世界を変えたい』というよりは、個人的な熱量から出発するほうが、ユーザーから強い共感を得やすいと信じているからです」
青木氏は続けて、プロダクトやサービスを中心に形成されるメーカーとユーザーの垣根のないコミュニティの熱量も大切さを述べた。
青木「ユーザー調査して、インサイトを考えて、企画書を作って、というプロセスも必要ですが、コミュニティの熱量が加わることで、プロダクトやサービスに磨きがかかり、お客様に還元されると思っています」
今年の3月に開催されたQooboのファンミーティングは、まさにコミュニティの熱量を高めるための実践の場だった、と青木氏は語る。
ミーティングには抽選で選ばれた50名のユーザーが集まり、各々のQooboに名前を付けたり、Qoobo用のアクセサリーを作るワークショップが開かれた。
青木「ミーティングでは、作り手のユカイ工学、売り手のロフトさん、買い手であるユーザー。すべての境界線がシームレスになり、Qooboへの愛を共通項に三位一体なコミュニティが形成されていました。当日は製品の流通を支援するロフトさんの担当者も参加し、自ら考案したアクセサリーを持ち寄り交流を楽しんでいたのが印象的でした。コミュニティ内で三者三様な意見が飛び交えば、プロダクトに磨きがかかり、顧客に還元できると信じています」
ハードウェアを専門とする青木氏に対し、ソフトウェアであるVRを取り扱うSynamonの武樋氏。同社はVR空間に複数人が入り、活動できるベースシステム「NEUTRANS(ニュートランス)」を構築している。
同空間内では複数人が同時接続して音声で会話をしたり、資料やパンフレットなど物を立体的に映し出すなど、バーチャルでありながらリアルなコミュニケーションを体験できる。
VR初心者でも短時間で使える直感的かつ、現実で物を掴んでいるかのようなリアルな操作性が作り込まれており、会議や不動産の内見、建築現場のシミュレーションのほか、化学式の構造を3Dで映し出すなど教育現場での応用も期待される。
VRが仕事の効率化を進めることは明白だが、武樋氏は“便利”を越えた先に顧客が何を実現できるかまでを見据えることが『良いCX』の軸になると主張した。
武樋「VR技術でユーザーがよりクリエイティビティを発揮できる環境を作りたい。CXを考えるうえでは常にそれを意識しています。VRによって生まれた余剰時間で、顧客が本当にやりたいことに没頭し、新しいものを創っていく糧にしてほしいです」
テクノロジーによって効率化が進み、空いた時間で家族と過ごし、新しいことに挑戦する。そういったことの小さな積み重ねは、ときに顧客自身に柔軟な発想を与えるきっかけにもなり得る。
「ユーザーがクリエイティビティを発揮できるように、どんな工夫をしているのか?」と南氏が問うと、武樋氏はVRの操作性について言及した。
武樋「人間の“直感性”とズレがあるVRは、ユーザの没入感やプレゼンスを喪失させます。ユーザーが『どこかに押し込まれている…』と閉塞感を感じれば、それに気を取られてクリエイティブになること妨げてしまいます。直感的な操作を意識し、そこに違和感を感じさせないよう努めています」
テクノロジーが、リアルなコミュニケーションの価値を高める
テクノロジーが世の中を便利にし、顧客体験の幅を広げると期待される一方、人のリアルなコミュニケーションを蝕むのではないかと不安視する声もある。テクノロジーの発達により、人のコミュニケーションはどう変わるのだろうか。
この問いに対して武樋氏は、チャットやビデオ会議などのオンラインコミュニケーションに生じやすい「誤解」を、VRは大幅に解消できると予想した。
武樋「ビデオ会議やチャットは、話し手の気持ちや場の空気感が伝わりづらく、コミュニケーションに誤解を生みやすかった。VRの場合は身振り手振りを使いながら話すことができるので、従来の遠隔コミュニケーションよりも実際に会っている感覚が増します」
オンラインで実際に会っている感覚が味わえるならば、オフラインで人が会うことの価値は下がってしまうのではないか? セッション参加者の多くが感じたであろう疑問を汲み取るようにして、武樋氏は言葉を続ける。
武樋「VRの普及に比例して、リアルな場で人と人が会うことの価値は上がると思います。VRというレイヤーが加わることで、実際に会う価値が高まり、電話やチャットでやりとりする価値が相対的に低くなる。VRで簡単に会えるようになる分、現実世界でのコミュニケーションが貴重になっていくはずです」
テクノロジーがリアルなコミュニケーションをサポートし、その価値を高める。青木氏はユカイ工学が販売する家庭用見守りロボット「Bocco(ボッコ)」のユーザー体験談を引き合いに出し、それを確信へと近づけた。
青木「Boccoを持つあるご家庭には運動会が大嫌いな小学生のお子さんがいて、『運動会の練習に行きたくない!』といつも学校に行く前に泣いていたそうです。ところが、お母さんがBoccoを通じて『頑張ろうよ。運動会まであと一週間だけだからさ』と励ましの言葉をかけると、お子さんは『うん、わかった!』と学校に行くんですよね。Boccoに励まされながら何とか運動会当日まで乗り切れたと感謝の手紙が届きました。それって、きっと親子の間にBoccoがいたからこそ実現したことだと思うんです」
「家族でも、友人でも、同僚でもない。安心できる第三者が家のなかにいたら、すごく良いかもしれませんね。毎日がちょっと明るくなる」と南氏がコメントすると、参加者のなかにはそれに納得するかのように頷く者もいた。
安心できるロボットが間に入ることで、人と人がコミュニケーションを取りやすくなる。青木氏はユーザーの体験談から、それをひしひしと感じているようだ。
モノ的の価値を超え、顧客の「喜び」を追求すること
普及、発達、進歩——これらの文字が並んでも、そこに人の温度は感じられない。テクノロジーが暮らしをアップデートすることは明確だが、重要視すべきはそれが人の心の豊かさに繋がっているかどうかだろう。
テクノロジーが顧客に提供する体験の価値も、機能性や利便性といった論理的な尺度だけではなく、情緒的なものさしで測る必要がある。その体験にモノを超えた「喜び」はあるのか。テクノロジーを基盤としたプロダクトやサービスを展開する企業は、常にその問いと向き合っていくべきだろう。
青木氏と武樋氏は、すでにその意識のもと、今日もテクノロジーで人を笑顔にしている。
青木「ここ数年でスマホが普及し、一日中モニターを見て過ごすのが当たり前の時代になってきましたが、私たちが実現したいのは、人を画面から遠ざけ、生のコミュニケーションを増やすことです。ロボットの価値は、モノが実際にあって動いていることだけではありません。ロボットはリアルのコミュニケーションを豊かにし、人の心を勇気づけたり、癒したりします。心身ともにアクティブでいられるようなプロダクトを今後も作っていきたいですね」
武樋「VRを使うと、今まで平凡に感じていたことにも『楽しさ』が生まれるんですよ。実際にVRを体験する人たちの顔を見ると、みなさん豊かな表情をしている。何事も楽しくなければモチベーションは上がらないので、その手段としてVRが使われるようになれば嬉しいですね。とはいえ、VRが一般化され始めたのはここ数年の話。VRを通したCXの最適解はまだ見つかっていません。多くのユーザーに使ってもらい、フィードバックをもらいながら、アップデートしていきたいです」
「テクノロジーの進歩はウェルビーイングの指標にはならない」と銘打ったのは、ラファエル A. カルヴォ氏とドリアン・ピーターズ氏の共同著書『ウェルビーイングの設計論』だ。
だが、それはテクノロジーが人を幸せにしないという意味ではなく、テクノロジーが進歩する過程でウェルビーイングが考慮されてこなかった結果に過ぎない。
ロボットがリアルなコミュニケーションを誘発し、人の心を癒すこともあれば、VRが実際に会うことの価値を高め、仕事を効率化しクリエイティブな体験への投資を促す——テクノロジーが人に与える可能性は計り知れないはずだ。
人の心の豊かさを定量化することは困難だが、テクノロジーがこれを無視することは許されないだろう。モノの価値や便利さを超えた先にある、ユーザーの喜びや創造性までをも追求する。その意識こそがテクノロジー領域におけるCXの基盤となっていくに違いない。
文/なかがわあすか 編集/イノウマサヒロ 撮影/加藤甫